学位論文要旨



No 111861
著者(漢字) 屠,耿
著者(英字)
著者(カナ) ト,コウ
標題(和) 第一原理計算による金属の粒界に関する研究
標題(洋)
報告番号 111861
報告番号 甲11861
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3659号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 石田,洋一
 東京大学 教授 林,宏爾
 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 助教授 香川,豊
内容要旨

 本研究の目的は電子構造の計算により、アルミニウムの粒界に対する金属ナトリウム原子の影響を明らかにし、不純物の粒界偏析により引き起こされた金属材料の粒界脆化を原因の探ることにある。第一原理的クラスター法を用いてアルミニウム原子からなるクラスターモデル及び粒界と同じ原子配置を持つ粒界モデルクラスターについて行った。

 第1章では、計算材料科学の発展の歴史を概観し、とくに金属の粒界脆性に関する最新の実験結果及び粒界脆性の理論研究の現状を述べ、さらに本研究の目的と本論文の構成をまとめた。

 金属材料における不純物の粒界偏析による脆性破壊は構造材料の開発と改善において重要な問題となっている。80年代から第一原理的計算法による電子構造計算も粒界脆化の原因を解明するために応用されるようになった。しかし、粒界の計算では粒界構造を構成するため大きなユニットセルを必要とし、周期性を基礎とする第一原理的計算法を応用するのに大きな困難となっている。

 Al合金の粒界脆化における極微量不純物(H,Naなど)の影響について、最近高精度な測定装置が開発されたため、いくつかの問題が明らかにされた。たとえばAl-Mg合金の場合材料の中にもし0.6ppmと言う非常に微量のナトリウム不純物を含んでいれば、水素の時と同じような粒界脆化が起こる。ナトリウムが粒界脆化を引き起こした原因はまだ不明である。

 本研究の目的は電子構造の計算により、アルミニウムの粒界に対する金属ナトリウム原子の影響を明らかにし、不純物の粒界偏析により引き起こされた金属材料の粒界脆化を原因の探ることにある。電子構造の計算は第一原理的クラスター法を用いた。

 第2章では本研究で用いられている理論計算法について述べた。本研究の電子構造計算に使われているのは密度汎関数法に基づく第一原理的クラスター法である。その特徴は物質系の全電子に対して計算が行われる。さらにポテンシャルと波動関数を展開するために柔軟性を持つ数値関数を用いているため、精度の高い電子構造計算が保障されている。

 物質系の電子構造はその系の原子配置によって大きく左右される。粒界の電子構造をよく再現するために、粒界の安定原子配置を決定しなければならない。本研究ではFinnis-Sinclairポテンシャルを用いて粒界の原子構造シミュレーション

 第三章ではクラスターモデルについての計算結果をまとめた。アルミニウムの原子間結合に対して不純物原子がどのような影響を与えるかを調べるために、クラスターモデルを用いて電子構造の計算を行った。クラスターモデルは6個のアルミニウム原子から構成されている。不純物原子としてナトリウム以外に、周期表の中でナトリウムと同じ第3周期にあるその他の金属あるいは非金属原子も選んだ。これらの不純物原子がアルミニウムクラスターの中心におかれたときクラスターの電子構造及びアルミニウム原子間の結合の変化を調べた。結合の強さを表す量として、ボンドオーダーの計算を行った。クラスターが対称性を持っているため、実際に2種類のみのアルミニウム原子間結合がある。一つは八面体の辺の両端にある原子間の結合(ボンド1と呼ぶことにする)で、もう一つは不純物を挟む八面体の両頂点にあるアルミニウム原子間の結合(ボンド2と呼ぶことにする)である。主な結果を以下にまとめる:

 Na,Mgなどの金属原子がクラスターに侵入することによってクラスターの凝集エネルギーは小さくなり、構造を不安定化する。一方、Si以降の非金属原子はクラスターの凝集エネルギーを増加させ、クラスターを安定化する働きがある。

 ボンド1のボンドオーダーはいずれの不純物の場合でも減少した。周期表の両側にある原子の場合では減少する幅が小さいが、減少幅のピークは第3周期の中心に位置するSi原子のところにある。

 金属不純物はボンド2のボンドオーダーを減少させるに対して、非金属不純物はそれを増大させる傾向がある。

 不純物とそのまわりのアルミニウム原子の間でも結合ができている。その大きさのピークはマグネシウム原子のところにある。それ以降では周期表の右側に行くにつれボンドオーダーの大きさは単調的に減少していく。ナトリウムの場合のボンドオーダーの大きさはマグネシウムのそれと比べて約60%ほどしかなかった。

 以上の結果を説明するために、クラスターにある各原子の局所状態密度とボンドーオーダーの変化を詳しく解析した。

 金属不純物の場合では、不純物原子のs軌道とd軌道がアルミニウム原子のs軌道とp軌道とそれぞれ混成軌道を形成した。その混成軌道にある電子がボンド1のアルミニウム原子間の結合と不純物-アルミニウム原子間結合の両方に寄与した。不純物が入っていないときのクラスターに比べて、ボンド1のアルミニウム原子間結合へのが減少した結果、ボンド1のボンドオーダーが減少した。不純物-アルミニウム原子間結合については、ナトリウム-アルミニウム原子間結合のボンドオーダーの大きさはマグネシウムのそれの約60%にしか達していないことは、以下のように説明できる:ナトリウムはクラスターにはいることによって、系に1個の電子を提供するが、マグネシウムの場合は提供する電子の数は2個である。ナトリウムより多くなった1個の電子はフェルミ面付近の不純物3d-Al3p混成軌道に入る。その混成軌道は結合軌道であるため、マグネシウム-アルミニウム原子間の結合に大きく寄与した。

 非金属の場合に、不純物-アルミニウム原子間結合はマグネシウムのそれよりも小さく、周期表の右側に行くにつれ単調に減少することは以下のように説明することができる:金属不純物原子と違って、非金属不純物原子はアルミニウム原子との間の混成が大くなる。一番低いエネルギー準位を持つ軌道は金属不純物の場合は不純物3s-Al3s混成軌道であるの対して、非金属の場合ではそれがほとんど非金属の3s軌道の成分に占められるようになる。その結果不純物3s-A13s混成軌道はエネルギー準位の高いほうにシフトした。しかもそれが反結合軌道であるため、電子が軌道にはいることによって逆に不純物-アルミニウム原子間結合を弱めることとなった。非金属不純物-アルミニウム原子間結合が弱くなったもう一つの原因はマグネシウムの場合に存在しなっかた不純物3p-Al(3s,3p)混成軌道ができ、その軌道が反結合軌道であることにある。

 以上の分析から考えると、ナトリウム不純物原子がアルミニウムの粒界に存在するとき、そのまわりのアルミニウム原子の間の結合を弱める働きをすると推察される。しかもナトリウム原子自身はほかの不純物のように、自分を中心とする強い不純物-アルミニウム原子間あるいはアルミニウム原子間結合を提供することはできない。その結果として、粒界付近の原子間結合を弱め、粒界脆化を引き起こす可能性がある。

 第4章では多体ポテンシャルを用いた原子構造シミュレーションの結果をまとめた。アルミニウム粒界の電子構造をよく再現するために、粒界の安定的な原子配置を決める必要がある。本研究ではFinnis-Sinclairの多体ポテンシャルを用いて原子構造シミュレーションを行い、アルミニウムの対称傾角粒界の安定構造を計算した。

 計算された粒界構造はそれぞれ[100],[110],[111]を回転軸を持ち、5から19までの対称傾角粒界10種類である。粒界構造を構成するユニットセルはX,Y,Zの三つの方向に周期性を持ち、ユニットセルとなる原子の数は2000前後である。

 ミュレーションは二つのステップに分けて行った。まず粒界を夾む二つの結晶粒の相対変位を決めるため、二つの結晶粒全体をX,Y,Zの三つの方向に移動させ、エネルギーの最低点を見つける。さらに決められた相対変位で配列している粒界構造において、各原子の緩和を行う。粒界の最安定構造を決める。

 第5章では粒界モデルのクラスターについての電子構造計算の結果をまとめた。多体ポテンシャルによる粒界の原子構造シミュレーションから得られた対称傾角粒界の原子配置に基づいて、20個前後の原子からなる粒界モデルのクラスターを以下のような方法で構成した:ナトリウム原子はアルミニウム原子よりもサイズがかなり大きいため、粒界面上一番大きいスペースを見つけだし、ナトリウムはそこに偏析したと想定し、そのまわりの原子から計算用のクラスターを構成した。

 構成されたクラスター及びその中心にナトリウム原子を含むクラスターについて、第一原理的計算法により電子構造の計算を行った。その結果を以下にまとめた:

 全てのクラスターに関して、ナトリウム不純物原子がクラスターの中心にはいることによって、クラスターの凝集エネルギーが減少した。すなわちナトリウム原子がそのまわりのアルミニウム原子間の結合を不安定化する働きがある。

 クラスター中の各原子間結合のボンドオーダーを計算した。ナトリウム原子に近ければ近いほど、受けた影響が大きいはずであるため、一番近い原子に注目して、その原子とほかの原子との間の結合のボンドオーダーの変化とナトリウム原子からの距離との関係を分析した。その結果としては結合する二つの原子がナトリウム原子に近ければ、ポンドオーダーが数10%から数100%も減少したことがわかった。

 以上の結果をまとめると、電子構造から見ればナトリウム原子はアルミニウム粒界に偏析すると、そのまわりのアルミニウム原子との間で結合ができ、ナトリウム原子を中心とする区域では電子の再分布がおこる。その結果として、アルミニウム原子間結合を構成する一部の電子はナトリウム原子-アルミニウム原子の結合を構成するように再分布され、アルミニウム原子間の結合を弱めた。従ってアルミニウム合金が応力を受けるときナトリウム原子が存在する位置からクラックを生じる可能性が高くなる。そのようなクラックの生成によって、粒界脆化がおこったと推測することができる。

審査要旨

 金属材料における不純物の粒界偏析による脆性破壊は、構造材料の開発において非常に重要な問題である。近年コンピュータシミュレーションにより粒界脆性の原因を解明しようとする試みがあるが、統一した理論的説明の確立までには至っていない。鉄鋼材料に比べAl合金に関する研究はまだ数少ない。最近Al合金中の極微量(1ppm以下)のNa不純物の粒界偏析による高温脆化が明らかにされた。本研究は第一原理電子論によりAlの粒界に対するNa原子の影響を明らかにし、不純物の粒界偏析により引き起こされる金属材料の粒界脆化の解明に資することを目的としたものである。

 本論文は6章からなっており、第1章では、計算材料科学の発展の歴史を概観し、とくに金属の粒界脆性に関する最近の実験結果及び粒界脆性の理論的研究の現状を述べるとともに、さらに本研究の位置づけと目的及び構成をまとめている。

 第2章では本研究で用いられている計算手法について述べている。本研究で使われているのは密度汎関数法に基づく第一原理的クラスター法である。その特徴は物質系の全電子に対して計算が行われることであり、さらにポテンシャルと波動関数を展開するための基底関数に柔軟性を持つ数値関数を用いているため、精度の高い電子構造計算が可能であることである。本研究では簡単なクラスターモデルとFinnis-Sinclair多体ポテンシャルを用いて粒界の分子動力学シミュレーションによって得られた粒界構造の二つのモデルを用いている。

 第3章ではクラスターモデルについての計算結果をまとめている。クラスターモデルは6個のAl原子から構成されている八面体であり、不純物原子としてNa以外に、周期表の中でNaと同じ第3周期にある金属あるいは非金属原子をとりあげている。これらの不純物原子がAlクラスターの中心におかれたときのクラスターの電子構造及びAl原子間の結合の変化を調べた.結合の強さを表す量として、ボンドオーダーの計算を行っている。ボンドオーダーは第一原理的計算により得られた基底状態の波動関数から計算され、二つの原子の間での電子分布がその原子間の結合にどれだけ寄与するかを表す量である。Na原子の侵入によりAlクラスターの凝集エネルギーは減少し、Al原子間のボンドオーダーも低下した。さらに詳しい分析により、ボンドオーダーの減少は、電子の再分布によりAl-Al結合に寄与する3s電子の固有状態がNaの3s電子と混成軌道を形成するため、Al-Alのボンドオーダーへの寄与が減少することになっている。以上の結果によって、Na不純物原子がAlの粒界に存在するとき、その周囲のAl原子間の結合を弱める働きをしていると推測している。しかもNa原子自身はほかの不純物のように、自分を中心とする強いNa-Al原子間結合を提供することはできず、その結果として、粒界付近の原子間結合を弱め、粒界脆化を引き起こす可能性がある。

 第4章では多体ポテンシャルを用いた粒界構造の分子動力学シミュレーションの結果をまとめている。計算された粒界構造はそれぞれ[100],[110],[111]を回転軸に持ち、5から19までの対称傾角粒界10種類である。粒界構造を構成するユニットセル中の原子の数は2000個前後である。粒界構造モデルのシミュレーションは二つのステップに分けて行なわれている。まず粒界を夾む二つの結晶粒のエネルギー最低の相対変位を決め、さらに決められた相対変位で配列している粒界構造において分子動力学法により各原子の緩和を行い、粒界の最安定構造を決めている。得られた対称傾角粒界の粒界エネルギーはこれまで行われた他の計算結果とほぼ一致している。

 第5章では、第4章で計算された粒界構造から切り出したクラスターについての電子構造計算の結果をまとめている。対称傾角粒界の原子配置から粒界を含む20個前後の原子によって粒界モデルを構成した。クラスター及びその中心にNa原子を挿入したクラスターについて、第一原理的計算手法により電子構造の計算を行った。全ての粒界モデルに関して、Na原子がクラスターの中心に侵入することによって、クラスターの凝集エネルギーが減少することが分かった。すなわちNa原子はその周囲のAl原子間の結合を不安定化する働きがある。ボンドオーダーについての計算を行ったところ、結合する二つのAl原子のポンドオーダーがNa原子の存在により減少することが確かめられた。

 以上の結果により、Na原子がAl粒界に偏析すると、その周囲のAl原子との間で混成軌道を作り、電子の再分布がおこること、その結果として、Al原子間の結合が弱化し、Na原子がこれを補うような強いNa-Al結合を形成できないため、Naが粒界脆化の原因となりうることを結論している。

 第6章は総括である。

 以上要するに本研究は構造材料として広く使われているAl合金の高温脆性の問題について、第一原理的計算手法を用いてNaの偏析したAlの対称傾角粒界の電子構造をはじめて計算し、Naの粒界偏析による脆化の起源を原子間結合に遡って電子論的に論じたものであって、材料学の発展に大きく寄与している。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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