学位論文要旨



No 111864
著者(漢字) 松本,広重
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ヒロシゲ
標題(和) ガラスの局所構造及びその物性の発現に関する分子動力学研究
標題(洋)
報告番号 111864
報告番号 甲11864
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3662号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安井,至
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 助教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 宮山,勝
内容要旨

 非晶質であるガラスの構造はある程度の不確定さを含みながら記述される。種々のガラス材料に対して様々な段階での構造情報が求められる。本研究では、特異な物性の発現を考える上で詳細な構造情報を必要としている「混合アルカリガラス」、および構造自体が未解明な「テルライトガラス」を対象とし、分子動力学法による局所構造の詳細な解析、および物性の発現に対するガラス構造の寄与を考察した。

1.MD法による混合アルカリガラスの構造とエネルギー的性質の解析

 ガラス中に存在するアルカリイオンの移動度は二種類のアルカリ種の共存によって著しく減少することが知られている。この現象は「混合アルカリ効果」と呼ばれ、その起源について多くのモデルが提案されてきたが、現在も一般的な理解に至っていない。高橋らは酸への溶解熱の測定によって、混合アルカリガラスが加成性に対して負のエンタルピーを持つことを示し、その原因を酸素の電子分極から説明した。また、友沢はこの負の混合エンタルピーを活性化エネルギーの上昇と関連付け、混合アルカリ効果を理論的に説明できることを示唆した。本研究では、混合アルカリガラスのエンタルピーあるいは内部エネルギーの加成性からのずれに着目し、分子動力学計算によるガラスの構造・内部エネルギーの解析を行なった。また、実験的な構造情報として中性子回折を測定した。

 分子動力学シミュレーションにおいて、二体の原子間相互作用としてBorn-Mayer型のポテンシャルを用いた。また、内部エネルギーに対する電子分極の寄与を得るために、電子分極エネルギーの考慮を試みた。ガラスにはR2O・R’2O・4SiO2(R,R’=Li,Na,K)のディシリケート組成を選択した。Si:64、O:160、R:64の合計288粒子系とし、粒子数の他に体積と温度を制御した。ランダム座標を初期条件として用いた。MDセルは立方体とした。セルの寸法は実密度と熱膨張の測定値から評価したが、混合アルカリガラスにおいては、モル体積が両端組成の単一アルカリガラスの平均となるように決定した。中性子回折は、Li2O・2SiO2およびリチウムを含む混合アルカリガラスを用いて行なった。パルス中性子・TOF(飛行時間)法を用いることにより、QMAX=30A-1〜50A-1程度の測定範囲を得た。得られた構造因子S(Q)をフーリエ変換することにより動径分布関数(RDF)を得た。測定には筑波高エネルギー物理学研究所のHIT回折装置を用いた。

 まず、二体ポテンシャルのみを用いて計算を行なった。Si-OおよびO-Oの部分動径分布関数を算出した結果、第一配位ピークはそれぞれ1.60〜1.61A、2.60〜2.61Aであり、組成によるネットワークの構造の変化は観察されなかった。図1にR-Oの部分動径分布関数を示す。混合アルカリガラス中でRsmall-Oは縮み、Rlarge-Oは伸びることが判る。このようなR-O結合距離の変化は、混合アルカリガラス中に存在する異種アルカリイオンペアーによって説明できる。Li-Kの組み合わせを例に取れば、アルカリイオンはガラス中で非架橋酸素に配位していると考えられるが、リチウムの場合Li-O-Kのような配列ではよりサイズの大きいアルカリイオンが酸素に配位することにより、リチウムイオンが存在する場合に比べて正の静電場が減少し、酸素との距離が短くなる。逆の場合がK-Oの結合距離の増加を説明する。

図1 MDシミュレーションによって得たガラス構造モデル中の、(a)Li-O、(b)Na-O、(c)K-Oの部分動径分布関数

 ガラスの内部エネルギーとその加成性からのずれ、および元素別のポテンシャルエネルギーを表1に示す。内部エネルギーの加成性からのずれは三種類の混合アルカリガラス全てにおいて負となった。負のずれの大きさの序列はNa-K<Li-Na<Li-Kとなり、アルカリイオンのイオン半径差の序列に一致した。このような負の混合エネルギーは、上記のR-Oの変化によって説明することが可能である。混合アルカリガラス中においてRsmallのポテンシャルは減少し、Rlargeのポテンシャルは増加した。これはR-O結合距離の変化に対応しており、Rsmallの減少分の方が大きいためにトータルで負のエネルギーのずれが生じたと考えられる。

表1 各ガラスの内部エネルギーと各元素のポテンシャルエネルギー

 以上のMDの結果からは、Li-Oの距離は大アルカリの導入と共に減少するはずである。中性子回折により得られた動径分布関数では、Li-Oの序列はLi<Li-Na<Li-K〜Li-Rb>Li-Csとなり、Li-Kの組み合わせで極大となった。したがって、カリウム以降のサイズの大きいアルカリ種の導入に関してはMDの結果と一致するが、それより小さいアルカリの共存の効果はそれとは逆である。後者の不一致の原因に関して現在のところアルカリイオンの配位する非架橋酸素の電荷が問題であると考えられる。リチウムのサイズが小さいために酸素がよりイオン的になる可能性があり、その場合Li-O間の静電引力が増加することになる。

 次に、電子分極を考慮したMDシミュレーションを行なった結果、分極のエネルギーは加成性からの負のずれを示した。これは、R-O-R’の異種アルカリイオンペアーによって説明される。分極の場合は酸素に配位するアルカリ種の違いは直接場の強さの違いとなって現れ、酸素の付近に局所電場を生じる。しかしながら厳密には、分極ポテンシャルは多体項であり、電子分極エネルギーとその負のずれの生じる詳細なメカニズムは、現在のところ明らかでない。今後検討の余地があると考えられる。

2.三体ポテンシャルを用いたZnO-TeO2ガラスの構造解析

 テルライトガラスの構造はこれまで、主に分光と回折のデータをもとに議論されてきた。TeO2およびテルライト系結晶との比較によって、テルライトガラスはTeO4三方両錐、TeO3三方錐、その中間のTeO3+1などの構造ユニットからなると考えられているが、構造ユニット種とその存在比に関しては非常に議論が多い。また上記のTeOx多面体は何れも一つの非共有電子対を持った歪んだ構造を持ち、構造シミュレーションの対象としては非常に困難と考えられている。本研究では、ZnO-TeO2ガラスを採り上げ、中性子回折による構造情報を得るとともに、三体ポテンシャルを用いた分子動力学シミュレーションを行い、テルライトガラスの構造モデルの構築を試みた。

 二体ポテンシャルとして、Born-Mayer型のポテンシャルを用いた。三体ポテンシャルとして、Keating型のポテンシャルをモディファイし、独自の形のポテンシャルを考案した。さらにローンペアーを模して、テルル原子の周囲に点電荷を導入した。これらの手順によって、歪んだ独特の形を持つTeOx多面体の再現を試みた。ガラスの組成はxZnO・(1-x)TeO2(X=0.1,0.2,0.3)とした。

 中性子回折により求めた三組成のガラスの動径分布関数は主に、2.0A、2.8Aに鋭い二本のピークおよびブロードな3.3Aのピークからなっていた。上記の方法により計算から求めたガラス構造モデルは、中性子回折の実験データをよく再現した。このことから、上記の三体ポテンシャルの導入はテルライトガラスの構造の記述に有効であったと考えられる。計算による構造モデルから求めた部分動径分布関数との比較により上記の三本のピークはTe-O+Zn-O(2.0A)、O-O+Te-Olong(2.8A)、Te-Zn+O-O(3.3A)と帰属できた。Te-Oの部分動径分布関数は、第一極大が2.0A、第二極大(上記のTe-Olong)が2.5Aのふたこぶの分布となった。第一ピークから求めたTe-Oの積算配位数は3.12〜3.14であり、第二ピークはそれよりもかなりゆるい結合を形成していると考えられる。したがって、本シミュレーションより得られた構造モデルはTeO3+1と一割程度のTeO4からなると考えるのが妥当である。また、これらの構造ユニットの比はZnO量に依存しなかった。このことから、これまでTeO4より構成されると考えられて来たTeO2ガラスについても、TeO3+1を構成ユニットとして含むことが示唆された。さらに、テルル原子周りの架橋酸素の数を考えると、テルルと酸素だけでガラスネットワークを構成することは、特にZnO量の多い組成で、不可能であることが判った。同時に、Zn-Oの積算配位数は、ガラスネットワークフォーマーに見られる平坦な領域をもった。これらのことから、テルライトガラス中で、亜鉛はネットワークフォーマーの働きをしていると考えられる。

審査要旨

 本博士論文は、混合アルカリガラスおよびテルライトガラスを対象として、分子動力学(MD)法により、ガラスの局所構造の解析および構造による物性の発現について研究を行ったものである。本博士論文は、第七章総括、第八章謝辞を含めて八章よりなる。第一章には緒言として、混合アルカリガラスが示す特異な性質である「混合アルカリ効果」が紹介されている。この現象はアルカリガラス中に二種類のアルカリが存在するとアルカリイオンの移動度が極端に減少するものであり、これまでに多くの理論とモデルが提案されてきたが、現在もその起源は解明されていない。混合アルカリ効果の解明はガラスの基礎科学においてのみならず、実用上もまた重要であると考えられる。また、テルライトガラス中のガラスネットワークを構成する構造ユニットの特異性が述べられいる。テルライト結晶からの類推と回折法および分光法によりこのガラスの構造ユニットはある程度知られており、テルルが大まかに3〜4個の酸素を配位して非共有電子対のために歪んだ多面体形成していることが予想されるが、その詳細は明らかでない。本博士論文では、混合アルカリガラスの構造およびエネルギー的性質、テルライトガラスの構造ユニットの解明が目的とされている。第二章は分子動力学法の概要である。本研究に用いられた分子動力学法の原理と実際に用いた解析法などが述べられている。混合アルカリガラスの分子動力学シミュレーションおよび中性子回折による構造およびエネルギー的性質の解析は第三章から第五章に、また、テルライトガラスの局所構造の解析は第六章に述べられている。第三章には二体ポテンシャルを用いた混合アルカリガラスのMDシミュレーションが述べられている。MDシミュレーションの結果の中でガラスの構造の面からは、混合アルカリガラスにおいてガラスのネットワーク構造には単一アルカリガラスとの差異が認められなかったが、アルカリの周りの局所構造に関しては、アルカリ-酸素結合距離の秩序だった変化が観察された。また、混合アルカリガラスの内部エネルギーの加成性からのずれが観測された。以上の結果について、単一アルカリガラスと混合アルカリガラスにおける、非架橋酸素を中心とした局所構造の差異とアルカリガラス中のアルカリ-アルカリの配位の観点から考察を行っており、混合アルカリガラスの構造的な特異性および内部エネルギーの加成性からの負のずれの起源を明らかにした。これまでのガラスの構造論においてはアルカリ-酸素結合にこのようなバラエティーがあるとは考えられておらず、その様な構造的変化が示唆できたこととその原因を明らかにした事は新しい知見である。また、実験的に求められていた混合アルカリガラスのエネルギーの加成性からの負のずれの起源の一つを明らかにできたことは有用であると考えられる。第四章にはリチウム含有ガラスの中性子回折の測定が述べられている。第三章でMDシミュレーションにおいて示唆されたアルカリ-酸素の結合距離変化を確認するためのもので、リチウムが中性子に対して負の散乱振幅を持つことを利用してリチウム-酸素の距離を直接観測しようと試みたものである。リチウムとの共存アルカリとして、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウムを選んだ結果、サイズの小さいアルカリの場合には、MDの結果に従わなかったが、サイズの大きいアルカリの共存の効果はMDの結果と一致した。また、前者の不一致はアルカリの酸素の電化の変化によると考えられ、第三章において予測されたアルカリ-酸素に関する構造の変化は確認されたと考えられる。第五章には、電子分極を考慮したMDシミュレーションが試みられている。混合アルカリガラス中のアルカリイオンの安定化のメカニズムの一つとして電子分極エネルギーを考えたものである。分子動力学シミュレーションに電子分極エネルギーを考慮することは水のシミュレーションでしか行われていないことから、新規なポテンシャルのガラスあるいは無機固体の構造への適用という観点からも興味深い。このシミュレーションにおいて、混合アルカリガラスのエネルギー的な安定化のメカニズムの一つが異種アルカリイオンを配位した酸素の電子分極エネルギーであることを示した。第六章には三体ポテンシャルを用いた亜鉛テルライトガラスの構造解析が述べられている。テルライトガラス中のユニットの再現のために独自の三体ポテンシャルが考案されており、第五章と同様に新規なポテンシャルの適用という観点で興味深い。中性子回折における動径分布関数を再現するテルライトガラスの構造モデルを計算によって構築することに成功している。このガラス系における構造ユニット種が明らかになった。また、ネットワークを構成する構造ユニットと亜鉛の網目形成が明らかになった。

 本論文は、ガラスの諸特性発現の原因を原子論的に解明することにより、これまでの解釈を格段に進歩させており、工学的価値を有する。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54523