学位論文要旨



No 111770
著者(漢字) 元岡,展久
著者(英字)
著者(カナ) モトオカ,ノブヒサ
標題(和) 18・19世紀のフランス劇場建築に関する研究
標題(洋)
報告番号 111770
報告番号 甲11770
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3568号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨 第1章 研究の目的、対象、方法

 本論文は、18世紀半ばから19世紀後半にかけてフランスの主要な都市において建設された市民劇場を対象とし、劇場の主要部分要素の形態、及び、全体の構成に見られる特徴を記述し、分類考察する。さらに同時期になされた、劇場の建設を含む都市計画を分析することで、都市における劇場のあり方についての考察を加えるものとする。これらの分析をもとに、当時の劇場を特徴づける形態と、その継時的変形過程を、社会状況の変化、及び演劇の行われる場所の特質との関連において明らかにすることを目的とする。18世紀後半からから19世紀にかけての時代は、特に社会制度の大変革期であり、それに伴って劇場も成立基盤から大きく変化した時代であった。すなわち旧体制の階級制度が崩壊し、劇場を成立させていた担い手が貴族階級から市民階級へと移る。こうした劇場を巡る外的状況の変化に伴い、劇場建築は変化していく。この時期フランスでは、それ以前に汎ヨーロッパ的に広がっていたイタリア式のバロック宮廷劇場の影響を受けながら、様々な実験を行ない、市民劇場の形式を生み出した。18世紀後半以降のフランスの劇場は先行するバロック宮廷劇場とは異なる、新たな建築タイプとして認識されるものであり、近代市民劇場の端緒とも捉えられるのである。また当時の劇場の多くが都市の開発と連携して建設されている。さらに近代以降、演劇を見るための装置として機能的に建設されている劇場に対し、この当時の劇場は、ファサードやホワイエにおいて象徴的要素を有し、祝祭空間としての演出がなされている。以上にあげた点は現代の劇場の問題を考えるうえでも興味深い。こうした観点から、当時の社会状況と照らし合せ、フランスの市民劇場に見られる特異性、及び市民劇場の端緒としての先進性は、より具体的に以下の点に観察することができる。1)人の集合の形式に関する実験、つまり唯一の王が見る形式から大衆が囲んで見るという形式への変化と、それに伴う実験が劇場において試みられている点。 2)都市の開発と結びついて劇場が建設されたという点。 3)劇場が人の集まる場、公共の広場的な意味合いを持つという点。 4)劇場に、当時の建築様式が進んで実践されたという点。

 以上の観点は、それぞれ、オーディトリウムの形態、都市における劇場の配置、ホワイエの形態、ファサードの表現、といった劇場の具体的な形態に観察することができる。本論では、以上の4点を対象建築物の主要な観点とし、これらの観点と、部分を構成する全体構成に注目する。これらの注目点に関して、対象例に観察される形態的特徴を記述し、類型に分類する。さらに継時的変化を分析し、外的条件との関係を考察する。継時的には、1750年から1780年までのイタリア宮廷劇場の影響期、1780年からフランス革命終了までの実験期、1800年以降の展開期の大きく3つの時期に分けられるが、この時期分類は、論文の対象として取り上げた事例を分析することで確認、より明確にしていくものである。

 対象として18世紀後半から19世紀にかけてフランスの都市に建てられた公共の劇場を対象として約30例とりあげる。更に、これらの劇場建築に大きく影響を与えたとされるフランス、イタリアの劇場理論及び計画案もとりあげる。

第2章 公共劇場と都市計画

 当時の都市劇場が周囲の状況とどのように結びついて建設されたかに着目し、劇場が都市に現れてきたことを具体的な形態に則して確認する。多くの主要都市において、広場に面し、四方から独立した劇場が建設された。特に実験期において、周辺地区を含めた開発が行われ、その地区の核として劇場が建設されている。劇場は単に独立した建築物となるのみならず、都市と関係を持って建設されていく。劇場前の広場には、大通りの端部に位置するもの、広場の中心に建設されるもの、他の都市施設とともに広場を取り囲むもの、等の形式が見られ、その差は、劇場が建設された時期や、敷地の都市における位置と関係していることが確認される。

第3章 劇場の部分要素の形態的特質と変形過程

 第3章においては、劇場を構成する部分を、それぞれ検討する。まず代表的な劇場に関して、個別に記述し劇場形態に見られる特徴を観察する。注目する劇場構成部分は、上述したように、ファサード、オーディトリウム、ホワイエである。ファサード:影響期に見られるファサードは特に劇場を都市に向けて積極的に主張するものではなかった。実験期には、過去の様々な建築のタイプを参照し、特に新古典主義の流行と相まって古典的モチーフが用いられた。展開期においては、参照源は多岐にわたり、様々な要素をシンボルとして採用したので、ファサードは装飾によって満たされる。こうしたファサードの変化は、新古典主義から折衷主義といった、建築様式の潮流に大きく影響を受けた部分であった。同時に実験期以降劇場に観察されるギャラリーやポルティコは広場と密接な関係を持っている。劇場が公共の場所に建設されるに伴い、ファサードは単に独立した立面ではなく、劇場と都市を結びつける要素として設計されたといえる。オーディトリウム:既存のイタリア劇場の軸性の強いオーディトリウムの形態に対し、フランスの劇場には、特に実験期においては、集中的な特徴をもつ円形のオーディトリウムが試みられた。オーディトリウムに見られるタイプの種類は、平面形を始め断面形、ドームや列柱等によって、多岐にわたるが、展開期において大半の劇場は、円形に近い馬蹄形平面を有し、列柱によってドームが支えられたものに落ちつく。それまでの劇場に支配的であったパースペクティブによる軸性は、舞台上に保持されながら、ドームや列柱によってオーディトリウム自身は独立した集中的な空間になっている。それは、それまでの劇場のもつ軸性と多くの客が囲む集中性の両者をいかに共存させるかという実験であった。ホワイエ:影響期に見られるホワイエは、オーディトリウムに付属的な空間でしかないが、実験期以降、独立した空間となる。最終的には、ガルニエのオペラ座のように巨大化し、同時に階段室や玄関が独立しそれらが複合して構成されたホワイエとして展開していく。劇場が多数の市民を対象とするようになり、人々が集まる空間、他人を見、他人に見られる空間としてホワイエが重要視されたためであった。

第4章 全体構成とその変形過程

 第2章、第3章で観察した部分が、いかに構成されて劇場の全体を形成しているかを考察した。年代が下るにつれ、劇場の各部分空間は独立し、集中的な空間を持つようになる。それぞれの空間が複合して劇場を構成していくが、こうした部分は、外観に現されるようになる。劇場が、宮殿内の従属的な空間から独立し、更に都市の中で複合されていくように、劇場を構成する部分は、従属的空間からそれぞれが独立し、劇場全体の中で複合されていく過程を見ることができる。この過程において、各部分では、様々な形が試行されるが、一方でそれらを統合する全体構成は、ほぼ類似したもので、それぞれの集中的な独立空間を核として、軸状に配置する構成をとる。基本となる構成を共通に有していたため、部分においては、自由に形を試行し、様々な外的条件の変化に対応していた。この集中的空間の軸的配列による全体の構成は、劇場内部のみならず当時の都市計画における広場やモニュメント、大通りなどの構成にも同様に観察することができる。

第5章 考察-劇場の本質と劇場建築形態の変化

 劇場構成部分及び全体構成、都市計画等に見られた具体的特徴を観察した上で、この考察では、これらの変化が、演劇が行われる空間が持つ特質とどのように関わっていたかを述べる。劇場が演劇を行う場たり得る特質は、以下の点である。1)劇場には、非日常的なしつらいがなされること(劇場の象徴的機能)。2)複数の人が集まり、演劇の時間と空間を共有する場所であること(劇場の社会的機能)。3)見る者-見られる者の関係が存在すること(劇場の演劇的機能)。

 バロック宮廷劇場が有していた儀式性は、社会が市民社会へと変化し、劇場が市民劇場として都市に現れてくる過程で弱められる。したがって、公共劇場として成立するために劇場建築は劇場としての象徴性の付加が求められた。過去の建築のタイプを参照する、あるいは装飾によってファサードやホワイエを飾る傾向は、劇場の象徴的機能の作用に因るものであった。またオーディトリウムの形に、人々が集合する空間として集中的な形態が試みられたこと、また、オーディトリウムとは別に、人々が集まる空間としてホワイエが独立したこと等は、劇場の人の集まる場所であるという社会的機能の特質によって説明される。同時に「見る-見られる」関係は、演劇の一つの本質である。演劇が、舞台を見ることに重点が置かれると、オーディトリウムと舞台は演劇を見るための装置となり、観客が他の観客を見ることが難しくなるので、共に祝祭に参加するという意識は薄くなる。それを補うために、具体的な変化として、劇場の様々な部分で、人々が集まる空間が独立し、観客相互の間で視線の交錯が可能な空間が設けられたといえる。さらに、都市における劇場の配置は、まさに客席と舞台の関係と類似しており、劇場の内部で完結していた見る-見られる関係が、ホワイエと、その前の広場との間にも観察される。この時期は社会が大きく変化した時期であり、同時に劇場建築を巡る状況も大きく変化した。この時期に見られる劇場には、第I期それ以前のイタリア劇場の影響期、第II期フランスの状況に基づく実験期、そして第III期展開期へといたる継時的変化を具体的形態に則して確認することができた。

 これらの形態の変化は、当時の建築様式の影響を受けながらも、劇場が演劇の行われる場所であるための本質を保持するために、各部分が相互に関連してなされた変化であった。実験期に見られる試行は多岐にわたるにも関わらず、結果的に発散することなく、同一の形式として認識される類似の特徴を持つものに収斂するのは、劇場の各部分形態に見られる変形が、劇場の本質を保持するよう互いに補い合っていたからである。

 劇場の形態の変化を、実作品と劇場理論の双方から具体的な形態に則して分析することが本論の最も意図する点であり、実例の数はまだ十分とはいえないものの、当時の劇場の全体像を理解する一つの方向を提示することができたと考える。

審査要旨

 劇場建築は、その内部において観劇のために人々の集まる空間であると共に、その外部においては都市における市民生活の象徴的存在であるというふたつの側面をもつ。劇場は古代より存在したが、市民のための劇場が今日私達の見る姿で成立したのは新しく近世においてである。これまで劇場建築についての研究は数多いが、都市との関連において、その集会空間の意味を論じたものは少ない。

 本論文は、以上のような観点にもとづき、18世紀半ばから19世紀後半にかけてフランスの主要な都市において建設された市民劇場を対象とし、劇場の主要部分要素の形態、及び、全体の構成に見られる特徴を記述し、分類考察し、さらに同時期になされた、劇場の建設を含む都市計画を分析することで、都市における劇場のあり方についての考察を加えたもので、その観点の独自性が先ず評価される。また著者は、資料の蒐集のために広くフランス各都市に足を伸ばし、実施例については、詳細に建築物と都市を調査し、計画案については国立図書館、公文書館、各都市の図書館に残る古いドローイングに実際にあたることによって、多数のオリジナルな資料を集めた。この資料の今後の研究に与える価値も高く評価される。

 考察の対象として選ばれたこの時期のフランスは、それ以前に汎ヨーロッパ的に広がっていたイタリア式のバロック宮廷劇場の影響を受けながら、様々な実験を行い、市民劇場の形式を生み出した時代である。それらの劇場は、18世紀後半以降のフランスの劇場は先行するバロック宮廷劇場とは異なる、新たな建築タイプとして認識されるものであり、近代市民劇場の端緒とも捉えられるのである。また当時の劇場の多くが都市の開発と連携して建設されている。さらに近代以降、演劇を見るための装置として機能的に建設されている劇場に対し、この当時の劇場は、ファサードやホワイエにおいて象徴的要素を有し、祝祭空間としての演出がなされている。以上にあげた点は現代の劇場の問題を考えるうえでも興味深い。こうした観点から、著者は当時の社会状況と照らし合せ、フランスの市民劇場に見られる特異性、及び市民劇場の端緒としての先進性は、より具体的に以下の点を指摘する。すなわち、1)人の集合の形式に関する実験、つまり唯一の王が見る形式から大衆が囲んで見るという形式への変化と、それに伴う実験が劇場において試みられている点。2)都市の開発と結びついて劇場が建設されたという点。3)劇場が人の集まる場、公共の広場的な意味合いを持つという点。4)劇場に、当時の建築様式が進んで実践されたという点、の4つである。

 分析の対象として著者は、18世紀後半から19世紀にかけてフランスの都市に建てられた公共の劇場を対象として約30例の実例と、これらの劇場建築に大きく影響を与えたとされるフランス、イタリアの劇場理論及び計画案もとりあげている。そして、それらの例について、1)オーディトリウムの形態、2)都市における劇場の配置、3)ホワイエの形態、4)ファサードの表現、の4つの点からその特質を分析し、類型化し、さらに継時的変化を分析し、外的条件との関係を考察する。

 劇場構成部分及び全体構成、都市計画等に見られた具体的特徴を観察した上で、著者は、これらの変化が、演劇が行われる空間が持つ特質とどのように関わっていたかを述べる。そしてこれらの形態の変化は、当時の建築様式の影響を受けながらも、劇場が演劇の行われる場所であるための本質を保持するために、各部分が相互に関連してなされた変化であり、実験期に見られる試行は多岐にわたるにも関わらず、結果的に発散することなく、同一の形式として認識される類似の特徴を持つものに収斂するのは、劇場の各部分形態に見られる変形が、劇場の本質を保持するよう互いに補い合っていたからであることを明らかにする。

 このようにして本論文は劇場の形態の変化を、実作品と劇場理論の双方から具体的に形態に則して分析したものであり、当時の劇場の全体像を理解する新しい統合的な理解を導き出している。

 こうした理解は、これからの劇場建築の設計において新しい理解を導き出すのみならず、さらに広く都市公共施設の計画において、有効な示唆を与えるものである。

 よって本研究は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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