学位論文要旨



No 111808
著者(漢字) 田邉,光昭
著者(英字) Tanabe,Mitsuaki
著者(カナ) タナベ,ミツアキ
標題(和) 高温高圧雰囲気中における単一燃料液滴の自発点火
標題(洋) Spontaneous Ignition of a Single Fuel Droplet in High Temperature and High Pressure Surroundings
報告番号 111808
報告番号 甲11808
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3606号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 松為,宏幸
内容要旨 1.はじめに

 自発点火現象の理解とそのコントロールは実用機関の特性を向上させる上で重要なテーマである.エンジンノックや予蒸発予混合燃焼器における逆火の防止,あるいはディーゼル機関での点火時期の制御などの例に見られるように機関効率向上や安全性の向上のために非常に必要とされている.単一燃料液滴の自発点火現象は不均質系の点火であり,こういった実用燃焼器の中で起こる点火の最も単純化されたモデルである.現在までに行われてきている燃料液滴の研究は物理的な特性(蒸発,拡散)の点火過程における役割を明らかにしてきた.その一方で化学反応の特性に関しては過度に単純化されて扱われてきた.点火現象は物理的過程と化学的過程との相互作用で引き起こされるものであり,過度の単純化は現象の誤解を生じかねない.近年の反応機構に関する研究から炭化水素燃料の点火を支配する反応に全く性質の異なる2種類の機構(低温反応と高温反応)が存在することが明らかにされている.液滴,不均質系における自発点火機構の解明には,このそれぞれの反応機構の相互干渉,さらに,物理的な過程とそれらの反応との相互作用を明らかにする必要があるが,これらについての研究は実験的にも理論的にも皆無である.

 本研究では,反応特性が異なるが物性の似た2種類の燃料,および,物性は異なるが反応特性の等しい2種類の燃料などによる比較実験を行うことで,反応および物理特性の点火過程における役割について調べている.実験における現象の簡略化の目的で自然対流を無視できる微小重力場の活用も行われている.さらに点火過程における上述の2種類の反応機構の非定常的な振る舞いをより深く理解する目的で,液滴周囲の温度場の時間変化が詳細に観察され,同時に数値計算モデルをたてて詳しい現象の解析を行なう.

2.実験装置および方法

 本研究では懸垂線上に作られた単一燃料液滴を高圧容器中の電熱炉内に瞬時に挿入し自発点火を起こさせている.炉内で点火する液滴は,干渉計によって観察される.この方法を用いることにより,通常この種の実験で用いられてきた直接写真法では観測不可能な冷炎(温度が1000K以下でほとんど発光を伴わない)を観測することができる.実験は通常重力場に加え,落下塔と航空機を利用した微小重力場も利用して行われた.

 実験に用いられた燃料は正ヘプタン,正ドデカン,イソオクタンの三種である.実験条件は温度が1100K以下,圧力が0.1〜2.0MPaである.

3.数値計算モデル

 球対称一次元を仮定し,質量保存,化学種保存,およびエネルギ保存が考慮されている.圧力は至る所一定と仮定している.

 化学反応モデルとしては,低温,高温反応の二種類を含むモデルは導入されてた.Griffithsによる10反応モデルとPitschによる12段階反応モデル(64反応)とをそれぞれ定性的,定量的な評価のために用いた.どちらのモデルも低温反応として温度がある一定以上になると鎖の伝播が止まってしまう縮退連鎖分岐反応を含んでいる.

4.結果及び考察

 干渉計を用いた液滴周囲の温度場の時間変化の測定から以下のようなことが分かった.まず,液滴の点火には3種類の形態がある.冷炎,一段及び二段点火である.冷炎および二段点火はこの実験において初めて観測されたものである.熱炎は2000K程度の温度を持つが,冷炎は温度が一般に750K程度以下に保たれる.二段点火では,まず冷炎が現れ,そのしばらくの後に,熱炎が現れるような点火形態である.一段点火では冷炎は観測されない.3種類の燃料について,圧力,温度を変えて点火形態を調べた結果,冷炎は正ヘプタンと正ドデカンの場合にのみ現れ,従って,イソオクタンでは全ての雰囲気条件で一段点火か何も起こらないかに整理できる.正ヘプタンと正ドデカンについては,比較的低い温度で冷炎が観測できた.また,熱炎は高温あるいは高圧になるほど発生しやすく,従って,低温高圧の雰囲気中においてのみ二段点火が観測できた.冷炎の温度も測定され,結果,圧力の上昇に伴い冷炎の温度が上昇することが分かった.これらの現象は,すべて,上述の低温反応あるいは高温反応の特性で説明され,点火の形態には燃料の物性はほとんど影響を与えないことが確認できた.

 点火が起こる場所についても実験で特定することができた.二段点火に例を取ると,雰囲気温度が低い場合には,まず冷炎が液滴から離れたところで発生し,それが液滴に向かって伝播する途中で熱炎に変わる.これに対し,雰囲気温度が高いと,冷炎は液滴近傍で発生し,伝播して液滴周囲に広範囲の高温場を形成し,その後に熱炎が起こることが分かった.数値実験による燃料消費や反応活性の履歴などを分析した結果,雰囲気温度が高いと低温反応は液滴のごく近傍の低温部分で最大の活性を持つようになり,結果として冷炎が液滴近傍から起こることが分かった.また,高温反応の活性が温度依存性が高いことから,冷炎の温度が最大となるような過濃混合気が存在する液滴近傍から熱炎が起きることも分かった.通常重力場での点火実験においても冷炎と,熱炎の発生位置が特定され,両方とも,液滴の自然対流の後流側から発生することが分かった.

 液滴が高温高圧の雰囲気にさらされてから冷炎の発生までを第一誘導期間,冷炎の発生から熱炎のそれまでを第二誘導期間,また,その和を総誘導期間としてそれぞれの雰囲気条件への依存性が調べられた.

 第一誘導期間は雰囲気温度の上昇とともに減少する.これは,一つは温度の上昇とともに活性の増す反応の特性であり.もう一つは,第一誘導期間の大部分が液滴の加熱期間であることによる.雰囲気温度の上昇は,液滴への熱の流入を促進して加熱期間を短縮する.また,第一誘導期間は圧力依存性はほとんどない.高圧では液滴への熱の流入は促進されるが,蒸気圧が低い.液滴周囲における燃料濃度を一定値以上にするまでのいわゆる加熱期間はこれらの影響の相殺によって圧力依存性が少なくなる.また,冷炎を引き起こす低温反応自身の圧力依存性もほとんどないことも一つの原因である.

 第二誘導期間は正へプタンでは雰囲気温度によらず一定である.これに反して正ドデカンでは比較的低い雰囲気温度では,第二誘導期間は雰囲気温度の上昇とともに増加した.第二誘導期間はその期間中に形成される冷炎の温度に大きく支配される.雰囲気温度の増加に伴って,第一誘導期間は減少する.冷炎発生時に液滴周囲に存在する燃料-空気混合気は雰囲気温度が高い場合に比較的に薄いことが数値計算によって求められた.薄い混合気で実現される冷炎の温度は低く,従って,高温反応を活性化して熱炎を発生させるまでの第二誘導期間は長くなる.正ドデカンで見られた傾向はこの原理で説明された.冷炎の温度の混合気中燃料濃度への依存性を評価した結果,燃料濃度がある一定値を越えると冷炎の温度はほぼ一定となることが分かる.正ヘプタンの場合には,正ドデカンに比べると蒸気圧が高く,従って比較的濃い混合気が存在することが分かった.本実験での雰囲気条件の範囲内では,正ヘプタンの場合,雰囲気温度に関わらず上述の燃料濃度を超えることが分かり,その結果冷炎の温度が変化せず,第二誘導期間が雰囲気温度に依存しなくなることが分かった.

 第二誘導期間の圧力依存性は非常に高く,雰囲気圧力の上昇に伴って急激に減少することが分かった.圧力の上昇は冷炎の温度を上昇させ,高温反応の活性が温度に非常に強く依存することから誘導期間を激減するものである.

 総誘導期間の特性はは上記の二つの誘導期間の特性から全て説明できた.

 最後にこれらの誘導期間の支配要因を実験と数値計算の両方法から明らかにされた.異なる液滴径での比較実験やあるいは通常重力場と微小重力場での実験結果の比較からそれぞれ加熱特性が第一誘導期間のみに影響を与えること,対流は反応の成長を抑制して誘導期間をのばす効果があることが分かった.また,数値モデルを用いた感度解析によって第一,第二誘導期間が輸送特性,反応特性にどう影響されるかも調べられた.その結果,第一誘導期間は熱や物質の輸送速度に主に影響され,反応にはあまり影響を受けないことが分かった.これは第一誘導期間が液滴の加熱特性に大きく依存することによる.これは液滴径を変えた実験の結果から導びかれた事実と一致する.第二誘導期間はこれとは逆に反応速度が倍増すると半分以下に短縮されるという具合に反応特性に支配されていることが分かった.また,輸送が活発になると第二誘導期間は延長されることもわかり,対流の影響を評価した実験結果と一致が得られた.

審査要旨

 修士(工学)田邉光昭提出の論文は英文で書かれ,"Spontaneous Ignition of a Single Fuel Droplet in High Temperature and High Pressure Surroundings"(高温高圧雰囲気中における単一燃料液滴の自発点火)と題し,6章から成っている.

 単一燃料液滴を用いた高温高圧雰囲気中での自発点火に関する研究は,燃焼学上の重要性から,また,噴霧等の不均質系における点火機構解明の基礎研究としてこれまでに数多く行われてきている.従来の研究はその注目点として燃料の蒸発,拡散といった物理的な特性の点火過程における役割を明らかにしてきた.その一方で,化学的な特性,即ち化学反応に関しては,その機構の複雑さ故に過度に単純化され,その詳しい特性が考慮されたことはなかった.近年の反応機構に関する研究では炭化水素燃料の点火を支配する反応に全く性質の異なる2種類の機構が存在することが明らかにされている.液滴あるいは不均質系における自発点火機構の解明には,このそれぞれの反応機構の相互干渉,さらに,物理的な過程とそれぞれの反応との相互作用を明らかにする必要があるが,これらについての研究は実験的にも理論的にも皆無である.

 本論文では,反応特性は異なるが物性の似た2種類の燃料,および,物性は異なるが反応特性の等しい2種類の燃料などを用いて比較実験を行うことで,反応および物理特性の点火過程における役割について調べている.また,実験における現象の単純化の目的で自然対流を無視できる微小重力場が活用されている.さらに,点火過程における上述の2種類の反応機構の非定常的な振る舞いをより深く理解する目的で,液滴周囲の温度場の時間変化が詳細に観察され,同時に数値シミュレーションを行い,詳しい現象の解析を行っている.

 第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,関連する研究の成果とその問題点を検討し,本論文全体を概観することで,研究の目的と意義を明確にしている.

 第2章では実験装置と方法について述べている.まず,液滴の自発点火実験用の装置を構成する高圧容器,電熱炉,液滴生成および移動装置,さらに温度場観測用のレーザー干渉計や制御系について説明している.さらに,微小重力場実験の施設と方法について説明がなされている.

 第3章では本研究で用いた数値シミュレーションについて述べている.すなわち基礎式およびそれに関連する物性推算法,数値解法が述べられている.輸送モデルと反応モデルが説明され,それぞれの精度と妥当性が議論されている.

 第4章では自発点火の現象とその発現の機構について述べている.まず,微小重力場での点火実験を行い,点火過程における液滴周囲の温度場の時間変化を解析することによって,点火過程が2段階で起こることを発見している.すなわち,冷炎の発生とそれに続く熱炎の発生である. さらに,3種類の燃料について,広範囲にわたる温度,圧力条件での同様の実験を行うことで点火には先のそれぞれの段階の組み合わせによる3種類の形態があることを明らかにしている.また,本研究での数値シミュレーションがこの2段階の点火現象を再現できることを確認している.点火の起こる場所などを評価することによって,それぞれの段階が液滴周囲の気相側での燃料-空気混合気形成とそれに伴うそれぞれの反応機構の活性の増減とによって進行してゆく過程が明確に説明されている.

 第5章では点火の誘導期間に関し,実験と数値シミュレーションによって解析が行われている.第4章で確認された冷炎と熱炎の発生に対し,それぞれ第1および第2誘導期間を定義し,その雰囲気温度または圧力依存性が実験的に調べられ,第4章で確立されている点火過程進行のモデルに従って解釈が与えられている.さらに,初期液滴直径の影響や対流の影響が実験的に評価され,また,数値シミュレーションによる感度解析によって第1誘導期間が輸送特性に,第2誘導期間が反応活性に主に支配されていることが明らかにされている.

 第6章は結論であり,本研究において得られた結果を要約している.

 以上要するに,本論文では,液滴周囲の非定常の温度分布の可視化,微小重力場を用いた実験,数値シミュレーションなどによって新たな点火形態を発見するとともに,点火過程をこれまでになく詳細に解析することによって,その構成過程を明らかにしている.さらに,異なる燃料,雰囲気条件や液滴径による点火特性を調べ数値計算による感度解析をも活用し,燃料の蒸発,拡散による混合気形成と2種類の反応機構との相互作用とそれら各々の点火過程における役割を明らかにしているさらにこれらを総括的に考察することにより単一燃料液滴,さらには不均質系一般の自発点火に関し示唆に富む知見を与えており,燃焼学上貢献するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54516