本論文は、微細加工によって製作した強誘電体圧電薄膜カンチレバーの周期的接触モード走査型力顕微鏡(SFM)への適用可能性について検討を行ったものである。 SFMは、原子間力顕微鏡(AFM)などの力を利用する走査型プローブ顕微鏡であり、現在既に表面解析のための確立した技術となっている。SFMは、先端に探針を有するカンチレバープローブと、カンチレバーの変位を測定するセンサーから構成されており、ラスター走査されているプローブが原子間力引力・斥力に機械的に反応することを利用する。ところで、このSFMは試料表面を走査する際にカンチレバーを振動させるダイナミック型と振動させないスタティック型とに分類できる。ダイナミックSFMは現在スタティックSFMに代わって普及しつつあるが、それはダイナミックSFMが試料形状測定を非破壊的に行えるとともに、柔らかい試料や粘着性の試料の測定をも行えるという利点を有しているためである。しかし、普及型のシステムでは外部のカンチレバー変位検出部のために、SFMが大型かつ複雑になっている。さらに、変位検出部にはカンチレバーに対する高精度の調整が必要であり、走査中にもその調整を維持しなければならない。一方、圧電力センサーを用いたSFMは、外部変位センサーを必要としないためコンパクトなシステムである。このシステムは、従来の外部変位センサーを有するSFMシステムでは困難であった、大型試料観察,超高真空中および液中観察などを容易に行うことができる。ZnO薄膜を用いた圧電マイクロカンチレバーは、1992年に伊藤および須賀によって開発されて以来、ダイナミックSFM用の力センサーとして用いられてきた。ところで、この圧電力センサーの感度は単位レバー振動振幅当りの出力電荷振幅で定義することができるが、これは逆圧電定数d31と圧電層のヤング率との積に比例している。バルクのPZT(52/48)およびZnOのd31はそれぞれ-93.5pC/Nと-5.4pC/Nであり、またヤング率の方はそれぞれ72.5GPaと127.8GPaである。従って、PZTのd31とヤング率との積はZnOのそれの約10倍程度になるため、当然PZTによって製作したマイクロカンチレバーの感度は、ZnOによるカンチレバーの感度の数倍以上になることが期待できる。さらに、最近発表された強誘電体圧電材料の中でも、0.2Pb(Ni1/3Nb2/3)O3-0.4PbZrO3-0.4PbTiO3(PNNZT)強誘電体セラミックスは現在までに報告されている圧電セラミックスの中でも最高の圧電定数を有しており、そのd31はZnOのそれの約60倍に当たる-310pC/Nである。従って、力センサーの圧電層としてZnO材料の代わりに強誘電体圧電材料を用いることは、力センサーの感度を向上させるためには、最も簡易かつ合理的なアプローチであると考えられる。 このため、本研究では、まずPZTやPNNZTなどの強誘電体圧電材料をゾルゲル法によってSiウエハ上に形成し、そのウエハに微細加工プロセスを施すことによって強誘電体層を組み込んだマイクロカンチレバーを製作する。そして、これらの強誘電体圧電マイクロカンチレバーのSFM用力センサーへの適用可能性を検討するため、強誘電体圧電力センサーの基本特性を調べるとともに、強誘電体圧電力センサーによるSFMの動作特性を検証する。以下に各章の背景,目的および結果をまとめる。 (1)最近、薄膜形成技術の向上により、強誘電体圧電材料が圧電微小電気機械システム(MEMS)デバイス用の材料として利用されるようになった。薄膜形成法の中でもゾルゲル法は便利で低コストであるという特徴がある。特に、総ての出発材料を溶液中で分子レベルで混合するため、多元システムの組成の制御が容易であり、均質性の高い薄膜を得ることができる。まず、本研究では、このゾルゲル法を高品質の均一なPZT薄膜を形成するためのプロセスとして用いることにした。そして強誘電体圧電薄膜カンチレバーを製作するため、Arイオンビームエッチング,O2/C3F8反応性イオンビームエッチングむよびKOHウエットエッチングを基本とした微細加工プロセスを開発した。(第2章) (2)ペロブスカイト単相のPZTを得るためには600℃以上の高温での焼鈍が必要なため、鉛損失の問題が生じる。そこで本研究では3つの鉛損失回避プロセスを提案し、PZT薄膜を焼鈍するためにどのプロセスが最も有効であるかを検討した。その結果PZT薄膜を形成するための最適焼鈍条件は、PbO雰囲気中での600℃-4時間焼鈍であった。そしてこの条件によって得られた薄膜では、比誘電率が1150,誘電損失が0.043,残留分極が25m/cm2および抗電界が43.3kV/cmであった。本研究では、この条件で圧電力センサーへ応用するためのPZT薄膜を製作することにした。(第3章) (3)PZT強誘電体圧電マイクロカンチレバーの機械的な特性である、ばね定数,固有振動数,機械的Q値,圧電層のヤング率を詳細に調べた。また、外部の圧電励振体でレバーを振動させる方式の周期的接触モードのSFMを構成して、PZTマイクロカンチレバーの力感度と分解能とを検証した。そしてPZT強誘電体圧電薄膜の真の逆圧電定数d31を、測定した感度とヤング率とから導いた。ヤング率は測定した固有振動数から計算でき、その値はPZT層の厚みが増えるに従って、53.5GPaから58GPaにわずかに増加した。得られた圧電定数は約-35pC/Nであり、これはZnOの値のおよそ8倍に当たるとともに、バルクPZTのそれの約半分である。また、PZT力センサーによって得られた感度は0.98fC/nmであり、この値はZnO力センサーの感度の4.5倍でる。さらに垂直分解能はPZT力センサーを使うことによって、ZnO力センサーで得られていた垂直分解能の3.0Aに対して、1.5Aに向上した。また、図1に示すようにPZT力センサーを使ったSFMにより、1.0mピッチのSiO2の回折格子の鮮明な像を得ることができた。(第4章) Fig.1 A SFM image of 1.0m pitch Au coated SiO2 grating obtained by a SFM with a PZT microcantilever.it has taken in cyclic contact mode with scanning rate of 2.0Hz and sampling points of 256×256. (4)強誘電体圧電マイクロカンチレバーを液中でのSFMやマルチプローブSFMに応用することを指向した場合には、自己励振および自己駆動能力はそのシステムを設計・実現するための重要な因子である。本研究では、まずPZTマイクロカンチレバーの圧電励振・力検出システムを、参照パターンからのアドミッタンス出力を利用したオフセット除去によって実現することに成功した。その制御系を図2に示す。また駆動能力を測定した結果、125m長のマイクロカンチレバーで125nm/Vであり、印加電圧に対する変位は線形な特性を示した。さらに図2に示すシステムによる周期的接触モードでは、試料変位に対するアドミッタンス変化とノイズレベルとから見積った垂直分解能は1.2Aであった。この自己励振PZTカンチレバーによるSFMの垂直分解能は、外部励振体によって振動させたPZTカンチレバーを用いたSFMの分解能(1.5A)よりわずかに高かった。そして図3に示すように、ガラス基板上に堆積させたAu膜の非常に鮮明な像が、自己励振PZTマイクロカンチレバーを用いたSFMによって得られた。(第5章) Fig.2 Block diagram of dynamic scanning force microscope with a self-oscillating PZT piezoelectric microcantilever.Fis.3A SFM image of Au film deposited on glass plate taken by a SFM with a self-oscillating PZT microcantilever,it has taken in cyclic contact mode with scanning area of 1mx1m.scanning rate of 0.5 Hz and sampling points of 256×256. (5)PNNZT薄膜の作成に関する報告は未だなされていない。そこで、本研究では、前駆体溶液の溶媒をメトキシタノールにすることにより、PNNZT薄膜の作成のためのゾルゲルプロセスを開発することに初めて成功し、これによりこの優れた圧電セラミックスをSFM用の力センサーの圧電層として利用することを可能とした。DTAカーブとX線回折パターンから、340℃からパイロクロア相が形成され、400〜500℃でペロブスカイト相が形成され始め、さらに600℃で30分以上焼鈍した後にペロブスカイト単相を得ることができることが判った。PbO雰囲気中において650℃で4時間焼鈍するという実験的に最適化した焼鈍条件により、比誘電率が1650,誘電損失が0.05といった非常に優れた電気的特性を有するPNNZT(2/4/4)薄膜を作成することができた。(第6章) 以上の結果より、本研究では、PZT強誘電体圧電薄膜が圧電力センサー用の材料としてZnOよりも優れていることを証明した。PZT力センサーにより、外部励振の周期的接触モードでは垂直分解能として1.5Aが得られ、自己励振の周期的接触モードでは垂直分解能として1.2Aが得られた。本論文で報告したPZTマイクロカンチレバーの自己励振性能,自己変位検出性能および駆動性能は、次世代SFMの設計にとって画期的なデータである。すなわち、これにより、将来のマルチプローブSFMや液中SFMへの応用への展望が開けた。さらに、本研究では、PNNZT薄膜を作成するためのプロセスの開発に初めて成功した。これにより、このPNNZT薄膜の圧電マイクロデバイスへの応用への展望も開けた。 本論文の結論を簡潔に述べると以下のようになる。まず、本研究では、強誘電体圧電マイクロカンチレバーが周期的接触モードSFMの力センサーとして適用が可能であり、かつ非常に有用であることを示した。そして、本研究は、微細加工による強誘電体圧電力センサーを用いた新たなSFMの設計あるいはその応用のさらなる進展に大きく貢献するものである。 |