学位論文要旨



No 111800
著者(漢字) 秋元,博路
著者(英字)
著者(カナ) アキモト,ヒロミチ
標題(和) 3次元運動を行う船体のCFDシミュレーション技術の開発と応用
標題(洋)
報告番号 111800
報告番号 甲11800
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3598号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮田,秀明
 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 助教授 木下,健
 東京大学 助教授 影本,浩
内容要旨

 現在の貨物輸送は、さまざまな社会のニーズに応じ、陸上輸送、海上輸送、航空輸送が、おのおののメリットを生かす形で発展を遂げて来た。このような中、船舶による海上輸送は、低コストの海上輪送をになう方向に発展を続け、建造コストの削減、船体の巨大化、低燃費化に重点をおいた改良を進めてきた。この結果、操縦性能の評価があまり顧みられなくなり、大排水量でありながら主機出力が小さく操船が難しい船が大量に建造される事となった。

 しかし、近年のタンカーの重油流出事故、狭い航路での海難事故などの教訓から、操縦性能の重要性があらためて認識されはじめ、操縦運動中の船体まわりのCFDシミュレーションなども行われるようになって来ている。

 また陸上交通網の飽和により、陸上輸送の一部を船舶輸送にシフトする動き(モーダルシフト)や、陸路に匹敵するスピードの大量海上輸送を担うためのTSL(テクノスーパーライナー)構想なども現れている。このような高速船舶の設計における操縦性評価の重要性は言うまでもない。

 比較的低速の船舶では操船時の姿勢変化は小さく、回転に1自由度、並進運動に2自由度の平面的な運動の記述で十分である。しかし、より高速な貨物船やTSL構想に見られるような高速船の運動を評価するには、より一般的な3次元運動(6自由度運動)への拡張は不可欠である。また運動の非定常性も大きくなるため、船体にかかる非定常流体力、過渡特性も評価できるようなシミュレーションが必要となってくる。

 高速船の領域に属し、船体姿勢の変化、非定常流体力の評価が最も重要になる船舶の例は、アメリカズカップに代表されるようなセーリングボートである。最近の2回に及ぶアメリカズカップへの日本艇の参加は、一般のマリンスポーツへの関心を高めるとともに、船舶に関わるさまざまな要素技術の開発競争として、多方面にわたる技術者を刺激するものとなった。

 ヨット(正しくはセーリングボート)の定常航走状態は、風による横力とのバランスをとるため、通常の船舶でいうところの斜行状態となる。さらに、セールの発生するロールモーメントとバランスするため、30度にまで及ぶロール傾斜がつき、その力学は定常状態だけをとっても複雑である。

 また、レーシングヨットでは、風上帆走時に不可欠なタッキング運動、マッチレースで有利な位置を取るための様々な操船を行うため、非定常な運動中の流体力も性能評価を評価する上で重要になってくる。タッキング運動は、ロール角にして40〜50度、ヨー角で90度程の姿勢変化が十数秒で完了する激しい運動である。この運動で失った運動量を再び取り戻すには、アメリカズカップ艇の場合数十秒を要し、非定常運動中の流体力の推定技術の良否は勝敗を十分左右するものと言える。

 船体の運動により、ボートの水面下部分は加速度運動を行い、さらに船体姿勢と自由表面の変化に応じて形状が時間変化していく。これに伴って流場が変化し、動的な流体力も発生する。

 定常航行中であっても帆走状態の違いによって姿勢が異なり、考えられる代表的な状態すべてについて船体抵抗を推定し船体形状を最適化していくには、通常の船舶とはかなり違った設計アプローチが必要であろう。

 またヨット固有の問題として帆走状態の問題がある。帆走状態の姿勢は、風によって発生するセール力と、船体・キール・ラダーに働く流体力の微妙なバランスにより決定されており、これを水槽試験で再現するのは非常に困難である。風の吹かない屋内の水槽ではセール力を得る事ができない。また、セール力を何らかの形で与えたとしても、バランス状態を模擬することと、検力計で測定するために拘束する事を両立させるには、複雑で高価な装置が必要である。

 ヨットの流体力学的特性を知るには、姿勢角だけをパラメーターにしても膨大な測定が必要である。これには、URT(アップライトテスト)、ロール角とヨー角のを変化させた系統試験を行うLHT(リーウェイヒールテスト)など、ある程度確立された試験法があるが、これによって分かるのは静的な特性だけである。運動状態のヨットに関しては、発生する動的な力の評価が不可欠であり、LHT試験結果を利用した準静的な扱いでは不十分と思われが、ヨットに関する確立された方法はまだ無い。

 通常商船の操縦性評価の方法を適用する事は考えられるが、ヨットの旋回運動が非定常であること、通常商船と異なり3次元の回転であることなどから適用は困難である。流体力のモデル化による方法もヨットの船型に関する適用例が少ない事などから、安易に用いる事はできない。また何よりレース艇の開発では、新たな船型の評価が主目的であるので、過去のデータをもとにした推定方法では不十分である。

 微妙なバランスの上で起きる3次元運動を水槽内で再現し且つ計測を行うのは非常に困難である。一方、3次元運動を考慮したCFDシミュレーションによる性能評価には、技術として未熟な部分があるものの、先に述べたような問題の多くを解決できる可能性を持っている。例えば、船体を拘束せずに測定する事、現実と同じ運動状態を数値的に実現できる事は、運動する船体を扱う上で非常に有利である。また、天候の影響を受けない理想化した状態が得られることもレーシングヨット開発では重要である。

 このような特性をふまえて、CFDシミュレーションの利用を水槽試験と併せて用い、船型開発を行う事の意義は非常に大きいと言える。しかし、粘性流のCFDシミュレーションを運動するヨットに適用するにあたって解決しなければならない問題が多々存在するのも事実である。

 このような現状を考え、本研究では、運動する船体まわりのCFDシミュレーション手法を開発し、これと船体運動方程式を結合させた、CFDによる船の動的な特性評価法を構築する事を目的とした。また、これを船体運動が重要とされるセーリングボートに適用して運動状態のシミュレーションを行い、シミュレーションの精度と、この新しい技術の応用法について論じるものとする。

 第1章では、セーリングボートの定常航行状態が特殊であり、通常商船と同様のアプローチでは設計が困難である事を示した。図1は、静止状態と定常航走状態で同じ船体姿勢をとらせた場合の、水面下の形状を示したものである。航走した場合の水面下の形状(右)は、静止時の水面下の形状(左)と大きく異なり、水槽内での実験やCFDシミュレーションをでしか分からないものである。2つの図から分かるように、ヨットの形状では、小さな水面高さの差により濡れ面の形状が大きく変化する。水面下の形状変化は、造波抵抗、摩擦抵抗の双方と、ヨットシステム全体のバランスに影響し、ヨットの性能評価を複雑で困難なものにしている。

図1:水面下形状、静止時(左)と走行時(右)

 第2章では、CFDを用いたヨットの設計システムの可能性ついて論じた。ヨットの船体形状の設計は、船体姿勢によって変化する水面下形状を最適化する作業と考える事ができる。しかも水面下の形状を変更すれば、船体のスタビリティーが変化し、さらに船体姿勢も変わってくるため、問題はさらに複雑になる。

 このような問題を解決する手段として、CFDシミュレーションとCADシステムを結合させた性能予測システム(Performance Prediction System)は非常に有力である。図2は、そのようなシステムの基本構成を示したものである。CFDシミュレーションから得た各部の流体力は、船体の6自由度運動を解く運動方程式に組み入れられ、船体の状態を変化させる。船体運動の変化状態をみながらオペレーターは、操舵法、付加物のセッティング、船体形状を非定常の流体シミュレーションの中で変更する事ができる。

 帆走状態のヨットの運動状態をみながら、舵面積など構成要素のデザインや位置を変えることができる。このようなことは水槽試験では難しく、実海域試験で多大の労力と費用を費して行うしかない。現実には困難な操作を数値的に実現することができるのは、数値シミュレーションの利点である。本研究では、このようなデザインシステムの核の一つとなる、6自由度運動する船体周りの粘性流シミュレーターの開発を目指した。

 第3章で、運動する船体でのCFDシミュレーション技術について述べた。計算格子は運動する船体と自由表面に適合した格子系とし、有限体積法により非圧縮性粘性流を時間発展的に解いた。船体表面を非定常運動する物体壁として扱い、移動格子法により境界の変形を処理した。また、ヨットの大きな姿勢変化に対応するため、船体表面と船体表面の格子を独立に動かし、そのインターフェース面での物体表面の粘着条件が満足されるよう配慮した。

 第4章では、船体運動の評価とこれに対応した計算格子の生成技術について述べた。6自由度運動する船体の場合、水面と船体のインターセクション箇所(ウォーターライン)の位置が任意である。そこで船体形状の表現法、格子生成アルゴリズムを改良し、図3に示すような、自由表面と運動中の水面下形状に適合した格子が生成できるようにした。

図表図2:Performance Prediction System for Sailing Boats / 図3:運動する船体に対する格子点分布

 ヨットの運動は3次元的であるため、航空機と同じ6自由度の運動方程式を用いて記述する。船体に働く力は水面を基準面として記述することが多いため、並進方向の運動方程式は地面(水面)固定座標系で、回転運動に関しては船体固定座標系で解くものとした。

 第5章では、定常状態における自由表面計算の評価と流体力推定の検証を行った。現段階の格子点数では解像度が十分ではなく、自由表面の細かな運動は捉えられていないが、船側波形に現れるスケールの大きな圧力変化の部分は捉えられている(図4)。定常状態の抵抗値は、実験より低いレイノルズ数であるのを摩擦抵抗の換算により修正し、数パーセントの誤差で求められている。

図4:船側波形の比較、□船長方向分割30,△船長方向分割50

 また、ヨットの大きなロール変化に計算コードが対応できることを検証するため、強制ロール試験を行い、通常考えられるロール速度でのシミュレーションが可能であることを確認した。

 第6章では、船体運動シミュレーションへの適用として、風上帆走状態におけるスピードモードへの移行状態を数値シミュレーションにより行った。スピードモードは、風上帆走状態における代表的な帆走の一つで、針路を風下側にずらして、風上への上り角度を犠牲にし、セールの迎角変化と相対風速の増加により船速を上げるものである。キール・ラダー・セールの出す力は実験結果と理論式を結合させたモデル式を用い、サージ、スウェイ、ヨーの3自由度をフリーとして船体の運動方程式を解いた。この計算ではその他の3自由度を固定したが、各部の減衰力などが推定できれば、全てフリーにすることも可能である。図5は運動時の圧力分布の例で、操舵開始からスピードモードに達するまでを示している。船体が回頭運動中の圧力分布の様子がなどからヨットの船型における運動中の動的圧力に関し貴重な情報が得られた。

図5:スピードモード移行時の表面圧力分布、経過時間(a)start,(b)0.75,(c)1.50,(d)2.25,Cp=0.02

 以上のように、平面運動としての取扱ができない、高速船やセーリングボートの運動状態における流体力の評価法として、6自由度運動をする船体周り粘性流のシミュレーション技術を開発し、運動方程式と結合したシステムを構成した。この技術の基本的な運動モードに対する有効性を示し、さらにヨットの針路変更シミュレーションを実行して、ヨットに対する基本的な操縦性評価が可能である事を示した。

 この技術はヨット以外の3次元的な運動を行う船体に対して応用可能であり、高速運動時の動的な流体力の推定、操縦性評価の方法として有効である。ヨットに関して言えば、本研究の方法で、数値シミュレーションの持つ柔軟性のために、水槽試験では実現できない、ヨットの帆走状態の流体力と操縦性の評価が可能であり、新しいヨット開発の手法が開発されたと言える。

審査要旨

 本論文は、3次元の自由な運動を行う船体まわり流れの計算流体力学技術による数値シミュレーションとその設計への応用法に関して研究したものである。船の操縦性能と運動性能は船舶の設計にとって大変重要な部分であるが、従来、船体の発生する力やモーメントは大部分実験に頼り、また動的な特性については詳細な理解に限界があった。本論文の研究は計算流体力学を動的な物体に対して適用する新しい技術の開発を中心として、それを運動方程式と組み合わせることによって、運動推定法として構築したものである。すべての船舶に適用可能な方法であるが、運動の自由度と運動量の最も大きい帆走艇を応用例として、この技術の開発と応用を論じている。

 本論文は、全体で7章より成る。第1章は、本研究の目的、歴史的概観、本研究の構成をまとめた章である。

 第2章では、CFDを用いた帆走艇の設計システムの可能性ついて論じている。帆走艇の船体形状の設計は、船体姿勢によって変化する水面下形状を最適化する作業と考える事ができる。しかも水面下の形状を変更すれば、船体のスタビリティーが変化し、船体姿勢も変わってくるため、問題はさらに複雑になる。このような問題を解決する手段として、CFDシミュレーションとCADシステムを結合させた性能予測システム(Performance Prediction System)を開発している。CFDシミュレーションから得た船体各部の流体力は、船体の6自由度運動を解く運動方程式に組み入れられ、船体の状態を変化させる。船体運動の変化状態をみながらオペレーターは、操舵法、付加物のセッティング、船体形状を非定常の流体シミュレーションの中で変更する事ができる。また、帆走状態の帆走艇の運動状態をみながら、舵面積など構成要素のデザインや位置を変えることもできる。このような水槽試験では難しく、実海域試験で多大の労力と費用を費して行うしかない試験を、数値的に実現することができることは、数値流体力学のもつ大きな利点である。

 第3章では、運動する船体でのCFDシミュレーション技術について述べられている。本研究のCFDシミュレーションは、運動する船体と自由表面に適合した格子系で、有限体積法により非圧縮性粘性流を時間発展的に解くものである。非定常な運動を扱うため、物体の移動は全て格子点移動による方法を用いている。また、帆走艇の大きな姿勢変化に対応するため、船体表面と船体表面の格子移動を独立にし、そのインターフェース面での物体表面の粘着条件が満足されるようにしている。

 第4章では、船体運動の評価とこれに対応した計算格子の生成技術について述べられている。6自由度運動する船体の場合、水面と船体のインターセクション箇所(ウォーターライン)の位置が任意である。そこで船体形状の表現法、格子生成アルゴリズムを改良し、自由表面と運動中の水面下形状に適合した格子が生成できるようにしている。

 第5章では、計算精度の検証が行われている。定常状態における自由表面計算の評価と流体力推定の検証を行った。自由表面計算は、テスト段階の格子点数では解像度が十分ではなく、自由表面の細かな運動は捉えられていない。しかし船側波形に現れるスケールの大きな圧力変化の部分は捉えられており、造波抵抗、浸水面積の変化に応じた摩擦抵抗の評価が可能となっている。

 第6章では、船体運動シミュレーションへの適用例として、帆走艇の風上帆走状態におけるスピードモードへの移行状態を数値シミュレーションにより行っている。このシミュレーションの実現のため、キール、ラダー、セールの出す力については、実験結果と理論式を結合させたモデル式を用い、船体の自由度は、サージ、スウェイ、ヨーの3自由度をフリーとし、運動方程式を解いてこの自由度の運動を求めている。この結果、帆走艇の操縦性能の評価が可能になり、また船体が回頭運動中の圧力分布の様子がなどから帆走艇の船型における運動中の動的特性に関し貴重な情報が得られている。

 第7章では、結論が述べられている。

 このように本論文は、平面運動としての取扱いができない高速船や帆走艇の運動状態における流体力の評価法として、6自由度運動をする船体周り粘性流のシミュレーション技術を開発し、運動方程式と結合したシステムを開発し、さらに、この技術の基本的な運動モードに対する有効性を示し、操縦性評価などを可能にした。従って、本論文は、船舶工学における工学の発展に多大の貢献をしたと評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54515