学位論文要旨



No 111787
著者(漢字) 細川,和生
著者(英字)
著者(カナ) ホソカワ,カズオ
標題(和) マイクロ構造の自己組立て
標題(洋)
報告番号 111787
報告番号 甲11787
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3585号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,宏文
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 木村,文彦
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 助教授 下山,勲
内容要旨

 ウィルスや,バクテリアのべん毛などはタンパク質サブユニットが自発的に集合することによって形成される[1][2].これは自己組立て(self-assembly,自己集合)と呼ばれる現象で,将来,マイクロ構造製作の有力な手法になりうる.また,自己増殖機械の実現につながる可能性もある.

 本論文では次の二つの問題を扱う.問題1自己組立て現象を定量的に取り扱うにはどうしたらよいか,という理論的な問題.問題2実際に小さな構造を自己組立てさせるにはどうしたらよいか,という技術的な問題.本論文はそれぞれの問題に対して基礎的な部分をカバーするものである.

自己組立て系のダイナミクス

 まず,問題1については速度方程式(rate equation)およびマスター方程式(master equation)という手法を提案する[3][4].これらは化学反応速度論,個体群動態論においてメジャーな方法であるが,自己組立て系に適用されたことは過去にない.系の素過程の情報が得られたとき,これらの方法により系全体の統計的な挙動を予測することができる.これらの方法は従来のシミュレーション法にくらべて計算の労力と時間を軽減することができる.ただし適用できるシステムは,多数のクラスタ群が少数の集合に分類可能な,比較的単純なものに限られる.

 Fig.1のような自己組立てラージモデルを製作し,実験した.この系を例に取り,速度方程式とマスター方程式を説明する.この系の安定なクラスタはFig.1(c)に示す6種類であり,この系の素過程(反応)は以下の9種類である.

Fig.1自己組立てラージモデル(単位:mm).(a)ユニット.(b)平面内に拘束するためのケース.(c)各クラスタ.

 

 Xiの個数をxiとすると,次の速度方程式は状態ベクトルx=(x1,x2,…,x6)の統計的なふるまいを記述する.

 

 ただし,係数行列Aの(i,j)成分は式(1)の第j番目の反応におけるXiの係数である.ステップtはクラスタ同士の衝突回数を表す.確率ベクトルP(x)の第j成分は第j反応が起きる確率である.

 Fig.1(a)のユニットを100個製作して実験した.Fig.2は速度方程式の状態空間における解軌道を実験結果と比較したものである.ユニット個数が少ないため実験結果はばらついているものの,おおむね妥当な結果といえる.

Fig.2状態空間におけるラージモデルの実験結果と速度方程式の解軌道.

 上記の速度方程式は状態ベクトルxの平均値のダイナミクスを記述する.一方,マスター方程式;

 

 は確率分布関数p(x;t)のダイナミクスを記述するものである.p(x;t)はステップtにおいて状態xをとる確率である.w(x,x’)はx’からxに遷移する確率である.マスター方程式は速度方程式より詳細な情報が得られるが,計算量も大きい.ユニット数が少ない場合に適した方法である.

マイクロ構造の自己組立て技術

 問題2については表面張力を利用して薄膜構造を2次元的に自己組立てさせる技術を提案する.従来のマイクロ自己組立ての研究例においては結合力に重力が用いられていた[5][6].本研究で用いた表面張力は部品同士のローカルな相互作用であり,より複雑なものがつくれる可能性がある.また,表面張力は小さな世界で支配的な力である.

表面張力の性質

 一様重力場において,Fig.3のように水面上に浮遊するに平板状物体を考える.沈み量が微小ならば,水面の形状z(x,y)は次のような方程式に従う.

 

 ただしkは定数である.

Fig.3一様重力場において,水面上に水平な姿勢で浮遊するに平板状物体.

 数値計算などにより式(4)の解が得られたとき,水に蓄えられるエネルギー Uは

 

 によって計算できる.ただしuSは表面自由エネルギー密度,uGは重力によるポテンシャルエネルギー密度であり,それぞれ

 

 と定義される.は水の表面張力である.

 エネルギーUは物体位置qの関数U(q)となる.物体に働く力Fは

 

 として求められる.

 理論的考察や,基礎実験の結果から表面張力は次のような性質を持つことが分かった.性質1等しい高さに位置する物体同士は引き合う.性質2この引力はとがった部分に特に強く働く.性質3異なる高さに位置する物体同士は互いに反発する.これらの性質を利用して,表面張力による結合に選択性を待たせることができる.

試作例1

 本論文では2種類のマイクロ構造を製作し,自己組立て実験をした.いずれのタイプも各部品はシリコンプロセスで製作した400m程度の薄膜であり,水面に浮上して2次元的に自己組立てする.

 Fig.4(a)に試作例1のデザインを示す.Niは磁力を利用することを意図して入れたが,その後,自己組立てには本質的でないことが分かった.108個のユニットをFig.4(b)のように水面に浮上させ,外部から磁力によって撹拌すると,上記の表面張力の性質1,2によってとがった部分同士が結合する.Fig.4(c)のような完成体を意図していたが,Fig.4(d)のような結合も生じてしまうため,かなり無秩序な系となってしまった.完成体Fig.4(c)の収率は最大で約30%であった.

Fig.4試作例1.(a)デザイン.(b)実験方法.(c)完成体.(d)望ましくない結合.
試作例2

 Fig.4(d)のような不正な結合が生じないように改良したものがFig.5に示す試作例2である.上記の表面張力の性質3を利用するために構造の一部を上方に反らせている.Fig.5(b)の結合部Aと結合部Bは高さが違うため,これらは結合しない.

 ポリイミドとポリシリコンは熱膨張率が異なるため,それらを接合した膜は内部応力により反る.その曲率は膜厚を適正に設計することによりコントロールできる.また,構造の一部のみにポリシリコンを入れることにより望んだ部分だけを反らせることができる.

 試作例2ではこの反りの技術によりFig.4(d)のような不正な結合を排除することができた.また,Niを用いるのをやめ,Fig.5(c)のように機械的な揺動のみによりユニットをランダム運動させた.

Fig.5試作例2.(a)デザイン.(b)構造の反り方.(c)実験方法.

 この系を速度方程式を用いて解析した.実験結果との比較をFig.6に示す.理論値Aはラージモデルとほぼ同様に計算したものであり,一方,理論値Bは理論値Aと大部分同じであるが,ユニットと3-クラスタとの結合が起こらないと仮定したものである.理論値Bが実測値に近い.実際,上記の結合は起こりにくいことが目視によっても観察できた.この理由は,両者が結合するためにはFig.7のように,反発する結合部が一時的に接近する必要があり.ここにエネルギー障壁があるためと考えられる.

Fig.6試作例2のダイナミクス.矢印は時間の向きを表す.Fig.7結合しようとするユニットと3-クラスタ.結合部に働く引力と斥力は主なものだけ示した.
展望

 本研究では水の表面張力を利用してマイクロ構造を自己組立てさせた.一方,タンパク質分子が1次元のペプチド鎖から折りたたまれて3次元的な構造をつくったり,また,それらが自己組立てするための主な駆動力は疎水性相互作用である[8]疎水性側鎖が構造の内側に包み込まれるようにして水分子から遮断される.疎水性相互作用は周囲の水の自由エネルギーを最小化するはたらき,という意味において表面張力と同質の現象といえる.本論文は,このような水とのミクロな相互作用による自己組立てを初めて人工のシステムで実現し,それが分子スケールでなくミクロンオーダでも可能であることを示した.

参考文献[1]Casper,D.L.D.,"Movement and Self-Control in Protein Assemblies―Quasi-Equiva-lence Revised,"Biophysics Journal,Vol.32,pp.103-138,(1980).[2]Jones,C.J.and Aizawa,S.,"The Bacterial Flagellum and Flagellar Motor―Structure,Assembly and Function,"Advances in Microbial Physiology,Vol.32,pp.109-172,(1991).[3]Hosokawa,K.,Shimoyama,I.,and Miura,H.,"Dynamics of Self-Assembling Sys-tems―Analogy with Chemical Kinetics―,"Artificial Life,Vol.1,No.4,pp.413-427,(1995).[4]Saito K.,Jakiela,M.J.,"Automated Optimal Design of Mechanical Confomational Swiches,"Artificial Life,Vol.2,No.2,(1995).(in press)[5]Cohn,M.B.,Kim,C.J.,and Pisano,A.P.,"Self-Assembling Electrical Networks:An Application of Micromachining Technology,"Proc.Transducers’91,pp.490-493,(1991).[6]Yeh,H.J.and Smith,J.S.,"Fluidic Self-Assembly of Microstructures and its Applica-tion to Integration of GaAs on Si,"Proc.MEMS,pp.279-284,(1994).[7]Ataka,M.,Omodaka,A.,Takeshima,N.,and Fujita,H.,"Fabrication and Operation of Polyimide Bimorph Actuators for a Ciliary Motion System,"J.of MEMS,Vol.2,No.4,pp.146-150,(1993).[8]Lehninger,A.L.,"Biochemistry,"New York,Worth Pablishers,Inc.(1975).
審査要旨

 本論文は「マイクロ構造の自己組立て」と題し、4章からなっている。

 従来の機械に比べて、遥かに小さな寸法のマイクロ機械が1987年頃から注目されるようになり、わが国をはじめとして、いくつかの国で国家規模の研究プロジェクトが実施されはじめた。サブミリ寸法の機械部品やアクチュエータの製作例は年を追って多数報告されてきているが、マイクロ構造を組立てることの困難さが問題となりはじめてきた。そこで本論文では、マイクロ構造が自動的に組み立てられる技術の開発を目指した研究がとり扱われており、その成果が述べられている。ウィルスやバクテリアのべん毛などはタンパク質サブユニットが自発的に集合することによって形成される。これは自己組立て(self-assembly,自己集合)と呼ばれる現象でこのメカニズムは、将来、マイクロ構造製作の有力な手法へとつながる可能性は大きいと主張されている。自己増殖機械の実現への発展も考えられるのである。

 第1章「序論」では、上記のような研究の背景と論文の概要が述べられ、本論文が取り扱う問題は、つぎの2つであることが示されている。すなわち、問題1は、自己組立てという現象を定量的に取り扱うにはどうすればよいかという理論的な問題。問題2は、実際に小さな構造を自己組立てさせるにはどうしたらよいか、という技術的な問題である。工学分野における自己組立ての研究は散発的に行われてきたが、いまのところ全く体系化されていない。しかし、本章ではPenroseの研究など、いくつかの代表的な研究成果が整理されている。また、MEMS(micro-electromechanical systems)の製作についてのこれまでの手法を紹介し、本研究との比較を行っている。そこでは、部品の結合力として表面張力を利用していることが本研究の大きな特徴であることが強調されている。

 第2章「自己組立て系のダイナミクス」では、自己組立て系の素過程に関するミクロな情報と系全体の挙動に関するマクロな情報を結びつける方法が述べられている。基本的なコンセプトは化学反応速度論のアナロジーを自己組立て系に適用するということである。実験は、ラージモデル・ユニット(1辺2センチの正三角形板で、2辺の側面に永久磁石が埋め込まれている)で行われた。多数のユニットを容器の中で機械的に撹拌すると、ユニットが1個から6個までの6種類のタラスタが確率過程として形成されるが、この過程を化学反応式のような形で記述する。これは速度方程式(rate equation)と呼ばれる。一方、クラスタの確率分布のダイナミクスはマスター方程式(master equation)として表わされる。各クラスタの個数の分布の時間的遷移によって、理論と実験の比較を行っているが、よい一致を見ている。また、ユニットに2状態(自己組立てしない不活性状態と自己結合する活性状態)が不可逆的に切り替えられる機構を作り込む工夫をして、よりインテリジェントな秩序だったやり方で自己組立てを行うことも試みて成功している。

 第3章「マイクロ構造の自己組立て技術」では、シリコン微細加工で製作したマイクロ部品を、表面張力を利用して2次元的に自己組立てさせる技術について述べている。まず表面張力による結合力について、理論的・実験的な考察が行われている。水面に浮上した物体の間には、表面張力による引力または斥力が働く。これはマイクロスケールではじめて問題になる現象で、力の方向や大きさが物体の形状、相対位置などとどのような関係になるかが詳細に検討されている。基本的にはつぎの二つの特性が自己組立てに利用される。(1)とがった突起同士が結合しやすい。したがって、結合させたい部分はとがらせればよい。(2)とがっていても沈み量の異なる場合(同じ水平面内に存在しない場合)は結合しない。したがって、部品に構造的な反りをもたせることにより、特定の結合部ペアのみを結合させることができる。

 実験では、半円形の板の直径部(400ミクロン)に正三角形の突起(一辺が200ミクロン位)がついている形状(扇形に近い)の厚さ数ミクロンの多結晶シリコン板を部品として水上に多数浮かして2次元的に自己組立てを行う。正三角形の突起部は、アルミ蒸着、リン酸によるエッチングなどで反りを持たせて、選択的結合性を有するようにしてある。部品が4枚で円形に近い形状の結合構造が仕上がる。初期段階では、部品にニッケル層をはさみ込み、磁力と表面張力とで結合させようとしたが、表面張力のみの方がかなり良い結果となったので、最終的にはニッケル層は除き、反りによる表面張力の選択性のみの利用で、収率のよい自己組立てが行えた。

 第4章「結論」では、本論文の結論がまとめられている。

 本論文では、マイクロ寸法の構造であるからこそ利用できる表面張力によって自己組立てを行うことを工学的な立場から論じたものであるが、水の自由エネルギーを最小化する働きという意味において同質と考えられる疎水性相互作用は、自然界では、ミオグロビンなどの水溶性の球状タンパク質の3次元形状への折りたたみとか、折りたためられたタンパク質同士の結合などに現実に作用している。本論文の成果は、将来、3次元的な組立てへの発展も十分に可能であると考えられる。

 以上を要するに、本論文はマイクロ構造をもつ微小な機械を組立てるための技術のひとつとして、新しい自己組立て技術を提唱したものである。今後、マイクロマシンの研究開発に資するところ多く、機械工学に寄与するところが少くない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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