社会資本の整備においては、その国民経済的な妥当性や代替案の優劣を検討するために、プロジェクトの実施が地域にもたらす便益を正しく評価することが必要である。特に、開発利益の帰着に関心がもたれている昨今では、整備の総便益のみならず、便益が帰着する地域や主体を明確にすることが重要になっている。 社会資本整備の便益評価手法としてこれまで提案されている中で、ヘドニックアプローチは、便益が地価に転移するというキャピタリゼーション仮説に基づくものであり、(1)社会資本整備の直接効果のみならず間接効果を含めた便益評価が可能である、(2)種々の間接効果の二重評価を回避できる、(3)便益が帰着する地域を明確にできる、などの優れた特徴を有している。加えて、日本においては地価に関するデータが豊富であり、分析のための準備が比較的容易であるという利点もある。 このように、ヘドニックアプローチは現在のところ、理論、実用の両面において最も優れた類の便益評価手法に位置づけられるものである。しかし、このヘドニックアプローチにおいても、以下に示すように改善すべき重要な課題がある。 (1)これまで実用化されている方法は、資産価値法と呼ばれるものであり、推定した地価関数によって社会資本整備の有無による地価の差を評価し、これをもって便益とみなす方法である。この方法は簡便であるが、地価の差を便益とみなしてよいのは、理論的には社会資本整備による環境質の変化が小さい時に限定され、大規模プロジェクトにおいては便益を過大に評価するという大きな問題点がある。 (2)ヘドニックアプローチによって便益を正しく評価するには、地価関数から効用関数を推定し、この効用関数から便益を導くことが必要になる。このような考え方をローゼン法という。しかし、ローゼン法を実際に適用するには、地価関数の高精度な推定が必要であること、地価関数から効用関数を導く過程において変数の多重共線性を回避する必要があることなど、計算法において課題が多い。 (3)ヘドニックアプローチにおいては、地価関数の変数となる地域特性データをいかに効率よく作成するかが実用上の大きな課題である。一般には、分析者が多くの地域データを集め、数値化し、これらを試行錯誤的に選択、加工して特性データを作成する。この作業の効率化を図るための道具として注目されるのが地理情報システム(GIS)である。GISによって、種々の地域データの入力、管理、検索、加工を効率化でき、地価関数の推定作業を著しく合理化できる。また、GISの優れた表示機能によって地価や便益の地理的な分布を分かりやすく示すことも可能になる。GISを核にした便益評価支援システムの開発は、ヘドニックアプローチの実用性の向上を図る上できわめて重要な課題である。 本研究は、これらの課題を解決し、ヘドニックアプローチを社会資本整備の便益評価手法としてより理論的に精緻でかつ実行可能性の高い手法へと改善することを目的とする。 第1章では、以上の研究の背景と目的を述べている。 第2章では、社会資本整備の便益評価手法として提案されている各種手法のレビューを行っている。対象は、交通プロジェクトにおける費用分析法(いわゆる利用者便益法)、支払意思額等をアンケートによって直接問う価値意識法、ヘドニックアプローチなどである。これら代表的な手法について、理論的な前提条件、便益評価の対象となる効果の範囲、データ収集や計算方法の観点からみた実行可能性などを詳細に整理し、ヘドニックアプローチの特長を明確にしている。 第3章では、ヘドニックアプローチの経済理論、便益計算法、適用事例に関する既存の文献を整理し、解決すべき課題を明確に提示している。 ヘドニックアプローチは前述の通り、資産価値法とローゼン法に大別されるが、(1)従来の実証研究のほとんどは資産価値法の適用であること、(2)資産価値法を適用しうる社会資本整備は、理論的に小規模なものに限定され、一般には便益の過大評価につながる危険性があること、(3)大規模な社会資本整備に資産価値法を適用した場合には、想定しうる便益の上限値としての解釈が可能であること、(4)ローゼンによって提案されている新手法によれば効用関数の導出が可能なため、便益の経済学上の明確な定義であるEV(等価的偏差)、CV(補償的偏差)の計算を行うことができ、資産価値法の過大評価の問題を回避できること、を明快に整理した。 また、ローゼン法による便益計算を実行するには、(1)高精度な地価関数の推定が前提であり、そのために関数型の柔軟な決定システムや変数の試行錯誤的な検討を支援するシステムの存在が不可欠なこと、(2)地価関数から効用関数を導出する過程には相関関係の強い変数が必然的に介在し、パラメータ推定を行うに際して多重共線性の問題を軽減する手法が必要であること、などの課題を明示した。 ヘドニックアプローチに関する理論面、実行面の課題を体系的に整理した文献はほとんどなく、本章の成果はこの分野の貴重な資料になると考えられる。 第4章では、第3章で示したローゼン型ヘドニックアプローチよる便益計算の諸課題に対し、実行可能な解決法を提案している。主要なものを以下に示す。 地価関数の推定では、資産価値法においてしばしば用いられる重回帰分析に加え、関数型を柔軟に決定して高精度な地価推定を可能にするという観点から、Box-Cox変換法とニューラルネットワークによる方法を提案し、理論面、実証面からこれらの方法を比較検討している。このうち、ニューラルネットワークの応用については過去に事例のない先駆的なものであるが、本研究ではさらに地価の要因分析を可能にするための統計的検定法の提案も行っている。 効用関数の推定においては、多重共線性の問題を軽減するために、最小二乗法による正規方程式を解く過程に一般化逆行列を導入した方法を提案している。この方法は、多重共線性が高いために一意に決定できないパラメータを、パラメータの分散の和を最小化するという合理的な付加制約を与えることによって一意に決定する方法である。 第5章では、ヘドニックアプローチに基づく便益評価におけるGISの意義と具体的な利用方法を整理している。 前述した通り、地価関数の推定には説明変数の試行錯誤的な検討が必要であり、分析者が必要とするデータを迅速に検索あるいは加工し、地価公示地点に関する土地特性のデータセットを効率的に作成しなければならない。GISに一般的に装備されている空間解析機能はこの目的のために利用される。例えば、ボロノイ分割機能は駅勢圏の設定に、バッファー発生機能は各駅までの距離帯別の区域設定に、またネットワーク上の最短経路探索機能はCBDまでの所要時間帯別の区域設定に利用されるなど、GISによって地価公示地点の土地特性データが順次作成される。 また、このように各特性ごとに均質な区域を検索しておき、これらをオーバーレイ処理することによって、想定したすべての土地特性が均質な区域の設定が可能になる。これにより、地価や便益計算、あるいは便益の地域的な集計演算などはこの区域を最小単位として実行すればよく、以後の作業効率を著しく改善させることができる。GISに依存しない従来の計算機システムでは、上記の計算は数十〜数百mのメッシュ単位に膨大な計算処理を施し、かつデータ加工などは各自プログラムを作成する必要があったことを考えると、GISの意義はきわめて大きい。 第6章では、GISを統合した便益評価支援システムの全体構成を示している。評価支援システムは、GISを核にして、地価関数・効用関数推定サブシステム、便益(EV、CV)計算サブシステムから構成されている。本章では、より実用的な観点から各システムの具体的な利用方法を述べている。なお、地価関数推定サブシステムでは、重回帰分析、Box-Cox変化法、ニューラルネットワークの3つの手法を適宜選択可能にしている。 第7章では、提案した便益評価支援システムの有効性を検証するために、首都圏において計画中の鉄道新線プロジェクトの便益評価を試みている。その結果、開発したシステムが、地価関数の推定から便益評価に至るヘドニックアプローチの一連の過程を有効に支援できることを確認した。また、資産価値法とローゼン法の2つの方法による便益計算を実施し、資産価値法による便益の過大評価の実際を定量化した。ヘドニックアプローチの実証研究において資産価値法とローゼン法の比較を行った例はほとんどなく、この比較事例の意義はきわめて大きい。さらに、地価だけでなく家賃のデータに対してもローゼン法を適用し、比較考察も実施した。 第8章では本研究の結論を述べている。本研究では、社会資本整備の便益評価手法としてローゼン型ヘドニックアプローチの意義を明らかにし、これを実行可能な方法とするための便益計算方法を提案した。また、ヘドニックアプローチを実行する上でのGISの意義を踏まえ、GISを統合した便益評価支援システムを開発した。そして、鉄道新線プロジェクトという実際問題への適用を通し、提案した便益計算方法や開発した評価支援システムの有効性を示した。 |