学位論文要旨



No 111782
著者(漢字) ヤントラサー,クラバット
著者(英字) Yantrasast Kulapat
著者(カナ) ヤントラサー,クラバット
標題(和) 水路形態と都市の変化の過程に関する研究 : バンコクにおける水の論理
標題(洋) A Study on the Phenomenon of Water and Urban Transformation : Bangkok’s Water Logic
報告番号 111782
報告番号 甲11782
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3580号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 助教授 西村,幸夫
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 研究のテーマと目的

 水は、人類の文明化の歴史において本質的な要素をなしてきた。水の都ヴェネツィアは、「アドリア海の女王」として時代を超越した魅力をもっているが、このような幸運な例はそう多くない。例えば東京やバンコクのような世界の多くの水の都は、特に近代化とともにもたらされた変化を切り抜けて生き延びなければならなかった。バンコクは、かつて「東洋のヴェネツィア」として有名であったが、近代化の時期に、歯止めの効かない都市拡張と最悪の交通事情をみながら、今日のバンコクへと変化していった。

 研究の目的は、水から陸を基盤とした都市への変化の過程を、部分と全体の両方のスケールから、つまり都市を形成する共同体と都市全体において観察し分析することである。また、旧来のバンコクと、今日のバンコクの相互関係を確認することも目的とする。

構造

 この研究は、都市バンコクの変遷を細部と全体の両方のスケールから調査することの他に、社会歴史的、物理的な都市の枠組みの中でバンコクを分折することをも含む。内容は、以下の4章に分類される。

第1章水の都バンコク

 バンコクを適切な文脈の中に置くことから始める。最初に、他の水の都と並べることで、世界的な観点からバンコクを見てみる。すると、バンコクが、植民地化と近代化の苦難の時代をとおして大きく成長したことがわかる。ヴェネツィアと江戸は、17世紀から人口密度が増加し、都市化していった。一方バンコクは、変動と不安定の時代に急成長し始めてから1世紀も経っていない。次に、タイの都市文化という観点からバンコクをとらえる。バンコクは、中部タイのチャオ・ブラヤー川三角州という、水を基盤とした文化圏に属している。都市の成立に寄与した地理・気候、そして社会文化の面から検討してみる。

第2章水の都の構成概念の変化

 全体的な見地からバンコクの変遷を調べる。都市の概念モデルの変化と、それがいかに実際の都市構造の変化に影響したかをみる。すると、3つの時期にそれぞれの概念図が確認される。

 まずバンコクは、インドの影響下にあるクメール朝都市のモデルを適応してつくられた古都アユダヤーを原型として成立する。都市全体は、中心と周縁という互いに影響しあう二つの部分から成る。中心部はラタナコシン島として強調され、市壁、城砦、濠による空間の層で秩序づけられた階層構造をもつ。しかし、人口のほとんどは周縁部に漂う共同体に住み、農業に従事して都市を養っている。

 次の時期には、西欧の植民地政策の脅威のもとで、都市のモデルは伝統的なものから植民地的なものへと移行し、二つの大きな変化がおこる。中心部では、伝統的な構成要素であった市壁と濠は、西欧都市の構成要素である道路などの基本的施設と西欧風の建造物にとってかわられる。一方、周縁部では、国際交易による農産物の需要急増に応じて、新しい土地の開墾が必要であった。こうして都市の拡張は、周縁部に運河を掘ることから着手され、綿密な水路網が生まれる。全体としてバンコクは、水から陸に適応した都市への、かつ伝統的都市から近代的都市への変化の端緒となる、分裂症ともいえる状態にある。

 そして、三番目の時期は、第二次世界大戦後の人口急増を契機とした近代化の時代に現れる。バンコクをあらゆる面におけるタイの中心とする政策がとられたところであった。必要となればスプロールしていくことのできる何もない田園地帯の真中に中心部が存在するものと思い浮かべられたので、中心部と周縁部の関係は無視される。運河網を破壊して、道路を敷設することで、中心部は驚くべき拡がりをみせる。中心部が拡張するにつれて、周縁部にあった水を基盤とする村落はスプロールにのまれて消失し、建て込んだ地域は拡がりすぎて、交通状況が悪化する。

第3章都市化と水路形態

 危機に瀕した水を基盤とする共同体について、また無計画な都市化がもたらした変化について、より部分的な視野で調査をする。バンコクのノイ運河流域が考慮にいれられる。なぜなら、l)古くから人が住み、特有の歴史をもっている 2)水に適合した体制で輸送網などが非常に活発に機能しているが、ある地域はすでに都市化の波に浸食されているからである。

 そこで、ノイ運河に沿った4つの地域について資料を収集し、徹底した調査をする。これらの4例は、水に適合した集落という共通点をもった異なる4種のケースである。第1例のバン・ヤイは農業地帯で、水と陸双方のシステムに適合した地元の商業区域をもつ。第2例のバン・クー・ヴィアンは典型的な水を基盤とした農業共同体である。第3例のバン・クルエはかつて農業共同体であったが、郊外住宅の建設を強いられてきた。第4例のバン・ブは、商業区域と工業区域の混合した共同体である。4例すべてを 1)共同体の空間的または形式的な構成と、それらの顕著な特徴 2)異質なものが互いに浸食しあう都市化の効果と変遷のパターンという観点から調べる。

 共同体の大部分の土地が農業に利用され、「水の論理」なる最も本質的な構造を、見て確認することができる。水は最も必要とされ、皆が水際に定住しようとするので、細長い帯状の長方形単位がその短辺を運河に沿わせて並列し、特徴ある土地区画のパターンをつくる。すべての例における土地区画図が、この構造を強く示している。さらに、運河から離れた奥へ水を引くために、支流の小運河が土地区画の境界線に沿って、もとの運河に直交するように掘られる。この水路網は、土地区画のパターンを繰り返し、魚の骨状のきれいな模様が全土に描かれることになる。また、水路綱はその構造と階層性を土地に刻み込んだので、現在の空間構成もそのように秩序づけられている。

 当然ながら建築の配置もこの論理的構造に従い、それを確固としたものにしている。住宅は水際に位置し、運河に沿った線状の集合体を形成する。その集合形態は、物理的にも社会的にも水のシステムに基づいていることが明らかになる。物理的には、人は線状の「路」に支配された方向感覚をもち、水の秩序により空間の方向付けをして住居を建てる。社会的には、水のシステムは、人にその土地に従属しているという意識を植えつる。言いかえると、人は名のついた運河を指標にして共同体への帰属を認識する。このように水の論理は、物質的にも社会的にも共同体の空間構成に寄与している。

 他の興味深い特徴は、空間構成が緩い構造をもっていることである。たとえ水のシステムが、はっきりとした階層性を空間に表すとしても、それはかなりの柔軟性も同時に与える。区画内での建築の配置には、物理的に変化の幅があり、個々の建築の集合の仕方にも、少ない規則による厳格な構成が要求されるわけではない。また、建築がおかれる区画内の環境は、極めて個別性が強く、状況に左右されるものであるから、まにあわせの増築などの処置に依存している。水とともに生活することは、建築形態とその集合形態に、高度な柔軟性を要求する。

 都市のパターンの変遷については、都市領域の拡張と道路建設による都市化にともない、以下の徴候が観察される。

 1)共同体の中心、あるいは、活動の核となる区域の移動。ほとんどの場合、都市の中心部からの陸路が周縁部の共同体に達し、陸を生活基盤とした人々が増えると、共同体の中でも活動の核となる区域は、陸に適合した場所に移る。結果として、建築の配置と向きが水際から道路際へ変わるばかりか、共同体の中心は、陸上の交通網が支配する新しい場所に移転する。かつての、水路を基盤としていた中心区域は、衰退してなくなる。

 2)魚の骨状のパターンの形成。これは、水の論理とそれによる空間構成の直接の結果として、ほとんどの場合に観察される顕著な現象である。都市の拡張に典型的にみられる都心から周縁への道路の延長と同時に変化がおこり始める。都心からの幹線の敷設の後、特に全体計画のない状況で、個人が土地区画の境界線に沿って多くの支線道路をつくる。新しい道路網によりある区域が便利になると、土地開発業者がそれらの土地を買収し始める。地主は、通常区画内の部分を売って、水際にある住宅を手元に残す。後に、住宅建設計画が、売却された土地で進行する。しかし、すべての計画が細長い帯状の区画の形状に従うので、住宅の配置パターンが水路網の構造と類似してくる。一方、開発される宅地が増えるにつれて、運河が汚染され農業活動が停滞する。この時点で、商店などの集まる活動の核となる区域は、陸のシステムに好都合な場所に移っていて、水を生活基盤としていた区域は、陸路へのまともな接近手段のないまま荒廃したスラムと化す。

 この都市化の過程でつくられた陸の構造は、既存の水の構造を書きうつしているにすぎない。魚の骨状の模様が、都市化されたバンコク周縁部のほとんど全域に描かれているのがわかり、変遷の過程もノイ運河の例と類似している。

第4章結論

 都市化の過程と、その際の土地区画パターンの変化とともに、水の共同体の特性が第3章で確認された。

 バンコクの建て込んだ区域が周縁部にまで拡がったのは、第2章でみたように1960年代のことであり、この時期以降に都市化された地域は、第3章での分析に一致する。

 確かに1960年代以降に都市化された大部分の地域で、魚の骨状の水路網のパターンがみられる。ここ20年に発展した地域ではこの現象が特に顕著である。道路網は水路網の模様を複写しているに近い。地域によっては、土地区画のパターンは、地図上にも表れている。

 現状は、一本の幹線に100本を下らない支線が直接連結し、バンコクの大部分を「支線の地域」が占める。そして、長くなって複雑化した無数の支線が合流する幹線では、交通渋滞が慢性化している。

 この現象は以下の二大要因によっておこる。

 1)バンコクは、もともと水の論理が空間構成を秩序付けていた地域へ膨張し、確固とした計画のないまま都市化が進行した。よって、既存の水の構造は存続して、新しい交通網と都市構造にそのまま模写された。

 2)無計画な都市化は、つくろうとする都市の概念モデルの欠乏を反映する。そこでは、周縁部での道路建設と運河掘削の類似にみられるように、潜在的な造形手法が適用される。双方とも、新しい土地を開拓するのに、周縁へ向かって陸路または水路を建設することにより拡張していくという着想をもっている。また、まず幹線を敷き、支線をつくるのは個人に任せるという手法も共通している。

 結論として、既存の水の論理に加えた無計画な都市拡張は、バンコクを,実体のない水の構造をもつ都市にした。

審査要旨

 本論文は、都市空間の形成の過程における水路の果たす役割について、タイの中心都市バンコクの実例にもとづいて分析、考察したものである。古くから水路は交通の重要な手段であったことから、都市空間の重要な形成因であった。ヨーロッパにおけるヴェネチアやアムステルダム、あるいは日本の各都市についてその研究は進んでいるが、アジアの諸都市については、未だそうではない。この研究は、植民地化の時代を通過して、今日急速に近代化し、かつ膨張しつつあるバンコクについて、その都市の変化の過程を、都市形態全体と、それを構成する建築の、個々の要素の両面から調べたものである。著者は、歴史的文献や現在の都市計画諸資料の他に、いくつかの水路とそれに面する建築物について、綿密に実地調査を行い、その図面を製作し、その上で分析、考察を行っている。

 第1章では、世界的な観点からバンコクを他の水の都と比較考察し、バンコクが、植民地化と近代化の時代をとおして大きく成長した実態を明らかにしている。次に、タイの都市文化という観点からバンコクについて考察し、バンコクが、中部タイのチャオ・プラヤー川三角州という、水を基盤とした文化圏に属しつつ、都市を形成してきた、その地理、気候、そして社会文化の面からの特色を明らかにしている。

 第2章では、全体的な見地からバンコクの変遷を調べ、都市の概念モデルの変化と、それがいかに実際の都市構造の変化に影響したかを考察し、その結果3つの時期を区分する。すなわち第1は、インドの影響下にあるクメール朝都市のモデルを適応してつくられた古都アユダヤーを原型として成立した時期。第2は、西欧の植民地政策の脅威のもとで、都市のモデルは伝統的なものから植民地的なものへと移行した時期で、この時、周縁部に運河を掘ることから着手され、綿密な水路網が生まれる。そして第3の時期は、第二次世界大戦後の人口急増を契機とした近代化の時期である。この時、中心部と周縁部の関係は無視され、運河網は破壊され、道路が敷設されることで、中心部は驚くべき拡がりをみせる。中心部が拡張するにつれて、周縁部にあった水を基盤とする村落はスプロールにのまれて消失し、建て込んだ地域は拡がりすぎて、交通状況が悪化する。

 第3章では、危機に瀕した水を基盤とする共同体について、また無計画な都市化がもたらした変化について、より細かく具体的に考察するために、バンコクのノイ運河流域がとりあげられる。ノイ運河に沿った4つの地域について資料を収集し、徹底した調査が行なわれた。これらの4例は、水に適合した集落という共通点をもった異なる4種のケースである。第1例のバン・ヤイは農村地帯で、水と陸双方のシステムに適合した地元の商業区域をもつ。第2例のバン・クー・ヴィアンは典型的な水を基盤とした農業共同体である。第3例のバン・クルエはかつて農業共同体であったが、郊外住宅の建設を強いられてきた。第4例のバン・ブは、商業区域と工業区域の混合した共同体である。4例すべてが 1)共同体の空間的または形式的な構成と、それらの顕著な特徴 2)異質なものが互いに浸食しあう都市化の効果と変遷のパターンという観点から調べられた。

 その結果、都市のパターンの変遷については、都市領域の拡大と道路建設による都市化にともない、以下の徴候が見出された。

 1)共同体の中心、あるいは、活動の核となる区域の移動。ほとんどの場合、都市の中心部からの陸路が周縁部の共同体に達し、陸を生活基盤とした人々が増えると、共同体の中でも活動の核となる区域は、陸に適合した場所に移る。結果として、かつての、水路を基盤としていた中心区域は、衰退してなくなる。

 2)魚の骨状のパターンの形成。これは、水の論理とそれによる空間構成の直接の結果として、ほとんどの場合に観察される顕著な現象である。都市の拡張に典型的にみられる都心から周縁への道路の延長と同時に変化がおこり始める。この時点で、商店などの集まる活動の核となる区域は、陸のシステムに好都合な場所に移っていて、水を生活基盤としていた区域は、陸路へのまともな接近手段のないまま荒廃したスラムと化す。

 第4章では、バンコクの建て込んだ区域が周縁部にまで拡がった1960年代以降に都市化された地域についての考察である。1960年代以降に都市化された大部分の地域で、魚の骨状の水路網のパターンがみられる。ここ20年に発展した地域ではこの現象がとくに顕著である。道路網は水路網の模様を複写しているに近い。地域によっては、土地区画のパターンは地図上にも表れている。現状は一本の幹線に100本を下らない支線が直接連結し、バンコクの大部分を「支線の地域」が占める。そして、長くなって複雑化した無数の支線が合流する幹線では、交通渋滞が慢性化している。

 その原因は次の2点にあることを著者は明らかにする。

 1)バンコクは、もともと水の論理が空間構成を秩序付けていた地域へ膨張し、確固とした計画のないまま都市化が進行した。よって、既存の水の構造は存続して、新しい交通網と都市構造をそのままに模写されたこと。

 2)都市の概念モデルが無いままの無計画な都市化は、周縁部での道路建設と運河掘削の類似にみられるように、周縁へ向かって陸路または水路を無反省に建設し拡張していったこと。そしてその結果として、既存の水の論理に加えた無計画な都市拡張が、バンコクを、実体のない水の構造をもつ都市にしたことが具体的に明らかにされる。

 本研究は、都市空間の形態論的理解に新しい観点を導入すると共に、今後の都市開発、都市デザインの手法に有効な示唆を与えるものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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