学位論文要旨



No 111767
著者(漢字) 竹宮,健司
著者(英字)
著者(カナ) タケミヤ,ケンジ
標題(和) 緩和ケア医療施設に関する研究
標題(洋)
報告番号 111767
報告番号 甲11767
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3565号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨

 近年、がん医療の分野に患者のQuality Of Lifeを向上させる医学的、社会心理学的、行動科学的領域を包含する緩和ケア(Palliative Care)という領域が登場した。そして、このような緩和ケアを実践する場として緩和ケア医療施設が求められるようになってきた。日本では1989年の「末期医療に関する検討会報告」を受けて、1990年に厚生省の認可を受けた緩和ケア病棟が誕生した。今後、施設数の増加が予測されている。

 本論文は、緩和ケア医療施設が成立してきた今日的背景と日本の中での位置づけについて明らかにし、日本の緩和ケア医療施設の利用実態を把握し、さらには、緩和ケア医療施設における患者とその家族の生活を多元的な方法を用いてより実証的にとらえ、今後の施設のあり方について考究するものである。

 本論文は序章と終章を含む合計7章の部分より構成される。

 序章では本論文の目的および方法について述べている。ここでは、著者がこれまで行ってきた研究成果を踏まえ、従来の施設管理者の意見聴取を中心とした研究方法からは、患者と家族の生活の実態像を把握することは難しく、そのためにはより詳細で具体的な調査方法による調査の必要性があることを述べている。

 第1章では、キリスト教を背景とする「ホスピス」の発展の経緯を歴史的に振り返りながら整理し、さらに、主たる対象疾患である「がん」の特徴について概観し、がん医療における緩和ケアの意味についての基礎的な知見を整理した。ここでは、日本においてホスピスケアと緩和ケアの概念の移入時期が接近していたことなどから、両者の概念が混在して用いられているが、両者はその本質においては差異がなく、両者の本質はその根底にあるQOL尊重の思想をいかに具現化するかであることを述べている。そして、前述のような背景のもとに日本では包括医療の枠を広げた医療サービスの一つとして位置づけられつつあるが、いまだ発展段階にあり今後多様な展開が予測されていることを示した。

 第2章では、日本の緩和ケア医療施設の利用実態を概観すると共に、特定の施設に対象を絞り、施設利用者の実態を経年的にかつ詳細に分析し現状の施設利用の実態を捉えている。その結果として、1)患者の平均年齢は男女ともに60代であるが、40代から80代まで幅広い分布を見せている、2)約半数の患者に転移が見られ、中でも身体機能の低下につながる部位への転移が多い、3)自宅からの入院が多く、在宅と一般の医療施設との中間的な役割を担っていることを示した。また、施設利用回数と在院期間を軸に、「死亡直前の短期入院(1カ月以内)」、「症状コントロール目的の短期入院(約1カ月)」、「長期入院(2カ月以上)」の3つの利用形態に分類できることを示した。

 以下の第3章、第4章、第5章では、これらの3つの分類に従って前記緩和ケア医療施設における患者とその家族の生活を実証的にとらえた事例的検討の結果を示している。

 第3章では、緩和ケア医療施設の「短期的な利用形態」をとる患者と家族の生活を捉えるために、施設環境に対する描写が的確に表現され、かつ生活の変化や心理変化などを綴った闘病記を選定し、そこでの環境描写と実際の施設環境とを比較する考察を行った。患者の身体的状況の経時的変化による環境との関わり方の変化に関する考察や、場面ごとの環境描写に関する分析を行った。患者の身体的な症状の安定期に見られる生活の様態や患者の昏睡期に見られる家族の生活の様態のなかで、患者や家族にとって活用される空間の構成や、生活の展開において刺激を与えたり、施設での生活への適応を促す空間構成について考察した。

 第4章では、在宅ケアの専門家に対してヒアリング調査を行い、在宅での緩和ケアの特徴と患者の環境を捉える基本的な視点の整理を行い、それを基に「症状コントロール目的の短期入院」を繰り返しながら療養を続ける患者の生活を継続的に捉えている。在宅での緩和ケアを考えていく上で、単に物的環境だけではなく、人的環境、社会的環境、医療的環境の4つの基本的な視点から捉えていく重要性を述べ、その視点を基に緩和ケア医療施設に対する患者の個別的な位置づけとその変化について考察した。今回の事例検討では、患者にとっての緩和ケア医療施設が短期滞在の場として位置づけから、身体機能の低下と人的環境の崩壊が進む中で、最終的には自らの身体機能を補完する場所としての意味と人的環境の崩壊を別の形で補完する場としての二つの意味をもつものに変容していく過程を示した。また、病気の進行と共に自立度が低下していく中での物的環境への意味付けや働きかけの様態を継続的なヒアリング調査と居室の住まい方や家具などのしつらえ方についての調査をもとに考察した。臥床時間が長くなるにつれて臥床姿勢からの可視領域に自分にとって意味のあるものを配置していることや、それまで馴染んできた物的環境構成要素に対する思いは臥床時の生活の中でも別の形で継続していることを示した。

 第5章では、緩和ケア医療施設でのフィールドワーク(参与観察やヒアリング調査等を含む)を通して患者と家族の生活の実態を捉え、その中で「長期入院患者」の施設環境での生活について考察している。今回の調査から長期入院患者は、家庭での介護力の問題や家屋の構造などによって自宅に帰ることが出来ない患者と、症状のコントロールが在宅では難しい患者の2つのタイプに分かれることを示しそれぞれの生活について考察した。前者の場合、身体的には寝たきりの状態で生活行為の大部分に介助を必要とするが、思考や判断は通常と変わらない状態のため、そのような状況を精神的に受けとめていかなければならない。また、後者の場合は、多くの医療機器を伴う処置が必要となるため、ベッド周囲が医療機器により取り囲まれ、身体的にもかなりの自由度が奪われる生活となることを示した。また、入院患者と家族に対するヒアリング調査から、患者と家族の施設生活における基本的なニーズを整理し、参与観察調査から得られた生活場面の分析を通して緩和ケア医療施設での患者と家族の生活と施設環境(諸室及びセッティング)がどのようにかかわっているかについての整理し、施設生活の中で見られる患者や家族の状況(行動・定位要求)に対して有効な環境構成要素を把握することが出来た。

 終章では、結語としてこれら5つの章における知見をまとめている。さらに、今後の緩和ケア医療施設のあり方を試論としてまとめ、患者と家族のQOLの具現化のための一助となる「建築的配慮」の重要性を述べた。

審査要旨

 本論文は、がん患者のQOL向上を目的として、医学だけではなく、社会心理学、行動科学の分野を含む緩和ケア(Palliative Care)を実践する場として、緩和ケア医療施設を位置づけ、その発生の背景の考察、ならびに患者と家族の生活を中心とした利用実態調査分析を通して、施設のあり方を明らかにしたものである。論文は序章と終章のほか、5つの章から構成される。

 序章では、本論文の目的と方法を記述している。施設管理者の意見を収集して建築の条件を設定する従来の方法の限界を指摘し、患者と家族の生活を中心とした利用実態の把握には従来とは異なる調査方法の必要性を述べている。

 第1章では、キリスト教を背景とする「ホスピス」の歴史的発展経緯の整理、緩和ケアの主な対象である「がん」疾患の概観、がん医療における緩和ケアの意味づけを行っている。特に、日本において、ホスピスケアと緩和ケアの導入がほぼ同時期であったことによる概念の混在を脱して、共にがん患者のQOL尊重の思想を具現化するものとして位置づけるべきことを指摘している。

 第2章では、日本の緩和ケア医療施設の一般的利用実態を概観し、さらに特定の施設に対して利用者の実態を詳細かつ経年的にとらえて現状の分析を行っている。結果として、患者の平均年齢は60歳代、年齢分布は40歳代から80歳代、患者の約半数に転移が存在し、それも身体機能低下につながる部位への転移が多いこと、そして多数の自宅からの入院傾向の存在を指摘している。また、利用回数と滞在期間の分析から、利用者は死亡直前の1ヵ月以内の短期入院、症状コントロール目的の約1ヵ月の短期入院、そして2ヵ月以上の長期入院の3群に分類可能であることを示している。

 第3章では、闘病記を分析することによって、緩和ケア医療施設を短期的に利用する患者と家族の生活実態、特に、患者の身体的状況の経時的変化と環境との関わり、場面ごとの環境描写に関する事例を考察している。すなわち、症状安定期や昏睡期の患者と家族が活用する空間、生活展開への刺激を与え適応を促す空間の構成について論じている。

 第4章では、在宅ケア専門家のヒアリングを通して、在宅緩和ケアの特徴とその環境条件の整理を行い、症状コントロール目的の短期入院を繰り返しながら療養を続ける患者の生活実態を把握している。すなわち、在宅ケアでは、単に物的環境だけでなく、人的、社会的、医療的環境の整備が重要であること、特に、短期的利用者を対象にしたとき、家庭における患者の身体機能低下と人的環境崩壊を補完する場として緩和ケア医療施設が位置づけ得ることを示している。また、患者と家族に対する継続的ヒアリングならびに居室の家具や空間の使われ方調査を通して、仰臥時間が長くなるに従い、可視領域に自分にとって意味がある品物を配置するといった傾向の存在を指摘している。

 第5章では、長期入院患者を対象に、緩和ケア医療施設での参与観察やヒアリングなどのフィールドワークを通して、患者と家族の具体的生活実態を分析している。まず、長期入院には、家庭の介護力不足など人的環境の問題や劣悪な家屋構造など物的環境の問題に起因するものと家庭での症状コントロールの困難さなど医療環境の問題に起因するものとが存在することを指摘している。そして、前者に関しては、身体的には寝たきりの状態で生活行為の大部分を介護者に委ねる状況にあっても、思考や判断は平常と変らないことに対して、後者に関しては、病床周辺が多くの医療機器で塞がれ、身体的自由度も低下しがちなことに対して、それぞれ十分な対応が必要であることを指摘している。さらに、患者と家族のヒアリングによって得られた緩和ケア医療施設における基本的ニーズを整理し、参与観察によって得られた生活場面分析を通して、施設環境と患者ならびに家族との関係を整理して、今後のあるべき施設環境構成要素を明示している。

 終章では、前5章で述べられた知見をまとめ、患者と家族のQOL向上をもたらす緩和ケアにおける建築的配慮の重要性を述べている。

 以上、本論文は、高齢社会に向かう今日の日本において、その重要性が期待される緩和ケア医療施設における患者と家族による利用実態を具体的な参与観察を含む長期の継続的調査に基づいて考察し、その施設環境のありかた提案したものである。これは建築計画学の各種建築計画論において、基礎的な知見を示したものとして有用であり、広範囲の応用の可能性が認められる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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