学位論文要旨



No 111870
著者(漢字) 古澤,貢治
著者(英字)
著者(カナ) フルサワ,コウジ
標題(和) 気相スモークラジカルの反応挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 111870
報告番号 甲11870
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3668号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 新井,充
 東京大学 助教授 辰巳,敬
内容要旨

 物質が燃焼する際に発生する煙は,人間が生活する環境に隣接して存在している.代表的なものとして,まず,シガレットスモークがあげられる.シガレットスモークには,ベンツピレン,ニトロソアミンなどのさまざまな有害生成物が含まれているが,近年,高反応性であるにもかかわらず見かけ上長寿命の酸素中心気相ラジカルが生成していることが明らかになった.一方,火災時に有機化合物が燃焼する際に発生する煙の中には,一酸化炭素,窒素酸化物などの有害生成物が含まれる.また,非常時に限らず,燃料の燃焼時の生成物などが室内汚染源となることが考えられる.このような有害生成物や室内汚染物質として,シガレットスモークの場合と同様な高反応性で長寿命の酸素中心気相ラジカルが生成することが明らかとなってきた.

 これらの気相スモークラジカルは,燃焼反応が起こっている場所から離れた位置で,時間が経過した後でも観測されるという,見かけ上長い寿命を持ち,したがって生体に取り込まれやすいと考えられる.その上で,本来は高反応性であるため,生体に損傷を与える可能性も高い.気相シガレットスモークラジカルについては,NO/オレフィン/空気系での反応による生成機構が支持されている.一方,可燃物の燃焼からの気相スモークラジカルについては,その生成機構としてトリオキシドなどの準安定な物質を経由する機構が提案されている.

 本研究は,可燃物の燃焼からの気相スモークラジカルの生成あるいは生体への影響を抑制する基礎的な知見を得ることを目的とする.そのために,まず,気相スモークラジカルの生成挙動および生成機構について検討し,そこで得られた知見を基に抑制方法についての検討を行う.本研究では,まず,代表的なポリマーを温度および雰囲気酸素濃度を変化させて燃焼させることにより,気相スモークラジカルの生成挙動について検討し,その生成機構について考察する.次に,実規模家屋火災実験の燃焼から気相スモークラジカルの検出を試み,実際の火災における気相スモークラジカル生成の可能性およびその有害性について検討する.さらに,気相スモークラジカルの生成を抑制する基礎的な知見を得るために,まず,アミンおよびハロゲンを含有する化合物の添加による,燃焼からの気相スモークラジカル生成の抑制について検討する.次に,気相スモークラジカルの生体への影響を軽減する方法を探索するため、代表的なラジカル捕捉剤と気相スモークラジカルの前駆体となる物質との反応について調べ,液相での気相スモークラジカルの抑制挙動について検討する.

 まず,可燃物として,代表的なポリマーであるポリメタクリル酸メチル,ポリビニルアルコール,ポリプロピレンおよびポリエチレンを選び,温度および雰囲気酸素濃度を変化させて燃焼させることにより,気相スモークラジカルの生成挙動について検討した.可燃物は,電気管状炉中に置いた石英燃焼管中で0.5gを燃焼させスモークを発生させた.スモークの一部をポンプで吸引し,ケンブリッジフィルターを通過させた後に,気相成分をスピントラップ溶液に導入した.トラップした溶液は速やかに冷媒中に保存し,脱気した後に室温でESRスペクトルを測定した.

 その結果,すべての試料で,温度が増大すると,比較的低温の領域では気相スモークラジカルの生成量は増大するが,高温領域では逆に生成量が減少する傾向が見られた.酸素を含まないポリマーは,温度が高くなると発火を示し,その場合ラジカル生成量は激減した.酸素を含むポリマーは発火にかかわらず気相スモークラジカルを生成し,生成量が極大を示す温度は酸素を含まないポリマーの場合よりも高い.また雰囲気中の酸素濃度を増大させた場合には,酸素を含まないポリマーでは,酸素濃度が増大すると,温度を変化させた場合と同じく発火して気相スモークラジカルの生成量が激減した.酸素を含むポリマーの場合には,雰囲気酸素濃度の影響をあまり受けない.これは,可燃物の燃焼から生成する酸素中心の気相スモークラジカルが,雰囲気中の酸素が反応して生成するものと,分子内の酸素に起因して生成するものの2通りあるためであると考えられる.

 つぎに,実規模の家屋火災実験棟での火災実験時に発生する煙から気相スモークラジカルの検出を試み,実際の火災において気相スモークラジカルが生成する可能性を調べた.これは,自治省消防研究所で行われた実規模火災実験に参加したものである.実験に用いられたのは鉄筋コンクリート造り2階建てのプレハブ住宅であり,燃焼試料は布団,衣類等の,実際に家庭に存在する可燃物である.

 その結果,見かけ上長寿命の酸素中心気相スモークラジカルの生成が確認された.これによって,実際の火災時においても酸素中心の気相スモークラジカルが生成する可能性があるといえる.生成する気相スモークラジカルは,火災室内の温度が比較的低かった実験で最大の生成量を示し,火災時においても,比較的穏やかな条件では,気相スモークラジカルの生成量が増大する可能性がある.

 さらに,気相スモークラジカルの生成を抑制する基礎的な知見を得るために,燃焼試料としてポリメタクリル酸メチルを用い,アミンおよびハロゲンを含有する化合物の添加効果について検討した.また,アミンおよびハロゲン含有化合物の燃焼生成物と考えられる物質をスピントラップ溶液に添加することによって,気相スモークラジカルを抑制する因子を探索した.

 その結果,アミンおよびハロゲン含有化合物はそれ自身の燃焼から気相スモークラジカルを生成せず,さらにPMMAに添加して燃焼させた場合,PMMAの燃焼からの気相スモークラジカル生成を抑制する効果があることが明らかとなった.この気相スモークラジカル生成の抑制効果は,燃焼スモーク中の何らかの成分に起因すると考えられるが,スピントラップ溶液に共存させる方法で検討した結果,ハロゲン化水素により明白な抑制効果が認められ,また,予備的な検討ながらシアン化水素にも同様な効果が認められた.その抑制効果は,ハロゲン化水素およびシアン化水素が,水素引き抜きや,再結合などによって,気相スモークラジカル生成源となるトリオキシドのような準安定物質の生成を抑制するためと考えられる.

 次に,気相スモークラジカルの生体への影響を軽減させる方法を探索するため,一般的なラジカル捕捉剤であるフェノール系の2,6-ジ-t-ブチル-4-メチルフェノール(BHT)およびアミン系のジフェニルアミン(DPA)を用い,それらと気相スモークラジカルとの反応挙動について検討した.

 その結果,BHTは,気相スモークラジカルの前駆体との反応が進まず,中間体から生成するラジカルに水素を供与することによる抑制効果を持たないことがわかった.また,アミン系ラジカル捕捉剤であるDPAは,トラップ溶液に共存することによって,観測されるPBN付加物濃度を著しく増大させた.過酸化ジベンゾイル/DPA/PBNの系において同様のPBN付加物を観測したことから,気相スモーク中のアシルペルオキシドなどの成分が,アミンにより誘発分解され,新たなラジカルを生成しているといえる.

 以上のように,可燃物の燃焼からの気相スモークラジカルの生成挙動および生成機構について検討し,そこで得られた知見を基に抑制方法についての検討を行った.その結果,まず,ポリマーの燃焼からの気相スモークラジカル生成については,温度および酸素濃度の増大にともない,その生成量は中間に極大を示し,また,生成する酸素中心の気相スモークラジカルは,雰囲気中の酸素と分子内の酸素の両方に起因することが明らかになった.実規模火災実験については,その燃焼スモークから酸素中心の気相スモークラジカルを検出し,実際の火災の場合にも見かけ上長寿命の気相スモークラジカルが生成する可能性を示した.アミンおよびハロゲン含有化合物の添加による気相スモークラジカルの抑制については,それらを可燃物に添加することにより気相スモークラジカルの生成が抑制され,その効果は,シアン化水素またはハロゲン化水素によることを示した.気相スモークラジカルとラジカル捕捉剤の反応については,フェノール系の捕捉剤では中間体からラジカルを捕捉することはできないこと,アミン系の捕捉剤ではスモーク中のペルオキシドの誘発分解によって逆にラジカル量が増大することを示した.

審査要旨

 本論文は、「気相スモークラジカルの反応挙動に関する研究」と題し、火災時の可燃物の燃焼や調理等における燃料の燃焼時の有害生成物であると考えられる気相スモークラジカルの生成挙動の解明およびその抑制剤との反応に関する基礎的な知見を得ることを目的としたものであり、6章からなる。

 第1章は、序論であり、可燃物の燃焼からの気相スモークラジカルの生成およびその反応に関する既往の研究について述べ、本論文の研究の背景と位置づけを明らかにするとともに、研究方針と論文の構成を示している。

 第2章は、可燃物の燃焼から生成する、高反応性で見かけ上長寿命の酸素中心気相スモークラジカルの生成挙動を把握するため、燃焼炉を用いてポリメタクリル酸メチル(PMMA)、ポリプロピレンなど代表的なポリマーの燃焼実験を行い、その燃焼スモークからの気相スモークラジカルをESR(電子スピン共鳴)スピントラッピング法により測定し、気相スモークラジカルの生成挙動に及ぼす温度および雰囲気中の酸素濃度の影響について検討している。

 その結果、温度が高くなり、また、雰囲気中の酸素濃度が増すと、比較的低温および酸素濃度が低い領域では気相スモークラジカルの生成量は増大するが、高温および酸素濃度が高い領域では生成量が減少する傾向を見い出している。雰囲気中の酸素濃度の影響は、特に分子内酸素を持たない物質に顕著にあらわれ、可燃物の燃焼からの酸素中心気相スモークラジカルの生成には、雰囲気中の酸素と分子内の酸素の両方が関与していることを指摘している。

 第3章では、実際の火災時における可燃物の燃焼からの気相スモークラジカル生成の可能性を明らかにするため、繊維製品等を家屋で燃焼させる実規模家屋火災実験から発生する煙について、気相スモークラジカルの検出を試みている。

 そして、酸素中心気相ラジカルの生成を検出し、実際の火災時においても可燃物の燃焼から酸素中心気相ラジカルが生成することを確認している。また、第2章で明らかにしたように、火災の場合にも、実験室での小規模の燃焼炉における可燃物の燃焼の場合と同様に、ある温度で気相スモークラジカルの生成量が最大になることを示している。

 第4章では、PMMAの燃焼から生成する高反応性で見かけ上長寿命の酸素中心気相スモークラジカルの抑制に関する基礎的知見を得るため、アミン化合物およびハロゲン含有化合物の添加効果について検討している。

 アミン含有化合物およびハロゲン含有化台物は、それ自身の燃焼からも気相スモークラジカルを生成せず、また、PMMAに添加して燃焼させた場合は、PMMAの燃焼からの気相スモークラジカルの生成を抑制する効果があることを明らかにしている。

 また、この気相スモークラジカルの抑制効果は、アミン化合物およびハロゲン含有化合物自身によるものではなく、それらの燃焼スモーク成分であるハロゲン化水素、シアン化水素などに起因しており、それらが気相スモークラジカルの生成源となる準安定物質であるトリオキシドの生成を抑制するためと考えている。

 第5章では、PMMAの燃焼からの気相スモークラジカル生成の抑制剤を探索するために、液相でのラジカル捕捉剤と気相スモークラジカルとの反応について検討している。

 その結果、フェノール系ラジカル捕捉剤である2,6-ジ-t-ブチル-4-メチルフェノールは、気相スモークラジカルの前駆体となる中間体との反応が進まず、ラジカル生成は抑制効果が見られないが、アミン系ラジカル捕捉剤であるジフェニルアミンは、気相スモーク中の成分を分解し、これまでの数倍量の新たな気相ラジカルを生成するという興味ある現象を見い出した。これは、気相スモーク中に存在するアシルペルオキシドなどの有機過酸化物がアミンによる誘発分解により、アシルペルオキシラジカルが生成したことによるとしている。

 第6章は、本研究の成果を総括している。

 以上を要するに、本論文は、可燃物の燃焼からの高反応性で見かけ上長寿命の酸素中心気相スモークラジカルの生成挙動、およびその抑制剤との反応に関する基礎的知見を得たものであり、室内汚染や火災時の気相スモークラジカルによる健康影響の解明に寄与しており、環境化学に貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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