学位論文要旨



No 111778
著者(漢字) 陳,玲
著者(英字)
著者(カナ) チン,レイ
標題(和) 杭州西湖を中心とする景観生成過程の研究
標題(洋)
報告番号 111778
報告番号 甲11778
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3576号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨

 自然と人間の調和が「環境問題」として人類共通の緊急性を持つに至った今日、中国の歴代文人によって繰り返しその美を謳われた西湖は、自然と人工の融和した一つの理想的庭園都市のモデルとして新たな意義を帯びて来ている。いま、天然の山水の奇勝に対して、何百年もの間、帝王から詩人に至るまでの数限りない人々が更に人工の手を加えて磨きあげて来た巨大な「ランドスケープ」が、歴史的にどのような過程を辿って生れ来たったのかを未来の創造の指針として捉え直すべき十分な必要性があると思われる。

 西湖(XI-HU)は、「三面雲山、一面城」と言われる通り、南、西、北の三面を山々に囲まれ、東に杭州市街の開ける「山紫水明」の景勝地であって、湖そのものは南北が3.2キロメートル、東西が2.8キロメートルの小世界にすぎないが、そこに遠く唐代には白楽天、また宋代には蘇東坡が、詩的創造力を働かせて「白堤」と「蘇堤」を造らせ、以来、六百年間に、遠く日本まで「江湖」の名を響かせる黄金時代を現出せしめるに至ったのである。しかし従来の杭州についての諸研究においては、前述のような問題意識からの西湖の景観の変遷史が試みられることはなかった。本論文はこの点について、西湖の具体的なランドスケープそのものの形成過程はもちろんのこと、さらにそこに賦せられた内面的イメージの領域にまで踏みこんでの景観の形成史を考察しようとするものである。

 こうして、本論文においては、まず、この大規模な景観の形成の歴史的沿革と各時代の具体的な形態上の変遷を明らかにし、どのような主導的理念がそこに働いたかを考察した。これには、そうした景観形成の機構や基本手法の解明も含まれる。さらに高名な詩人たちを魅了したこの景観の「原型」としての力の実態を解明すべく、彼らの詩における場所の言及についてトポロジカルなゾーニングを行うことも試みた。この記号論的な方法は今後さらに深化出来るものと考えている。

 本論文で用いた史料は、主として次の三種に分れる。第一は、方志・地方志・寺志の類であり、これをもって各時代の建設工事から人口統計に至るまでの具体的情報と歴史的形成の跡づけを行った。その裏付けとしての西湖風物の現地調査も行っている。地方志の中ではとくに本論の中心となる南宋時代のものを重視し、歴史的変遷、場所、建物の確定の上で、宋代の「淳祐臨安志」、「乾道臨安志」、「鹹淳臨安志」の三部地方志を、同じく宋代、周密の「武林旧事」、清代、朱膨の「南宋古跡考」などを参照した。

 第二は、本論文に係わる「遊記」、「筆記]、「詩文」の類である。明代、張岱の「西湖夢尋」をはじめ、同じく明代、田汝成の「西湖遊覧志」と「西湖遊覧志餘」はとりわけ重要なものとして参照した。また明代文人、高濂の「四時幽賞録」には四季折々に西湖を遊覧するときの風景の変化が叙され、さらに明代袁宏道の「西湖記述」、陳仁錫の「西湖月観記」、史鑑の「西村十記」、清代王紹傅の「西冷遊記」なども有用であった。

 第三は「詩文」の類である。詩人たちの作品は西湖の景観のトポロジカルな把握を知るための手掛かりであり、またそこには季節・時間も詠みこまれているので、唐代および宋代の風景観の輪郭を把握するのに絶好の材料である。白居易ら詩人たちの詩集のほか、宋代、郭祥正の「銭塘西湖百詠」、清代、陳時の「湖山懐古集」および「湖山青山集」、張炳の「南屏百詠」などを参照した。唐代から宋、明、清代に至るまでの数多くの「銭塘百詠」や「西湖百詠」も、当時の風景観を知る上での詩的手引ともいうべきものである。

 本論文ではとくに唐代から南宋までの約六百年間の景観構成の変遷と手法を追究することに重点を置いている。すなわち、発生期としての「霊隠期」の秦、漢時代(第一章)にはじまって、「白堤期」の隋、唐時代(第二章)、「三塔期」の五代(第三章)、「孤山期」の北宋時代(第四章)、「鳳凰山期」の南宋時代(第五章)のそれぞれにおいて、都市と皇城と庭園が、空間的にどう構成され、またそこにどのような自然観念が反映し展開していったかを考え、さらに第六章においては、南宋時代における「西湖十景」の成立の機構を考察している。

 第一章では、西湖の現状と形態について概述し、その潟湖としての形成についての代表的な先行研究の内容についてその妥当性を考察している。

 第二章では、西湖景観の黎明期である隋唐時代においての杭州の都市としての発展、および西湖と市街との相互依存の関係を形成する幾つかの建設工事について考察している。すなわち、1、隋代における大運河の開削と杭州の都市経済の発展。2、鳳凰山の山麓に初めて郡治が置かれ、それが後の五代、南宋における大規模な城郭の基礎となったこと。3、唐代、杭州の知事、李泌が井戸を開掘し西湖の水を引いたことによって、杭州の飲料水問題が解決し、これによって人口が急速に増加したこと。4、唐代大詩人、白居易が杭州の知事を勤めた際に新たな建設工事を興し、またその詩作によって西湖の名を世に知らしめたことを取り上げている。

 第三章では、清代の「霊隠寺志」収載の絵図をもとに、西湖の西方の山中にある、霊隠、稲光などの寺廟庭園を中心とする景観の復原を試みている。ここでは、アプローチとしての「九里松」の道に始まって北高峰の山々(霊隠山、天竺山)、泉(冷泉)、怪石(飛来峰)、洞窟群に至る間に点々と配置された亭(春淙亭、冷泉亭)、橋(合澗橋)、塔(霊隠双塔、恵理塔)、寺院(霊隠寺、稲光寺)などが、自然と人為的風景とを融合差せ、幽邃な空間を演出している状況の分析を試みている。また、この章においては、五代において西湖の景観にもっとも大きな変化をもたらした「六和塔」、「雷峰塔」、「保俶塔」の三つの塔の果たした役割にも注目している。とくに「雷峰塔」と「保俶塔」は、西湖の北と南という重要な地点に配されたことによって、それぞれの周辺の建物、また西湖全体の景観とともに、新たな景観の形成に重要な役割を果したのである。

 第四章では、西湖全体の景観中でも重要な位置を占める二つの景観地、孤山と蘇堤に注目し、それらの景観の形成に、同時代の二人の詩人、林和靖と蘇東坡がどのように係わったかについて考察している。わけても、杭州の知事をつとめた蘇東坡が築かせた蘇堤は西湖の景観形成に決定的な役割を果しているが、いっぽう彼の深い詩的洞察力は西湖周辺の事景に既視感を示しており、この深層心理学的問題にも言及している。

 第五章では、この論文の中心をなす南宋時代を扱い、当時臨安と呼ばれた首都において、西湖周辺にいかなる新しい景観が形成されたかを三部に分けて具体例を挙げて考察している。すなわち、1、南宋時代の宮殿、南大内(紫禁城)と北大内(徳寿宮)について、その場所を確定し、地形的特徴および内部の空間構成と建物の配置関係を考察した。2、五代における大量の寺院の建設によって、西湖周辺に「臨水傍山三百六十寺」が林立した状況と対照的なこの時代の皇帝の道教信奉による道観の旺盛な建設に着目し、数多くの「道観」中、もっとも重要と考えられる孤山の「四聖延祥観」を例として、その空間構成を考察した。3、南宋時代に西湖の周辺において建設された数多くの庭園の中から、皇家庭園の「聚景園」、私家庭園の「南湖園」、「集芳園」、「南園」のそれぞれの空間構成および地形的特徴、さらに西湖の景観との係わりについて考察した。その分析のなかでは、とくにのちの明、清時代のものと著しく異なる宋代文人の庭園の特徴を明らかにしている。4、庭園都市としての杭州における、西湖と市民生活との係わりについて、西湖で行われる「花朝節」、「清明節」などの年中行事、また西湖との地理的関係から生まれた「観月」、「観花」、「船による遊覧」などの生活習慣、さらに、仏教行事としての「浴仏節」、「放生節」、「香市」などの催事について、理想的な庭園都市を形成するに至った市民生活と西湖との密接な関係を明らかにすべく論考を加えた。

 第六章では同じ南宋時代における「西湖十景」の形成の問題を検討している。まず十景のそれぞれの内容と特色を明らかにし、十景が成立した背景として、1、北宋時代に形成された瀟湘八景の直接の影響。2、宋代の画院制度が、古人の詩を画題とする試験を行い、絵に詩的表現を要求したこと。3、南宋時代の絵画からの影響の三つに分けて分析し、さらに南宋時代に形成された十景が、元、明、清の各時代においてどのように展開したかを考察し、現実の景観に詩的なイメージが複合していく過程を明らかにした。

審査要旨

 本論文は中国の杭州市西方にあってこの都市の一部をなし、自然と人工のあいまった風景によって知られる西湖及びその周辺地域の景観の形成過程を考察したものである。杭州という都市自体の形成の問題やそこにおける市民生活の状況については従来もさまざまな研究が行なわれて来たが、自然の環境を最大限に生かし、これに巧みに人工の手を加えて理想の風景美を創り出して来た過程については、これまでまとまった研究が行なわれて来なかった。本論文はこの点に着目し、膨大な文献資料によって各時代の西湖及びその周辺の景観の状況を推定復原し、さらにその風景に賦された内的なイメージの形成と展開についてまでを考察したものである。

 本論文のまず第一の意義は、自然と人工をいかに調和させるかというまさに今日の環境の最重要の問題の解決のための示唆を過去の理想的な例に求めたことであり、それによって、各時代における機能的な解決がつねに景観美の形成に配慮して行なわれたこと、中心部につながる周縁部の発展が風光に奥行き感を与えたこと、湖を取りまく丘陵に塔のようなアイポイントを複数、設置することで風景に緊密感を生みまた新しい視点を切りひらいたこと、湖中に人工の島を設けることや湖畔に濃密な景を造り出すことで風景の遠近感を強め、景観の密度をあげたことなど、理想的な景観美の生成のために用いられたさまざまな手法を明らかにすることに成功しており、これらは今日のランドスケープの形成にあたってそのまま役立て得るものである。

 さらに本論文はこうしたいわばハードの面での景観の問題にとどまらず、詩あるいは絵画、遊記といった文芸、美術のジャンルにこの風光が採り上げられることによって生じるイメージが、さらに現実の風光に重ね合わされて、風景の見かた、ありようか規定されていくという景観のソフトの領域に踏み込んで考察を行なっていることが注目される。これは従来の景観論で看過されて来た問題であり、今後の景観論の展開に重要な示唆を与えるものとして評価出来る。本論文は唐代以来の詩人、文人及び画家たちによってどのようにトポスが選び取られたか、またそれらトポスがどのように相互に連関していたかを明らかにし、それらの集大成としての西湖十景の成立、さらに清代における遊覧区のゾーニングの確定に至るまでを論じて風景の問題がたんなる形態論にとどめる訳にはいかない構造を持っていることを明示している。

 本論文はこうした内容を秦漢、隋唐、五代、北宋、南宋、さらに元明清の各時代に分けて考察しているが、中国におけるこの種の研究における大きな困難は、研究にもっとも必要な図的資料の不足である。明清の時代になれば刊本の挿図などに資料として用いることの出来るものもあるが、それ以前についてはほとんど絶望的と言って良い。本論文はこの問題を当時の地方志のたぐいを精査することによって補い、さらに遊記、筆記、詩文のたぐいについても細かく西湖とその周辺を扱ったものを調べるというユニークな方法で景観の推定復原を行っている。その姿勢は綿密で重要な文献を漏らさずチェックしており、今後の同種の研究の展開の基礎として使用出来るだけのものを提供していると言える。

 また本論文は西湖及びその周辺の景観の形成にとってもっとも重要な南宋時代にとくに力点を置いており、やはり当時の文献史料からこの時代の宮殿の位置を確定してその内部の空間構成を考察するほか、当時、西湖周辺に造られた皇家庭園及び私家庭園の内容を調査することによって、のちの明清の時代のものと相を大きく異にする宋代文人庭園のありかたについても明らかにしている。また宋代画院の制度が絵画に詩的表現を求めたことがひいては南宋時代の西湖十景の成立につながったとするのも重要な指摘で、この時代の風景が文学及び絵画の位相のなかで捉えらていた機構を明らかにするものである。

 以上に見るように、本論文は自然と人工の調和という今日的な問題についての示唆を理想の田園都市ともいえる西湖及びその周辺の景観の成立過程に求め、各種の資料を着実に整理して、それを審さに考究、その生成の各時代における様相と手法を明らかにしただけでなく、現実の景観にさまざまなイメージが付加され、人々がその投影の相のもとに景観をみるメカニズムについても興味深い指摘を行なっており、今日のランドスケープ・デザインのありかたに寄与するところが大きく、また空間史の立場からも重要で意義深い視点を切り拓いたものと言うことが出来る。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク