本論文は、都市空間の形成の過程における水路の果たす役割について、タイの中心都市バンコクの実例にもとづいて分析、考察したものである。古くから水路は交通の重要な手段であったことから、都市空間の重要な形成因であった。ヨーロッパにおけるヴェネチアやアムステルダム、あるいは日本の各都市についてその研究は進んでいるが、アジアの諸都市については、未だそうではない。この研究は、植民地化の時代を通過して、今日急速に近代化し、かつ膨張しつつあるバンコクについて、その都市の変化の過程を、都市形態全体と、それを構成する建築の、個々の要素の両面から調べたものである。著者は、歴史的文献や現在の都市計画諸資料の他に、いくつかの水路とそれに面する建築物について、綿密に実地調査を行い、その図面を製作し、その上で分析、考察を行っている。 第1章では、世界的な観点からバンコクを他の水の都と比較考察し、バンコクが、植民地化と近代化の時代をとおして大きく成長した実態を明らかにしている。次に、タイの都市文化という観点からバンコクについて考察し、バンコクが、中部タイのチャオ・プラヤー川三角州という、水を基盤とした文化圏に属しつつ、都市を形成してきた、その地理、気候、そして社会文化の面からの特色を明らかにしている。 第2章では、全体的な見地からバンコクの変遷を調べ、都市の概念モデルの変化と、それがいかに実際の都市構造の変化に影響したかを考察し、その結果3つの時期を区分する。すなわち第1は、インドの影響下にあるクメール朝都市のモデルを適応してつくられた古都アユダヤーを原型として成立した時期。第2は、西欧の植民地政策の脅威のもとで、都市のモデルは伝統的なものから植民地的なものへと移行した時期で、この時、周縁部に運河を掘ることから着手され、綿密な水路網が生まれる。そして第3の時期は、第二次世界大戦後の人口急増を契機とした近代化の時期である。この時、中心部と周縁部の関係は無視され、運河網は破壊され、道路が敷設されることで、中心部は驚くべき拡がりをみせる。中心部が拡張するにつれて、周縁部にあった水を基盤とする村落はスプロールにのまれて消失し、建て込んだ地域は拡がりすぎて、交通状況が悪化する。 第3章では、危機に瀕した水を基盤とする共同体について、また無計画な都市化がもたらした変化について、より細かく具体的に考察するために、バンコクのノイ運河流域がとりあげられる。ノイ運河に沿った4つの地域について資料を収集し、徹底した調査が行なわれた。これらの4例は、水に適合した集落という共通点をもった異なる4種のケースである。第1例のバン・ヤイは農村地帯で、水と陸双方のシステムに適合した地元の商業区域をもつ。第2例のバン・クー・ヴィアンは典型的な水を基盤とした農業共同体である。第3例のバン・クルエはかつて農業共同体であったが、郊外住宅の建設を強いられてきた。第4例のバン・ブは、商業区域と工業区域の混合した共同体である。4例すべてが 1)共同体の空間的または形式的な構成と、それらの顕著な特徴 2)異質なものが互いに浸食しあう都市化の効果と変遷のパターンという観点から調べられた。 その結果、都市のパターンの変遷については、都市領域の拡大と道路建設による都市化にともない、以下の徴候が見出された。 1)共同体の中心、あるいは、活動の核となる区域の移動。ほとんどの場合、都市の中心部からの陸路が周縁部の共同体に達し、陸を生活基盤とした人々が増えると、共同体の中でも活動の核となる区域は、陸に適合した場所に移る。結果として、かつての、水路を基盤としていた中心区域は、衰退してなくなる。 2)魚の骨状のパターンの形成。これは、水の論理とそれによる空間構成の直接の結果として、ほとんどの場合に観察される顕著な現象である。都市の拡張に典型的にみられる都心から周縁への道路の延長と同時に変化がおこり始める。この時点で、商店などの集まる活動の核となる区域は、陸のシステムに好都合な場所に移っていて、水を生活基盤としていた区域は、陸路へのまともな接近手段のないまま荒廃したスラムと化す。 第4章では、バンコクの建て込んだ区域が周縁部にまで拡がった1960年代以降に都市化された地域についての考察である。1960年代以降に都市化された大部分の地域で、魚の骨状の水路網のパターンがみられる。ここ20年に発展した地域ではこの現象がとくに顕著である。道路網は水路網の模様を複写しているに近い。地域によっては、土地区画のパターンは地図上にも表れている。現状は一本の幹線に100本を下らない支線が直接連結し、バンコクの大部分を「支線の地域」が占める。そして、長くなって複雑化した無数の支線が合流する幹線では、交通渋滞が慢性化している。 その原因は次の2点にあることを著者は明らかにする。 1)バンコクは、もともと水の論理が空間構成を秩序付けていた地域へ膨張し、確固とした計画のないまま都市化が進行した。よって、既存の水の構造は存続して、新しい交通網と都市構造をそのままに模写されたこと。 2)都市の概念モデルが無いままの無計画な都市化は、周縁部での道路建設と運河掘削の類似にみられるように、周縁へ向かって陸路または水路を無反省に建設し拡張していったこと。そしてその結果として、既存の水の論理に加えた無計画な都市拡張が、バンコクを、実体のない水の構造をもつ都市にしたことが具体的に明らかにされる。 本研究は、都市空間の形態論的理解に新しい観点を導入すると共に、今後の都市開発、都市デザインの手法に有効な示唆を与えるものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |