劇場建築は、その内部において観劇のために人々の集まる空間であると共に、その外部においては都市における市民生活の象徴的存在であるというふたつの側面をもつ。劇場は古代より存在したが、市民のための劇場が今日私達の見る姿で成立したのは新しく近世においてである。これまで劇場建築についての研究は数多いが、都市との関連において、その集会空間の意味を論じたものは少ない。 本論文は、以上のような観点にもとづき、18世紀半ばから19世紀後半にかけてフランスの主要な都市において建設された市民劇場を対象とし、劇場の主要部分要素の形態、及び、全体の構成に見られる特徴を記述し、分類考察し、さらに同時期になされた、劇場の建設を含む都市計画を分析することで、都市における劇場のあり方についての考察を加えたもので、その観点の独自性が先ず評価される。また著者は、資料の蒐集のために広くフランス各都市に足を伸ばし、実施例については、詳細に建築物と都市を調査し、計画案については国立図書館、公文書館、各都市の図書館に残る古いドローイングに実際にあたることによって、多数のオリジナルな資料を集めた。この資料の今後の研究に与える価値も高く評価される。 考察の対象として選ばれたこの時期のフランスは、それ以前に汎ヨーロッパ的に広がっていたイタリア式のバロック宮廷劇場の影響を受けながら、様々な実験を行い、市民劇場の形式を生み出した時代である。それらの劇場は、18世紀後半以降のフランスの劇場は先行するバロック宮廷劇場とは異なる、新たな建築タイプとして認識されるものであり、近代市民劇場の端緒とも捉えられるのである。また当時の劇場の多くが都市の開発と連携して建設されている。さらに近代以降、演劇を見るための装置として機能的に建設されている劇場に対し、この当時の劇場は、ファサードやホワイエにおいて象徴的要素を有し、祝祭空間としての演出がなされている。以上にあげた点は現代の劇場の問題を考えるうえでも興味深い。こうした観点から、著者は当時の社会状況と照らし合せ、フランスの市民劇場に見られる特異性、及び市民劇場の端緒としての先進性は、より具体的に以下の点を指摘する。すなわち、1)人の集合の形式に関する実験、つまり唯一の王が見る形式から大衆が囲んで見るという形式への変化と、それに伴う実験が劇場において試みられている点。2)都市の開発と結びついて劇場が建設されたという点。3)劇場が人の集まる場、公共の広場的な意味合いを持つという点。4)劇場に、当時の建築様式が進んで実践されたという点、の4つである。 分析の対象として著者は、18世紀後半から19世紀にかけてフランスの都市に建てられた公共の劇場を対象として約30例の実例と、これらの劇場建築に大きく影響を与えたとされるフランス、イタリアの劇場理論及び計画案もとりあげている。そして、それらの例について、1)オーディトリウムの形態、2)都市における劇場の配置、3)ホワイエの形態、4)ファサードの表現、の4つの点からその特質を分析し、類型化し、さらに継時的変化を分析し、外的条件との関係を考察する。 劇場構成部分及び全体構成、都市計画等に見られた具体的特徴を観察した上で、著者は、これらの変化が、演劇が行われる空間が持つ特質とどのように関わっていたかを述べる。そしてこれらの形態の変化は、当時の建築様式の影響を受けながらも、劇場が演劇の行われる場所であるための本質を保持するために、各部分が相互に関連してなされた変化であり、実験期に見られる試行は多岐にわたるにも関わらず、結果的に発散することなく、同一の形式として認識される類似の特徴を持つものに収斂するのは、劇場の各部分形態に見られる変形が、劇場の本質を保持するよう互いに補い合っていたからであることを明らかにする。 このようにして本論文は劇場の形態の変化を、実作品と劇場理論の双方から具体的に形態に則して分析したものであり、当時の劇場の全体像を理解する新しい統合的な理解を導き出している。 こうした理解は、これからの劇場建築の設計において新しい理解を導き出すのみならず、さらに広く都市公共施設の計画において、有効な示唆を与えるものである。 よって本研究は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |