学位論文要旨



No 111774
著者(漢字) 王,青
著者(英字)
著者(カナ) オウ,セイ
標題(和) 集合住宅における住形式・住様式の伝統と変容に関する研究 : 中国北方事例に基づいた比較考察
標題(洋)
報告番号 111774
報告番号 甲11774
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3572号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨

 本研究は、中国北方の明・青時代の院落式住宅から、現代の集合住宅までの住形式・住様式の変遷を分析することによって、現代集合住宅における住様式の伝統の継承と変容の実態について考察を行い、これからの中国の都市集合住宅のありかたを明らかにすることを目的としている。更に、現在中国では、日本のいわゆる「食寝分離」「DK」「公私分離」などを基本とする集合住宅計画理論に基づいて計画された小康住宅建設プロジェクトが実現しているが、これが将来の中国の集合住宅計画の中でどのような役割を持ちうるかについての評価・考察を加えている。

 本論文は5章からなる。序章では研究の目的と方法を述べ、また各章で使用する用語の定義を述べている。第一章では伝統的な住形式・住様式を明、清時代の文献や文学作品から考察している。第二章、第三章では中国北方都市集合住宅の居住実態についての考察である。終章では、まとめと提案を述べる。

 「第一章 中国北方における明・清時代の伝統的住形式・住様式の実態」では、中国の伝統的住形式・住様式の完熟期であるといわれる明・清時代の住宅及びその中での生活行動を検討する。先ず、明・清時代の中国北方の一般的な住宅形式を把握した上で、家庭生活を舞台とした中国文学史上の大作、明時代の富裕層の庶民生活が描かれている『金瓶梅詞話』と清時代の貴族生活を描写している『紅楼夢』をとりあげ、その中の住宅形式、各部屋の呼び方を明らかにし、更にそれらの住宅の平面を復原し、そこで行われた生活場面を抜き出し、当時の住まい方を考察した。これは第二章以後で中国現代都市集合住宅を分析するに当たって、伝統的な住まい方の影響を明らかにするための基本的な作業である。

 中国北方の伝統的住宅の典型的な形式は平房の院落である。四本柱で囲われた空間を「間」といい、基本単位としていた。いくつかの「間」が合わさって「棟」を構成し、住宅全体は複数の「棟」と場合によっては壁(塀)をめぐらして囲み型配置を形成する。これを院落と呼び。最も普及していた「棟」は三間の構成で、中央の一間を「堂屋或いは明間」、左右の間を「屋、間、里屋、里間」と呼ぶ「一堂二屋」の構成を持つ。ただし裕福な家庭では必ずしも棟の各「間」を仕切らず、棟全体を「庁堂」(「客位」ともいう)に使ったり、また院落が複数接続している「何進」と呼ばれる大きな住宅もあった。

 次に、その中での住様式であるが、まず、「堂屋」或いは独立した「庁堂」はフォーマルな空間であるのに対して、両側の屋は家族の日常生活領域に当てられ、就寝の場にもなる。正式な客の接待、礼を行ったり正式な食事をとったりする際には「庁堂」や「堂屋」が使われる。また、正月や冠婚葬祭などの特別な時にもここを使う。置く家具類としては仏像や飾りものなどを置くための卓案と卓、椅がある。両側の屋は就寝として使うが、日常の親しい客の接待や家族の食事、団らんも行われる。ここに置く家具は床、榻、などの寝台と椅橙がある。食事はの上で取る場合と土間で取る場合があるが、いずれも、食事に合わせて食卓を設置する。接客や団らんなどするとき、寝台の上に座る人は椅橙に座る人より年上、或いは目上である。なお、屋で接待できるのは親戚と女の客に限られており、男性客は「庁堂」や「堂屋」或いは書斎で応対する。

 「第二章 現代中国北方の都市集合住宅における住様式の考察」では、中国の、特に1978年の改革開放以後の都市住宅政策を文献から明らかにした。更に、中国北方の代表的な都市天津市、瀋陽市を調査対象として、そこて建てられた現代集合住宅における住空間構成、住様式、及びその両者即ち空間と生活行為の対応について「生活場面」調査を基に考察し、第一章で分析した伝統住宅とのつながりを明らかにした。更に1949年中華人民共和国の成立まで、都市住宅の主流である伝統住宅の体験記録の調査と今でも中国農村部で存在しているこれらの伝統住宅の実態を把握し、伝統的住形式・住様式の現代への影響を検討している。

 1949年の中華人民共和国の成立以来、国が都市住宅の計画、建設、分配、管理の主体となり、中国の都市部ではこの四十数年間にわたって中層集合住宅のみが建てられた。しかし、長年の政治、経済の不安定のため、住宅の建設は需要に追いつかなかった。最近十数年間の経済改革の結果、2000年までに平均一住戸ユニット50〜55m2の目標が設定され、徐々に実現されつつある。これらの集合住宅の住戸平面型は、一般的に一つの庁と幾つかの屋から構成されるいわゆる「n室1庁」の形式をとっている。各空間に対する呼び名は「客庁」を別にすれば、屋の機能から呼ぶものではなく、大きさや位置から呼ぶ場合が多い。また接客の場に注目すると、「夫婦以外の12才以上男女は同室に就寝しない(但し、年寄りの女性と12才以上の男女の同室は除く)。一室に4人は就寝しない。」という別室就寝の原則が守る上で屋が余る世帯ではフォーマルな接客を主とする客庁を設ける傾向がある。客庁を設ける余裕のない世帯でも、必ずより良い部屋に接客用のソファなどを置き、接客の場を設ける習慣が見られる。

 更に、「生活場面」調査から見ると、特に就寝以外の屋がとりにくい世帯では、各屋も複数の目的に利用され、またここで就寝する人以外の家族も利用するが、居室の余る世帯においても、他人の就寝する屋は家族各人や来客の個人・グループの行動の場として使われている。そのために、寝台やソファが個人の就寝や休息以外の多目的のためにいろいろな場面で使われる。

 以上の調査から、形式的にかなり変化した現代の集合住宅においても第一章で見られた中国北方の伝統的な住まい方、即ち庁や屋の呼び方の継承、フォーマルな接客空間の確保、客を種類別に応対する仕方、寝台の伝統的な認識を背景とする就寝用屋の多目的使用、可動的な食事空間などの特徴が残っていることが示した。

 更に、60才前後の人々に対象とする1949年以前の居住体験記録調査と現代中国北方農村住宅の考察から、明・清以来の中国北方伝統的住形式・住様式は少なくとも1949年までは中国の都市部では一般的に存在し、農村部では今日まで伝統住宅の形式を承していることが明らかにした。

 「第三章 日中協力による現代中国都市型小康住宅の考察」では、1990年から1993年の三年間にわたって日中両政府の協力により行われた「中国都市小康住宅プロジェクト」を調査対象にして分析をする。この作業は、先進国日本で展開した理念を導入することによって生み出された新たな提案と、その試験住宅が実際に住まわれることにより生じた問題点を検討し、中国の伝統と現実に合わせた住宅計画を立案するための基礎的研究として位置付けられる。日本の集合住宅計画理念(「食寝分離」「DK」「公私分離」など)に基づいて建てられた「三大一小一多」(大きな庁、大きな厨房、大きな衛生間、小さな臥室、多くの収納)の試験住宅で実際に人々がどう住んでいるか、特に、接客、食事、団らんの実態、更に、住宅全般に対する住民たちの意見、希望を調査し、実態と計画上の狙いとのずれについて考察した。その結果次のような幾つかのことが分かった。

 まず「庁は全家族の生活の中心である」という考え方、つまり、以前よりも広い庁を家族の食事、団らんの場にするという設計者側の意図とは異なり、庁に置かれた家具や使われ方を見ると、人々は庁を先ずは接客、次にはテレビを中心とする家族の集まりに優先的に利用していることが分かった。食事は庁に持ち込まれているが、必ずしも常時のしつらいとして成り立ってはいない。庁は接客行動が優先的に行われる最もフォーマルな空間として使われているということができよう。

 また、臥室はプライベートな「睡眠や勉強の空間である」という設計原則に反して、完全に分室就寝に当てられているこれらの臥室は、親戚や親しい客の接待にも使用されている。即ち接客専用の空間があっても、客の種類、行う行動の内容、滞在時間によって、臥室も接客の空間に使われている。一方、そこで就寝しない家族のだれかの個人的な行動的利用(勉強・読書など)、物理的利用(衣類、小物など)もみられる。家族個人個人に自分の臥室がある場合においても、「部屋対個人」という「臥室はそこに就寝している人の個人専用の部屋」という意識が薄いことが分かった。

 なお、標準よりも大きな厨房、衛生間、ベランダ、収納場所の増加という設計者側の意図に対する評価はかなりいいが、実際に使って見ると押入の奥行きが狭い、厨房やベランダ空間を取りすぎたため庁と臥室が逆に狭くなったなど住民の不満の意見も聞かれた。

 「終章」では、前章までの中国北方の伝統的なものから現在に至るまでの住形式・住様式の特徴を総合的に整理・考察し、2000年を目標とする小康住宅の進む方向を明らかにし、日本の集合住宅計画理念と比較しながら中国の独自の社会的文化的事情にふさわしい新たな都市住宅の住戸の平面型式の提案を試みた。

審査要旨

 本論文は、中国北方地方の近代以降の住宅形式と住様式の変容を小説等の文献および居住者実態調査によって追跡した住まいの伝統の考察を基に、近年日本の集合住宅計画理論を応用して建設された「小康住宅」における住様式を多角的な調査によって評価し、21世紀に向けた伝統的な住慣習を継承した新しい現代中国の集合住宅の計画指針を明らかにしたものである。

 論文は序章に続く3章および終章とからなる。

 序章では、本研究の目的・方法について詳述し、次いで各章の分析で使われる用語についての定義を述べている。

 第一章では、中国現代住宅に強い影響を与えている伝統的住形式・住様式の完熟期である明・清の院落式住宅の考察を行っている。そのために当時の住居とその生活が微細に描写されている「金瓶梅詩話」、「紅楼夢」を対象に、空間と行動との関係を分析し、家族、親族、その他の来訪者にとっての多様な「生活場面」を抽出している。その結果、3室からなる典型的住棟(院落式)において中央の「堂屋」と左右の「屋」との空間の質の差異、つまり、前者が公式の用途、後者が家族や親しい人達の私的な生活の場(寝室、食事、団らん、接客)という使い分けが成立していたことを明らかにしている。

 第二章では、前章の考察を検証するために1949年中華人民共和国成立以前の住体験者に対する調査を行い、その結果伝統的住形式が依然存続していることを確認している。更に1978年の経済改革以後の都市住宅の住まい方を分析するために、中国北方の代表的都市である天津市にある平均的労働者用の賃貸用単元住宅45戸を対象に、「生活場面」調査を行い、その結果を述べている。即ち、狭い住宅といえども公式の接客空間確保の志向、「屋」の就寝を含めた多目的利用など伝統的な院落式住居における住まい方が保持されていることを実証している。更に、天津の住まい方が中国北方一般の状況を示しうることを、瀋陽市の数戸の住宅への実態調査を行うことによって確認している。

 第三章では、1990年から三年間にわたる日中両政府協力事業の成果として建設された「小康住宅」(北京FRP工場60戸、石家荘試験住宅8戸)を対象とした、質問紙および面接調査の結果を述べている。この住宅は日本の第二次大戦後の公共住宅の計画理念、つまりされている。しかし、庁を家族の公室(団らん、食事の場)にするという設計意図は必ずしも充足されておらず、庁は接客のための公式の部屋、臥室は親しい人々の接客の場にも利用されるという伝統的住まい方への固執の傾向があることを明らかにしている。

 終章では、3章にわたって考察された中国の住形式、住様式の時代的変遷とそれらの相互比較評価を行っている。更にその結果と現代日本の公共的集合住宅との比較評価を行い、単純な異文化間の計画理念の転移に対して警鐘を発している。最後にこれらの成果を基に21世紀へ向けて中国の社会的・文化的状況に適した都市住宅の平面型の計画指針と提案をまとめている。

 以上、要するに本論文は中国北方の住宅形式・住様式の時代的変化を丹念に追跡し、現代住宅において継承すべき計画理念を抽出し、その正当性を近年実現された試作住宅調査によって検証したものであり、中国の集合住宅計画の方途を示した実証的かつ提案的な研究である。

 この成果は中国のみならず、日本の住宅計画理論あるいは建築計画学の将来の展開にとって貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク