学位論文要旨



No 111856
著者(漢字) 小野,英樹
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ヒデキ
標題(和) 鉄合金及びスラグ中への窒素の溶解反応の速度論的研究
標題(洋)
報告番号 111856
報告番号 甲11856
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3654号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐野,信雄
 東京大学 教授 小川,修
 東京大学 助教授 前田,正史
 東京大学 助教授 月橋,文孝
 東京大学 助教授 森田,一樹
内容要旨

 窒素は鋼の性質に大きな影響をおよぼすため、精錬過程において含有量を制御することが必要であり、そのためには溶鋼中への溶解機構、反応速度を知ることが重要である。しかしながら通常の測定法では界面化学反応に物質移動を含んだ総括の反応速度しか測定できないため、界面化学反応速度の絶対値及び化学反応速度自身に及ぼす添加元素の影響は十分に知られていない。そこで本研究では、原理的に液相中物質移動の影響を受けない同位体交換反応法を用いて溶鉄表面上での窒素分子の吸着、解離反応速度(平衡状態なので脱離反応速度に等しい)を直接測定した。また、近年スラグを用いた脱窒に関する研究が行われ種々のスラグの窒素吸収能が測定されているが、ガス-スラグ間における窒素の反応速度に関しては、全く知られていない。そこで同手法によりスラグ中への窒素の溶解化学反応速度も測定した。

 第1章では溶鉄の吸窒及び脱窒反応速度、製鋼スラグの窒素溶解度に関する既往の研究を調査し、本研究を行う背景、目的に関して述べた。

 第2章では、実験の概要、実験操作など本研究における実験方法について説明した。特に本研究の特徴である同位体交換反応法については、その測定原理について詳しく説明した。

 第3章では溶融純鉄中への窒素の溶解反応速度を測定し、速度定数の流量依存性(600〜1000(cm3/minSTP))、窒素分圧依存性(0.1〜0.9atm)、温度依存性(1823〜2023K)を調べた。流量依存性の測定結果から本実験条件においては全流量900(cm3/minSTP)で速度定数は流量に依存せず一定となること、溶解反応速度式を窒素分圧に対して一次で書き表した場合、速度定数は窒素分圧に依存せずほぼ一定となることを示した。また1873Kにおける溶融純鉄中への窒素の溶解反応速度定数は2.94×10-5(mol/cm2・s・atm)と求められ、近年の減圧下における脱窒反応速度の測定1)から換算して得られる値とほぼ一致した。さらに本測定における気相中物質移動の影響の見積りを行い、その影響は20%程度であり化学反応律速の条件で測定が行われていることを示した。

 第4章では溶鉄中への窒素の溶解反応速度に及ぼすTi、Zr、V、Crの影響を1873〜2023Kにおいて測定し、鉄よりも窒素との親和力の強い合金元素の影響について明らかにした。全流量約900(cm3/minSTP)(PN2=0.22atm)の条件で測定した速度定数と溶鉄中Ti濃度の関係をFig.1に示す。各温度において速度定数はTi濃度の増加にともなってほぼ直線的に大きくなることがわかる。その他Zr、V、Crいずれの添加によっても窒素の溶解反応速度定数は大きくなり、添加効果が顕著であるTiの場合には濃度0.08%で純鉄の約1.5倍、Zrの場合には濃度0.5%で約1.3倍となり、以下V、Crの順に影響が大きかった。各元素の溶解反応速度に及ぼす影響の大きさ(Ti、V、Cr(1873K)及びZr(1923K))を総括してFig.2に示し、鉄中で各元素と窒素との熱力学的な親和力の大きさを示す相互作用係数(1873K)と各元素の溶解反応速度を大きくする程度(Fig.2の傾き)をTable1に示す。Table1よりTiとZrでは相互作用係数が同程度であるのに対しTiの方が速度定数を大きくする効果は強く、またその他は一般的に窒素との親和力が強い(相互作用係数が負で絶対値が大きい)元素ほど速度定数を大きくする効果も強いことがわかる。また窒素の溶解反応速度を溶解機構と結びつけて考察し、これら添加元素はメタル表面における空サイト(吸着サイトのうちフリーなもの)の活量を増大させることによって反応速度を大きくすることを示した。さらにFe-Cr合金の脱窒反応速度に関する既往の研究2)と本測定結果を比較し、よく一致する事実から窒素の溶解及び脱離反応における律速段階は同じであり、脱離速度についても空サイト活量に及ぼす合金元素の影響が存在することを示した。

図表Fig.1溶鉄中への窒素の溶解反応速度定数のTi濃度依存性 / Fig.2溶鉄中への窒素の溶解反応速度に及ぼすTi、Zr、V、Crの影響Table1 各元素の窒素との相互作用係数とFig.2に描いた直線の傾き

 第5章では溶鉄中への窒素の溶解反応速度に及ぼすO、Se、Teの影響を1973Kにおいて測定し、その影響について調べた。速度定数の酸素濃度依存性をFig.3に示す。窒素の溶解速度は酸素濃度が増加するにつれて小さくなり、1973K、酸素濃度約0.01mass%における速度定数は1×10-5(mol/cm2・s・atm)であった。1873Kにおいて原島ら1)が、気相中物質移動の影響を低減するため減圧下で測定した脱窒反応速度、及びBan-yaら2)によって示されている脱窒反応速度定数式を溶解反応速度定数に換算しFig.2に併せて示す。本測定は常圧で行われたが、低酸素濃度域では常圧下でのBan-yaらの値よりも大きく、減圧下で測定した原島らの値とよく一致する。また少量のSe、Teの添加によって速度定数は酸素よりもさらに急激に小さくなり、これらの元素が反応を妨げる効果が非常に強いことが分かった。これら反応速度が小さくなる理由をO、Se、Teが溶鉄中で表面活性であることから、これらの元素がメタル表面上の吸着サイトを占有し窒素の溶解反応を直接妨げるとするモデルによって整理し、速度定数の濃度依存性から[mass%]基準の吸着係数KO、KSe、KTeを求めた。このとき吸着係数は溶鉄中への窒素の溶解機構における律速過程に依存し、律速過程が窒素分子がメタル表面に吸着する過程(model1)、メタル表面上に吸着した窒素分子が解離する過程(model2)のどちらであるかによりその値が異なる。そこでmodel1、model2の両方に従って結果を整理し、求められた値をTable2に示す。なおTable2には既往の研究で得られている値1)2)も併せて示した。また吸着係数の値は表面張力測定からも得られ、荻野ら3)4)による溶鉄の表面張力に及ぼすO、Se、Teの影響の測定値から求められる値もTable2に示した。Table2よりmodel2にしたがって得られた吸着係数の値が表面張力測定から得られる値に比較的近いことがわかる。したがって溶鉄中への窒素の溶解反応機構においてメタル表面上に吸着した窒素分子が解離する過程が律速段階であると考えられる。

Fig.3 溶鉄中への窒素の溶解反応速度定数の酸素濃度依存性Table2 本研究で得られた溶質i(i:O,Se,Te)の吸着係数と他の測定値との比較

 第6章では0〜60mass%Cr(1873K)、60mass%Cr(1973K)及び、6.2、12mass%V(1973K)において速度定数の窒素分圧依存性(PN2=0.1〜0.9atm)を測定し、溶鉄中への窒素の溶解反応速度に及ぼす窒素自身の影響について調べた。その結果、窒素の吸着係数は酸素などに比べ非常に小さく、窒素は溶鉄中でほとんど表面活性ではないことがわかった。なお純鉄に比べFe-Cr合金の窒素の吸着係数は大きく、1873Kにおいて基準では純鉄の0.0419からFe-60mass%Cr合金で0.128となる。またVの影響はさらに大きく、1973K、6.2mass%Vでの吸着係数の値は0.260と純鉄のときの約6倍となることを示した。

 第7章ではCaO-SiO2、CaO-Al2O3、CaO-CaF2系酸化物融体中への窒素の溶解反応速度の組成依存性、温度依存性、窒素分圧依存性、酸素分圧依存性を調べ、その反応機構について考察した。1873Kにおいて測定したCaO-Al2O3及びCaO-SiO2各2元系融体における速度定数の組成依存性を同系のナイトライドキャパシティー5)6)とともにFig.4、Fig.5に示す。速度式はメタルの時と同じく窒素分圧に対して1次とした。Fig.4、Fig.5よりどちらの系においても速度定数の組成依存性はナイトライドキャパシティーの値と密接に関係があることがわかる。また温度依存性の測定結果から、純鉄に比ベスラグ中への窒素の溶解反応速度定数は非常に小さいこと及び、速度定数の温度依存性は大きく、活性化エネルギーは純鉄の場合63.2kJ/molであるのに対し、40mass%CaO-60mass%Al2O3の場合224kJ/mol、50mass%CaO-50mass%SiO2の場合581kJ/molと計算されることを示した。なお計算された50mass%CaO-50mass%SiO2に対する反応の活性化エネルギーの値は固体SiO2におけるSi-O結合の平均結合エンタルピーの値に比較的近いことを示した。さらに1873K、40mass%CaO-60mass%Al2O3に対して酸素分圧及び窒素分圧依存性を調べた結果、速度定数は酸素分圧及び窒素分圧には依存せず、ほぼ一定となった。なおこれらの結果を窒素のスラグ中への溶解機構を考えて考察し、反応速度はスラグ中のフリーの酸素イオン、架橋酸素、非架橋酸素の活量に依存し酸素分圧や窒素分圧には依存しないことを示し、実測値と整合した。またFig.4、Fig.5より本測定において同一系ではナイトライドキャパシティーと速度定数は正の相関があるが、その程度及び絶対値は系が異なると一致しない。このことを溶解機構から考察するとスラグ中の窒素の活量係数が同一の系では組成によりあまり変化しないが、系が異なると数々の値となることを意味する。また正の相関についてはナイトライドキャパシティーがO2-、O0、O-の活量と密接に関係しており、窒素吸収能が高いほど反応速度も大きくなることを意味している。

図表Fig.4 1873KにおけるCaO-SiO2融体中への窒素の溶解反応速度定数の組成依存性 / Fig.5 1873KにおけるCaO-Al2O3融体中への窒素の溶解反応速度定数の組成依存性文献1)原島和海、溝口庄三、梶岡博幸、坂倉勝利:鉄と鋼、73(1987)、pp.1559-1566.2)S.Ban-ya,F.Ishii,Y.Iguchi,and T.Nagasaka:Metall.Trans.B,19B(1988),pp,233-242.3)荻野和巳、原茂太、三輪隆、木本辰二:鉄と鋼、65(1979)、pp.2012-2021.4)荻野和巳、野城清、山瀬治:鉄と鋼、66(1980)、pp.179-185.5)K.Schwerdtfeger and H.G.Schubert:Metall.Trans.B,8B(1977),pp.535-540.6)E.Martinez and N.Sano:Metall.Trans.B,21B(1990),pp.97-103.
審査要旨

 本論文の研究は鋼の性質に大きな影響を及ぼす窒素の溶鋼及びスラグへの溶解反応速度や溶解機構を明らかにすることを目的として行われたものである。本論文は溶融鉄合金およびCaO系スラグ中への窒素ガスの溶解の化学反応速度を、液相側の物質移動の影響を受けない測定法である同位体交換反応法を用いて測定し、その反応機構を考察したものであり、8章より成る。

 第1章は既往の研究を詳細にレビューしたもので、溶鉄への吸窒速度の測定値が常圧と減圧下で一致しないこと、合金成分の影響についてほとんど知られていないこと、スラグへの吸窒速度の測定例がないこと等を指摘し、本研究の意義及び目的について述べている。

 第2章では窒素の同位体交換反応法の原理を詳しく述べ、溶解反応前後の30N2ガスの分率変化から化学反応速度が直接求められることを示している。解析モデルについては、本研究で採用した完全押し出し型、閉鎖型、完全混合型について検討されている。また、実験装置や方法、実験後採取した試料中各種成分の分析方法について説明している。

 第3章では高純度の鉄を酸素の汚染がないように水素を併用して溶解し、ガス流量依存性、窒素分圧依存性、温度依存性を測定した。その結果、本実験条件下では吸窒速度が全流量900cm3/min STPまでは流量とともに増加するが、それ以上で流量依存性はなくなることから本実験におけるガス流量を900cm3/min STPと定め、本条件下ではガス側の物質移動の影響が無視できることを確認した。また、溶解反応速度が窒素分圧に比例すること、脱窒反応速度からの推算値と一致することから窒素の溶解と脱離の律速段階が同じであることを明らかにした。測定された反応速度定数の温度依存性から溶融純鉄中への窒素ガスの溶解反応の活性化エネルギーは63.2kJ/molと求められている。

 第4章は溶融鉄合金中への溶解反応速度に及ぼす共存元素としてCr、V、Zr、Tiの影響を調べたものである。鉄と比べ窒素との親和力の強いこれらの元素は、上記の順に加速効果が増大し、またその効果はそれぞれの元素の濃度に比例することがわかった。TiとZrでは溶鉄中の窒素に及ぼす相互作用係数が同程度であるのに対し、Tiの方が速度定数を増大させる効果は大きく、またその他の元素については窒素との親和力が強い(相互作用係数が負で絶対値が大きい)ほど速度定数を増大させていることを見出した。これらの関係を半定量的に明らかにした研究報告は本論文が初めてである。提案された反応機構によれば、窒素ガスが溶鉄表面上に吸着する反応と吸着した窒素分子が解離する反応の過程に分けられ、これらの共存元素が溶鉄表面上の空サイトの活量を増大させることにより、反応速度を大きくすると述べている。また同じ反応機構に基づき、他の研究者による脱窒速度の結果から本反応の速度定数を推定し、実測値とほぼ一致することから、本反応機構の妥当性を実証している。

 第5章は表面吸着性の強いO、Se、Teの影響を調べたもので吸窒速度はこれらの元素の順に著しく低下することを示している。また、それぞれの元素の濃度の増加とともに速度定数が一定値に漸近する事からその値を残留速度として求め、その値を差し引いた速度を2種類のモデル(溶解反応の律速過程が窒素ガスの溶鉄表面上への吸着反応である場合と溶鉄表面上に吸着した窒素分子の解離反応の場合)でフィッティングすることにより吸着係数を求めている。速度定数から求めた吸着係数と表面張力から求めたものとを比較し2つのモデルの整合性を検討することにより、同反応の律速過程は溶鉄表面上に吸着した窒素分子の解離反応であるとの傍証を行い、これら表面活性元素が同反応を妨害するとした機構を提案している。

 第6章は窒素自身が表面活性であるか否かをFe-Cr及びFe-V合金を対象に調べたもので、それぞれの合金において溶解反応速度の窒素分圧依存性を調べている。窒素の吸着係数は第5章の元素に比べて小さく、窒素の表面活性度が著しく低いことを示した。なお、Cr、Vの存在により、吸着係数は増加し6.2mass%Vでは純鉄の場合の約6倍になることも明らかにしている。

 第7章では上述の実験手法をCaO系のスラグに適用して、スラグへの吸窒反応速度の測定結果について述べている。同一温度での吸窒速度定数は溶鉄に比べ約1桁以上小さく、又温度依存性も大きい。例えば50mass%CaO-SiO2系の場合の活性化エネルギーは581kJ/molであり、この値はSi-Oの結合力にほぼ等しいことがわかった。この事実は窒素がシリケートのネットワーク構造の中に酸素と置換して溶解するという熱力学的研究から推定されている機構を裏づけるものである。速度定数の組成依存性は窒素溶解度の熱力学的示数であるナイトライドキャパシティーと似た傾向を示すことがCaO-Al2O3、CaO-SiO2系について明らかにされている。また一般に速度定数は酸素分圧及び窒素分圧の影響を受けないことも示している。これらの結果を踏まえて窒素のスラグ中への溶解反応速度はスラグ中のフリー酸素イオン、架橋酸素、非架橋酸素の活量に依存することを説明し、スラグ中への溶解機構を考察している。

 第8章では本論文を総括している。

 以上本研究は窒素の溶鉄及び溶融スラグへの吸収反応速度定数を独特の方法で測定するとともに、その反応機構を明らかにしたもので、鉄鋼精錬学への寄与が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54522