学位論文要旨



No 111837
著者(漢字) 竹中,康司
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,コウジ
標題(和) 高温超伝導体の異方的電子輸送現象 : YBa2Cu3O7-yの輸送係数におけるスピンギャップ効果
標題(洋)
報告番号 111837
報告番号 甲11837
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3635号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 永長,直人
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 岸尾,光二
 東京大学 助教授 高木,英典
内容要旨

 電気伝導、熱伝導、Seebeck効果などの電子輸送現象はFermi面近傍kBT程度の低エネルギー電荷励起に関わる物理現象である。この現象が超伝導研究にとって重要な意味を持つのは、それが超伝導の発現機構に直結しているからである。この意味で、伝導機構を探ることは、未解決の難題・高温超伝導現象の理解へ向けて突破口を開くと期待される。

 高温超伝導現象が物理的に興味深いのは、その高い転移温度もさることながら、それがおそらくは強い電子相関に起因していると考えられるからである。強い電子相関は高温超伝導体を舞台に様々な「異常な」物性を発現させるが、その象徴的な現象の1つが、YBa2Cu3O7-yなどで示唆されている「スピンギャップ」である。ここでは電荷にギャップが生じるよりはるかに高温でスピン励起にギャップが生じ、本来は1つの電子が持つべき2つの自由度、スピンと電荷、が見かけ上別々に振る舞っている。このような現象は通常の金属の概念とは相容れないものであり、高温超伝導の特異さを象徴している。

 本研究を一言で述べれば、スピン励起と電荷励起の間にあるこの「食い違い」-スピンギャップーに着目して典型的な高温超伝導体とも言えるYBa2Cu3O7-yの伝導機構を解明すること、となるだろう。この研究を通じて高温超伝導理論に対する1つの実験的要請を提示したい。

【1】試料の作製と評価

 電子輸送現象は試料全体の性質が反映される物理量であり、その意味で、試料に対する要求が厳しい。電子輸送現象に関して理論との精密な比較をするという本研究の目的を達成するためには良質の単結晶試料が不可欠である。本研究ではこれまでに、1)双晶欠陥の除去、2)大型化、の2つ点で結晶の質的向上に取り組んできた。

 双晶欠陥の除去は、1)測定した物理量から双晶欠陥による不確定を取り除き、2)双晶結晶を用いたのでは知り得ない異方性の議論を可能にする点で本研究には必要不可欠である。本研究では熱間で一軸応力を加える方法と自然に成長したドメインを温存する方法の2つを併用している。この方法により、従来は作製が困難であった還元組成も含めて任意の酸素組成を持つ結晶について双晶欠陥の除去が可能になった。これまでに最大で1.5×1.5mm2の単一ドメインを得るのに成功している。これらの非双晶単結晶により、輸送係数におけるa-b異方性の測定が可能になった。

 従来、YBa2Cu3O7-yの単結晶はc-軸方向に厚くなるに従って質が低下し、輸送係数の測定に耐え得るものはせいぜい厚さが数10m程度であった。このことはc-軸方向の輸送係数測定を困難にするだけでなく、面内の輸送係数に関してもその測定精度を低下させる原因になってきた。そこで本研究でも結晶の大型化に取り組み、これまでに厚さ0.2mm程度の結晶を、薄いものに遜色ないレベルで育成することに成功した。これにより、面内熱伝導度の測定精度を向上させることができた。

【2】異方的電気伝導[1]

 高温超伝導体の電気伝導には面内と面間で大きな異方性があることが知られていたが、その起源は完全に理解されているとは言い難い状況であった。一方、伊藤らはYBa2Cu3O7-yの面内電気抵抗率abがスピン励起スペクトルにおけるギャップの形成にともないT-linearより急激に減少することから、CuO2面内の電荷応答はスピン散乱に支配されていると結論づけた[2]。上記の研究をふまえ、スピンギャップの形成が面間の伝導にどのような影響を与えるか、そして面間の伝導を決定づける因子は何かを、面内の伝導との相関の観点から探る目的で、非双晶単結晶を用い異方的な電気抵抗率の測定を行った(図1および図2)。

図表図1 YBa2Cu3O7-yの異方的な電気抵抗率aおよびc. / 図2 YBa2Cu3O7-yの異方的な電気抵抗率a(実線)およびb(破線).

 本研究により、(1)aは、90K-試料では転移温度直上から室温までの広い温度領域でT-linearを示すが、還元組成の試料では低温でT-linearより逸脱すること、一方、(2)cは、高温で金属的(dc/dT>0)であるが低温で半導体的(dc/dT<0)になること、そして、(3)それらの変化が生じる温度は面内と面間で同程度であり、ともに酸素組成の減少に従い高くなることが明らかになった。このことは、aにおけるT-linearからの逸脱とcにおける非金属的な伝導への移行が呼応していることを示すものであり、スピン励起におけるギャップの形成が面内だけでなく面間の電気伝導にも影響を与えている可能性を示唆している。

【3】面内熱伝導と電気伝導[3]

 YBa2Cu3O7-yにおける異方的な電気伝導の研究により、YBa2Cu3O7-yの電気伝導はスピン励起の観点から統一的に説明される可能性があることが明らかになった。「電荷キャリアの散乱体としてのスピン励起」についてさらに踏み込んだ議論をする目的で、YBa2Cu3O7-yにおける面内熱伝導度abの測定を行った。すなわち、スピンギャップによると思われるab(a)での異常―T-linearからの逸脱-がabにどのような効果を与えるのかを調べた。

 本来、熱的な緩和と電気的な緩和はその機構が異なるものであり、そのちがいを明らかにすることで、本物質における伝導あるいは散乱機構に対して提唱されているモデルの絞り込みが可能になる。また、超伝導状態について準粒子による熱伝導を議論できれば、超伝導ギャップが準粒子に与える影響や、さらにはその議論を通じてスピンギャップと超伝導ギャップの関係についての知見が得られると期待できる。

 本研究の目的は電子(電荷キャリア)の運ぶ熱伝導度elを詳細に検討することにあるが、実測された量abにはフォノンによる熱伝導度phが含まれている。そこで、まず実験的にphを見積もり、それを用いてelを求めることにした。はじめにそのphの見積もりについて説明する。図3には様々な絶縁体組成(6.067-y6.34)のYBa2Cu3O7-yについて測定されたabの結果を示す。この組成では電子の寄与はないと考えられる(図3挿入図)。酸素の導入にともないその絶対値が減少していくのが特徴であるが、〜6.25、〜6.34のabについては、室温付近のおそらくはマグノンによると思われる相違を除いてほとんど同じであることがわかる。このことから本研究では60-K相をも含む中間酸素組成(6.257-y6.68)ではphが酸素量によらないとして7-y〜6.34のabをそ共通のphとみなすことにした。

 ここでphの見積もりについて2つ補足しておく。はじめは格子-電子相互作用を無視して、絶縁体のphを金属のphとみなせるのかという疑念についてである。一般的に電子との散乱によって生じるフォノンの熱抵抗率はフォノンとの散乱によって生じる電気抵抗率と結びついており、通常の金属でそれは

 

 と表される(ここでnaは1原子あたりの電子数)。YBa2Cu3O7-yにおいてはが小さいと考えられており[2]、したがって本研究におけるphの見積もりで格子-電子相互作用を無視した。このことはTc以下で見られるabの大きなピークがelによるものであることを意味している。次に格子-スピン励起(マグノン)相互作用がフォノン熱抵抗Wpに与える影響である。スピン励起はそれ自体熱を運ばないとしても散乱体にはなり得る。しかし低温でboson-boson散乱が残るとは考えにくいし、また、高温でのWpの振る舞いが、フォノン-フォノンのU-過程に起因すると思われるT-linear項と、フォノンが不純物や格子欠陥に散乱されることからくると思われる定数項の和としてほぼ理解できることから、スピン励起による散乱は主要なフォノンの散乱体ではないと考えられる。

 次に図4に金属組成(7-y〜6.68,6.93)のab(実線)と先ほど見積もった60-K相のph(破線)を示す。金属組成でのabは(1)Tc以下でのピークと(2)常伝導状態の、T-1的減衰で特徴づけられる。酸素量が減少すると絶対値は小さくなるが、本質的な変化はない。ここで60-K相についてはabphとの差がelとなる。その結果を図5に示す。このelabにおいてT-linearからの逸脱が顕著になる低温を除いてほとんど温度によらない。もし仮に電気伝導で現れた緩和時間の増大がそのまま熱伝導に反映されるならば、すなわちWiedemann-Franz則が成り立つならば、同時に図5に示したLab/T(ここでは室温でelに一致するようにLを定めてある)のように、スピンギャップの形成温度200K付近から低温でelが増大するはずである。両者の違いはLorenz数Le(T)により明確に表現される(図6)。Leは、abelの違いを反映して、室温付近で比較的温度依存性が弱いもののスピンギャップ温度以下では温度の減少とともに小さくなっていく。すなわち、スピン励起にギャップがない状態ではWiedemann-Franz則が成り立つが、ギャップが生じると成り立たなくなる。

 なお、90-K相については実験的にphを定めることができないため、以下のようにphelを見積もった。60-K相での議論とabがTc直上までT-linearであることを考えあわせると、常伝導状態ではWiedemann-Franz則が成り立つと考えられる。従ってel〜6.0W/mKと見積もられる。ここでLorenz数Leは60-K相の室温での値〜3.1-8W/K2とした。abとこのelの差がphとなるが、それはおよそ(T+W0)-1(=5.50x10-4m/W、W0=4.48×10-2mK/W)と表現できる。これを高温部のphとし、一方、低温部を、chain-layerの乱雑さがほぼ同じと考えられる〜6.06のabに等しいとした。両者の接続はなめらかであった。こうして見積もったphを図4に破線で示した。

 次に超伝導状態についてみてみる。Tc以下でelは増大を示すが、その大きさはマイクロ波吸収の実験から求めた電気伝導度の実部1(T)における増大に比べると小さく、その結果、LeはTc以下で減少する。すなわち、Tc以下でWiedemann-Franz則が破れる(図6)。これは電子-格子相互作用が支配的な通常の超伝導体とは対照的であり、散乱の機構、そして、対形成の機構が電子系に内在するものであることを示唆している。また、スピンギャップ温度でもTc以下でもWiedemann-Franz則が破れることから、スピンギャップと超伝導ギャップは、準粒子励起に与える影響の点で本質的に同じであると考えられる。

図表図3 YBa2Cu3O7-yの面内熱伝導度ab(絶縁体組成;6.067-y6.34).挿入図に同じ試料について測定された電気抵抗率abを示す. / 図4 YBa2Cu3O7-yの面内熱伝導度ab(金属組成;7-y〜6.68,6.93).破線は本研究で見積もられた面内熱伝導度に対するフォノンの寄与ph.挿入図に同じ試料について測定された電気抵抗率abを示す.図表図5 本研究で見積もられた面内熱伝導度に対する電子の寄与el.60-K相について、電気伝導に現れた緩和時間の増大が熱伝導にそのまま反映されるとするなら、破線で示したようになることが期待される. / 図6 Lorenz数Le(T).Tc以下の破線はマイクロ波吸収の実験で得られら電気伝導度の実部1(T)(D.A.Bonn et al.,Phys.Rev.B47,11314(1993).)を用いて求めた.

 これまでは、スピン励起にギャップが生じるとそれだけ散乱体の数が減少しそのために散乱が抑制される、と単純に考えていた。しかし、本研究の結果はこのような描像では不十分であることを示している。その原因としてもっともあり得るのは、散乱の機構が散乱体であるスピン励起の波数に依存するということである。この研究とNMRの実験結果((T1T)-1とKnight-shift)とを対比させて散乱の波数依存性を考慮することで、どの波数の励起が散乱に主要であるか識別できる可能性がある。

参照文献[1]K.Takenaka,K.Mizuhashi,H.Takagi,and S.Uchida,Phys.Rev.B50,6534(1994).[2]T.Ito,K.Takenaka,and S.Uchida,Phys.Rev.Lett.70,3995(1993)[3]K.Takenaka,Y.Fukuzumi,K.Mizuhashi,S Uchida,H.Asaoka,and H.Takei,in preparation
審査要旨

 高温超伝導体は、その異常に高い臨界温度もさることながら、その常伝導状態において様々な異常な物性を示す。異常物性の中心的現象としてスピンギャップが指摘される。電子のもつスピンと電荷のうち、常伝導状態ではスピンに関係した励起にのみエネルギーギャップが開くというものであり、あたかも電子のスピンと電荷が独立に運動しているようにみえる現象である。本論文は、スピンギャップが最も基本的な物性である電気伝導や熱伝導に及ぼす影響を実験的に解明したものである。研究は代表的な高温超伝導体YBa2Cu3O7-yの高純度単結晶育成、双晶欠陥除去による完全結晶作成、そして結晶の完全性を保った状態での酸素量(ドーピング量)制御の成功に基づき、電気抵抗率、熱伝導度のドーピング依存性を系統的に追求することにより行われた。 本論文全体は6章と補章としての2章から成る。

 序及び第1章では、本研究の背景、目的、意義が述べられている。

 第2章は、本研究の骨格をなす試料の作製と評価についての章であり、YBa2Cu3O7-y結晶の育成、酸素量の制御法が述べられている。これらの技術は著者の所属する研究室において確立されたものであるが、著者は結晶育成の際のるつぼ材の選択により汚染の少ない高純度結晶が得られることを示した。更に、一軸性の応力下のアニールあるいは温度勾配を結晶成長の際にかけることにより双晶欠陥の除去に成功、また結晶の完全性を保ったまま酸素量の可変制御を可能にする方法を開発した。これにより結晶のa,b,c3軸すべての方向の電気抵抗率測定が可能になり、1次元CuO2鎖と2次元CuO2面からの寄与を分離することができるようになった。

 第3章は電気抵抗率の異方性の測定法、熱伝導度測定法で1mm未満の小さな試料への電極付けなどが述べられている。

 第4章と第5章には、本研究における主要な実験結果が示されている。ここに示された実験結果は、ほぼ完璧なものでCuO2面で実現している特殊な金属状態における電子輸送現象の特徴をあますところなくとらえているという意味で世界的にも他の追随を許さないものである。特に、本研究での重要な知見は、CuO2面間の半導体的な電気伝導とスピンギャップの存在が密接に関係していること、そしてスピンギャップの及ぼす影響が電気伝導と熱伝導とで異なっていることである。

 第6章では、これらの実験結果にもとづき、電荷の運動を表す電子輸送現象にスピンがどのようにかかわっているのか、電気伝導と熱伝導に対するスピンギャップの影響の違いがどのように説明されるかを議論している。

 補章においては、上記研究の副産物として、双晶欠陥のないPrBa2Cu3O7の結晶成長と、この物質に対する光学測定等の結果が示されている。この結果は、かねての謎であった同物質の非超伝導性を説明するもので、世界的にも注目を集めた実験結果である。

 以上を要するに、本論文は代表的高温超伝導体YBa2Cu3O7-yの双晶欠陥を除去した完全単結晶成長と完全結晶の酸素量可変制御の技術的開発と、電子輸送現象測定による高温超伝導体の電気伝導機構解明の手掛かりとなる基本的なデータを提供したもので、その業績は物性物理学、物理工学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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