室内音響設計、騒音制御対策の立案のためには、設計段階における音場の予測が重要である。この目的のために、これまで縮尺模型実験技術の開発が進められ、現在では最も精度の高い方法として定着している。一方、近年のコンピュータ技術の発達を背景に、音場の数値解析法が盛んに研究されるようになってきた。数値解析による音場予測は、実験による場合と比較して条件設定の自由度が高いなどの利点をもち、有力な音場解析手法として利用されつつある。 本論文は、音の波動性を考慮した数値解析法の建築音響問題に対する適用可能性を探ることを目的として、いくつかの問題を対象に検討を行なった結果をまとめたものである。以下に、本論文の概要を示す。 まず序章において、音場解析のために用いられる音場解析手法について概観し、波動理論に基づく数値解析法の位置付けを行なった。次に、建築音響に関する問題を騒音制御と室内音響設計の2つの観点から考察し、本研究における数値解析手法の適用の方針について述べた。 本論文では、波動理論に基づく数値解析法を定常音場解析法と過渡音場解析法に分け、各々第1部(第1章〜第3章)、第2部(第4章〜第8章)において検討を行なっている。 第1部は、定常音場解析法の概説およびその騒音制御問題に対する応用である。 第1章では定常音場の数値解析手法として用いられる有限要素法、境界要素法の定式化について概説した。また、音響問題への適用の観点から、それぞれの方法のもつ特徴について述べた。 第2章、第3章は、有限要素法、境界要素法の2つの定常音場解析手法を騒音制御問題に応用した事例である。騒音制御対策として、従来のパッシブな制御手法は低音性騒音に対して弱点をもつ。そのような場合に、アクティブ制御を組み合わせることによって制御効果を低音域に拡大できる可能性があり、現在、多くの研究が行なわれている。本論文ではアクティブ制御技術が低音域の騒音制御に対して特に有効であることに着目し、数値解析法をアクティブ制御の制御効果予測に応用した。 第2章では、有限要素法の応用として、コンサートホール等のダクト系に用いられる迷路型消音器にアクティブ制御を付加した場合の制御効果の解析を行なった。まず最初に、アクティブ制御による音場を、互いに独立な2つの音源による音場の重ね合わせとしてモデル化し、有限要素法によるアクティブ制御の定式化を行なった。次に、アクティブ制御による減音効果の改善について実験を行ない、制御による減音効果の大きかった低音域について、制御前後の消音器内部音場の変化を有限要素法を用いた数値計算によって解析した。計算結果の妥当性の確認のために実験結果との比較を行なったところ、両者の間に良好な一致が見られ、アクティブ制御による制御効果の解析にこの種の数値計算法を利用できる可能性が示唆された。 第3章では、境界要素法の応用として、低音域における音の共鳴を抑える、アクティブモード制御の解析を行なった。まず最初に、剛壁に囲まれた閉空間における音源の振舞いについて理論的に考察し、境界要素法による数値計算で共鳴状態を取り扱うための音源の境界条件として、加振力一定の条件を用いて定式化を行なった。境界要素法で従来用いられてきた振動速度一定の条件では、閉空間における共鳴時に一意的な解が求まらないのに対し、加振力一定の条件を用いれば、音源の加振力に応じた一意的な解が求められることを数値計算によって確認した。この加振力一定の条件に基づき、アクティブ制御の定式化を行ない、室内の音響エネルギーを評価値とした2次音源の最適化を行なった。次に、数値計算による検討として、システム構成の決定の際に問題となる、2次音源および音圧評価点の配置について、音響エネルギーを評価量として検討した。その結果、効果的にアクティブモード制御を行なうためには、対象とする周波数において音響インピーダンスが大きくなる位置に2次音源を配置すべきこと、直方体室では評価点を室隅に2点以上設置することによって空間内の音響エネルギーをほぼ最小にできることを確認した。以上の検討結果に基づいて、直方体室の1つのモードに着目し、そのアクティブ制御について数値計算と実験の比較を行なった。その結果、両者の間に良好な対応が見られ、本手法の妥当性が確かめられた。 第2部は過渡応答計算法の定式化およびその室内音響問題に対する応用である。 第4章では、過渡応答計算として差分法をとりあげ、その定式化を行なった。最初に、音響の基礎方程式である運動の式、連続の式の有限差分近似、空間および時間離散化幅の設定における注意点について述べた。次に、波動方程式を差分法で解く場合に問題となる、数値振動の低減のために、空間的および時間的に滑らかな条件を与える方法について述べ、音源の滑らかさと数値振動の低減の程度について数値計算による検討を行なった。さらに、インパルス応答の計算法としてこれまでに提案されている、定常音場における有限要素法、境界要素法を利用する方法と、本章で定式化した差分法の比較を行ない、計算機容量、計算時間の面で差分法が有利であることを示した。 第5章では、剛壁に囲まれた3次元音場を対象として、差分法による計算精度について検討を行なった。まず最初に、最も単純な直方体室を対象として、変数分離法による解析解との比較を行なったところ、数値計算における空間離散化幅を、対象とする波長の1/10から1/20程度の細かさにする必要があることが分かった。次に、実現象との対応を調べるために、不整形室を対象とした実験結果との比較を行なったところ、解析解との比較において得られた結果と同様の結果であった。 第6章は、差分法による過渡応答計算法の室内音響問題への応用として、異なる平面形状をもつ室の過渡音場の比較を行なった。本章での検討には、数値計算の簡便さとともに、室の平面形状による音場の違いを際立たせるとの理由から、2次元音場を取り扱っている。数種類の平面形状を設定し、まず最初に、数値計算の妥当性の確認のため、音源-受音点間のインパルス応答を計算し、実験結果との比較を行なった。その結果、両者の間にはよい対応が見られ、計算結果の妥当性が確認された。この結果を基に、視覚的、聴感的に音場の違いを調べるために数値計算による検討を行なった。設定した音場における音圧分布変動の可視化および音源-受音点間のインパルス応答の可聴化により、平面形状の違いによる音場の違いを確認した。このように、室全体の音場の変化を見ることは、音響現象の理解に役立ち、有用であると考えられる。また、室内音場の可視化と可聴化は、強力なプレゼンテーションの手段になるものと考えている。 第7章、第8章は、数値解析を実音場に適用する際に問題となる、壁面吸音境界条件に関する検討を行なった。本論文では主に、壁面の吸音構造として多孔質型吸音構造を対象とした検討を行なっている。 第7章では、壁面の音響インピーダンスが与えられた場合の取り扱いについて検討した。壁面での音響インピーダンスの周波数特性を反映させるために、吸音境界を近似的に機械系に置き換える簡便法を考え、差分法の定式化を行なった。実験的検討として、まず最初に、多孔質吸音材と空気層からなる吸音構造を対象として、垂直入射条件のもとでの実験結果との比較を行なった。その結果、本手法により壁面の吸音構造に起因する反射音の特徴を表現可能であることが確認された。しかし、壁面の構造が複雑になった場合には壁面インピーダンスの周波数特性も複雑になると考えられ、その場合にはさらに複雑なモデル化が必要であると考えられる。次に、2次元音場における実験と計算の比較を行ない、本手法の一般的な音場への適用可能性について検討した。その結果、吸音材をlocally reactionと近似し得る範囲では本手法の適用が可能であるが、吸音材の密度が低く、吸音材厚さが波長に比べて比較的厚い場合には、本手法による計算結果と実験結果との対応が低く、壁面について別の取り扱いが必要であることが示唆された。 第8章では、吸音材内部の波動伝搬が存在する、いわゆるextended reactionの条件を取り扱うために、吸音材内部の音場を差分化し、空気中の差分スキームと同時に解く方法について検討した。まず、吸音材中の波動伝搬に関する既往の研究を基に、差分法の定式化を行なった。この定式化に基づいて、第7章で用いたのと同一の2次元モデルについて計算結果と実験結果との比較を行ない、計算方法の妥当性を確認した。 第9章では、各章における検討結果をとりまとめた。 Appendixには、数値解との比較対象として用いた、定常および非定常解析解の導出について述べている。 本論文では、建築音響における数値解析法について定常音場解析と過渡音場解析に分けて検討を行ない、以上のような知見を得た。本論文で用いた3つの計算方法はそれぞれに長所と短所をもち、問題に応じた計算方法の選択を行なうべきである。これらの数値計算法を実空間に適用するためには、壁面境界条件の設定に未解決の問題が多く、さらなる検討が必要である。 |