学位論文要旨



No 111841
著者(漢字) 三井,隆也
著者(英字)
著者(カナ) ミツイ,タカヤ
標題(和) 高速磁場変調下における57FeBO3結晶からのX線/核共鳴散乱の動的過程
標題(洋)
報告番号 111841
報告番号 甲11841
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3639号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊田,惺志
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 助教授 石川,哲也
 東京大学 助教授 高橋,敏男
内容要旨

 本研究では、放射光を利用した時間領域でのメスバウアー分光法による新たな研究手法開発の一環として、磁場変調下における核共鳴散乱の時間発展過程が調べられた。本論文は、試料の準備、高周波磁場発生装置、パルス磁場発生装置の開発といった実験準備を含めた一連の研究成果をまとめたものであり、以下のような内容で構成されている。

 第1章: 第1章では、核共鳴散乱に関する基本的事項と、放射光を線源とした核共鳴散乱実験の現状、及び発展の動向についての概説を行い、代表的な分光法となっている純核ブラッグ反射、メスバウアー時間スペクトル、高分解モノクロメータを利用した核共鳴前方散乱法について説明する。

 第2章: 散乱体としての磁性体への変動磁界印加が、メスバウアースペクトルに与える影響についての研究は、メスバウアー効果発見(1958)の初期の頃から興味がもたれていた。第2章では、この分野の研究、発展の経緯について概説する。さらに、この種の実験を行う場合に生じる放射性同位元素を利用したエネルギー領域でのメスバウアー分光法の限界と放射光を利用したメスバウアー時間スペクトル法が提供する利点を指摘し、本研究で行う実験について説明する。

 第3章: 第3章では、磁気的摂動がある場合の核共鳴散乱の理論的側面を示す。特に、放射光により孤立核57Feが瞬間的に励起を受けた後の時刻t0で、内部磁場が高速回転するような非定常系を量子力学的に取り扱う。内部磁場回転に伴い生じる核の励起準位のサブレベル間の粒子占有率の変化が、時刻t0以降の核共鳴散乱の放射特性にどのような影響をもたらすのか明らかにする。

 第4章: 良質の57FeBO3単結晶は、外部からの高周波磁場の印加に対して磁気弾性波が共鳴的に励起され、パルス磁場の印加に対しては、nsオーダーの高速な磁化応答を示すため、本研究用の試料として適している。第4章では、反強磁性完全単結晶57FeBO3の結晶構造、超微細構造、純核ブラッグ反射条件、及び外場に対する高速磁化応答について説明を行い、平成3年度より東京大学物性研究所でフラックス法により計4回育成された57FeBO3に対し、X線二結晶法による回折強度曲線とトポグラフによる結晶評価実験を行った結果をまとめた。評価実験では、まず、自然鉄により育成された試料の評価を行い、最適な育成条件を決定し、その後、実験用の試料として、57Feを95%富化した結晶の育成、評価が行われた。結果として、平成4年度育成分の57FeBO3結晶に、回折強度曲線の反値幅の値が理論値5〜6"に対して実験値で14.4"程度の完全性を持つものを得ることに成功した。

 第5章: 反強磁性体57FeBO3単結晶に励起された磁気弾性波が結晶完全性に与える影響を放射光の大強度X線を利用したストロボトポグラフの方法で可視的な観察を行い、この結晶性の変化が核共鳴散乱の回折強度のどのような影響を与えるかを明らかにする事を目的として、外部トリガーに同期可能な高周波磁場発生装置の開発を行った。第5章では、装置回路の基本構成の説明と装置の性能評価実験結果についてまとめた。装置は、直径20mmのヘルムホルツコイル中に397kHz、794kHz、1568kHz、2362kHzの各周波数で、150e以上の振幅をもつ極めて安定した正弦波磁場を発生させることに成功した。

 第6章: 反強磁性体57FeBO3に磁気的変調を加えた場合の核共鳴散乱の時間発展過程を研究するために必要なパルス磁場発生装置の開発、及び装置の性能評価を行った。第6章では、パルス磁場の発生法として採用したトランジスタ増幅法についての説明と、その装置の性能評価実験結果についてまとめた。評価の結果、発生磁場波形の立ち上がり、立ち下がり時間は、それぞれ25.2ns、6.9nsで、最大磁場27.6Oeとなっており、57Feの崩壊時間[約144ns]に比べて十分速い特性を示し、本装置が実験での使用に耐えるものであることが示された。

 第7章: 第7章では、本実験で利用された放射光施設(AR-NE3)の実験環境についての概説を行う。放射光(AR)のもつ特徴について説明した後、核共鳴散乱の実験で使用したビームラインAR-NE3について、真空封止型アンジュレータ装置、X線光学系、精密ディフラクトメータ、及び高分解能モノクロメータについての解説を行い、入射X線の共鳴エネルギーへの波長合わせの方法について簡単に説明する。

 第8章: 第8章では、高周波磁場印加に伴い共鳴励起された磁気弾性波が、57FeBO3の結晶性、核共鳴ブラッグ散乱の回折強度に与える影響をX線ストロボトポグラフィーによる時分割観測と純核ブラッグ反射された核共鳴線の時間遅れ成分のみを計測した回折強度曲線で調べた実験について詳述する。実験では、放射光からのパルスX線をSi(111)二結晶モノクロメータにより波長を14.4keV近傍に分光した後、放射光パルス周期の3倍の周波数(2.38MHz)で同期をとった高周波磁場を試料に57FeBO3(111)面に平行に、散乱面に垂直に印加し、X線の入射と印加磁場波形との位相関係を変化させながら、電子散乱の許容な57FeBO3(444)のトポグラフが撮影された。トポグラフには、周期性を持つ二次元的パターンがあらわれ、そのコントラストが外場の周期の二倍の周期で変化することが初めて視覚的に示された。このことは、磁気弾性波の共鳴励起が、Plane-Modeで起きていることを意味している。一方、高周波磁場が印加された場合の電子禁制-核許容の反射面57FeBO3(333)からの回折強度曲線のピーク強度は、定常磁場のみが印加された場合のピーク強度の2倍以上に増加することが観測された。

 第9章: 第9章では、代表的なメスバウアー核57Feを含む57FeBO3を核励起した後、パルス磁場発生装置を利用して散乱体の内部磁場の向きを180°、90°高速回転した場合に放射されるコヒーレントな核共鳴散乱特性の時間的変化を核共鳴前方散乱法を利用して調べた実験について詳述する。この実験では、放射光パルスをSi(111)の対称反射を利用した二結晶モノクロメータにより14.4keVのエネルギーに粗く分光した後、Si(420)xSi(1222)のチャンネルカットを利用した高分解能モノクロメータにより6meV程度にまでエネルギーを絞りこみ、厚さ63.9mの57FeBO3結晶に縦横1.0x1.0mm2以下のサイズで入射する。光学系は、パルス磁場が印加されていない状態で偏光したパルスX線が入射すると57Feの許容な6本の遷移の内、m=0の2本の遷移が励起され、偏光したX線として再放射されるように配置され、崩壊過程中のある時刻t0でパルス磁場を印加し、180°、90°磁化回転を行った時の核共鳴線を時間分解能を持った検出器(APD)で検出、時間スペクトルの測定が行われる。90°パルスの実験で偏光状態の変化を調べる際には、57FeBO3の後ろに配置した偏光成分のみを反射するアナライザー結晶Si(840)の前後に検出器を配置し、それぞれの位置で時間スペクトルが測定される。実験結果として、180°スイッチの場合には、回転時刻t0に依存して時間スペクトル波形が変化することが観測された。このスペクトルの変化は、磁場反転に伴い、見かけ上、核共鳴線の電場成分の位相の変化率が時間的に逆転する様子を示しており、第3章の理論から予想された結果と定性的に一致する。一方、90°スイッチの場合には、偏光アナライザーの前後で観測された時間スペクトルの比較から、偏光解析を行った時のスペクトルが磁場回転後、強度的に著しく減少することが示された。このことは、内部磁場回転に伴い核共鳴線の偏光状態が変化したことを意味しており、ここでも第3章の理論で予想された結果との定性的一致が見られた。本研究で得られた結果は、磁気的デバイスを利用することにより、57FeBO3のように高速の磁化特性を持つ物質を偏光/強度の高速変調可能な核モノクロメータとして使用することが可能であることを示唆しており、将来、このような核共鳴散乱特性を利用したX線位相光学実験が可能になるものと期待される。

 第10章: 第10章では、以上の結果を顧みて、著者の見解を示しながら放射光利用核共鳴散乱による時間領域でのメスバウアースペクトルの応用の拡大について展望する。

審査要旨

 超強力でしかもパルス状のX線源である放射光を核共鳴散乱実験の線源に利用することにより、時間領域でのメスバウアースペクトルの観測が行われるようになっている。放射光パルスに同期させて、高周波磁場やステップ磁場を高速な磁化特性を持つ反強磁性体等に印加することで、結晶の磁気的性質が核ブラッグ散乱や核共鳴前方散乱の特性に与える影響を調べることができる。このような放射光を利用した摂動下での核共鳴散乱の研究は緒についたばかりである。本研究では、磁場変調に伴い散乱体に生じる磁歪変形や核崩壊中に起こる内部磁場の回転が、コヒーレントな核共鳴散乱線に与える量子力学的摂動の影響を調べることを目的とし、放射光のパルス特性を利用した高周波磁場、及びステップ磁場変調下における核共鳴散乱実験が行われている。

 本論文は全10章からなり、その内容は以下の通りである。

 第1〜2章では、序論として本論文に関連する研究の基礎的な説明と従来の研究の背景における本研究の位置づけが述べられている。

 第3章では、磁気的摂動がある場合の核共鳴散乱の理論的側面について議論されている。特に、放射光により孤立核57Feが瞬間的励起を受けた後の時刻で、内部磁場が高速回転するような非定常系に対し、時間に依存した摂動論による取り扱いがなされ、内部磁場の回転により核共鳴散乱特性にどのような変化が生じるのかが考察されている。

 第4〜6章では、実験の準備として、本研究で使用される57FeBO3結晶の完全性評価の実験結果、及び設計・製作した高周波磁場発生装置とパルス磁場発生装置の回路構成に関する説明と性能評価の実験結果がまとめられている。また、第7章では、実験で利用された放射光施設のビームライン(AR-NE3)と実験ステーションの実験環境が概説されている。

 第8〜9章が本論文の中核をなすもので、第8章では、57FeBO3結晶への高周波磁場印加に伴い共鳴励起された磁気弾性波が結晶格子に与える弾性歪みをX線ストロボトポグラフィーによって時分割観測した実験が詳述されている。放射光パルス周期の3倍の周波数(2.38MHz)で同期をとった高周波磁場を試料の容易磁化面(111)面に平行に印加し、X線の入射と印加磁場波形との位相関係を変化させながら、電子散乱の許容な444反射のトポグラフが撮影されている。トポグラフには、周期性乞持つ二次元的パターンが観察され、そのコントラストが外場の周期の二倍の周期で変化していることが初めて視覚的に示され、共鳴モードが平板モードの一つであることが明らかとなった。また磁気弾性波が核共鳴ブラッグ散乱の回折強度に及ぼす影響も調べられている。純核ブラッグ反射面(333)からの回折強度曲線の測定では、高周波磁場が印加された場合の回折強度が定常磁場のみ印加された場合の回折強度に比べ著しく増加することが示されている。この現象は57FeBO3結晶を核モノクロメータとしての利用する場合、より強い核共鳴散乱線を取り出す方法として利用できる可能性があり、実用上重要であるといえる。

 第9章では、放射光で57FeBO3結晶板を瞬間的に核励起した後、ステップ磁場印加により散乱体の内部磁場の向きを180°、90°高速回転した時に前方方向に放射されるコヒーレントな核共鳴散乱の特性の時間的変化を調べた実験が詳述されている。この実験では、最初、偏光したパルスX線が入射すると57Feの許容な6本の遷移のうち、m=0の2本の遷移が励起され、偏光したX線として再放射されるように光学系が組まれている。その後、崩壊過程中のある時刻でステップ的に磁場を変化させ、180°90°の磁化回転を行った時の核共鳴散乱線の時間スペクトルの測定が行われている。180°スイッチの場合には回転時刻に依存した時間スペクトル波形の変化が観測され、磁場反転に伴い核共鳴散乱線の電場成分の位相の変化がみかけ上時間的に逆転することが初めて実験的に示された。この結果は、第3章の理論で予想された結果と定性的によく一致している。90°スイッチの場合には、偏光状態の変化を調べるため、57FeBO3の後ろに偏光成分のみを反射する偏光アナライザー結晶が配置された。その前後に配置した検出器で観測された時間スペクトルの強度の比較を行ったところ、偏光解析を行った時のスペクトルは磁場の回転後、著しく強度が減少することが確認され、内部磁場回転に伴い核共鳴散乱線の偏光状態が変化することが初めて観測された。

 第10章では、実験結果を顧みて、放射光を利用した核共鳴散乱の動的過程の研究に関して、応用の拡大について展望されている。

 以上を要約すると、本研究は、放射光のパルス特性を利用し、散乱体に高速磁化特性を持つ反強磁性体57FeBO3単結晶を用い、高周波磁場、及びステップ磁場変調がある場合の核共鳴散乱現象に関して散乱体の弾性歪み、回折線の強度、前方散乱線の位相と偏光の時間的変化を初めて実験的に明らかにしたものであり、物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54520