学位論文要旨



No 111765
著者(漢字) 佐久間,哲哉
著者(英字)
著者(カナ) サクマ,テツヤ
標題(和) 膜のある音場の数値解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 111765
報告番号 甲11765
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3563号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,正人
 東京大学 教授 松尾,陽
 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 助教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 近年、建築音響学の分野においても波動音響理論に基づく音場予測手法研究は盛んに行われるようになり、計算機の急速な進歩ならびに電気音響・制御工学等との関連が深まる中、将来的に重要な役割を担っている。その一方で現在の音場予測手法は建築空間への適用性という面で問題を抱えており、その中でも重要な問題として壁面の取扱いが挙げられる。特に膜を典型とする軽量の壁体は音響加振による振動の影響を無視できないことから、音響振動連成系としての解析が必要となる。

 本論文はこのような膜材料の音響振動連成問題に着目し、音場予測手法の適用性および予測精度の向上を目的として数値解析における膜の取扱い方法を検討するものである。さらに各種音響振動問題において膜の基礎的な音響特性に関する考察を行い、建築音響分野において有用な知見の取得および整理を行っている。

 本論文は全5章から構成されており、各章の概要を以下に示す。

 第1章序論では、はじめに研究の背景として音場解析手法を概観し、波動音響理論に基づく数値解析手法の位置付けおよび将来性を述べた上で、建築空間への適用性の問題を挙げている。そこでの重要な問題の一つとして音響振動連成系の取扱いを取り上げ、既往の関連研究を理論解析と数値解析に二分して整理した上で、建築音響分野における音響振動連成解析の必要性を述べている。特にその必要性が大きい軽量な膜材料に関しては、音響的に重要な物性である通気性を含めた取扱いが見られないことを指摘し、本論文の目的として

 ○膜のある音場の数値解析手法の構築

 ○膜の音響特性に関する知見の取得を掲げている。

 さらに膜の概念および建築材料・音響材料との関連を述べた上で、本論文を通して用いる有張力膜モデル・無張力膜モデルを各種物理量によって定義し、膜の通気性を流れ抵抗によって導入した膜振動モデルについて明らかにしている。

 章末には本論文の構成として全体のフローをまとめている。

 第2章定常音場・膜振動場数値解析の基礎理論では本論文を通して用いる数値解析の基礎理論について述べている。

 第1節では音場解析理論として、音場の基礎方程式と境界条件に対して有限要素法および境界要素法を適用することにより音響系マトリクス方程式を導き、さらに有限要素法と境界要素法の結合方法について述べている。ここで領域分割手法の応用として、インピーダンスマトリクスの導入方法に関してもその具体的方法を明らかにしている。

 第2節では膜振動場解析理論として、有張力膜モデルにおける膜振動場の基礎方程式と境界条件に対して有限要素法を適用するものとし、膜振動系マトリクス方程式を導出している。また、無張力膜モデルにおいては外力が局所作用として働くことを示している。

 第3節では前述した解析理論に基づき音響膜振動連成系としての取扱い方法を有張力膜モデル・無張力膜モデル各々に応じて具体的に示している。特に音場解析における無張力膜モデルの取扱いに関しては、有限要素法・境界要素法各々に対応した新たに提案する無張力膜要素によって解析方法が飛躍的に簡便化されることを詳述している。

 第3章膜の音響特性解析に関する基礎的検討では膜に関する基礎的な問題として、無限大剛バフル中の無限長帯状膜に対して平面波が入射する場合の音響反射・透過問題を取り上げ、解析手法の妥当性の検討および膜の音響特性の把握を行っている。

 第1節は通常膜に関する検討であり、はじめに膜の通気性を考慮した音響振動連成系としての数値解析方法を明らかにしている。有張力膜モデルに関しては固有関数展開法による厳密解との比較の結果、数値解析手法の妥当性が確認された。また計算精度に関して、要素寸法を有張力膜モデルの場合は膜の屈曲波の波長に対して、無張力膜モデルの場合は音波の波長に対して約1/10以下に設定することにより十分な計算精度が確保されることが示された。ただし、通常の有張力膜では真空中の屈曲波の波長に対して概ね設定することが可能であるが、面密度が非常に小さい膜では音響負荷の影響により不十分な要素寸法となる場合のあることが示唆された。次に、膜の各種物理量が透過音場・反射音場の周波数特性に及ぼす影響を調べた結果、非通気性の膜においては張力の影響として共振現象によるピーク・ディップが生じ、無張力膜はそのピーク・ディップが均された周波数特性になること、また通気性を有する膜では流れ抵抗が小さくなるにつれてピーク・ディップが鈍くなり、張力の影響が無視できる場合、則ち無張力膜モデルの適用が可能となる場合のあることが示された。一方、空間特性に関して、有張力膜においては共振周波数・反共振周波数付近で指向性が著しく変化すること、また非共振周波数では有張力膜と無張力膜における空間特性が比較的近いことが示された。さらに近似的手法として音響負荷のc近似による影響を調べた結果、有張力膜では張力の影響を反映できないことから不適当であるのに対し、無張力膜では通気性が小さく面密度および周波数が高い場合に適用の可能性のあることが示唆された。

 第2節は付加質量膜に関する検討を行っている。ただし、付加質量膜とは橋本らによって低音域の膜の遮音性能向上を目的として考案されたものである。はじめに数値解析における付加質量膜の取扱い方法について述べており、錘位置を有限要素の節点と一致させて従来の膜質量マトリクスの対角成分に錘の質量を付加することにより解析が可能となることを理論的に示している。次に、この方法を用いて付加質量膜の基本的特性の把握ならびに各種物理量が音響透過特性に及ぼす影響に関して考察を行っている。透過損失の周波数特性に関する通常膜との比較の結果、付加質量膜による低音域の遮音効果が確認され、既往の実測値との定性的な対応が得られた。また透過損失におけるピークおよびディップ周波数で膜の振動変位分布を解析した結果、ピーク周波数では錘位置の振動変位が最大となるのに対して、ディップ周波数では錘位置をモードの節として膜の共振が生じることが示された。さらに膜および錘の各種物理量の影響として、膜の張力が大きいほど遮音効果の現れる周波数範囲が広がり、また若干の通気性であれは遮音効果にほとんど影響しないこと、錘の質量が大きくなるとディップ周波数は低下するとともにディップの透過損失は大きくなり、錘の配置に関しては間隔が小さくなるにつれて遮音効果の現れる周波数範囲が広がることが示された。

 第4章室内音場解析に関する応用的検討では室内空間における膜の一般的な使用形態として3つの応用的問題を取り上げ、第2章で提案した無張力膜要素による解析手法の妥当性および有効性を理論的・実験的に検討している。

 第1節では室間の仕切としての膜を有する室内音場に関して、無張力膜要素を用いた有限要素法による固有周波数および固有モードの数値解析手法を示し、膜がそれらに及ぼす影響の予測を試みている。理論解が得られる音響管問題では解析手法の妥当性が確認され、模型実験の実測値との比較においても膜が固有周波数に及ぼす影響として定性的な対応が得られた。さらに数値計算上の検討として、固有モードの縮退が生じる直方体残響室に膜を設置することによって縮退が回避され、固有周波数間隔の調整の可能性が示唆された。また、仕切による室間の音響的分離に関して1次元問題における理論的考察を行い、固有周波数のシフトの性質を明らかにするとともに独立した室としての膜面の近似的取扱い方法を示し、膜のイナータンスが空気の特性インピーダンスに対して十分大きい場合は適用が可能なことを確認した。

 第2節では室内外を隔てる膜を有する室内音場に関して、室内には無張力膜要素を用いた有限要素法、室外には境界要素法を適用し、領域分割手法によるインピーダンスマトリクスを導入する解析方法を示した。天井面に膜を設置した実験室において音響測定を行い、実測値との比較を行った結果、音圧の空間分布および周波数応答関数において比較的良い対応が得られた。さらに、室外に対する膜面の音響放射特性をc近似とする近似手法について検討した結果、室外への透過音場解析には不適当であるのに対して、室内音場解析においては室内の共振周波数近傍でc近似の影響が大きくなるものの、周波数によっては適用可能であることが示された。

 第3節では吸音構造体としての膜を有する室内音場に関して、多孔質材料内部を含めた音場に対する有限要素法の適用方法を示し、理論解が得られる音響管問題により解析手法の妥当性が確認された。また、音響管において膜の面密度および流れ抵抗が吸音構造体の垂直入射吸音率に及ぼす影響を明らかにした。さらに模型実験の実測値との比較から、膜および多孔質材料が周波数応答関数に及ぼす影響について比較的良い対応が得られ、また従来の局所インピーダンス近似に対する優位性が示された。

 以上の検討から、無張力膜要素を用いた音場解析手法が種々の音響問題に適用可能であり、有効な手法であることが確認された。

 第5章総括では本論文によって得られた知見を総括し、今後の展望について述べている。

審査要旨

 本論文は「膜のある音場の数値解析に関する研究」と題し、一様媒質の空間内に曲げ剛性を有しない膜が存在する音場-振動場について、空気と膜を連成させて数値解析を行い、その性状を明らかにしたものであり、序論と本文3章及び総括より構成されている。

 第1章序論では、建築音響分野における重要課題の一つである気体-固体の音響振動連成系に関し、既往の研究を体系的に整理した上で、通気性を有する膜の存在する音場-振動場の解析にみるべきものがないことを示し、その解析手法の定式化から始め、数値計算による諸特性の把握に到る本論文の構成と位置付けを記述している。

 第2章では、定常音場-膜振動場の数値解析の基礎理論について述べている。

 第1節では、境界条件を有する音場について独自の音響系マトリクッス方程式を導出し、有限要素法と境界要素法の結合方法を述べ、領域分割の境界面インピーダンスマトリクッスの定式化についても新提案を行っている。

 第2節では、膜振動場について、有限要素法を用いる場合の膜振動系マトリクッス方程式を導出し、その物理的性状にも言及している。

 第3節では、音響-振動連成系としての取扱い方法を有張力膜モデルと無張力膜モデルに分けて具体的に示している。特に後者について新たに提案している無張力膜要素によって解析方法が画期的に簡便化されていることは注目に値する。

 第3章では、無限大剛バッフル中の無限長帯状膜に対する解析を行い、前記手法の妥当性を検証し、膜の特性を明らかにしている。

 第1節では、通気性を有する均質膜に対する数値解析を行い、有張力膜モデルについて固有関数展開法による厳密解によってその妥当性を検証し、要素分割寸法のついてもその限界を明らかにしている。ついで膜の物理量が透過音、反射音の周波数特性に及ぼす影響をパラメトリックに検討し、有張力膜のピーク・ディップが通気性が大きくなると鈍くなり、無張力膜に近づくなど興味ある知見を提供している。更に膜面に対する空気の音響負荷を固有音響抵抗(c)近似することの是非への示唆を与えている。

 第2節では、均質有張力膜の格子点に付加質量をつけた膜に対し、質点位置を要素分割の節点と一致させて質量マトリクッスの対角成分にその質量を付加することで解析できることを示している。ついで数値計算結果と橋本等の実測結果と対比してその妥当性を検証し、振動性状の解析を行い、透過損失の改善方策に対する有用な知見を提供している。

 第4章では、膜を有する室内音場の問題について、3つの典型的なモデルを取り上げて解析を行い、手法の妥当性を検証すると共に音場特性に関する有用な知見を提供している。

 第1節では、閉空間を二つに仕切る膜のある音場について、有限要素法によって固有周波数及び固有モードの数値解析を行い、1次元の音響管で理論解と比較し、また直方体室模型の実測結果とも対比してその妥当性を検証している。ついで直方体残響室に膜を設置することでモード密度分布が制御できることを示唆し、分割空間の音響的分離度について膜の物理量との関係を明らかにしている。

 第2節では、室内外を隔てる膜を有する室内の音場について、室内には無張力膜要素を用いた有限要素法、室外には境界要素法を適用し、領域分割手法によるインピーダンスマトリックスを導入して解析を行い、天井全面に膜を有する直方体室の実験結果と比較し、音圧分布と特定点の周波数応答関数において比較的良い対応を見せている。また膜面の音響放射特性をc近似することの検討を行い、室外への適用は不適当であるが、室内へは周波数によって適用可能であることを示している。

 第3節では、その表面に通気性膜のある多孔質材吸音体の存在する室内の音場について、吸音体内部を含めた有限要素法を適用して解析を行い、理論解の得られる音響管で手法の妥当性を検証した上で多孔質材の垂直入射率に及ぼす膜の面密度と流れ抵抗の影響を定量的に明らかにしている。また、室空間の模型実験とも対比させ、局所作用的取扱いに対する優位性を示している。これらの知見は吸音体の設計に有用な指針を与えるものである。

 第5章では、本論文で得られた知見を総括し、今後の展望を述べている。

 以上、要するに本論文は、膜のある音場について、空気音響系と膜振動系の連成問題として、極めて一般的な形で数値解析する手法を新規に導出し、その妥当性を検証した上で、幾つかの応用問題に適用し、パラメトリックな検討から多くの有用な知見を提供しているばかりでなく、物理的な挙動に対する様々な示唆を与えている点が高く評価でき、建築音響工学に寄与する処大である。

 よって博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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