学位論文要旨



No 111804
著者(漢字) グイン マダン モハン
著者(英字) Guin Madan Mohan
著者(カナ) グイン マダン モハン
標題(和) マイクロバブルによる乱流境界層の摩擦抵抗低減に関する研究
標題(洋) Studies on Frictional Drag Reduction by Microbubbles in Turbulent Boundary Layers
報告番号 111804
報告番号 甲11804
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3602号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 教授 前田,久明
 東京大学 教授 宮田,秀明
 東京大学 助教授 山口,一
内容要旨

 乱流境界層にマイクロバブルを流し込むことにより摩擦抵抗を低減させる方法は、流場中の物体表面の摩擦抵抗を低減させるのに効果的な方法として世界中で認められており、その応用は海洋工学、特に造船工学の分野において可能性を秘めている。ここ20年のうちにロシア、アメリカ、また最近では日本(本文参照)で行われた数多くの研究によって、この可能性は裏付けられてきている。

 アメリカのペンシルバニア州立大学のApplied Research Laboratoryで行われた実験及び計算の一連の研究により、平板と軸対称体の双方におけるマイクロバブルの抵抗低減に関して、重要な基礎となる知識が明らかとなった。ここ10年間の初頭に行われた、東京大学船舶海洋工学科の加藤洋治教授を中心とした具体的な研究活動により、この分野に対し基礎面及び応用面において重要な新しい知識が加えられた。重要な進歩の一つに、従来用いられていた多孔質板の代わりに、一つもしくは複数のスリットを使う新しい気泡吹き出し法の考案がある。外部のマイクロバブル発生装置からの気泡流を、主流に対してある角度を持たせたスリットから吹き出すというこの方法では、多孔質板を使う方法と比べて同程度もしくはより良い抵抗低減が得られる上に、吹き出しの過程において消費されるエネルギーがより少なくなる。さらに、この方法によって吹き出しの量を制御できる可能性がある。また、スリット法にはジェットの推進効果によりエネルギー消費が部分的に推進力として回収できるという利点もある。この方法は船舶への実用的な応用のために役立つであろうと思われ、さらに発展させるべき技術と考える。

 従来の研究において最も普遍的な発見は、境界層内に1ミリメートルまたはそれ以下のオーダーの大きさのマイクロバブルが存在すると、乱流摩擦抵抗が減少するということである。最適な条件下では、80%から90%の摩擦抵抗係数の減少が見られる。著者の知る限り、他の抵抗低減法ではこれほど大きな抵抗の減少を得た例はない。この効果は物体表面を境界層の上に配置したいわゆるプレートオントップにすると高められる。一方、プレートを境界層の下部に設置したプレートオンボトムにすると、抵抗減少量は小さくなる。重力の影響により、プレートオントップでは気泡が壁面の近くに寄ったため、このような相違が現れたと考えられる。また、軸対称体での方向の円周期的変化に伴う抵抗低減の変化も、表面近くの気泡の密度の違いによるものと考えられる。

 これらの現象は、気泡の影響は壁面に近いほど効果的であることを示している。Madavanら(1985b)による数値的解析においても、このことが指摘されている。このため、何らかのボイド率計測機器を用いて、境界層内を横切る気泡分布を実験的に得る試みがなされてきた。例えばBogdevichら(1976)がキャパシティプローブを用いて観察を行い、壁面付近の気泡の集中度は他の場所に比べて数倍大きいことを発見した。Palら(1988)はレーザー透過法を用いて系統的な研究を行い、壁面からある程度以上離れたところ(y+>150)では気泡が抵抗の低減に効果的でなくなることを見出した。また彼らは、この方法によって吹き出し板の下流での詳細な気泡分布の様子を得て、プレートオントップとプレートオンボトムの明確な状態の相違を指摘し、またどちらの場合にも壁面のごく近傍に比較的気泡の少ない場所が存在することを示した。この示唆に富んだ研究は非常に定性的であり、境界層に沿った気泡分布の定量的な情報が必要であることを強調している。

 本研究はこの問題に部分的な解答を見出している。かつて当研究室において行われた結果の解析に加え、著者によって特別に設計された二次元チャンネルにおいて2種類の多孔質板を用いた詳細な実験を行った。気泡あり及び気泡なしの場合の摩擦抵抗を計測するために歪みゲージ式剪断力計が使われた。実験条件下においてチャンネルのような閉じた流路の流れにおいても抵抗低減効果が見られた。サンプリングタイプのボイド率測定プローブを設置し、境界層内のボイド率分布を計測した。実験の結果、ボイド率の分布は常に相似とはならないことが明らかになった。これらは主流速と気泡流量に依存する。一般にボイド率分布は、気泡量が少ないとき、また主流速が速いとき、より壁面に沿う方向になる。これらの計測によって、気泡分布の定性的・定量的情報が得られたので、これを用いてマイクロバブルによる摩擦低減法における壁面近傍のボイド率の影響を調査する。抵抗低減率は断面全体での平均ボイド率より壁面近傍のボイド率とより強い相関があることが分かった。物理的に考察したところ、これらの観察の結果は外部流れである境界層を扱った他の2つの実験の場合にも拡張される。これらの研究の主な結果は、以下のようにまとめられる。マイクロバブルによる抵抗低減は、境界層内層と壁面近傍の気泡の量に依存する。しかしながら、実用面で使用するには定量的な情報が不足していると考えられる。本研究は、マイクロバブルによる抵抗低減において上述のような関係があることを見出すのに初めて成功したものである。

 ここまでで述べたことも含め、本研究の主な内容と結果を簡潔に要約すると以下に示す通りである。

 1.東京大学のTE型キャビテーションタンネルを用いて行われた、マイクロバブルによる抵抗低減の実験結果をより詳細に調べた。多孔質板及びスリットによる吹き出しの両者を考察した。スリットの場合には吹き出し運動量と摩擦抵抗に単純な相関があることが分かった。多孔質板の実験の結果を境界層内の平均ボイド率mを用いて、プロットして比較した。この結果がペンシルバニア州立大学のMadavanら(1984)の詳細な報告と一致しないことから、mは抵抗低減の結果を整理するのに不適当であると考えられる(第2章)。

 2.上記実験と同じ条件下で境界層内の気泡を含まない流れの流速分布を、LDVを用いて詳しく計測した(第2章)。

 3.東京大学とIHIの共同研究計画の一環として、IHIのキャビテーションタンネルで一連の実験を行った。結果の一部はこの論文に含まれている。東京大学で用いられたものと同様のスリットが、あらかじめ気泡を混ぜた水の吹き出しに使われた。ここでもまた、mを用いて整理した結果と東京大学での実験結果は一致しない。これは、mではなく何か別の量を用いるべきであることを示している(第3章)。

 4.どちらの実験装置(東京大学、IHI)においても、十分下流においては、スリットによる吹き出しの効果は多孔質板とほぼ同様であることが分かった。

 5.内部流れへのマイクロバブルの効果を調べるために著者は、高さ10mm、アスペクト比10の二次元回流水槽(Fig.1)を考案、設計した。そしてこの装置を用い、歪みゲージ式剪断力計の系統的キャリブレーション法を開発した。これは将来の研究に非常に役立つであろう。抵抗低減効果は回流水槽において流速5m/secから10m/sec、気泡流量50(l/min)(Fig.3)まで観測された。これらについては第4章で述べられている。マイクロバブルの研究において、このような水槽内で剪断応力が直接計測されたのは、著者の知る限り初めての試みである。それゆえ、結果を境界層のような他の流れと厳密に比較することは出来ないが、他の研究者によって比較のために同様な条件下においてさらなる研究がなされることが望まれる。

 6.この研究の主な成果はマイクロバブルの多くの研究において採用される実験条件下で局所的なボイド率を定量的に測定できるサンプリングタイプのプローブ(Fig.2)を開発したことにある。このプローブは著者が考案し、当研究室の熟練した技官によって注意深く製作された。閉じた流路を持つ回流水槽はプローブの校正に際しても有効であった。1ミリメートル以下のオーダーの気泡の測定をするボイドプローブの検定は未だに難しい問題である。しかしながら、本実験ではボイド率の測定結果は断面全体での平均ボイド率と良く一致した。それぞれの条件下で相似なボイド率分布形状を考えることにより違いを分析した。ボイド率分布をFig.4に示す。

図表FIGURE1.Schematic diagram showing the flow-loop of the two-dimensional water channel,injection system and instrumention / FIGURE2.Schematic diagram of the sampling type apparatus developed in the laboratory for void fraction measurements.FIGURE3.Typical relations between drag reduction,DR and mean void fraction,m in the two-dimensional water channel with air injection.FIGURE4.Representative void fraction profiles measured by the sampling probe shown in terms of the ratio between local to mean values in the two-dimensional water channel at UT.

 7.このプローブを用いて、幾つかの条件で摩擦抵抗の計測と平行してボイド率分布の計測を行った。この結果を用いて壁面近傍のボイド率と抵抗低減の関係を定量的に調べた。mの代わりに壁面近傍のボイド率mに対して、チャネルでの実験データ(Fig.6)をプロットしたところ、異なる条件でも良い一致が見られたので、著者は前述した二つの境界層流れについて再検討してみることにした。この結果から、壁面近傍のボイド率の測定が可能であれば、それを用いてマイクロバブルの抵抗低減量をプロットすべきであることがわかる。今までの実験や解析からも、マイクロバブルにまつわる現象は本質的に内層に依存することが一般に知られているが、このことからも著者の提案はごく正当なものと言える。

図表FIGURE5.Relation between percentage drag reduction,DR and cross-sectional averaged void fraction,m in the two-dimensional water channel corresponding to the conditions of void fraction measurements. / FIGURE6.Relation between percentage drag reduction,DR and near-wall cumulative void fraction,cum in the two-dimensional water channel corresponding to the conditions of void fraction measurements.

 8.上述のような観点からすると、境界層平均のボイド率は計算が簡単なのだが、評価パラメータとしては欠点があることがわかる(例えばFig.7)。2つの境界層に関する実験データが欠けているために、直接比較することができない。そこで、Madavanらのデータ(1984)と一致するように「仮の係数」を導入して平均ボイド率を引き上げた(Fig.8)。文献には局所ボイド率のデータが全くないため、「Madavanらのデータは壁面近傍で二次元回流水槽のデータと相似なボイド率を持つ」という仮定をして曲線を修正する。この仮定の根拠は弱いと言わざるを得ないが、少なくともチャネル流の抵抗が低減するという結果の事実は、この仮定をいくらか正当化するであろう。

図表FIGURE7.Relation between drag reduction,DR and boundary layer mean void fraction,m in the small water tunnel at UT. / FIGURE8.Relation between drag reduction,DR and near-wall void fraction,wall in the small water tunnel at UT.

 物理的な考察を加えれば係数の傾向は説明がつく。この傾向を説明するため、詳細なスケッチを行った(例えばFig.9)。TEタンネルで同様のプローブを使用して行ったボイド率の測定結果も、同様の係数及び傾向を示した。実験の数が少ないため、これだけではもちろん壁面近傍のボイド率に関する議論を補強するのに十分ではない。しかしこの提案に対する矛盾は見あたらない。

FIGURE9.Values of multipliers in small water tunnel with a porous plate and conceptual sketch of likely void fraction profiles from visual observations to explain the trend.

 さらにTennekesとLumleyによる内層のスケールの考えに基づいて、Marieが希薄な粒子懸濁液に関するEinsteinの粘性法則を発展させて導いた解析式(1987)に、実験で得られた壁面近傍のボイド率を当てはめて検討した。その結果、この理論は実験結果と非常に良く一致することが分かり、本実験の結果や壁面近傍のボイド率の考え方を支持している。これはまた、EinsteinやMarieが定式化の際に用いた議論が正しかったことを確認したことにもなる。

 今回決められた係数の絶対値については現段階では大いに議論の余地がある。しかしながら、このような係数の導入は、壁面近傍のボイド率を定量的に表す第一歩とすることができる。本研究は、壁面近傍のボイド率という計測はおろか目で見ることも困難な量を定量的に扱う初めての試みであると言えよう。

審査要旨

 本論文は"Studies on Frictional Drag Reduction by Microbubbles in Turbulent Boundary Layers"(和訳:マイクロバブルによる乱流境界層の摩擦抵抗低減に関する研究)と題し、英文で記述されている。

 流体の摩擦抵抗は、多くの流体機器・輸送機械の主要な抵抗成分でありながら、大幅な低減が困難な、最後の壁とも言える抵抗成分である。何らかの手法により流体摩擦抵抗を減少させることは、流体力学・流体工学に携わる研究者・技術者にとって長年の夢であり、多くの試みがなされてきた。

 乱流境界層中に直径1mm程度以下の微小気泡を多数流し込むと摩擦抵抗が減少することは旧くから知られており、最適な条件下では抵抗減少量が80%〜90%にも達する。この研究は、20年ほど前よりロシア,アメリカ、また最近では日本で盛んに行われている。しかし、境界層という狭い領域に微小な気泡を多数流し込み、ボイド率数10%という非常に多くの微小気泡を含む2相流の計測を行うという実験技術の難しさも手伝って、その機構の解明はそれ程進んでいなかった。しかし、最近の日本での基礎的な実験的研究,この10年程で急速に進歩した単相流の乱流境界層の流れ構造の解明などにより、この複雑な流れの機構を深く考察する下地ができたと言える。本研究は、著者自ら行った詳細な実験に加えてこれまでの他の研究者による実験データも再解析し、微小気泡による摩擦抵抗低減の機構について考察し、それをもとに、壁ボイド率という新しいパラメータにより種々の実験結果が普遍的に整理できることを示したものである。

 以下に本論文の構成と内容を示す。

 本論文は、6章よりなっている。第1章は「序論」であり、まず、従来の多くの研究結果を整理し、摩擦低減が非常に大きい場合でも壁面のごく近傍に気泡の少ない場所が存在すること、壁面から離れたところ(y+>150)に気泡が存在してもさほど効果がなく、気泡は壁に近い方が良いことなど、重要な成果を抽出している。同時に、これらは定性的な結果であり、より定量的な議論が必要であること、本研究は、この必要性に答えようとするものであることを述べている。最後に、本研究の具体的な目的として、(1)摩擦低減量を普遍的に整理できる新しいパラメータの導出、(2)境界層内の気泡分布の信頼できる定量的計測を挙げ、本研究の内容について概観している。

 第2章「小形回流水槽での初期の研究」では、東京大学のTE型キャビテーション・タンネルにて行われた境界層流れの実験について述べている。やはり、条件が良ければ80%もの摩擦低減が得られることを再確認している。また、多孔質板とスリットという2つの気泡吹き出し法の違いについて議論し、スリット吹き出しの方が簡易であるに関わらず、多孔質板と同程度の効果が得られること、スリットの場合、吹き出し運動量に基づくパラメータで結果が整理できることを見いだしている。多孔質板の結果については、境界層内の平均ボイド率でデータを整理し、米国の同様の実験結果と比較したが、その差は大きく、異なるパラメータの必要性を示している。

 第3章「大型回流水槽での研究」では、東京大学とIHI(石川島播磨重工業(株))の共同研究の一環として行われたIHIのキャビテーション・タンネルでの実験について述べている。実験は、第2章の小形実験とほぼ同様で、結果も同様なものが得られた。すなわち、装置の寸法が大きく替わっても、すなわち境界層が厚くなっても、同様の効果が得られている。

 第4章「2次元回流水槽での研究」では、著者自身の設計による2次元流路内流れ用の回流水槽での研究について述べている。流路内流れの場合、壁面摩擦力と流路の圧力損失が釣り合うので、境界層流れより精度良い、詳細な計測が可能である。また、サンプリング型のボイド率計を考案し、流路内のボイド率の分布を計測している。この難しい計測に成功したことが、本研究による壁ボイド率の提案に、大きく貢献している。流路内流れでは、ボイド率の断面方向の積分と注入した空気量を直接比較できるので、計測値の定量的な議論にも有利である。

 計測されたボイド率分布は条件によって大きく異なっており、流速の影響を合理的に説明している。この様にボイド率の断面方向の分布が大きく異なる流れに対して、平均ボイド率で議論するのに無理があるのは、当然である。そこで著者は、現象を支配するパラメータとして壁面付近のボイド率「壁ボイド率」を提唱し、それにより摩擦低減量が普遍的に整理できることを示している。

 さらに、気泡の混入により局所的に動粘性係数が増加するとしたMarieの理論式に本実験の値を当てはめ、摩擦減少量が実験結果に良く一致すること見い出している。これはまた、壁ボイド率が主要パラメータであることの証拠にもなっている。

 第5章「壁ボイド率の影響」では、第4章で提唱した壁ボイド率を用いて、これまでの実験結果及び米国ペンシルバニア州立大で行われた実験結果を再解析している。但し、これらの実験ではボイド率分布が計測されていないので、合理的なボイド率分布を仮定して、平均ボイド率から壁ボイド率を推定している。すべての実験結果は壁ボイド率により一つにまとまり、Marieの理論式とも良く一致しており、壁ボイド率を主要パラメータとすることの正当性を示している。

 第6章はまとめであり、本研究の結論を総括し、将来の研究の方向について示唆している。

 以上要するに、本論文は乱流境界層内に微小気泡群を注入することによる摩擦抵抗低減法について、多くの詳細な実験と乱流機構についての深い考察により、壁ボイド率という新しいパラメータを提案し、それにより多種の実験結果を普遍的に説明したものであり、流体力学・流体工学の発展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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