学位論文要旨



No 111763
著者(漢字) 小林,光
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒカル
標題(和) 数値シミュレーションによる室内換気効率・温熱環境形成効率の評価手法の開発
標題(洋)
報告番号 111763
報告番号 甲11763
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3561号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 松尾,陽
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 助教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 坂本,雄三
内容要旨

 近年、自然環境やエネルギー資源の問題に端を発する省エネルギー性の追求と、より進んだ居住環境の快適性の追求という、相反する2つの力に押されて、省エネルギー的でかつ快適である、最適な換気・空調を行うための諸条件を明らかにしようとする動きが活発になっている。この換気・空調の条件の良し悪しを、換気効率、温熱環境形成効率の良否として評価する。本研究は、この換気効率、温熱環境形成効率を定量的に評価する尺度を開発することを目的とする。

 この換気効率・温熱環境形成効率は、室内における換気・空調の有効性を計るものである。ここで、何をもって換気・空調を有効とするかは、着目する換気・空調の性状によって変化する。例えば、着目する性状が熱や空気の供給の性状である場合と、排出である場合とでは、求められる換気又は空調の性状が異なってくる。従って、換気効率、温熱環境形成効率は、それぞれ単一の数式と結びつくようなものではなく、その評価に要する尺度も単一ではあり得ないと考えられる。しかし、これら総てをひとまとめにして、換気効率、温熱環境形成効率と呼ぶ。

 従来、換気・空調の計画を行う際には、室内空気が完全に混合しているものとして計画するのが普通である。このことは、事前に室内の気流分布を知ることが容易でなかったことに起因する。しかし、数値シミュレーションの進歩がこの問題を解決しようとしている現在、時代は室内における気流分布を解析し、さらに換気効率、温熱環境形成効率の室内分布まで把握し、より進歩した温熱・空気環境を計画して行くべき段階に来ている。

 換気効率、温熱環境形成効率の室内分布を把握し、計画に反映するためには、室内に形成される換気・空調性状の空間分布を定量的に評価しなくてはならない。本研究で提案する換気効率、温熱環境形成効率の評価尺度、換気効率指標SVE4〜6(Scale for Ventilation Efficiency)、温熱環境形成寄与率指標CRI1〜4(Contribution Ratio of Indoor climate)は、数値シミュレーションによって解析される、室内の気流分布に基づく濃度・温度の拡散場を活用することで、室内の換気・空調効率を定量的に評価しようとするものである(表1参照)。

 本研究は、これらの指標SVE,CRI(表1)を開発するのと同時に、その基礎となる数値シミュレーションに関しても検討を加えている。流体のシミュレーションに関し、筆者の行った室内気流実験をターゲットにk-モデルによる解析を行い、その精度に検討を加えた他、2次元角柱周辺気流を対象にDynamic SGSモデルを用いたLES解析を行い、Dynamic SGSモデルに関する検討も行っている。Dynamic SGSモデルは、建築空間内の流れ場のように、複雑な解析対象を扱う際に、通例のSmagorinskyモデルで問題となる、モデルパラメータのチューニングを、流れ場に合わせて自動的(Dynamic)に行うものである。2次元角柱周辺気流を対象とした解析において、Dynamicモデルは通例のSmagorinskyモデルに比べ、著しく風速の予測精度を向上することを確認した。

表1 本研究で提案する換気効率指標SVE及び温熱環境形成寄与率CRI(詳細は本文参照)

 また、温熱環境の解析に伴い必要となる、放射熱伝達の数値シミュレーションに関して、複雑形状空間における形態係数を精度よく算出する手法を検討している。これとともに、温熱環境形成寄与率の評価において、その考慮が不可欠と考えられる、再放射の効果(本文第3章参照)を含む放射熱移動を解析するため、再放射率、総合放射吸収率を定義し、放射熱分配係数を開発、提案している。

 本論文は以下の7章より成る。

 ・序章では、序論として、換気効率及び温熱環境形成効率に関する概要が述べられる。

 ・第1章では、本研究の基礎となる流体の数値シミュレーションについて概説している。流体力学の基礎式であるNavier-Stokes方程式と連続式から始め、本研究で活用するRANSモデルであるk-型2方程式モデルと、LES解析のモデルであるSmagorinskyモデルおよびDynamic SGSモデルについてまとめる。

 ・第2章では、第1章で示した流体の数値シミュレーションを活用するに当たり、その精度の検証のために筆者が行った高精度な室内気流実験と、他の研究者による既存の実験結果を用いて、k-型2方程式モデルによる解析およびDynamic SGSモデルを用いたLES解析の精度を検討した結果をまとめている。

 ・第3章では、本研究のテーマである温熱環境形成効率の解析を行うに当たり、その基礎となった放射熱伝達の数値シミュレーションについて概説している。放射熱伝達の基礎式から始め、モンテカルロ法による複雑形状の空間を対象とした形態係数の算出法と、形態係数に基づくGebhartの吸収係数の算出法を示す。また、温熱環境形成効率の評価において不可欠となった、再放射の効果を含む放射熱移動を解析する、放射熱分配係数について示した。

 ・第4章では、本研究で開発、提案している換気効率指標SVE(Scale for Ventilation Efficiency)について解説すると共に,その定義についてまとめている。また、欧米において有効な換気指標と目される局所Purging Flow Rateに関し、新たに考案したLES解析に基づく計算法を示している。

 ・第5章では、第4章で定義した換気効率指標SVEの適用例を示している。2つの気流性状の異なるクリーンルームモデルを対象にSVEを適用し、対象室の換気性状の違いなどに関して考察を加える。

 ・第6章では、本研究で開発、提案している温熱環境形成寄与率CRI(Contribution Ratio for Indoor climate)について解説すると共に、その足義、算出法についてまとめている。

 ・第7章では、第6章で定義した温熱環境形成寄与率CRIの適用例を示している。複数の熱負荷を持つ冷房室モデルを対象にCRIを適用し、対象室の温熱環境の形成構造に関して考察を加える。

 ・第8章では、全体のまとめを行うと共に、本研究の成果と今後の課題が総括されている。

審査要旨

 本論文は、室内における換気・温熱環境の各形成要因の個別の影響をCFD(計算流体力学)を用いて、定量的に分析・評価する方法を開発している。良好な室内換気・温熱環境を実現する為には、その事前予測が必要とされる。近年の計算機工学の発展に伴い、数値シミュレーションによる室内換気・温熱環境の解析・予測が行われるようになった。しかしこれらの解析・予測は、多くの場合、単に設計の良否を確認するためにのみ用いられている。本論文は、これら数値シミュレーションを設計良否の確認手段から発展させて、室内の換気・温熱環境形成にあずかる個別の要因の影響を定量的に評価することにより、合理的で高度な環境設計を可能とする手法に発展させることに成功している。

 本論文は、従来、均一と仮定されることの多い、室内換気性状の場所毎の差異に着目し、これを定量的に評価する換気効率指標SVE(Scale for Ventilation Efficiency)を提案している。また同様に、室内の温熱環境の形成構造を定量的に評価する指標として、温熱環境形成寄与率指標CRI(Contribution Ratio of Indoor climate)を提案している。これらSVE,CRIは換気・温熱環境の形成に与る熱負荷や空調吹出しなど様々な因子に関し、これらの要素が多少変化した際に室内各所の換気性状や温度分布がどの程度変化するか、その感度や応答を解析評価するものである。本論文においては、これらSVE,CRIのそれぞれについて定義を示すと共に、その解析事例からSVE,CRIの有効性を示している。

 本論文では、SVE,CRIの基礎となる室内気流の数値シミュレーションに関し、新しい乱流モデルを検討している。特にLES(Large Eddy Simulation)の最新モデルであるLagrangian Dynamic SGSモデルに関して検討を加え、従来のモデルに比べて著しく解析精度が向上する結果を得ている。また、室内気流性状に関する模型実験を行い、レーザードップラー流速計を用いた、精密な気流性状の特性を測定すると共に、実験に対応する流体シミュレーションを行いその精度に関しても検討・評価している。

 本諭文は以下の7章より成る。

 序章では、序論として、室内の換気効率及び温熱環境形成効率に関する概念を解説している。

 第1章では、本研究の基礎となる流れ場の数値シミュレーションについて概説している。特に、Lagrangian Dynamic SGSモデルが、室内気流を解祈する際に優れた特性を持つことを論じている。

 第2章では、数値シミュレーションの精度の検証のために実施される高精度の室内気流実験についてまとめると共に、k-型2方程式モデルを用いた解析および、Dynamic SGSモデルを用いたLES解析の精度を検討した結果をまとめている。室内気流の測定はレーザードップラー流速計を用いて平均流の他、レイノルズストレス、乱れエネルギーなどを高い精度で測定しており、精密な数値シミュレーションの検証目的に十分対応するデータを得ている。また数値解析に関しては、Lagrangian Dynamic SGSモデルにより、2次元角柱周辺気流を対象として解析を行い、その精度を検証している。

 第3章では、本論文のテーマである温熱環境形成寄与率指標CRI解析の基礎となる複雑形状室内における放射熱伝達の数値シミュレーションについて概説している。本論文は放射シミュレーションをモンテカルロ法に基づいて行っている。論文では同法が一般には相反則を満足しないため、これを満たすための修正法を新たに提案し、その精度を評価している。また、CRI解析において重要となる、熱源の寄与に関連して吸収・再放射による放射熱伝達という概念を示し、この吸収・再放射現象も含む熱源からの放射熱輸送を解析する放射熱分配係数を新たに提案しその有効性を示している。

 第4章では、従来提案されていた換気効率指標SVE1〜3を発展させて、新たにSVE4〜6を提案し解説している。これらSVE指標は、数値シミュレーションによって解析される室内の濃度の拡散場を活用することで算出されるもので、SVE4,5は、複数の吹出口、吸込口を持つ室内に対するそれぞれの吹出口、吸込口が室内の空気環境形成に果たす寄与率の分布を、SVE6は、室内からの汚染質の排出時間の分布を評価するものである。

 第5章では、第4章で定義した換気効率指標SVEを実際の換気設計の問題に適用しその有効性を示している。すなわち2つの換気システムの異なるクリーンルームモデルを対象にSVEを適用し、室内の気流性状が表面的に類似していても、対象室の換気性状の違いがSVEにより的確に評価されることを示している。

 第6章では、新たに提案された温熱環境形成寄与率指標CRIについて解説すると共に、その定義についてまとめている。CRI1〜4は、SVEの概念を換気(空気)から温熱環境形成(熱)に拡張したもので、数値シミュレーションによって解析される室内の熱の拡散場を活用して算出する。これにより、室内に存在する複数の熱源について、個別に室内温熱環境形成に対する寄与を評価するとともに、熱源の時間変化に対応する室内各所の応答時間を評価している。

 第7章では、第6章で定義した温熱環境形成寄与率指標CRIの適用例を示し、その有効性を示している。複数の熱負荷を持つ冷房室モデルを対象に放射・対流連成シミュレーションにより詳細な室内熱輸送解析を行い、更にその結果にCRIを適用し、対象室の温熱環境の形成構造に関して考察を加えている。

 第8章では、全体のまとめを行い、本研究の成果と今後の課題を総括している。

 以上を要約するに、本論文は室内の流れ場、拡散場の数値シミュレーションを活用し、室内換気・温熱環境の形成構造を定量的に予測、評価する換気効率指標、温熱環境形成寄与率指標を開発し、その有効性を実際の室内モデルに適用してこれを実証している。これらの指標は、何れも室内の換気・温熱環境の設計において極めて有用な資料を提供するものであり、今後の室内空間の環境設計に資するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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