室温作動型プロトン伝導体は、燃料電池・エレクトロクロミック(EC)素子・水素センサー等への応用を目指し近年多くの研究がなされている。 ここでは、過酸化ポリタンタル酸水溶液を原料とし、湿式塗布法によりTa2O5・nH2O薄膜を作製し、そのプロトン伝導特性を評価すると共に、これをEC素子へ応用することを目的とし研究を行った。また、Ta2O5・nH2O薄膜は酸に不溶なため、これをプロトンフィルターとして用い、酸電解液からプルシアンブルー(PB)電着膜にプロトンを注入することにより、これまで知られることのなかったPBへのプロトンのインターカレーション挙動の解明を試みた。 第一章においては、室温作動型プロトン伝導体中でのプロトン伝導メカニズムについて概要を記した。 第二章においては、過酸化ポリタンタル酸水溶液は回転塗布法により作製されるTa2O5・nH2O薄膜のプロトン伝導特性について述べた。 ここで得られたTa2O5・nH2O薄膜は良好な導電率(〜2.0x10-5Scm-1(as-coated膜)、〜2.0x10-7Scm-1(600℃加熱処理膜))を示した。一般に室温作動型プロトン伝導体は構造中の水を媒介としてプロトンが移動するため、導電率は低湿度下においては大きく減少するという問題を抱えている。しかし、このTa2O5・nH2O薄膜の導電率の湿度依存性を調べたところ、導電率が湿度の影響を受けておらず、他のプロトン伝導体とは異なる挙動が得られた。ここで作製したTa2O5・nH2O薄膜はL-Ta2O5の結晶の断片が3次元的に絡み合ったネットワーク構造を有しており、プロトンはこの構造中にケージされている水分子を媒介として伝達されるものと考えられる。この構造が緻密なため、湿度雰囲気の変化により膜の内外で水分子の出入りが起こらず、結果としてこの様な他のプロトン伝導体と異なる挙動が得られたものと考えられる。更に、加熱処理を施した膜を用い、0℃から100℃の間で導電率の温度依存性を測定し、アレーニウスプロットの傾きから活性化エネルギー(Ea)を求めたところ、その値は約11〜13kJ mol-1と小さかった。このことから膜中でのプロトン伝導機構が、回転するH2O間をプロトンがジャンプするグロチウス型の機構であることが示唆された。 第三章においては、過酸化ポリタンタル酸から作製されるTa2O5・nH2O薄膜のプロトン伝導性との対比の意味を含め、NAFION中でのプロトン伝導性を交流4端子法により測定した結果を示した。これにより、室温作動型プロトン伝導体中において、プロトン伝導が吸着水量の増加につれパーコレーション的に増大することが実験的に示された。 第四章においては、プロトン伝導体の応用例として、特にEC素子に注目し、EC材料とその素子への応用について概要を述べた。 第五章ではTa2O5・nH2O薄膜のEC素子への応用可能性について議論した。 このプロトン伝導体は導電率が湿度に影響されないことから、デバイスへ応用した場合に、電極材料の特性を損なわない良好な素子の作製が可能となる。そこでこの薄膜の応用例として相補着色型EC素子(セル式[I])を作製し、着消色特性を調べた。 その結果、これまでプロトン伝導体を用い報告されている同様のEC素子と比べても、良好なEC特性が得られた。この検討はTa2O5・nH2O回転塗布膜はイオン伝導層として良好に機能することを示している。 第六章においては、膜作製が難しいIrOx膜を、同様の酸化着色膜であるプルシアンブルー(PB)電着膜と置き換える試みを示した。これまでPBは酸に可溶な為、プロトンをインターカラントとするEC素子の作製は行われたことがなかった。そこで、Ta2O5・nH2O/PB積層膜を作製し、Ta2O5・nH2Oをプロトンフィルターとして用いることにより、酸電解液からプロトンを可逆的にPBにインターカレートし、この結果をPBにインターカレート可能な他のカチオンと比較することにより、PBへのプロトンのインターカレーション・ケミストリーに対し考察を加えた。 特に、定電位電量分析を行ったところ、注入可能なカチオン量(x;x=M+/Fe4[Fe(CN)6l3)の最大値(xmax)は、Cs+を除き、他の全ての場合においてxmax=3であることが解った。また興味深いことにプロトンのインターカレーションに際してのみ、+200mV(vs.Ag)付近に明瞭な変曲点が観測された。xmaxが式(1)により電荷のバランスのみで決まるとすると、xmax=4となるはずであるから、注入可能なカチオン量が電荷の補償以外の条件により決まっていることを示唆する。 PBはFe3+と[FeII(CN)6]4-とが岩塩型に配置した結晶構造を有するが、完全な岩塩型構造に比べ[FeII(CN)6]4-ユニットの25%が統計的に欠損している。カチオンはこの単位格子を構成する8個のオクタントの中心に、互いに隣接しないようにインターカレートするものと考えられる。この時も、xmax=4となり電荷の補償のみで計算したxmaxの値と一致する。更に強い制約条件として、[FeII(CN)6]4-の欠損が存在しない完全オクタントのみにカチオンがインターカレートされるものと仮定する。この場合には、ベーカンシーが統計的に分布すると、xmax(=8x0.316)=2.48となり、今度は実験結果を下回ってしまう。しかし、実際にはカチオンのインターカレーションに伴い、サイト数が増える様に構造の再構成が起こるものと考えられる。 この現象を1次元格子モデルを用いて定式化することを試みた。今、ある格子配列「AABAAABBABAAABAABB・・・・・・ABAA」を考える。ここで、Aは「[FeII(CN)6]4-ユニット」、Bは「[FeII(CN)6]4-ユニットの欠損」とする。この時、AAは完全オクタントに対応する。インターカレーションサイトはこのAAの間であり、ここでは、隣り合ったサイトにはどちらか一方にしかインターカレートしないものとする。このAとBの配列をA毎に区切ったクラスターの個数を、n0、n1、n2、n3・・・・とおく。(例、n0;AAの個数、n1;ABAの個数、n2;ABBAの個数・・・・・)この時、Aの個数(NA)とBの個数(NB)は式(2)(3)として表される。 また自由エネルギー(F)は式(4)として表される。 Es:サイトエネルギー、k:ボルツマン定数、T:温度、 u:[FeII(CN)6]4-欠損間の反発エネルギー P=NA!/(n0!n1!n2!・・・・・);配列の数 n0-nCn;n個のカチオンをn0個のサイトに隣り合わないように配置する組み合わせ インターカレーションはFを最小にするように進む。式(2)(3)の制約条件の下、F(式(4))をラグランジェの未定係数法により最小化すると式(6)が得られる。 =n0/(NA+NB)(インターカレーションサイト量) x=n/(NA+NB)(インターカレーション量) 化学ポテンシャル()はFを微分し、式(6)中のとxを用い式(7)のように求められる。 式(7)の関係を用いて計算された組成と電位の関係を図示すると、これは、u=0の時Esとして適当な値を代入することにより、この結果はK+やRb+をインターカレートした際の電位と組成の関係と一致し、更に電荷の最大注入量もxmax=3/8になる。また、uの値が0以外の時、プロトンの注入挙動に近い曲線が得られたことから、プロトンのインターカレートにおいては、何らかの理由で、[FeII(CN)6]4-欠損間の反発エネルギーの様な相互作用が他のカチオンのインターカレーションの場合より大きく作用し、他のカチオンとは異なる注入様式が現れたものと推察された。 更に[II]のセル式で表されるEC素子を作製し、その着消色特性を調べ、PBがプロトンをインターカラントとして用いるEC素子に十分応用できることを示した。 第七章においては、総括として、本研究において得られた結果をまとめた。 |