学位論文要旨



No 111761
著者(漢字) 岩城,和哉
著者(英字)
著者(カナ) イワキ,カズヤ
標題(和) アメリカ近代の大学空間に関する研究
標題(洋)
報告番号 111761
報告番号 甲11761
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3559号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 原,広司
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨 序章キャンパス:アメリカ近代の大学空間

 本論文は、大学制度に固有な「キャンパス(campus)」という空間タイプの定義づけをおこない、さらに建築形態論的認識に基づいてその形態的特徴を明らかにすることを目的とする。

 われわれは大学制度に伴って形成される大学空間―その敷地、建物、外部空間の総体―を指して「キャンパス」と呼ぶ。アメリカのプリンストン大学において最初に使用されたとされるこの言葉は、当初、この大学の建物の前に設けられた、柵によって囲まれた空地(field)を指していた。この言葉が現代的意味、すなわち大学空間の総体を意味するようになるのは、19世紀後半のアメリカにおいてであった。このアメリカ近代の産物である「キャンパス」について、本論文では制度と建築の関係、すなわち大学の制度的近代化に連携した空間的変革という観点からその成立条件を探り、さらに建築の集合形式という観点からその成立期である19世紀末から20世紀初頭のアメリカの具体的な大学空間の事例を観察することによって、その空間構成形式の特徴を明らかにする。

 本論文は以下の3つの部分により構成される。

 第1章 キャンパスの成立―制度と建築

 第2章 アメリカ近代の大学空間―実例分析

 第3章 モールとクォードラングル―建築の集合形式

 第1章では、大学の制度的近代化に連携した空間的変革という観点から、キャンパスの成立条件を明らかにし、その定義づけをおこなう。

 第2章では、キャンパス成立期にあたる19世紀末から20世紀初頭の具体的な大学空間を対象に、個別的なキャンパスの形成過程とその形態的特徴を観察する。

 第3章では、アメリカ近代の大学空間=キャンパスの空間構成形式に注目し、建築の集合形式という観点からその形態的特徴を類型的に整理し、アメリカ近代の大学空間=キャンパスの存在形式を明らかにする。

第一章キャンパスの成立―制度と建築

 キャンパス成立の最も重要な要因は大学の制度的近代化であり、それは一般にドイツのベルリン大学の創立(1810年)にはじまるとされる。近代的大学の特徴は、大学が従来の教育機関としての機能とともに、新たに研究機関としての機能を担うようになったことであり、それは既成の知識を学ぶ学校と、学問を常に未解決なものとして扱う大学との明確な区別であった。さらにこの時期は、諸学問を有機的に統一する総合機関(ウニヴェルシタス・リテラルム)としての大学の在り方が明確化された時期でもあった。

 ドイツの影響のもと、アメリカにおいても19世紀初頭から徐々に大学近代化がはじまり、それは19世紀中頃から本格化する。大学の制度的近代化はその空間的側面にも影響を与え、大学空間は急速に変容する(academical village→city of learning)。制度的変革によって誘発された大学空間の大規模化、複雑化、高密化や周辺環境の都市化に対して、大学空間はそれが伝統的に備えていた空間的特質を変化させることによって対応する(領域の不明瞭性→領域の明確化、自然発生的な空間形成→計画的な空間形成)。「領域の明確化」とは敷地境界の明確化、あるいは弁別的敷地への移転を意味し、「計画的な空間形成」とはマスタープラン作成による長期的視野に基づいた空間形成を意味する。

 「領域の明確化」と「計画的な空間形成」は、機能的、美学的要求への対応であるとともに、大学の理念やその理想像の建築的表現に関わる表象的要求への対応でもあった。学問の有機的統一を目指すウニヴェルシタス・リテラルム(総合大学)の理念は、その建築的表現として多種多様な建物を統合する全体的秩序を大学空間に求め、中世ヨーロッパ以来の共同体的理想像は、その建築的表現としてコミュニティ的性格を大学空間に求めた。大学の制度的近代化が「キャンパス」成立の外在的条件であるのに対して、これら表象的要求はその成立を促した内発的条件であると言える。このような空間的特質の変化によって、近代という時代に対応した大学空間の新しい存在形式=キャンパスが成立する。以上の認識に基づき、本論文では「キャンパス」を以下のように定義する。

 1)「キャンパス(campus)」とは、大学の制度的近代化に連携して、19世紀末から20世紀初頭の時期にアメリカにおいて現れた大学空間である。

 2)「キャンパス(campus)」とは、明確な領域をもった自律的な大学空間である。

 3)「キャンパス(campus)」とは、柔軟性と持続性を同時に備えた空間構造のもとて総合的に秩序づけられた大学空間である。

第2章アメリカ近代の大学空間―実例分析

 キャンパス成立期にあたる19世紀末から20世紀初頭のアメリカの大学空間の具体的な実例を観察する。本章は次のふたつの部分によって構成される。

 1)資料の観察に基づいて選定した30大学の個別的な空間形成の過程とその形態的特徴の整理。

 2)個別事例の観察に基づき、a)空間構成、b)様式、c)弁別的要素に関するこの時期の大学空間の全体的傾向の整理。

 分析対象である30大学の選定基準は、次のとおりである。

 1)19世紀末から20世紀初頭の時期に大学空間の形成あるいは整備がおこなわれている。

 2)大学空間の整備にあたって、キャンパスの成立条件である「領域の明確化」と「計画的な空間形成」がおこなわれている。

 分析の対象は、この時期に作成されたマスタープラン、試案、設計競技案と実際に建設された大学空間である。

 本章における個別事例の観察によって、アメリカ近代の大学空間は特にその空間構成に共通の形態的特徴をもつことがわかる。

第3章モールとクォードラングル―建築の集合形式

 アメリカ近代の大学空間はその空間構成に共通の形態的特徴をもち、それはまず「建物→建物群」の構成段階に最も顕著に現れている。この共通の特徴とは、オープン・スペースを統合要素とし、その周囲を複数の建物が囲むという形式であり、この中間的な構成段階で形成される集合体をここではキャンパスの「基本集合単位」と呼ぶことにする。

 この基本集合単位はその構成形式に関して、さらに軸型のモール(mall)と集中型のクォードラングル(quadrangle)に分類され、このふたつの形式をここではキャンパスの空間構成の「基本形式」と呼ぶ。このようなアメリカ近代の大学空間におけるふたつの基本形式の採用は、それぞれの形式を用いたふたつの「原型的作品」の影響による。すなわち、制度的近代化に伴って変容した大学空間を秩序づける手掛かりとして、アメリカ独立期に創設されたヴァージニア大学と、イギリスの伝統的なオックスフォード、ケンブリッジ両大学が再発見され、それらの備える形式、すなわちモールとクォードラングルがキャンパス形成の有効な手法として積極的に採用される。このふたつの原型的作品は単なる模倣の対象としてではなく、新しい文脈におけるデザインの展開を推進させるイメージの源泉として、キャンパス形成に大きな影響を与えている。

 アメリカ近代の大学空間の特徴はまず、モールとクォードラングルというふたつの基本形式の「変形」による多様な基本集合単位の形成にある。特に規模、建物の個別性/全体性、空間の開放性/閉鎖性、様式、弁別的要素は基本集合単位の多様性をもたらす主要な要因であり、これらに関して基本集合単位の多様な存在様態を類型的に整理することができる。さらに、この類型的整理に基づいてふたつの基本形式の以下のような「形態的特性」が抽出される。

図表

 このようにふたつの基本形式は空間形態、物体形態、可視形態に関して対比的な特性を備えている。したがって、対比的特性を備えたふたつの基本形式を両極とし、それらの1)要素レベル、2)構成レベル、3)構造(形態的特性)レベルにおける形態の「変形」操作によってキャンパスを構成する多様な基本集合単位が創出されていることが理解される。

 このようにして形成された多様な基本集合単位はさらに「複合」され、それによって大規模な集合体=キャンパスが形成される。この基本集合単位の複合の様態は、基本形式の組み合わせと構成原理(並置、連結、重合)に関して類型的に整理することができる。モールどおしの複合は、1)並列型、2)直列型、3)交差型に分類され、クォードラングルとおしの複合は、1)同心円型(閉合型)、2)クラスター型(房型)、3)増殖型に分類される。そして、モールとクォードラングルの複合はこれら複合形式のさらなる変形と複合として理解することができる。

 以上のように、アメリカ近代の大学空間=キャンパスの存在形式は、対比的特性を備えるふたつの基本形式の「変形」による多様な基本集合単位の創出と、それらの「複合」による多様な集合体=キャンパスの形成として統一的に理解することができる。「基本形式の変形と複合」によるキャンパスの形成は、近代的大学の多様な要求を同時に満たすとともに、キャンパスにおける安定した空間構造、すなわち持続性と柔軟性を同時に備えた空間構造の確立に寄与している。このような意味においてアメリカ近代の大学空間はまさしく最初のキャンパスであり、「基本形式の変形と複合」というキャンパス形成の構造的原理の指摘をもって、建築の集合形式という視点からキャンパスの存在形式を明らかにするという本章の目的に対する結論とする。

審査要旨

 「大学キャンパス」は、大学という制度に応じて計画される建築の集合体である。この建築の集合体には、固有の空間構成の形式が存在するであろうか。本研究は、19世紀後半から20世紀にかけて形成されたアメリカの大学空間の成立過程を考察することによって、「大学キャンパス」の空間の構成形式を見出そうとするものである。大学の建築計画あるいは、マスター・プランについての研究はこれまでいくつかなされたが、その形成過程を実例にもとづいて研究した例はない。研究の視点と方法が先ず評価される。

 今日一般に用いられているキャンパス(Campus)という言葉が大学空間の総体を意味するようになるのは、19世紀後半のアメリカにおいてであった。このアメリカ近代の産物である「キャンパス」について、本論文は制度と建築の関係、すなわち大学の制度的近代化に応じた空間的変革という観点からその成立条件を探り、さらに建築の集合形式という観点からその成立期である19世紀末から20世紀初頭のアメリカの具体的な大学空間の事例を観察することによって、その空間構成形式の特徴を明らかにしようとする方法をとっている。その研究資料を集めるために、全米各地の大学を実地に訪れ、その調査を行うと共に、各大学が保有する多数の図面を蒐集、整理し、その全体像が把握できるような共有な視点にもとづく分析図をつくり上げた。この資料の今後の研究にとっての価値の大きさも高く評価できる。

 著者は先ず、大学の制度的近代化に連携した空間的変革という観点から、キャンパスの成立条件を明らかにし、その結果、次のようにキャンパスを定義する。

 1)「キャンパス(Campus)」とは、大学の制度的近代化に連携して、19世紀末から20世紀初頭の時期にアメリカにおいて現れた大学空間である。

 2)「キャンパス(Campus)」とは、明確な領域をもった自律的な大学空間である。

 3)「キャンパス(Campus)」とは、柔軟性と持続性を同時に備えた空間構造のもとで総合的に秩序づけられた大学空間である。

 そして次に、キャンパス成立期にあたる19世紀末から20世紀初頭のアメリカの大学空間の具体的な実例が分析され、

 1)資料の観察に基づいて選定した30大学の個別的な空間形成の過程とその形態的特徴の整理。

 2)個別事例の観察に基づき、a)空間構成、b)様式、c)弁別的要素に関するこの時期の大学空間の全体的傾向の整理。

 が行われる。分析の対象として、この時期に作成されたマスタープラン、試案、設計競技案と実際に建設された大学空間が、とり上げられている。

 こうした個別事例の観察によって、アメリカ近代の大学空間は特にその空間構成に共通の形態的特徴をもつことが明らかにされる。

 続いて著者は、アメリカ近代の大学空間=キャンパスの空間構成形式に注目し、建築の集合形式という観点からその形態的特徴を類型的に整理し、アメリカ近代の大学空間=キャンパスの存在形式を明らかにする。

 その結果アメリカ近代の大学空間の特徴は「モール」と「クォードラングル」というふたつの基本形式の「変形」による多様な基本集合単位の形成として捉えられ、このようにして形成された多様な基本集合単位はさらに『複合』され、それによって大規模な集合体=キャンパスが形成されることが明らかにされる。この基本集合単位の複合の様態は、基本形式の組み合わせと構成原理(並置、連結、重合)に関して類型的に整理することができる。

 以上のような考察の結果、本論文はアメリカ近代の大学空間=キャンパスの存在形式は、対比的特性を備えるふたつの基本形式の「変形」による多様な基本集合単位の創出と、それらの「複合」による多様な集合体=キャンパスの形成として統一的に理解することが可能であることを明らかにした。それは、近代の大学キャンパスの形成過程、その空間構成の特質を明らかにするものであり、これからのキャンパス設計、更には都市空間の設計に大きく寄与するもである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54510