半導体表面に形成された微細構造において発現する特異な性質は、表面物理とナノスケール量子デバイス開発の境界領域の研究対象であり、将来の応用の可能性に着目して、活発な研究活動が現在進められている。本論文は、半導体表面における自発的微細構造形成過程のひとつとして知られている単原子ステップの積層過程(ステップバンチング)に注目し、ステップバンチング形成過程に及ぼす様々な要因を実験的観察に基づいて明らかにするとともに、ステップ表面における原子輸送ダイナミクスの数値シミュレーションによって、ステップバンチング生成の原子過程についての考察を行ったものである。実験は、ガリウム砒素の微傾斜表面を試料として行われ、MOCVD成長条件とアルシン/水素雰囲気での熱処理条件の二つの条件の下でのステップバンチング形成を論文の主題としている。 本論文は、5章よりなる。 第1章は序論であり、本研究の背景が述べられている。表面上に存在するステップ構造の研究対象としての意味について述べた後、ステップが直接的に関与する表面現象として近年注目されるようになってきたステップバンチング現象についての導入的な解説を行っている。 第2章は本論文の主題である半導体表面におけるステップバンチングに関する従来の研究の発展を系統的に整理している。現在もっとも盛んに研究され、詳しく現象が解明されているシリコン表面上で観測されるステップバンチング現象についてまとめた後に、ガリウム砒素表面上で生成するステップバンチングについての研究に関して現在までに知られている知見が要約され、本研究との関わり合いについての議論がなされている。 第3章では、ステップバンチング生成過程の実験とその結果が述べられている。実験は、MOCVD成長装置と走査トンネル顕微鏡(STM)を主要な装置として行われ、これらの装置に関する簡略な説明と一般的な実験条件についての記述が初めの部分でなされた後、本研究で得られた実験結果が示され、それらの定性的解釈が述べられている。実験成果の主要なものは次のとおりである。 (1)MOCVD成長条件でのステップバンチングを様々な条件下で測定したデータを基にして、ガリウム砒素微斜面上でのステップバンチングにおいて結晶成長がステップバンチングの必須条件ではないという結論を得て、これをアルシン/水素雰囲気中での熱処理により例証した。 (2)熱処理によって生成するステップバンチングの時間発展を測定し、アルシン分圧、基板温度、基板微斜角方位などが定常状態のステップバンチングの形態に及ぼす影響を明らかにした。また、ステップバンチングにおける飽和テラス幅の温度依存性を定量的に明らかにした。 (3)気相のアルシンと水素の存在がステップバンチングに与える影響を明らかにするため、アルシン/水素、水素、窒素の各雰囲気中で基板熱処理を行い、水素の存在がステップバンチング成長に本質的であることを明らかにした。 これらの実験結果の定性的解釈は、ステップバンチングにおけるステップ端揺らぎとテラス幅に注目してなされ、ガリウム砒素表面の基礎的な知見から類推される結論と良い整合性をみせた。また、熱処理条件下でのステップバンチング成長の機構に関する考察では、実験結果の統一的解釈が従来のモデルでは困難なことを示し、ステップ端に吸着した水素もしくは砒素/水素複合体がステップ端におけるガリウム原子の会合・脱離過程に異方性を与えるという新たなモデルを提唱している。 第4章では、第3章で得られた実験結果を微視的な表面原子過程によって解釈するためのモデリングとその結果が述べられている。モデリングは、ステップ端からの原子の脱離、表面拡散、ステップ端への拡散原子の会合という3つの過程から構成され、熱処理条件下でのステップのダイナミクスを記述している。従来のモデリングが結晶成長条件下でのものがほとんどであったの対して、今回のモデリングでは、熱処理条件下でのステップの挙動を追跡できることに特徴がある。このモデリングにより、ステップ端における脱離と会合過程の異方性がステップバンチング生成に大きな影響を及ぼすことが定性的に示された。 最後の第5章には、本研究の結論がまとめられている。 以上を要するに、本研究は、ガリウム砒素微斜面上でのステップバンチング形成過程に及ぼす気相圧力、温度、処理時間、微斜面方位などの影響を実験的に明らかにすると共に、熱処理条件下でのステップバンチング生成過程における表面原子過程の特徴の一端を数値シミュレーションによって明らかにしたものである。これらの業績は、表面物理学とナノスケールエンジニアリングの今後の発展に寄与するところが大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |