学位論文要旨



No 111776
著者(漢字) 金,桓龍
著者(英字)
著者(カナ) キム,ホァンヨン
標題(和) 建築室内環境における潜熱負荷と湿度変動に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 111776
報告番号 甲11776
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3574号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,陽
 東京大学 教授 安岡,正人
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 助教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 夏期がモンスーン地帯特有の高温多湿な気候風土上の特徴を有している日本では、建築に限らず文化もその影響を受け、伝統的な建物の造り方はその対策に終始した感があり、夏期の防湿に深い考慮が払われていた。しかし近年、空気調和設備技術の普及と建築工法の変革で断熱性、気密性が向上したため、省エネルギーや保温には好都合になった。その反面湿気によるトラブルが増えて室内湿度調整が課題になっており、冬期の湿度も夏期の場合におとらず重視されるようになった。温度と湿度は快適、衛生的な居住性の基本であると同時に冷房暖房負荷の大小にも関係し、また建物の耐久性を確保する上でも重要な環境因子である。

 空調されている、または使用されている室内空間においての建築材料や物体表面においては吸放湿作用に伴い潜熱の出入りが生じる。潜熱の非定常性は主に室内温、湿度の変動に伴う壁体や室内物体と室内空気との吸放湿現象によって生じることはよく知られている。事実上快適空調のほとんどは間欠運転であり、室内空気状態は変動する時間帯がある。また、最近に注目されるようになっている制御条件の動的設定など、間欠空調を問題にするとすれば、非定常潜熱理論によって解明しなければならないのは運転停止時における室内湿度の変動と立ち上がり時の蓄熱負荷である。

 建物の室内熱・湿気環境と熱負荷などの計画、設計段階での予測、また建物竣工時に設計値を満足する施工がなされたか否かを確認するために行う性能確認などは通常入居前に行われ、予測対象室内は無人で什器備品、発熱機器などがない状態で建物躯体についてのみを行うのが通例である。しかし、入居後の使用されている通常の建築室内空間においては家具や書類および繊維類など(以降、室内備品と称する)が意外に多い量で存在するため、入居前のそれとは異なることが考えられる。これらの室内備品は多くの建築材料と同様に空隙を含む多孔質であり、室内温、湿度の変動に伴い吸放湿作用を行う。また、吸放湿作用により室内温、湿度が変化する。従って、より精度高くかつより実状に近い予測結果を得るためには、生活している、すなわち使用している状態を想定した、室内備品の吸放湿作用を考慮する必要があり、無視した予測結果は誤差を含むことになる。

 今日、建築環境工学の分野では、熱と湿気に関しての水準の高い研究が数多くなされており、理論的な面においては既に完了しているといっても過言ではない。また、室内温、湿度と熱負荷計算法に関しての研究業績もかなり以前より蓄積されて存在する。だが、今日実用的に提供されている室内温、湿度および熱負荷計算プログラムにおいては、壁体内は熱の移動のみを考えており、壁体や室内備品と空気との吸放湿は無視し、湿気に関しては基本的には定常計算しか行なわれていないという実情であるため、室内湿度変動と潜熱負荷の計算結果は誤差を含む(例えば、冷房か暖房かによって小さくあるいは大きく評価される)ものとなっている。室内熱・湿気環境と熱負荷のより詳細な予測には従来の計算体系においては無視されてきた湿気の移動を熱の移動と同時に考慮することが重要であろう。しかし、最近になって前述の理論的な業績をベースとして室内温度と湿度の相互の影響を考慮した、いわゆる熱・水分同時移動方程式に基づいた室内温、湿度および熱負荷予測法に関しての研究が活発に行なわれており、相当な水準に達したと言える。しかしながら、予測手法の構築だけでは最終目的である適正かつ高精度の環境予測、評価が不可能であることは言うまでもなく、同時に解析モデルに入力する基礎データの整備、蓄積を行う必要がある。特に、室内に存在し熱・湿気環境に影響を与えるにもかかわらず計算上は無視することの多い負荷要素(主に室内備品の吸放湿など)に関する基本的データの欠如は予測評価手法としての計算精度の向上を全く意味の無いものにしてしまう可能性を多分に含んでいる。従って、室内備品に関しての物性値データを揃えておくとともに、吸放湿特性を定量的に把握しておく必要があり、また実態調査などを行うことにより室内の物品量という設計図から得られない情報をいかに補うかも非常に重要な課題であろう。熱物性値に関するデータ蓄積の充実さに比べると湿気物性値に関してのデータ欠如は否めないことである。

 負荷計算論が一応の水準に達した現在でも、熱と湿気相互の影響を考慮した、即ち熱・湿気同時移動に基づいた室内温、湿度と熱負荷計算に当たって、更にその実用化のことを考えると幾つかの解決しなければならない問題点はいまだ残されており、十分な段階とは言えないのが現状である。

 本研究では、以上に述べた背景から次に示す3つを目的とする。

 1.熱・湿気相互の影響を考慮した室内温、湿度および熱負荷予測法において、より精密かつ実用性の高い環境予測法の構築に欠かせることのできない湿気物性値データ(ここでは、特に非建築材料でありながら室内にかなりの量が存在している室内備品を対象に取り上げる)を補完、蓄積する。

 2.より高い信頼性確保のため、測定により室内備品についての吸放湿特性を定量的に把握した上で、熱・湿気同時移動に基づいた室内温熱環境と熱負荷に関しての総合的なシミュレーションを行うことによって、特に潜熱負荷と湿度変動に関して、影響する要因について定量的な検討を行う。

 3.実際問題への適用、即ち非建築材料である室内備品の物性値を把握したことを建築環境工学の分野に結び付けることについて考察する。

 本論文は、第1章から第6章より構成され、以下のごとき内容よりなる。各章の内容を以下に列挙する。

 第1章においては、序論として研究の背景と目的を述べ、熱・湿気同時移動を考慮した既往の研究を概説し、本論文の位置付けについて論じる。

 第2章では、まず本論文において用いることの多い湿気伝導率、湿気伝達率、湿気容量(平衡含湿率)などの用語についての定義をしておく。それから蒸気拡散支配(Hygroscopic領域)における建築壁体内部の薄層について熱と水分量の平衡式から熱・湿気伝導の基礎方程式を誘導した上で、線形熱・湿気同時移動方程式を導きその解法について述べる。

 第3章においては、室内空間に置かれている備品の中で吸放湿性が大きく、従って室内湿度変動と非走常潜熱負荷に及ぼす影響が大きいと考えられる物体として繊維類と寝具類の湿気に関する物性値および吸放湿特性について述べる。

 線形の熱・湿気同時移動方程式を用いて室内湿度変動と非定常潜熱負荷の計算を行う場合、室内に存在する吸放湿性物体の湿気物性値である(絶対湿度変化に対する含湿率変化量)、(温度変化に対する含湿率変化量)、’(湿気伝導率)を把握しておくことが必要不可欠であるが、湿気物性がある程度確実に把握されているのは、基本的な建築材料である木材とコンクリート系材料および防湿材のみであり、その他の材料については詳しく分かっていないのが現状である。特に、建築材料の範疇に入らない室内備品などが室内湿度変動に与える影響は大きいと思われるにもかかわらず、それらの湿気物性はほとんど解明されていない。以上のことを踏まえて本章では、室内備品の中から繊維類を取り上げ、それらの湿気に関しての物性値を明らかにする。

 第4章では、熱負荷計算に当たって、入力データとして用いられる様々なパラメーターのなかで、特に室内湿度と潜熱負荷に及ぼす影響が大きいと思われるパラメーターについて、事前に妥当性のある値を把握しておき、これらに基づくシミュレーションができるようにあらかじめパラメーターを設定することを目的として主に文献調査を中心に述べる。

 第5章においては、熱と湿気相互の影響を考慮する熱・湿気同時移動方程式に基づいた室内温熱環境と熱負荷に関するシミュレーションケーススタディについて述べる。第3章での湿気物性値の測定と第2章で論述した吸放湿を考慮した熱湿気同時移動に基づく計算手法を用いた室内温、湿度と熱負荷関する数値シミュレーションによるケーススタディを行い、特に室内備品の吸放湿が潜熱負荷と湿度変動に及ぼす影響を把握するとともに、吸放湿を考慮していない従来の計算結果との詳細な比較、検討を行う。また、実際問題への適用方法について検討する。

 第6章では、以上に述べた各章について総括結論をまとめて述べるとともに、今後の実験と研究の方向など、今後の課題について述べる。

審査要旨

 「建築室内環境における潜熱負荷と湿度変動に関する実験的研究」と題する本論文は、室内備品等の吸放湿性が潜熱負荷と湿度変動に与える効果について定量的に論じたものであり、全5章から構成されている。オフィス、住宅を問わず建築の室内には家具や書類、衣類等の備品が大量に置かれるのが常であるが、これらの備品の多くは吸放湿性の高い素材でできているため、空調負荷(特に潜熱負荷)と室内湿度に大きな影響を与えることが予想される。しかしながら、これらの備品等については吸放湿物性値が十分に整備されていないことと、設計段階でそれらの容量を把握しづらいことが原因で、動的空調負荷計算においてはそれらの影響は計算プログラムとしては計算できる状況にあるにもかかわらず、入力すべきデータが不明確なために事実上計算できない状況が続いていた。本研究は、これらの備品等を構成する主要な素材について吸放湿物性値を実験的に測定し、動的空調負荷計算用の入力データとして供するとともに、それらの測定データを用いたシミュレーションを行って、これらの備品類が空調負荷と湿度変動に与える影響について考察したものである。

 第1章では、上記のような研究目的や背景が示されているほか、この分野における既往の研究が紹介されている。

 第2章は、空調潜熱負荷と湿度変動の計算において基礎となる熱湿気同時移動方程式と吸放湿物性値との関連を示したものである。また、それらを適用して組み立てられている室内湿度や潜熱負荷の動的な計算手法について紹介し、室内における吸放湿性素材の物性と量を明確にするという本研究の目的が空調負荷・湿度計算法の実用的な精度を高める効果があることを具体的に示している。

 第3章と第4章が本論文の中核を形成する部分であり、第3章では室内備品類の吸放湿物性値(湿気物性値)の測定について、第4章ではそれら備品類の吸放湿性が空調負荷と室内湿度変動に与える影響について論述している。

 本研究で物性値を測定した備品類は、特にカーテン、カーペット、衣服、寝具に用いられる繊維類である。オフィス等で特に重要となる紙類については既往の研究で測定されているので、ここでは省かれている。これらの繊維類に対して、ハイグロスコピック領域の熱湿気同時移動方程式を用いた水分移動計算に必要な平衡含湿率と湿気伝導率が測定されている。この測定は既に確立されている信頼性の高い測定手法と妥当な測定設備・計器を用いて行われており、ここで示された測定値は十分に信頼できるものと思われる。

 備品類の吸放湿性が空調負荷と室内湿度変動に与える影響については、動的空調負荷計算プログラムを用いたシミュレーションによって検討がなされ、考察されている。この計算プログラムでは空調機の冷却除湿コイルの特性も考慮されるので、空調時は温湿度一定とする過去の負荷計算とは異なる、かなり実際の空調に近い状況がシミュレートされるものと考えられる。シミュレーションは、事務所ビルの一室を想定したものと住宅の寝室を想定したものについて行われた。前者では、吸放湿性のある備品類として書類(紙類)が、また吸放湿性のある内装材としてカーペットが想定された。後者では、カーテン、ベット(寝具)、衣類が備品類として想定された。このようなシミュレーションによる検討の結果、吸放湿性のある備品等は空調負荷(顕熱負荷及び潜熱負荷)には空調立ち上がり時の短い時間を除けばほとんど影響を与えないが、空調が停止した自然温湿度の状態においては湿度に大きな影響(備品があると相対湿度の変動幅が数%〜10数%程度小さくなる)を与えることが明らかになった。この特徴は、空調運転時に大量の外気が導入される事務所ビルにおいても、換気回数で0.5回/h程度の換気が全日与えられる住宅においても当てはまり、吸放湿性のある備品が置かれている室内における特徴と考えられる。また、このような現象は、備品に限らず、内装材に吸放湿性があれば出現し、内装材の種類にもよるが両者は量的にはコンパラブルであることも確認している。さらに、この検討では室内備品の吸放湿性の効果を熱湿気同時移動計算によらず、室内の湿気容量として考慮する近似計算法についても検討と考察を行っている。

 最後の第5章は、本研究で得られた上記の知見を総括し、研究の結論としたものである。

 以上、要するに、本論文は空調潜熱負荷と室内湿度の動的計算における実用上の精度向上という目的に対して、実験による備品類の湿気物性値の把握とシミュレーションによるその影響程度の検討を行って室内備品類の実際上の影響と効果を検証・明らかにしたものであり、建築環境工学における価値は十分に認めることができる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として「合格]と認定される。

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