学位論文要旨



No 111840
著者(漢字) 畠,賢治
著者(英字)
著者(カナ) ハタ,ケンジ
標題(和) GaAs微傾斜基板上でのステップバンチング形成過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 111840
報告番号 甲11840
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3638号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 荒川,泰彦
内容要旨

 従来、MOCVDエビタキシャル成長に起因すると考えられていた、GaAs微傾斜基板表面上に発現するステップバンチングが、結晶成長の雰囲気中(アルシン、水素)で基板を熱処理することによっても生成することを見いだした。このことは、GaAs微傾斜基板表面上のステップバンチング現象のダイナミクスを考える上で非常に重要な発見であった。一般に結晶成長は熱非平衡過程であるのに対し、熱処理は逆に熱平衡状態へと表面を変容させる。つまり、この発見により、熱非平衡状態のみならず、熱平衡状態においてもステップバンチングが存在するということが明らかになった。このことはアルシン、水素雰囲気中で熱処理された表面上のステップのダイナミクスにおいて、ステップバンチング現象が非常に本質的であることを強く示唆するものである。現在ではこの熱処理により生成するステップバンチングは広くその存在が認知され、盛んに研究されている(APL,1993)。さらに、この熱処理によって生成するステップバンチングに関する形態、発展、ダイナミクスなどの総合的な理解を深めるためにその時間発展を観測した。その結果、ステップバンチングはある特定のサイズまで発展すると、成長が自己停止することが判明した。表面が気相と熱平衡に達したと考えられる。また、発展の途中で<210>,<310>方位軸の面指数を持つ高指数面(ブランチ)が自発的に発現し、バンチングの生成に大きな役割を果たしているものと解釈された。これらのブランチは強く配列する傾向を示した。(JAP,1994)。

 次に、アルシン分圧、基板温度、基板微斜角方位などの各熱処理条件が熱平衡なステップバンチングの表面モフォロジーに多大な影響を及ぼすことを、包括的な一連の実験によって示した。実験結果はステップバンチングのステップ端の揺らぎの度合い、ステップバンチングのサイズの二観点から分析された。ステップ端の揺らぎの程度は各種量子構造を作成する上で、ステップバンチングのサイズはこの現象のメカニズムを解明する上で重要なファクターである。

 熱処理温度700℃の場合、アルシン分圧が高い領域ではB面のステップ端はA面のそれに比して揺らぎの程度、ブランチの数とも小さい。実際、この実験条件は直線的なステップ端が作成において不可欠な分数超格子作成条件と同一である。アルシン分圧を下げるにつれA面、B面のステップ端の揺らぎの程度の違いは小さくなり、ついには、低アルシン領域では逆転し、A面のステップ端がB面のものより直線的になる。これはMOCVD環境下でB面より直線的なステップ端を持つA面の初めての報告例である。熱処理温度600℃の場合、常にB面のステップ端はA面のそれに比して直線的であるが、その相違は700℃の場合程顕著ではない。

 A面,700度はアルシン分圧とともにステップバンチングのサイズは増加するがB面,700度はアルシン分圧に依存しないもしくはすこしサイズが小さくなる。A,B面,600度はアルシン分圧にあまり依存しない。A,B面700度アニールよりもステップバンチングのサイズは大きい。

 バンチングの主生成要因を明らかにするために、水素雰囲気中でGaAs基板を熱処理し、表面モフォロジーを観測した。基板表面上に小さいながらもステップバンチングが観測され、水素がステップバンチングを誘起していることが強く示唆された。

考察

 1)熱平衡なステップバンチングのサイズは大きく熱処理条件及び基板微斜角方位に依存する。この依存性を理解するためにまず始めにステップバンチングの生成因について考察を加えた。今回行なわれたすべての実験条件、すべての基板上でステップバンチングが観測され、単原子ステップ配列は一度も観測されなかったこと、逆にMBE成長表面や超高真空中で熱処理した表面上ではステップバンチングは生成しないことより、ステップバンチングの生成因は熱処理に用いるアルシンもしくは水素であると結論づけた。この結果を踏まえ、現在までに知られているステップバンチングの生成因によって実験結果を説明できるかどうかを一つ一つ丹念に検討した結果、ステップ端に吸着した水素もしくはAsHxがGa原子の隣接テラスへの脱離確率を反転させた結果としてステップバンチングが誘起されるという簡単なモデルを提唱し、同モデルにより実験結果の定性的な解釈が可能なことを示した。

 2)ステップバンチングのステップ端の揺らぎに関する実験結果はA面、B面のステップ端付着確率のアルシン分圧依存性及び、アルシン分圧による表面再構成のC(4x4)-(2x4)への相転移の実験結果から予想される結果と良い一致を見せた。

 3)ブランチは強く配列する傾向をの様子を簡単に再現できるモデルを提唱した。

熱処理下におけるステップのダイナミクスを記述する理論-DDI理論-

 結晶成長中のステップのダイナミクスを記述する理論はBCFの歴史的論文に端を発しているといって過言ではない。BCFタイプの理論の核心はテラス上で成立するマクロスコピックな拡散方程式をステップ端での境界条件の元で解くことにある。方程式の解、つまりステップのダイナミクスは、採択された境界条件によって特定化されるが、方程式がマクロスコピックなものである故に現実的な境界条件を扱うことができない。このことがBCFタイプの理論が抱える本質的な問題である。そこでこの問題点を打破するために、表面上に存在するすべての拡散原子の全ての動きを追跡し、ステップにおける吸着と脱離のトータルバランスからステップの発展を導出するミクロスコピックな理論(DDI)を提案した。この理論の骨幹はステップからの原子の脱離過程、表面拡散、ステップへの拡散原子の取り込み過程といった真に基本的なカイネティクスのみを考察し、現実的なステップ端での原子の動きを取り込んだことにある。また、吸着確率など従来の理論では評価が困難であった物性値も評価することができ、熱処理中のステップのダイナミクスを記述するのに適切である。この理論を用いて上記した実験結果の定量的な解釈を試みた。

審査要旨

 半導体表面に形成された微細構造において発現する特異な性質は、表面物理とナノスケール量子デバイス開発の境界領域の研究対象であり、将来の応用の可能性に着目して、活発な研究活動が現在進められている。本論文は、半導体表面における自発的微細構造形成過程のひとつとして知られている単原子ステップの積層過程(ステップバンチング)に注目し、ステップバンチング形成過程に及ぼす様々な要因を実験的観察に基づいて明らかにするとともに、ステップ表面における原子輸送ダイナミクスの数値シミュレーションによって、ステップバンチング生成の原子過程についての考察を行ったものである。実験は、ガリウム砒素の微傾斜表面を試料として行われ、MOCVD成長条件とアルシン/水素雰囲気での熱処理条件の二つの条件の下でのステップバンチング形成を論文の主題としている。

 本論文は、5章よりなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景が述べられている。表面上に存在するステップ構造の研究対象としての意味について述べた後、ステップが直接的に関与する表面現象として近年注目されるようになってきたステップバンチング現象についての導入的な解説を行っている。

 第2章は本論文の主題である半導体表面におけるステップバンチングに関する従来の研究の発展を系統的に整理している。現在もっとも盛んに研究され、詳しく現象が解明されているシリコン表面上で観測されるステップバンチング現象についてまとめた後に、ガリウム砒素表面上で生成するステップバンチングについての研究に関して現在までに知られている知見が要約され、本研究との関わり合いについての議論がなされている。

 第3章では、ステップバンチング生成過程の実験とその結果が述べられている。実験は、MOCVD成長装置と走査トンネル顕微鏡(STM)を主要な装置として行われ、これらの装置に関する簡略な説明と一般的な実験条件についての記述が初めの部分でなされた後、本研究で得られた実験結果が示され、それらの定性的解釈が述べられている。実験成果の主要なものは次のとおりである。

 (1)MOCVD成長条件でのステップバンチングを様々な条件下で測定したデータを基にして、ガリウム砒素微斜面上でのステップバンチングにおいて結晶成長がステップバンチングの必須条件ではないという結論を得て、これをアルシン/水素雰囲気中での熱処理により例証した。

 (2)熱処理によって生成するステップバンチングの時間発展を測定し、アルシン分圧、基板温度、基板微斜角方位などが定常状態のステップバンチングの形態に及ぼす影響を明らかにした。また、ステップバンチングにおける飽和テラス幅の温度依存性を定量的に明らかにした。

 (3)気相のアルシンと水素の存在がステップバンチングに与える影響を明らかにするため、アルシン/水素、水素、窒素の各雰囲気中で基板熱処理を行い、水素の存在がステップバンチング成長に本質的であることを明らかにした。

 これらの実験結果の定性的解釈は、ステップバンチングにおけるステップ端揺らぎとテラス幅に注目してなされ、ガリウム砒素表面の基礎的な知見から類推される結論と良い整合性をみせた。また、熱処理条件下でのステップバンチング成長の機構に関する考察では、実験結果の統一的解釈が従来のモデルでは困難なことを示し、ステップ端に吸着した水素もしくは砒素/水素複合体がステップ端におけるガリウム原子の会合・脱離過程に異方性を与えるという新たなモデルを提唱している。

 第4章では、第3章で得られた実験結果を微視的な表面原子過程によって解釈するためのモデリングとその結果が述べられている。モデリングは、ステップ端からの原子の脱離、表面拡散、ステップ端への拡散原子の会合という3つの過程から構成され、熱処理条件下でのステップのダイナミクスを記述している。従来のモデリングが結晶成長条件下でのものがほとんどであったの対して、今回のモデリングでは、熱処理条件下でのステップの挙動を追跡できることに特徴がある。このモデリングにより、ステップ端における脱離と会合過程の異方性がステップバンチング生成に大きな影響を及ぼすことが定性的に示された。

 最後の第5章には、本研究の結論がまとめられている。

 以上を要するに、本研究は、ガリウム砒素微斜面上でのステップバンチング形成過程に及ぼす気相圧力、温度、処理時間、微斜面方位などの影響を実験的に明らかにすると共に、熱処理条件下でのステップバンチング生成過程における表面原子過程の特徴の一端を数値シミュレーションによって明らかにしたものである。これらの業績は、表面物理学とナノスケールエンジニアリングの今後の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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