学位論文要旨



No 111819
著者(漢字) 大野,裕三
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ユウゾウ
標題(和) 結合量子井戸および量子細線における電子伝導
標題(洋) Electron Transport in Coupled Quantum Wells and Quantum Wires
報告番号 111819
報告番号 甲11819
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3617号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 土屋,昌弘
 東京大学 助教授 ファーソル,ゲルハルト
内容要旨 1.

 GaAsやAlGaAs等の半導体超薄膜を積層化した量子マイクロ構造の形成と,量子サイズ効果による特異な電子物性の研究が盛んに行われている.中でも,変調ドープ法により実現された高移動度の2次元電子やトンネル効果は,デバイス応用の観点からも非常に注目が集まっている.本研究では,量子力学的に電子がトンネル可能な障壁で隔てられた.結合量子井戸および量子細線構造における電子物性を調べ明らかにするとともに,そこで現れるいくつかの興味深い現象のデバイス応用への可能性を探索・提案することを目的としている.

 本論文は7つの章から成る.第1章では,序論として,本研究の背景,および目的について述べる.第2章では,不純物を選択的にドープした非対称移動度の2重量子井戸構造における共鳴移動度変調について,詳しい理論計算を行いその原理を述べる.また,不純物ポテンシャルの強さに対する礎気抵抗の依存性を調べ,共鳴時の電子の波動関数の形状を推測し,移動度変調効果の限界について考察する.第3章では,2重量子井戸と平行に印加した磁場が,電子の波動関数の共鳴トンネル結合に及ぼす影響について,理論および実験から明らかにする.第4章では,2重量子井戸と垂直に強磁場を印加し,面内の電子の運動を局在化させたときの共鳴トンネル結合について,得られた興味深い実験結果を提示する.第5章では,片方の量子井戸に周期ポテンシャルを重畳した2重量子井戸構造について,その中の電子状態を解析し,ゲート電圧による有効質量制御の可能性について論じる.第6章では.劈開再成長法により,幅50nmの量子細線の形成を試み,磁気抵抗振動の観測等を行っている.第7章は結論である.

 以下,本稿では論文の主要な部分である2章から6章までの要旨を記す.

2.不純物ドープ2重量子井戸における電子伝導

 第2章では,移動度が異なる2重量子井戸をチャネルとする電界効果トランジスタ構造(図1)を設計・試作し,面内の伝導測定により共鳴トンネル効果を調べた.その結果,ゲート電圧により単調に電子密度が増加するにも関わらず,面内のチャネル抵抗が最大でピーク/バレー比〜3に及ぶ負の伝達コンタクタンスが得られた.(図2.図3実線)これは,2つの量子井戸の準位が共鳴したときに,波動関数が非局在化して散乱頻度が強められる為である.

図1 不純物ドープ2重量子井戸構造の断面図.サンプルAは低濃度,サンプルBは高濃度でドープしてある.

 さらに,移動度が異なる2種のキャリアが存在する場合,垂直に磁場を印加すると磁気抵抗が増大することを理論的に示し,このことから共鳴時の波動関数の非局在性を実験により評価した.その結果,移動度を減殺するためにドープした不純物によるポテンシャルの乱れが小さい場合,磁気抵抗がゼロになることから,結合状態が形成されていることが示された.(図2●)一方,ポテンシャルの乱れ(量子化エネルギーの不確定さ)が共鳴トンネル時のエネルギー分裂輻より大きな場合では,完全な非局在化は行われないことを確認した.(図3●)

図表図2 サンプルAのチャネル抵抗のゲート電圧依存性(実線)と磁気抵抗(●). / 図3 サンプルBのチャネル抵抗のゲート電圧依存性(実線)と磁気抵抗(●).
3.平行磁場による共鳴トンネル抵抗の消失

 2次元電子系間のトンネル遷移は,障壁層に平行な磁場が加わると大きく変調される.これは,エネルギーおよび運動量保存則を満たすトンネル可能な状態数が磁場に強く依存するためである.第3章では,前章で述べた共鳴散乱抵抗に対する,面内磁場印加の効果を調べている.

 実験では,第2章で用いたサンプル(A)について調べた.共鳴散乱による抵抗のピークは,面内磁場により小さくなるが,面内磁場の方向がチャネルと平行な場合(図4)と垂直な場合(図5)とで大きく異なることを見いだした.

 抵抗ピークが小さくなるのは,共鳴時の対称/反対称状態な固有状態が磁場により混合し,それぞれが片方の量子井戸中に局在するようになったためであると考えられる.また,この効果は磁場と垂直な方向の速度を有する電子に対して大きく現れることを理論的に示し,実験結果の解釈を与えた.

図表図4 チャネルと磁場の方向が互いに平行の時のチャネル抵抗の面内磁場依存性 / 図5 チャネルと磁場が直交するときのチャネル抵抗の面内磁場依存性
4.強磁場による電子の面内局在化と共鳴トンネル結合

 トンネル方向と平行に磁場を印加した場合,磁場そのものはトンネル遷移に対して影響を及ぼさない.しかし,電子の面内運動は強磁場下では量子化され,その局在の程度により層と垂直方向のトンネル結合も影響を受ける.第4章では,2重量子井戸と垂直に磁場を印加したときの2次元電子系間の共鳴トンネルについて,特殊なホールバー素子を用いて調べている.

 測定に用いたホールバー素子には,チャネルを覆うゲートGと,各オーミック電極へつながるメサ上にゲートg1〜g5が形成してある(図6).g1〜g5により上側の量子井戸中の2次元電子のみ空乏させることで,各電極は下側の2次元電子にのみ電気的に接触するようになる.

図6 (a)高移動度2重量子井戸構造の断面図(b)メインゲートGとプローブゲートg1-5を有するホールバー素子の形状

 弱磁場においては、2つの量子準位が共鳴したとき、障壁層の実効的なトンネル抵抗が小さくなるので、両チャネルが各オーミックコンタクトでつながっているとき(以下"parallel"と呼ぶ)と、上側のチャネルが電気的に孤立している場合("floating")の両方とも,チャネル抵抗xx,ホール抵抗xyは同一になった(図7)。この共鳴点における強磁場中でのpxyを調べると、充填因子が整数になる磁場において,"floating"の場合xyにピークが現れ(図8),値はだいたい"parallel"のときの2倍になった.これは、フェルミ面近傍のバルクの電子状態が局在しているため、2重量子井戸間のトンネルが不活性になり、下側のチャネルのみが伝導に寄与するようになったためと考えられる.

図表図7 弱磁場(0.3T)におけるチャネル抵抗とホール抵抗のゲート電圧依存性.実線:上側の2次元電子は電極から切り離されている(floating).点線:並列接続(parallel). / 図8 共鳴時(Vg =-0.1V)での強磁場下のチャネル抵抗とホール抵抗.
5.周期ポテンシャルを有する2重量子井戸構造

 片方の量子井戸にのみ周期ポテンシャルを導入した2重量子井戸構造(図9)では,共鳴/非共鳴により電子の輸送が大きく変調される可能性が期待できる.第5章では,このように伝導電子の有効質量m*をゲート電圧Vgで制御する新しい手法を用いた(速度変調)トランジスタについて,数値計算を行い理論的解析を試みた.

 その結果,量子化エネルギーの分散関係(図10)において,自由電子の放物線的な分枝と面内超格子中の平坦な分枝が反交差し,エネルギーギャップが現れるのがわかった.フェルミエネルギーがちょうどこの近傍にあると,ゲート電圧のわずかな変化で,分枝の勾配(有効質量)が大きく変化し,伝導度が変調される.共鳴結合により電子の面内運動を完全に抑制できる点で,前章の不純物散乱よりデバイス応用の観点からは優れていると言える.

図表図9 (a)周期ポテンシャルを有する結合2重量子井戸構造の概念図(b)計算モデル / 図10 分散関係の計算結果.ゲート電圧(V0)を変えるとエネルギーギャップの位置が変化する.
6.劈開再成長法による量子細線の形成と電子伝導

 劈開再成長法は,横方向の閉じ込めポテンシャルを原子層オーダーで制御することが可能であることから,10nm程度の幅の単一モード量子細線や面内超格子を実現するのに最も有望な手法であると考えられる.これを確立するため,50nm幅のGaAs/AlGaAs多重量子細線(図11)を試作した.第6章では,その磁気抵抗振動を解析し,1次元サブバンド形成を検証している.

図11 劈開再成長法により試作したエッジ量子細線の構造断面図

 観測された磁気抵抗振動(図12)は,明らかに2次元系のそれとは異なり,ランダウプロット(図13)では直線(2次元)からの逸脱が顕著に見える.これらの結果から見積もった線幅は51nmで,試料のサイズとよく一致している.さらに,抵抗の温度依存性を調べたところ.でフィットできた.これは,理論的に示されている1次元電子系特有の電子間相互作用によるものと考えられる.

図表図12 試作した量子細線の磁気抵抗振動 / 図13 図12のランダウプロット
7.結言

 以上,結合量子井戸構造及び量子細線中の電子伝導について実験を行い,共鳴トンネル現象や1次元電子物性などについて理解を深めると共にいくつか興味深い現象を見出した.

審査要旨

 厚さ10nm程の半導体超薄膜からなる積層構造では、電子の量子力学的波動性が顕在化するため、膜に垂直方向の電子運動状態が量子化され、様々な新しい物性や機能が現れる。この量子井戸構造は、既に超高速トランジスタの伝導層や高性能レーザの発光層などとして用いられており、新しいエレクトロニクス材料として注目を集めている。この量子井戸構造をさらに発展させたものとして、複数の井戸層を積層化させた結合量子井戸や量子井戸内の電子運動を一方向だけに限定した量子細線構造がある。本論文は、そうした構造における電気伝導特性に関する研究を記したものであり、「Electron Transportin Coupled Quantum Wells and Quantum Wires(結合量子井戸および量子細線における電子伝導)」と題し、全7章より成っている。

 第1章は序論であり、本研究の背景、および目的について述べている。

 第2章では、不純物を選択的にドープすることにより電子の移動度を相違ならせた2重量子井戸構造における電子状態及び伝導特性に関する研究を記述している。特に、電子の波動関数の共鳴トンネル結合をゲート電圧で制御することにより、散乱頻度を共鳴的に強めて移動度を変調する現象を、理論計算と実験により定量的に論じている。また、不純物ポテンシャルの強さが増大すると、共鳴トンネル結合が不完全になることを磁気抵抗のゲート電圧依存性から明らかにし、移動度変調効果の限界を指摘している。

 第3章では、2重量子井戸中の結合した電子の波動関数に対し、層と平行に印加した磁場の効果を実験及び理論的考察から検討している。実験では、第2章で述べた共鳴的抵抗増大が面内磁場により減衰するのを確認し、共鳴時の対称/反対称な固有状態が、磁場により混合し、それぞれが片方の量子井戸中に局在するようになっていることを明らかにした。また、この効果は磁場と垂直な方向の速度を有する電子に対して大きく現れることを理論的に示し、実験結果とよい一致を得た。

 第4章では、量子ホール状態における2重量子井戸面内の電子伝導と共鳴トンネル結合について記述している。実験では、ホール効果素子の各端子につながるメサ形伝導路上にゲート電極を配置することにより、下側の2次元電子にのみ電気的に接触する素子を作製し、トンネルと電子・電子散乱による他方の2次元電子の伝導への寄与を系統的に調べている。その結果、強磁場下において占有数が偶整数になる毎に伝導が2層並列から1層単独に変化する様子を観測し、フェルミ面近傍の電子状態が局在化して、2重量子井戸間のトンネルが実効的に抑制されることを示した。さらに、磁気抵抗に異常なピークの出現を見出した。

 第5章では、片方の量子井戸に周期ポテンシャルを重畳した2重量子井戸構造について、その電子状態を解析し、ゲート電圧による有効質量を制御することの可能性について検討している。伝導電子の分散関係のゲート電圧依存性を計算して求めた結果、自由電子の放物線的な分枝と面内超格子中の平坦な分枝が共鳴トンネル効果により反交差するためエネルギーギャップが現れ、この大きさをゲートで制御できることを明らかにした。共鳴結合により電子の面内運動を完全に抑制できる点で、2章の不純物散乱よりデバイス応用の観点から優れていることを示した。

 第6章では、劈開再成長法によるエッジ量子細線の試作及びその電子伝導特性に関する研究が記されている。試作した50nm幅のGaAs/AlGaAs多重量子細線における磁気抵抗振動を解析し、1次元サブバンドの形成を検証した。さらに、1次元電子系特有の電子間相互作用によると思われる抵抗の特異な温度依存性を実験的に見出した。

 第7章は「結論」であり、本論文の主要な結論を述べている。

 以上これを要するに、本論文は半導体2重量子井戸及び量子細線構造を対象とし、共鳴トンネル結合など量子力学的効果に起因する新たな電子物性を、理論・実験の両面から明らかにしたもので電子工学に貢献するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1870