学位論文要旨



No 111790
著者(漢字) 堀,俊夫
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,トシオ
標題(和) 操作環境伝送型遠隔加工システムの研究
標題(洋)
報告番号 111790
報告番号 甲11790
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3588号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,高明
 東京大学 教授 畑村,洋太郎
 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 教授 舘,すすむ
 東京大学 助教授 光石,衛
内容要旨

 現在、富・知識・技術の偏在が大きな問題となっており、これを解消するために人間同士の「知識の共有」や「知識の伝承」を実現する技術が望まれている。本論文で述べる「操作環境伝送型遠隔加工システム」は、特に「加工」に関する知識の共有と伝承を実現するものである。すなわち、遠隔地間に離れた複数の人間が同時に一台の加工機械を操作できるようにすることで、遠隔地間の人間同士の知識の共有を図ると同時に、これらの人間の一人を教師とみなすことで知識の伝承を実現可能とする。

 操作環境伝送型遠隔加工システム(図1)は、加工機械とそれを操作する人間(操作者)が互いに遠隔地に存在する時に、両者の間で情報を伝送することで操作者が遠隔地の加工機械を臨場感を有しながら操作し加工することを可能とする。

図1:操作環境伝送型遠隔加工システムの概念

 これにより、(i)距離を超越した資源の有効活用、(ii)操作者と加工機械の数的関係の多様化、(iii)ユーザ・インタフェースの同一性、(iv)加工機械への容易なアクセス、といった利点を持つシステムとなる。このときシステムには(a)情報獲得・伝送機能、(b)情報抽出・圧縮機能、(c)現象予測機能、(d)情報変換・提示機能、(e)フェイルセイフ機能、(f)学習機能が不可欠である。

 複数の操作者が一台の加工機械の制御をおこなうとき、システムを制御するソフトウェア(プロセス)はネットワークを通じて接続し、互いに情報を交換することで全体として協調動作をおこなう。ここで複数のプロセス同士が互いに必要な数だけ接続をおこなうと、操作者の増加に連れて接続本数は膨大となり破綻をきたす。そこで、個々のプロセスを機能分離された「エージェント」とみなし、さらに、情報の流れを統括するサーバを用意することで、明解な形の接続を実現する。この結果、システム全体として情報の流れが明確になるだけでなく、各サイトが自律的動作をとることが可能になり、また、ソフトウェアの開発も容易になる。

 操作環境伝送型遠隔加工システムで最も特徴的かつ重要なのは、操作者に対して「加工の臨場感」を与えるための情報提示とその手法である。加工をおこなう際に人間は自らの有する感覚器官から得られる情報を可能な限り利用して加工現象を認識し、作業をおこなう。したがって、本システムにもそのような臨場感溢れる情報を提示する機能が不可欠である。しかし、(i)通信にともなう時間遅れや(ii)獲得できない情報の欠落等の問題があるため、センサによって獲得した情報をそのまま操作者に提示するだけでは臨場感が得られない。そこで(1)情報の予測提示、(2)情報の強調提示、(3)情報変換法という概念および手法を提案し、これらを利用して、力覚・触覚・視覚・聴覚情報を操作者に提示する手法を実現する。

 力覚情報の予測提示―加工において、反力情報は加工現象を認識する上で非常に重要な役割を果たしており、本システムでも力覚情報を操作者に提示する機能は不可欠である。しかし、実際の加工反力は図2に示すように時間的に大きく変動する上、さらに情報の伝送にともなう時間遅れも存在するため、実際の加工反力を操作者にそのまま提示することは操作感の低下を招く。

 そこで、時間遅れを補償し、また、変動する加工反力を平滑化して操作者に対して提示する「時間遅れ補償型力覚情報提示手法」を提案する。これは図2に示す加工反力の軌跡の重心を、加工反力の代表値とみなすことで平滑化し、さらに加工の物理モデルを用いて操作者側のコンピュータ上に仮想の操作環境を構築することで、操作者には仮想環境によって求めた仮想加工反力を時間遅れなく提示する手法である。

図2:変動する加工反力

 実験結果を図3に示す。仮想加工反力は計算した値の0.1倍にして提示している。図の(a)と(b)を比較すると、大きく変動する加工反力が提案した手法で平滑化されていることがはっきりとわかる。また、(b)と(d)を比較すると、仮想加工反力は、倍率(×0.1)を考えると実際の加工反力とほぼ同じ値を示しており、さらに、(c)と(d)を比較すると仮想加工反力は操作者の操作に対して時間遅れなく反力を提示できている。

図3:力覚情報提示実験の結果

 加工状態の強調提示―加工をおこなう際には加工状態を正常に保つことが望ましい。すなわち、加工異常が発生した時に直ちに加工条件を変更して速やかに加工を正常に戻すことが必要である。人間が工具を手に持って加工をおこなっている場合には、工具を伝わって感じられる振動で加工状態を認識していると考え、「振動による加工状態の強調提示」を実現した。これは、加工機械側で判定した加工状態情報を操作者側に伝送し、操作システムの操作部に取り付けられた振動アクチュエータを振動させることで、操作者の触覚に加工状態を提示する手法である。

 加工表面の予測・強調提示―振動による加工状態の強調提示では現在の加工状態についての情報は得られるが、実際におこなわれた加工結果についての情報は得られない。しかし、どのように加工がおこなわれたかという情報は、「加工に関する知識」を身につける上でも非常に重要である。そこで、人間は加工結果を加工表面の状態で判断していると考え、「加工表面の予測・強調提示手法」を実現した。

 本システムのように実際の工作物が遠隔地にある場合、加工表面の状態を観察することは非常に難しい。そこで、加工の際に発生する加工反力情報に「力覚情報-視覚情報変換」を施し、加工表面の状態を予測し強調して提示する。図4に実験結果を示す。

図4:加工表面予測・強調提示実験の結果

 この実験は加工異常が発生しやすい条件でおこなった。そのため、工作物の中央付近で加工異常が発生し、工作物の表面粗さからもそれが見てとれる。これに対して、加工反力情報から予測・強調提示した加工表面画像にもまったく同様の模様が再現できており、提案した手法は有効である。

 形状情報の予測提示―本システムでは加工機械の周囲に配置したカメラで獲得した画像情報を操作者に提示するが、この情報には時間遅れを伴う。そこで、操作者のおこなった操作情報を基に、コンピュータ・グラフィクスによって工具と工作物との位置関係を表示する「形状情報の予測提示」を実現した。これにより、操作者は現在おこなっている操作によってどのような形状に工作物が加工されるか知ることが可能になる。

 聴覚情報の予測・強調提示―人間は加工音によって加工状態を知ることが可能である。一般に、正常な加工がおこなわれている場合の加工音は低い音を保つが、加工異常が発生すると、正常な加工音に高周波成分が重畳して高い音が聞こえるようになる。すなわち、加工音によって加工状態を提示することが可能である。しかし、ここでも情報伝送にともなう時間遅れの問題は存在し、そこで「力覚情報-聴覚情報変換」によって加工反力情報から仮想加工音を生成して提示する。

遠隔加工実験

 提案した情報提示手法の有効性を確認するために、構築したシステムを用いた遠隔加工実験をおこなった。加工機械は東京大学の筆者の所属する研究室に設置されており、操作システムは(i)日本国内(東京・千葉・筑波)、(ii)アメリカ合衆国(Washington D.C.)、(iii)ドイツ(Karlsruhe)等、様々な場所に設置した。加工機械と操作システムとの間の情報伝送には、人工衛星・電話回線・Internet等を利用した。実験の結果、予測提示される情報は操作をおこなう上で有効であり、構築したシステムによって実際に加工をおこなえることが確認できた。また、実際に加工機械を利用したことがない人間でも、このシステムを用いて容易に加工機械を利用できることも確認できた。

遠隔教育・協調加工実験

 本研究の目的である複数の人間同士の知識の伝承・共有がおこなえることを確認するために、構築したシステムを用いた遠隔教育・協調加工実験をおこなった。加工機械は東京大学に位置し、操作者は互いに離れた2地点(千葉・筑波)に存在する。実験では、まず、加工機械の初心者に、加工機械の操作に習熟した人間が本システムを用いて操作方法を教える「遠隔教育実験」をおこなった。その結果、初心者であっても容易に加工機械を操作できることが確認できた。その後、二人の操作者同士が相談しながら加工をおこなう「協調加工実験」をおこなった。実験中、一方の操作者が誤操作をおこないそうになった時には、他方の操作者が相手の操作に介入することで、所望の加工をおこなうことができた。これにより、本論文で構築したシステムを用いることで「加工」に関する知識の伝承と共有がおこなえることがわかった。

 本論文では遠隔地間の複数の人間が同時に一台の加工機械を操作するためのシステムについて、(i)システムを構築する上で必要な機能を示し、(ii)ソフトウェアの構築法を述べた。また、(iii)遠隔加工を可能とするハードウェア・システムを構築し、(iv)臨場感情報を提示する様々な情報提示手法を提案し実装した。さらに、実験によって本論文で提案・構築したシステムの(v)情報提示手法の有効性および(vi)遠隔教育・協調加工の実現可能性を確認した。

 本研究では「加工」に関する知識の共有・伝承の実現を目指したが、これは要するに、複数の人間の集団としての技術レベルの向上と創造性支援と言える。さらに、誰でも容易に加工をおこなえる環境を提供することで、本システムは個人の創造性を支援し発揚するシステムともなりうる。その点で本研究は、国や企業といったマクロ・レベルから個人のようなミクロ・レベルに至るまでの「創造性支援」に貢献する研究と位置付けられる。

審査要旨

 本論文は「操作環境伝送型遠隔加工システムの研究」と題し、全8章よりなる。

 富・知識・技術の偏在は現在世界が抱える問題の一つであり、この問題を解決するために複数の人間が知識を共有し伝承できる技術が望まれている。遠隔地に離れた人間同士が知識を共有・伝承できれば知識の偏在は解消され、その結果、技術の偏在も解消されると期待できる。

 本研究では遠隔地に離れた複数の人間が「加工に関する知識」を共有し伝承できるシステムとして、遠隔地に存在する加工機械を複数の操作者が同時に操作できるシステムをハードウェアとソフトウェアの両面から構築し、操作者に加工の臨場感を提示できる情報提示手法を提案し実装する。そして、構築したシステムを用いることで、実際に加工をおこないながら操作者が「加工に関する知識」を共有・伝承できることが示されている。

 第1章「序論」では、操作環境伝送型遠隔加工システムの開発をおこなう目的と意義を述べ、本システムと関係する従来の研究を紹介している。

 第2章「操作環境伝送型遠隔加工システム」では、操作環境伝送型遠隔加工システムの思想を述べ、このシステムを用いることで得られる効果を示している。さらにシステムに要求される機能をまとめ、それらの機能を実現し得るシステムの基本構成を示している。本システムは遠隔地に存在する加工機械を操作者が臨場感を持って操作し加工できるシステムであり、これを用いることで、知識の伝承や共有に限らず、人間の持つ創造性が支援されるという効果が期待できることが示されている。

 第3章「操作環境伝送型遠隔加工システムのソフトウェア構築法」では、操作環境伝送型遠隔加工システムを制御するソフトウェア群の構築について述べている。本システムでは複数のソフトウェアが協調して動作することが必要であるが、従来のプロセス間通信技術のみではそれを実現することは難しい。そこで、本論文ではソフトウェア群の構造にマルチ・エージェントの概念を適用し、階層的なエージェント群によってソフトウェア群を構成する方法を提案している。これにより複数のプロセス間通信の構成が容易になり、さらに各プロセスおよび各オペレーション・ルームが自律分散的に動作することが可能となる。

 第4章「操作環境伝送型遠隔加工システムを構成するハードウェア」では、操作環境伝送型遠隔加工システムについて、実際に構築したハードウェアの構成を示している。中でも特徴的なのは、操作者に対して加工反力と同時に振動情報をも提示できる2+1次元ジョイスティックである。

 第5章「操作環境伝送型遠隔加工システムにおける情報提示」では、操作環境伝送型遠隔加工システムにおける操作者への様々な情報提示手法を述べている。本システムは遠隔地間で情報を伝送することで操作者に操作環境情報を提示するが、その際には情報伝送に伴う時間遅れやすべての情報をセンサで獲得できない等の問題がある。そのため、(i)情報の予測提示、(ii)情報の強調提示および(iii)情報変換法を提案し、これらを力覚・触覚・視覚・聴覚の提示に適用している。具体的には、力覚の提示は加工の物理モデルを利用し操作量から仮想加工反力を予測して提示している。触覚の提示は加工異常が発生した際にそれを振動として強調提示している。視覚提示は、実際の加工反力から情報変換により加工表面の状態を予測して強調提示する手法と、工具と工作物との位置関係を操作量から予測しその形状の変化を提示する手法を実現している。聴覚の提示は加工の物理モデルを利用して得た加工反力を情報変換して予測加工音として提示する手法を実装している。

 第6章「操作環境伝送型遠隔加工実験」では、構築したシステムを用いておこなった遠隔加工実験の結果を示し、その有効性を述べている。遠隔加工実験では、構築したシステムを用いて日本国内はもとよりアメリカ合衆国やドイツからも東京大学に存在する加工機械の制御ができることが確認されている。遠隔教育・協調加工実験では、熟練者が初心者に加工機械の操作方法を教示できているとともに、遠隔地に離れた操作者同士が共同で加工をおこなえることが確認されている。

 第7章「総括と今後の展望」では、構築したシステムについて考察を加え、操作環境伝送型遠隔加工システムが果たす役割について今後の展望を示している。

 第8章「結論」では、以上の成果をまとめている。

 以上を要するに本論文は、遠隔地に離れた複数の人間同士が実際に加工機械を操作しながら加工をおこなうことで加工に関する知識を共有・伝承できるシステムの基本構成を示し、そのハードウェア、ソフトウェアおよび情報提示手法を提案し実現したものであり、その成果は加工に関する知識の共有・伝承に限らず人間の創造性をも支援するシステムとして、今後、人間の知的生産活動の発展に寄与するところは大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54511