学位論文要旨



No 111835
著者(漢字) 嶋本,泰洋
著者(英字)
著者(カナ) シマモト,ヤスヒロ
標題(和) 遠赤外・ミリ波技術による半金属の超強磁場物性の研究
標題(洋)
報告番号 111835
報告番号 甲11835
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3633号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 講師 長田,俊人
内容要旨

 超強磁場下では伝導電子のエネルギー準位の量子化が極端に進み、種々の電子相転移が現れる可能性がある。特に、半金属であるグラファイトやビスマスは、通常の金属とは異なり、キャリヤ濃度が低く有効質量が小さい。そのため強磁場で、サイクロトロンエネルギーhe(e=eB/m)がフェルミエネルギーEFや伝導帯と価電子帯の重なりエネルギーよりも大きい量子極限状態に到達し、電子間相互作用が重要になる。本研究は、強磁場にして初めて出現する相転移現象に注目して、半金属グラファイトとビスマスの強磁場下電子状態を調べたものである。

 上記目的のため、一巻きコイル法や電磁濃縮法という破壊的な方法によってのみ発生可能な100T以上の超強磁場下の実験手段として、今回新たに、ミリ波光を用いた非接触で磁気抵抗の測定が可能なストリップライン実験技術を開発した。ストリップライン法とは、一辺が波長よりも充分に小さい矩形導波管の一部をサンプルに置き換え、その導波管を透過するミリ波光強度の磁場変化をみる方法である。これまで磁気抵抗の測定は非破壊パルス磁場(B<50T、パルス幅10ms)中に限られ、一巻きコイル法(パルス幅6s)を用いた100Tに及ぶ超強磁場中の測定は、その大きな誘導起電力(2で200V以上)のために非常に難しかった。図1が、今回開発したストリップラインと測定系である。

図1 ストリップラインの構造と実験配置

 半金属グラファイトは、低温強磁場で磁場誘起相転移を起こすことが知られている[1]。この相転移は、吉岡・福山(YF)理論[2]により、磁場中でランダウ量子化に伴い、エネルギースペクトルが一次元化し、2kF型の電荷密度波(CDW)が形成されるためだと考えられている。グラファイトはB>7.3Tで、4本のランダウサブバンド(n=0.-1)とスピン分離)のみがフェルミ面下にある擬量子極限状態になる。YF理論はn=0(スピン+)バンド上のCDW転移が最も高い臨界温度を与えることを予想している。この場合、n=0(スピン+)バンドが、より強磁場(〜62T)でフェルミ面から抜けるために、再び正常相ヘリエントラント型の相転移を示すことが予想される。本研究で取り上げたのは次の3点である。

 (1)B>50Tで輸送現象(磁気抵抗)の測定。

 (2)400Tまでの赤外サイクロトロン共鳴の測定。

 (3)Re(B)=0となる半金属特有の磁気ブラズマピークの相転移による変化。

 図2に、100Tまでのグラファイトのストリップライン透過スペクトルを示す。透過率の減少は磁気抵抗の増大を意味する。また、実験配置の関係で、ミリ波光の電場ベクトルは、試料中でc軸に平行な方向を向いている。図2に見られる低温・40T以上で透過率が急激に減少する変化は、磁場誘起相転移によるものである。c軸方向の伝導度に大きな変化が見られるのは、フェルミ面上にエネルギーギャップが開いたことによるギャップ間吸収によって説明できる。この結果は、ランダウ量子化によるc軸方向の一次元バンドに起因する2kF型相転移であることを支持している。

 (2)は、相転移に関係するn=0,-1バンドの状態を調べるために、赤外サイクロトロン共鳴の左右両円偏光に対する依存性を、最大400Tに及ぶ超強磁場下で測定した。図3に50Tにおけるランダウ準位の計算結果を示す。注目する遷移は、(0,1)(-1,1)(1,0)の3つである。括弧は(始状態のランダウ指数,終状態のランダウ指数)を意味する。(1,0)遷移は、n=0バンドがフェルミ面を抜けると現れる遷移である。一方、(0,1)遷移は消失する。解析は、遷移確率の計算から誘電率を求めて実験結果と比較することにより行った[4]。図4に、10.6,5.53,3.39mの3波長の磁気吸収スペクトルの実験結果を示す。正の磁場に電子アクティブ、負の磁場にホールアクティブの円偏光に対する磁場依存性をプロットしている。図5に、10.6mに対する誘電率の計算結果を示す。誘電率の虚部が吸収を表す。電子アクティブ側で、48T(10.6m)に観測された吸収ピークが(0,1)遷移である。ホールアクティブ側に観測される強い吸収ピークは、n=0(スピン+)バンドがフェルミ面をよぎることによって現れる(1,0)遷移である。誘電率の計算結果との比較から、バンドは、54Tでフェルミ面をよぎることが明らかになった。これは、従来の計算による予想よりも10T以上低い磁場である。以上の結果は、YF理論のn=0(スピン+)上で相転移が起きる予想を間接的に否定する結果である。一方、n=0(スピンー)バンドは、120T付近でフェルミ面を抜けることが予想されているが、200Tを超える磁場でも吸収ピークが残され、フェルミ面下にあることがわかった。これは、100Tを超える強磁場領域で、SWMハミルトニアンに基づくLandau準位計算がもはや正しくないことを意味している。

図表図2 ストリップライン法によるグラファイトの磁気抵抗測定低温で約50Tに相転移に相当する透過率の減少が見られる。 / 図3 50Tにおけるランダウ準位の計算結果。実線が電子アクティブ・点線がホールアクティブな遷移を表す。

 (3)は、相転移がサイクロトロン共鳴遷移に与える影響を明らかにする目的で、半金属特有の磁気プラズマ効果によって出現するピーク構造の温度依存性を測定した。この構造はRe(B)=0を満たす磁場値Bpで出現し、反射率に鋭い極小ピークを透過率に極大ピークを与えるという特徴をもつ。中村らは、Bpが(-1,0)遷移の影響を大きく受けることを指摘している[4]。図6に39.92mで測定された透過率の極大ピークの温度依存性を示す。相転移は、4.2Kで34T、1.5Kで27Tで生じる。極大ピークは、相転移が起きる磁場・温度領域でのみ強磁場側へ移動する。以上の結果は、相転移によって(-1,0)遷移強度が減少することによって定性的に説明できる。以下、変化の大きさを見積もってみる。相転移によってコヒーレントな状態にある電子は、コヒーレンス長を(=2/hvF)とすると、k=1/の範囲に存在する。バンドのエネルギー分散を直線で近似すると、コヒーレントな状態にある電子数の遷移可能な電子数に対する割合は、2/(E0-E1)程度である。ギャップ2-3kBTe-1meV、30TでE0-E1-12meVてあるから(-1,0)遷移強度の変化は約10%である。相転移によって(-1,0)遷移強度が10%減少すると仮定して誘電率を計算すると、Bpは0.6T強磁場に移動する。

 以上の実験結果とその考察から、グラファイトの磁場誘起相転移について次のことが明らかになった。

 ○相転移によってフェルミ面上にエネルギーギャップが出現することを初めて確認した。ギャップ間吸収と磁気プラズマビークの移動は、ランダウ量子化によるc軸方向の一次元バンドに起因する2kF型相転移であることを示している。

 ○n=0(スピン+)バンドは、従来の計算による予想より10T以上低い磁場54Tでフェルミ面を抜ける。これは、YF理論が予想するn=0(スピン+)バンドのCDW転移という描像のみで記述できないことを意味している。

 一方、ビスマスは、binary軸に平行に磁場を加えたとき、伝導帯と価電子帯の重なりが消失し半導体へ転移することが予想されている。三浦らは、電磁濃縮法による120Tまでの強磁場中で遠赤外光の透過率の磁場依存性を測定し、80T付近から急激に透過率が増大する変化を観測し、相転移との関連を議論している[5]。本研究では新たに80T付近でアルフェン波の干渉模様が消失し、ストリップライン透過強度が増大する変化を観測した。図7が実験結果である。これらは、半金属-半導体転移によってキャリヤ数が減少することに対応している。

図表図4.赤外サイクロトロン共鳴の円偏光依存性 / 図5 10.6mにおける誘電率の磁場依存性の計算結果。ホールアクティブ側で60T付近のピークが、n=0(スビン+)がフェルミ面を抜けて現れる(1+,0+)遷移である。 / 図6.磁気プラズマピークの磁場依存性。ピーク磁場で誘電率の実部がゼロになる。 / 図7.Biのアルフェン波の干渉模様とストリップライン透過光強度の変化。

 [1]S.Tanuma et.al.,"Physics in High Magnetic Fields",ed.by S.Chikazumi and N.Miura.(Springer,1981)p.316

 [2]D.Yoshioka and H.Fukuyama,J.Phys.Soc.Jpn.,50(1981)725

 [3]K.Nakao,J.Phys.Soc.Jpn,40(1976)761

 [4]K.Nakamura et.al.,J.Phys.Soc.Jpn.,53(1984)1164

 [5]N.Miura et.al.,Phys.Rev.Lett.49(1982)1339

審査要旨

 グラファイト、ビスマスなどの半金属はその有効質量が軽いために、強磁場中では電子準位の量子化が顕著になり、電子相転移など種々の量子現象を示す。最近超強磁場発生技術が発展し、メガガウス領域(100T以上)の超強磁場下での物性研究が可能になったが、超強磁場中での極端な量子極限における物性には多くの未知の問題が残されており、これらを探求することは量子極限下の電子状態という物性の基本的問題の解明につながるものである。メガガウス領域では、磁場パルス時間幅が短いために、物性測定には多くの技術的困難が伴うが、遠赤外、ミリ波スペクトロスコピーはもっとも有力な測定手段の一つである。本論文は、「遠赤外・ミリ波技術による半金属の超強磁場物性の研究」と題し、超強磁場下での新しい遠赤外、ミリ波スペクトロスコピー技術を開発し、これを用いてグラファイト、ビスマスの超強磁場下での電子状態、半金属―半導体転移、電子相転移などの超強磁場物性について行った研究をまとめたものである。

 第1章「序論」では、研究の目的、意義、論文の概要などが述べられている。

 第2章「半金属の強磁場物性と磁場誘起電子相転移」では、グラファイト、ビスマスにおける強磁場中電子準位と磁場誘起電子相転移について、従来の実験的研究とそれらを説明する既存の理論が要約されており、本研究の背景が述べられている。

 第3章「実験方法」では、本研究で使用した種々の実験技術が今回新たに開発した諸技術を含めて述べられている。本論文は、電磁濃縮法(500T)、一巻きコイル法(200T)による超強磁場、非破壊型パルスマグネット(40T)による長時間パルス磁場を用い、半金属のこれまでにない超強磁場下での物性を明らかにしたものであるが、それを可能にするための遠赤外・ミリ波技術の開発が一つの特徴となっている。超強磁場パルスは磁束密度の時間変化が大きいために、金属をその中に入れられないという制約をもつ。ストリップラインは磁場中でのミリ波伝導度を精度高く測定するために有用な方法であるが、上記の制約のためにこれまでパルス磁場中で使用されたことはほとんどなかった。超強磁場中では直流伝導度の測定が非常に困難であるだけに、ストリップライン法による高周波伝導測定が可能になれば非常に有用なものとなる。本研究では絶縁物を主体として新しい型のストリップライン装置を開発し、以下の研究に役立てた。またCO2レーザー励起遠赤外レーザーの短波長発振器やパルスマグネット用クライオスタット等の新しい装置を建設した。

 第4章「グラファイトの磁場誘起電子相転移の研究」では、グラファイトにおける実験結果とその解析が述べられており、第5章と並んで本論文の中心部分を成している。本研究では、電子準位間の共鳴的遷移による吸収と、非共鳴型の吸収による伝導度測定の2種類の測定を行っている。共鳴型吸収では、最高400Tに至る磁場中で円偏光を用いた共鳴スペクトルを測定し、(0,1)準位が54T付近でフェルミ準位を横切ること、またその一方で(0-)準位は200Tを超える磁場までフェルミ準位下に残されることを見出した。このことは(0,1)準位に基づいた吉岡・福山によるCDW理論に疑問を投げかけると同時に、既存のバンド理論がこのような強磁場では成り立たないことを示している。非共鳴型のミリ波伝導ではc軸方向の伝導を測ることになるが、40T付近にCDW相転移によってフェルミ面に開いたギャップ間の遷移によると思われる伝導度変化を見出した。c方向伝導度に吸収が現れることは、相転移がランダウ量子化による1次元バンドに起因する2kF型相転移であることを強く支持している。さらに磁気透過スペクトルにみられる磁気プラズマピーク位置が相転移によって強磁場側にシフトする現象を見出し、シフトの大きさからCDW形成に関与するサブバンドの数が複数あることを推論している。これらの新たに見出された知見は、グラファイトの電子相転移の機構解明にとって有力な手がかりを与えるものである。

 第5章「ビスマスの磁場誘起絶縁体転移の研究」では、ビスマスのbinary軸に平行な向きの強磁場を加えたときの磁気透過スペクトルについての測定結果と解析が述べられている。80-90T付近に透過が急激に増大する現象がみられた。またこれと同時にアルフェン波の干渉による振動が消失することも見出された。これらはビスマスの半金属-半導体転移によるものであり、以前行われた電磁濃縮法を用いた遠赤外透過スペクトルの測定結果を支持するものであるが、本研究では、同一試料について繰り返し測定を行ったために信頼性が非常に向上している。また透過率増大は、干渉効果のために測定条件によって様々変わることが分かり、転移磁場の決定のためには上記2種類の現象の観測が同時に必要であることが示されている。

 以上を要するに、本研究はメガガウス領域の超強磁場下で、遠赤外、ミリ波領域の磁気光学スペクトル測定を行うためのストリップライン法などの新しい技術開発を行い、これを用いて半金属であるグラファイト、ビスマスの量子極限下の電子準位、磁場誘起相転移の研究を行って多くの新しい現象を見出したものであり、物性物理学、物理工学の発展に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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