学位論文要旨



No 111863
著者(漢字) 露本,伊佐男
著者(英字)
著者(カナ) ツユモト,イサオ
標題(和) タングステンブロンズのソフト化学的合成と電気物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111863
報告番号 甲11863
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3661号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 柳田,博明
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 助教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 水野,哲孝
内容要旨

 1970年代半ばより、固体材料の新しい合成法としてソフト化学が脚光を浴びてきた。ソフト化学的合成法は均質な前駆体を原料に用いて、比較的低温のマイルドな条件下で合成することを特徴としており、従来法では不可能だった準安定相の合成が可能となる。さらに、低温合成に由来する格子欠陥のために従来法によるものにはない新規な物性の発現も期待できる。本研究では、過酸化ポリタングステン酸カリウム塩を前駆体として用いる新規なソフト化学的手法により、ヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズを合成し、物性評価を行った。その結果、新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは湿潤雰囲気下の水蒸気の作用で、抵抗率が著しく上昇することを見いだした。本研究の目的は、この現象のメカニズムを明らかにすることと、湿度センサへの応用を検討することである。

 第1章は序論であり、ソフト化学の沿革および概念について概説した後、ソフト化学における代表的な研究例や過酸化ポリ酸塩を前駆体として用いた研究例について述べた。また、その中で本研究の学術上の意義について述べた。

 第2章では、タングステンブロンズの新規なソフト化学的合成法について述べ、従来の固相反応法との比較を行った。ヘキサゴナルタングステンブロンズはソフト化学的手法では次のように合成される。過酸化水素水に金属タングステン粉末を作用させると激しく発泡して溶解し、過酸化ポリタングステン酸水溶液が得られる。この溶液にアルカリ金属イオンを含む水溶液を混合すると、非晶質の過酸化ポリタングステン酸アルカリ金属塩が沈殿する。この非晶質の塩を500℃の水素雰囲気で焼成すると、ヘキサゴナルタングステンブロンズが生成する。ヘキサゴナルタングステンブロンズは従来、1000℃近くの高温での固相反応法により合成されていたが、均質な過酸化ポリタングステン酸塩を調製し前駆体として用いることにより、従来法よりも著しく低温の500℃で合成することが可能になった。また、同様の前駆体を用いて、焼成条件を変えることにより、テトラゴナルタングステンブロンズなど、別の相も合成できることがわかった。

 第3章では、新規手法で合成したタングステンブロンズのキャラクタリゼーションについて述べた。ICP発光分析により、新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズの化学式はKxWO3(x=0.3)と表されることがわかった。新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは、粉末X線回折により従来の固相反応法によるものとほぼ変わらない結晶構造を有していることが示されたが、SEMによる観察からは結晶粒子が細かく、二次粒子の形状が異なっていることがわかった。密度測定やIR測定の結果からは、従来のものにはない格子欠陥が存在していることが示された。従来法で合成したタングステンブロンズは金属的な電子伝導性を有することで知られているが、これらのキャラクタリゼーションの結果から、従来のものにはない電気物性を発現する可能性が示唆された。

 第4章では、新規手法で合成したタングステンブロンズの抵抗率の感湿特性について述べた。新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは抵抗率が湿潤雰囲気中の水蒸気の作用により著しく上昇することがわかった。この現象は従来のタングステンブロンズには見られないものである。また、従来の湿度センサでは水蒸気の作用で抵抗率が減少しており、従来の湿度センサとは全く異なる感湿メカニズムが考えられる。水を全く含まないペレット試料を湿潤雰囲気下におくと、水の吸着は数十時間の後に飽和に達し、抵抗率は3桁以上増大する。水の吸着の飽和した試料に室温で乾燥雰囲気を導入し平衡状態にした後、段階的に水蒸気分圧の増減を行うと、抵抗率の平衡値もそれに伴い段階的に増減するという湿度センサとしての挙動を示すことがわかった。湿度センサとしての応答速度はペレットの空隙率を大きくすると改善し、空隙率35%のペレットを使うことにより、応答時間が十分オーダーにまで改善した。水の吸着サイトに関する熱力学的考察を行ったところ、TG測定から吸着サイトは大きく分けて2種類存在することがわかった。強く吸着される方のサイトをサイト1、弱く吸着される方のサイトをサイト2と呼ぶことにすると、水蒸気分圧と温度と水の組成の関係を調べた結果から、サイト1の吸着エネルギーが約-0.4eV、サイト2の吸着エネルギーが約-0.13eVであることがわかった。また、サイト1への吸着はサイト2への吸着に比べて極めて遅いこともわかった。抵抗率変化の挙動からは、サイト2への吸着はペレットの空隙率が大きくなるにつれ速くなるが、サイト1への吸着速度はペレットの空隙率に依存しないことがわかっている。これらのことはサイト1がサイト2よりも気相から遠い奥まった場所にあることを示唆している。水の吸着に伴う結晶構造の変化を調べるため、粉末X線回折の変化を調べたところ、水の吸着が飽和に近づくと格子定数がa軸方向に0.01Å増え、c軸方向は0.05Å短くなり、それと同時にc軸方向3倍周期に超格子構造が出現することがわかった。この結果はサイト1が結晶構造に変化を与えるサイトで、サイト2が結晶構造に変化を与えないサイトであることを示している。これらのことから、サイト1はc軸方向6層おきの層間に位置し、サイト2が粒界に位置するというモデルを提案している。サイト1はc軸方向6層おきにある酸素空孔で、そこに水分子が配位水もしくは構造水の形で取り込まれることによって、結晶構造の変化が起き、c軸方向の導電パスが切れる。サイト2では粒界に水が取り込まれることにより、結晶粒子間が引き離されて、導電パスが切れる。このモデルは抵抗率が3桁以上増大するというパーコレーション的な挙動にも一致するものである。

 第5章では、湿度センサへの応用の可能性と問題点について述べた。新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは水を全く含まない状態では水蒸気に非常に敏感に反応し抵抗率が増大する。これは鋭敏な水蒸気検知器としての応用の可能性を示唆するものである。また、サイト1の-0.4eVという吸着エネルギーでは理論的には500℃以上の高温でも、水の吸着・脱離が進行することになる。実際、260℃前後で重量変化を調べたところ数mmHgの水蒸気分圧でも水の吸着が進行していた。これらは高温動作型の湿度センサとしての応用の可能性を示唆するものである。

 第6章は総括であり、本研究を要約し、得られた研究成果をまとめた上で、今後の展望について述べた。

審査要旨

 本論文は、タングステンブロンズの新規なソフト化学的合成法と電気的性質について、研究を行った成果をまとめたものであり、過酸化ポリタングステン酸塩を原料として用いる手法をソフト化学的合成法の一つとして体系化するとともに、導かれたタングステンブロンズの抵抗率の感湿特性について詳しく考察を行っている。

 第1章は序論であり、ソフト化学の沿革および概念について概説した後、ソフト化学における代表的な研究例や過酸化ポリ酸塩を前駆体として用いた研究例について述べている。また、その中で本研究の学術上の意義について明確にしている。

 第2章では、タングステンブロンズの新規なソフト化学的合成法について述べ、従来の固相反応法との比較を行っている。ヘキサゴナルタングステンブロンズは従来、1000℃近くの高温での固相反応法により合成されていたものであるが、均質な過酸化ポリタングステン酸塩を調製し前駆体として用いることにより、従来法よりも著しく低温の500℃で合成できることを見いだしている。また、同様の前駆体を用いて、焼成条件を変えることにより、テトラゴナルタングステンブロンズなど、別の相も合成できることを見いだしている。

 第3章では、新規手法で合成したタングステンブロンズのキャラクタリゼーションの結果について述べている。新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは、粉末X線回折により従来の固相反応法によるものとほぼ変わらない結晶構造を有していることが示されているが、XPSによる分析からは、粒界にカリウムリッチな相が存在していることを見いだしている。従来法で合成したタングステンブロンズは金属的な電子伝導性を有することで知られているが、これらのキャラクタリゼーションの結果から、従来のものにはない電気物性を発現する可能性が示唆されたと結論づけている。

 第4章では、新規手法で合成したタングステンブロンズの抵抗率の感湿特性について述べている。新規手法で合成したヘキサゴナルカリウムタングステンブロンズは抵抗率が湿潤雰囲気中の水蒸気の作用により著しく上昇することを見いだし、その現象に関して詳しい考察を行っている。水の吸着の飽和した試料に室温で乾燥雰囲気を導入し平衡状態にした後、段階的に水蒸気分圧の増減を行うと、抵抗率の平衡値もそれに伴い段階的に増減するという湿度センサとしての挙動を示すことを見いだすとともに、湿度センサとしての応答速度はペレットの空隙率を大きくすると改善し、空隙率35%のペレットを使うことにより、応答時間が十分オーダーにまで改善することを示している。また、水の吸着サイトに関する熱力学的考察を行い、TG測定から吸着サイトは大きく分けて2種類存在することを見いだしている。水の吸着に伴う粉末X線回折スペクトルの変化を調べ、水の吸着が飽和に近づくと格子定数がa軸方向に0.01Å増え、c軸方向は0.05Å短くなり、それと同時にc軸方向3倍周期に超格子構造が出現することも見いだしている。これらのことから、二種類のサイトの内、一種類(サイト1)はc軸方向6層おきの層間に位置し、もう一種類(サイト2)は粒界に位置するというモデルを提案している。このモデルは抵抗率が3桁以上増大するというパーコレーション的な挙動にも一致するものであると結論づけている。

 第5章では、湿度センサへの応用の可能性と問題点について述べている。鋭敏な水蒸気検知器としての応用の可能性や、吸着エネルギーが大きいことを利用する高温動作型の湿度センサとしての応用の可能性を示している。また、同様のメカニズムに基づく新しい作動型の化学センサを提案している。

 第6章は総括であり、本研究を要約し、得られた研究成果をまとめた上で、今後の展望について述べている。

 以上に述べたように、本論文はタングステンブロンズの新しい合成法を示すとともに、その構造や機能についても明らかにしており、材料科学・工学の発展に寄与するところが大である。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/55703