プラント操作員の役割として、予め明定されていない、想定外事象に対しても柔軟かつ的確に対応できることが望まれている。規則の用意されていない事象への対応に際して操作員は、Rasmussenにより提唱された認知活動のSRKモデルでいうナレッジベースの問題解決行動をとると言われている。しかし現在この行動の訓練には、テキストを用いた座学により操作員にプラントダイナミクスの背後にある物理に関する知識体系を確立させる以外に、方法論に乏しい。ナレッジベースの問題解決行動では、操作対象の心的表象であるメンタルモデルが参照される。そこで操作員のメンタルモデルを推論し、教示を与えることでその適切な形成を支援できる訓練支援システムが開発できれば、その意義は大きいと考える。このためには操作員のメンタルモデルの構造表現を策定し、その上に学習者モデルを構築する手法を確立することが必要である。ただし訓練支援システムを用いる訓練生を学習者、学習者からの入力を基に訓練支援システムがその内部で推測した、学習者のメンタルモデルを、学習者モデルと呼ぶ。 本研究では、操作員のナレッジベースの問題解決行動には二種類の知識が用いられ、これがメンタルモデルを構成すると仮定する。一つはプラントの操作に関する知識、もう一つはプラントの振舞いに関する知識である。前者を操作知識、後者を機構知識と呼ぶ。操作知識を機能階層モデル、機構知識を定性因果モデルで表し、両モデルをリンクで関連付けた二層構造のモデルを、メンタルモデル構造表現として提案した。図1にその概念を示す。機能階層レイヤ上のノードはプラント操作及び操作目的を表し、リンクはそれらの対応関係を表す。定性因果レイヤ上のノードはプラント要素機器の物理量を示すパラメータを表し、有向リンクはパラメータ間の定性的な波及関係を表している。両レイヤは操作の前提条件、効果、及び操作目的を各々対応するパラメータと対応づけるリンクにより結ばれ、これにより機能階層レイヤ上の操作-目的対応関係の正当性が、定性因果レイヤ中のパラメータ変化の波及関係により表わされることになる。 提案したメンタルモデル構造表現の十分性を調べるため、簡単な原子炉プラントのコンピュータシミュレーションモデルを用いて、事前知識によって統制されない、経験的に構築されるメンタルモデルの特徴を調べる実験を行なった。工学系大学院生五名を一人ずつ被験者とし、プラントモデルの構成や機構についての知識を与えずにモデルを自由に操作し、構成や機構を推論してもらう課題、及びその後にプラントモデルの状態を指示されたように変える課題を与えた。被験者には思い浮かんだことを全て発話するよう求めた。発話記録の解析の結果、以下の二点が全ての被験者に共通した特徴として挙げられた。 1.被験者が操作の経験から構築したメンタルモデルでは、プラントモデルの振る舞いは主にプラントパラメータ間の定性的な相関規則で表わされる。 2.この相関規則を組み合わせて、目的を達成するための操作手順を導出することがある。この結果より本メンタルモデル構造表現が経験的に構築されるメンタルモデルを表せることがわかり、本表現を学習者モデルの枠組みとして訓練支援システムで用いることの十分性が示された。 また、本メンタルモデル構造表現の妥当性を調べるため、本表現で表わされる知識構造を持つ者とそうでない者の、想定外事象に対する問題解決行動の差異を見る実験を行った。実験にはタンクや弁から構成されるプラントのコンピュータシミュレーションモデルを用いた。弁の開閉によるタンク内圧力の調節により、液体をタンク間で移動させることができる。被験者は、標準的な操作手順とプラント構成を説明しただけの手順ベースグループと、これに加えて圧力差駆動の液体の移動といった、明示されなくとも理解されていると思われる、操作手順の根拠となるプラントの機構の説明を与えた機構ベースグループで、工学系大学院生各四人である。実験は一人ずつ、標準的な操作に慣れてもらった後、与えた操作手順では想定していない故障シナリオを入れ、それに対するリカバリ操作を課題とした。前の実験と同様に発話を求め、この記録を解析した。結果をTable 1およびTable 2に示す。但し被験者の行なった操作系列が標準的な手順であれば操作知識、プラントの振舞いを基にした独自の手順であれば機構知識に基づいていると判断した。機構ベースグループの被験者は手順ベースグループの被験者に比べ、機構知識により独自の操作手順を試行錯誤し、より高い頻度で適切なリカバリ操作を見つけられていることがわかる。この結果より、本メンタルモデル構造表現で表わされる知識構造を持つことが想定外事象への適切な対応に寄与することが示され、本表現を獲得されるべき規範的な知識構造として訓練支援システムで用いることの妥当性が示された。 図表Table1.標準的な操作が行えない事象への対応 / Table2.異常事象対応時に用いられた知識の頻度 次に本メンタルモデル構造表現上に学習者モデルを構築する手法を提案する。これにはデフォルト推論と真理値管理の技法を用いる。まず本表現上で、二つのノードを結ぶ一つのリンクを、一つの知識単位と定義する。全ての知識単位はin,out,unknownのいずれかをとる信念値を持つ。これは支援システム中で、学習者がその知識単位を持つ、持たない、分からないと見なしていることを意味する。学習者モデルは、このような知識単位の集合体である。二つ以上の連続した知識単位から成る経路を、パスと呼び、パスによって結ばれる二つのノードを、可達であるという。機能階層レイヤ上の知識単位Aの両端のノードが、定性因果レイヤを経由するパス1により可達である場合、パス1を知識単位Aの正当化パスと呼ぶ。 学習者がプラントモデルに対する操作Aを入力すると、機能階層レイヤ上でAと結ばれている操作目的Xを選び、知識単位(X-A)に対する正当化パスの同定を試みる。例えば他の操作Bを行うことを条件に正当化パスが同定された場合、以下のようなデフォルトルールを作り、知識単位(X-A),(X-B)の信念値をinとする。 これは学習者の操作Aの入力に対し、その操作目標はXであり、操作A,BによってXが達成されると学習者が知っていると仮定したことを意味する。 また学習者がAを入力したもののXを達成出来なかった場合は(X-B)の信念値をout、Aが他の操作目的のためであることがわかった場合には(X-B)の信念値をunknownとする。 ある知識単位の信念値がoutとなったために他のデフォルトルールとの間に矛盾が生じた場合は、以下の真理値管理規則に従い信念値やルールを変更することで、学習者モデルの論理的整合性を保つ。 1.を前提部に持つルールについて、そのデフォルト部に記述された知識単位の信念値をunknownとし、ルールを削除する。 2.をデフォルト部に持つルールについて、前提部にある知識単位に対して、を含まない別の正当化パスを探索する。成功すればデフォルト部を変更し、失敗すればルール内の以外の全ての知識単位の信念値をunknownとし、ルールを削除する。 また学習者の操作の意図、つまり現在遂行している操作系列と操作目標を推論したものを、カレントコンテクストと呼ぶ。上記の例では、知識単位(X-A)をデフォルト部に持つルールRがあればRに表わされた操作系列と操作目標(X)を、該当するルールが複数ある場合や(X-A)についてのルールが新規に作成される場合はデフォルト部にある知識単位の一番少ないものを、カレントコンテクストに選ぶ。この際、信念値がinである知識単位を多く含むか、outである知識単位を少なく含むルールが、優先される。 以上に述べた学習者モデル構築手法を基に、プロトタイプの訓練支援システムを構築した。構成を図2に示す。領域知識ベースにはプラントシミュレーションモデルや操作の定義が記述してある。プラントモデルの挙動は局所的因果則により表わしている。知識編集機構ではこの記述およびプラントモデルの状態に基づき、制約伝播と状況推論の技法を用いて、可能な限りの操作-操作目標の対応関係及びその正当化パスを導出する。これをノーマティブな学習者モデルと呼ぶ。学習者モデル管理機構ではノーマティブな学習者モデルを参照し、上述の手法に従い学習者モデルを構築、管理する。対話管理機構では学習者の要求に応じて、適切な操作や操作手順の根拠を、カレントコンテクストや正当化パスにより提示する。本システムをProlog言語及びC言語により、EWS上に実装した。プラントシミュレータはエキスパートシェルG2上に実装しており、他のモジュールとはコンピュータネットワークを介してデータの受け渡しを行う。 図表図1:メンタルモデル構造表現 / 図2:訓練支援システム構成 本システムの機能を検証するため、操作の意図を推論する実験を行った。工学系学科卒業生四名を被験者とし、上記二番目の実験に用いたプラントシミュレーションモデルを用い、プラント構成の図表示、標準的な操作手順およびプラントの機構の説明を与えた上で、各人二つの故障シナリオに対するリカバリ操作を行ってもらった。被験者には操作の目的及び意図した操作手順を発話してもらい、この記録と、システムの推論したカレントコンテクストに表わされている操作目標及び操作手順とを比較した。結果は被験者の試行した操作手順計42件中、31件で両者が一致し、11件で不一致で、うち2件は、被験者が発話とは異なる操作を行ったためであった。 以上の結果より、本研究で提案したプラント操作員のメンタルモデル構造表現、及びその上に学習者モデルを構築し、それに基づき操作の意図を推論する手法の有用性が確認できた。 |