学位論文要旨



No 111875
著者(漢字) 李,承桓
著者(英字)
著者(カナ) イ,スンファン
標題(和) ドナー・アクセプター相互作用による電子供与性ホストの分子組織体の設計
標題(洋) Design of Molecular Assemblies of Electron-Donor Hosts by Donor-Acceptor Interaction
報告番号 111875
報告番号 甲11875
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3673号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 白石,振作
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨

 緒言 有機材料の機能性は分子の集合状態及び配列状態に大きく依存し、分子の集合・配列状態の制御が機能性材料を設計する上で重要な鍵になる。選択的な分子間相互作用に基づく分子認識で形成される会合体・組織体は、分子の配向や空間配置が精密に規制された高次構造を取るため新しい機能を示すことが期待できる。ドナー・アクセブター相互作用は相互作用の方向と電子系の重なりが直接対応するため、構造上の特徴を充分にいかして配向や距離などの制御ができ、異方性のある光電子機能を分子設計に組み込みやすい。しかし、ドナー・アクセブター相互作用に基づく溶液中での会合体の形成は一般的に弱い。本論文では、ふたつのドナーが向かい合い、芳香族アクセブターを強く認識して安定な電荷移動錯体ができるホスト分子を設計し、ドナー・アクセブター相互作用に基づく分子会合体を形成させ、その安定性および構造を明らかにするとともに、その会合体を構成ユニットとして用いるという新しい手法で高次組織構造を持つ材料を構築した結果について述べる。

 ビスアントラセンホスト分子の設計、合成および特性 溶液中で芳香族アクセプターをサンドイッチ型にはさんで安定な錯体を形成することが期待される新規な電子供与性ホスト化合物として、BAO(1,8-ビス|(9-アントリル)-メトキシ|-9,10-アントラキノン)を分子設計し、合成した。

 合成はテトラ-n-ブチルアンモニウムクロリド(TBAC1)を相間移動触媒とし、1と過剰量の2を含むジクロロメタン溶液及びNaOH水溶液二相系で反応を行い、BA0をを得た(収率45%)。また、同様な方法により参照化合物AO(1-(9-アントリル)メトキシ-9,10-アントラキノン)を合成した。さらに、溶解性を高めるためにBAOのアントラセンの10位にアルキルを導入したホスト分子BA4,BA12についてもBAOと同じ方法で合成した。ホスト分子BA4,BA12は、有機溶媒に対して充分な溶解性を示す。得られた化合物の構造および純度は各種スペクトル法および元素分析で確認した。

 

 

 BAOはクロロホルム中での紫外吸収における淡色効果やブロードニングがみられず、エキシマー発光を示さないことから、分子内の二つのアントラセンがスタッキングしていないことを明らかにした。また、BAOのアントラセン部位のプロトン化学シフトは隣接するアントラセンの環電流の影響を受け、AOより0.2ppm程度高磁場シフトしており、二つのアントラセンが平行に向かいあった構造を取ることが判明した。さらに、分子力学計算(MM2)も二つのアントラセン面が向かい合った形が最安定構造であることを支持した。

 以上の結果より、ビスアントラセン型ホスト分子はクロロホルム中でアントラセンが平行に向かいあい芳香族アクセプターをサンドイッチ型にはさむことが可能な構造を取ることを明らかにした。

 クロロホルム中での芳香族アクセプターに対する"サンドイッチ型"電荷移動錯体の特性 BAOおよびBA4,BA12のサンドイッチ型認識分子の芳香族平面型ゲスト取り込み能およびゲスト選択性について検討した。

 BAO,4,12はクロロホルム溶液中でフルオレノン誘導体およびテトラシアノキノジメタン(TCNQ)類と会合し、電荷移動(CT)吸収帯を可視部に示す。いずれのゲスト分子とも会合体の組成比は1:1である。電荷移動の遷移エネルギー(hvCT)は、いずれのホストの場合もゲストの電子親和力(EA)と傾き-1で直接対応しており(図1)、電子親和力が大きいほど低エネルギーシフトしている。これはCT錯体が基底状態でのCTが無視できる弱いb-a型であることを示している。

 錯形成定数はビス体の方がモノ体より1桁から3桁大きく、ビス体を用いることで安定な電荷移動錯体が形成される。しかし、ビスアントラセン型ホスト分子では錯形成定数はゲスト分子の電子受容性とは対応しない(図 2)。

図表図1 CT吸収帯の遷移エネルギーとアクセプターの電子親和力との関係 / 図2 錯形成定数とアクセプターの電子親和力との関係 A(○),MA(□),DMA(△),BAO(●),BA4(■),そしてBA12(▲)

 このゲスト選択性を明らかにするため、まず、熱力学パラメータから検討を行った。錯形成はいずれも発熱的で、エントロピーは減少する。HとTSとの補償関係は(図 3)ビス体、モノ体ともに傾きがほぼ1の直線関係となり、Hの利得がTSの減少によりほとんど相殺されている。つまり、アクセプターの強さは選択性にほとんど影響しないことを示している。またビス体のHの利得は二つのアントラセンと相互作用するために対応するモノ体より2倍以上大きくなっている。しかし、ビス体の補償関係を示す直線は、モノ体に比べて左上にシフトしている。したがって、モノ体で同じHの利得を得るとした場合に比べて、TSの減少は小さくて済む。これは、ビスアントラセン型ホスト分子が事前組織化していることを示しており、その結果平衡定数が大きくなっている。ビス体とTNF、TENFとの錯形成定数は小さく直線からはずれているが、これはビスドナーホストの溝中でのアクセプターのニトロ基の立体障害に起因することを示唆している。以上の結果からビス体がアクセプターの構造に敏感であり、アクセプターの構造因子が選択性を決めると結論した。

図3 各錯体に対するHとTSとの補償関係

 次に、溶液中の会合体のコンホメーションを会合に伴う1HNMRのプロトン化学シフト変化(CIS)から検討した(図 4)。ビス体ホストがアクセプターと錯体を形成すると、いずれのアクセプターに対してもアントリル基のCISは、TCNQの場合のAnH-2,3の場合を除き高磁場シフトし、アントラキノン環は低磁場シフトすることから、アクセプターが溝内に取り込まれていることが確認された。またアントラセンのアルキル基側のメチレンプロトンがエーテル側より高磁場シフトが大きいことは、ゲストがアントラセン環の中心から外側にずれていることを示す。さらに、ニトロフルオレノンのH-3,4,5のCISの値がH-1,8より大きいことから、カルボニル基は外側に向いていることが推定された。一方、TNFの場合H-1,3のCISの値はH-5,6,7より小さく、4位のニトロ基の立体障害によりニトロ基が二つ付いた方の環が溝に取り込まれ難いことを示している(図 4b)。TCNQの場合は、TCNQの長軸とアントラセン環の長軸が平行であることが推定され(図 4d)、後述の固体構造と一致した。

 事前組織化されたドナー・アクセプターユニットから構成される固相での電荷移動超構造 ドナー(D)やアクセプター(A)を事前組織化して構造を精密に制御した場合、新しいタイプの高次構造ができ、高度の機能性を発揮することが期待される。上記のビスアントラセン型ホスト分子は、芳香族アクセプターと安定な錯体の会合体を形成するだけでなく、スペーサー自身もアクセプターとなるため、スペーサーもDAのスタッキングに関与することで高次組織構造の形成が期待できる。本章では、この会合体を一つのユニットし、このユニットを並べることによって今までの平面型ドナーと平面型アクセプターから生成される組織構造とは異なる3次元的に組織化した有機電荷移動超構造を実現させることを目的とした。

図4 クロロホルム中での1H NMRのCIS変化などの結果からBA12と各アクセプターとの錯体の予想される構造(a)DNF,(b)TNF,(c)TENF,そして(d)TCNQ

 BAOとTCNQの1:1錯体の単結晶はジクロロメタン中より得られ、その構造をX線結晶構造解析により明らかにした(R=0.0637,Rw=0.0775)。BAOとTCNQの会合構造は溶液中で推定された結果と同じく、二つのアントリル基が平行に向かい合い、TCNQが間にはさまれた構造をとっている(図 5)。アントリル基の外側には、別のBAO分子のアントラキノン部位がスタックし、これらが並んでカラムとなり、このカラムが平行に並んで二次元的な層を形成する。さらに、ほぼ直交するカラムからなる層が交互に積み重なって立体構造を形成している。スタックの特徴はアントラセンドナー(D)の間に二種のアクセプターが交互にならんでいる点で、各カラムは・・・-D-As-D-Aw-D-As-D-Aw-・・・で示され、二重井戸型ポテンシャル面を持つ構造である(ここで、Asは強いアクセプターとしてTCNQを、Awは弱いアクセプターとしてアントラキノンを表す)。

 以上に、事前組織化されたドナーとアクセプターとの会合体を一つのユニットとし、このユニットを並べることによる有機電荷移動超構造を実現させ得ることを実証した。

図5 BA12とTCNQとの錯体の(a)結晶のORTEP図と(b)パッキングの構造

 総括 二つのアントラセンドナーをリジッドなアクセプターであるアントラキノンで結合したビスアントラセン型ホスト分子は、平面型ゲスト分子をサンドイッチ型に取り込み安定な錯体を形成する。これは、ビスアントラセン型ホスト分子の各部位が事前組織化しているためであり、Hの利得がモノ体より2倍以上大きくなっても、TSの減少が少ないことで錯形成定数が大きくなっていること、選択性を支配するのはアクセプターの強さではなく立体的要因であることを明らかにした。

 この会合体を構成ユニットとして得られる結晶は、ドナー・アクセプターのカラムが2次元的な層を形成しており、その層が交互に積み重なった高度に組織化された構造をしている。これは、従来の平面性ドナーやアクセプターからは得ることができない新しい有機電荷移動超構造である。

審査要旨

 有機材料の機能性は分子の集合状態や配列に大きく依存し、分子の集合・配列状態の制御が機能性材料を設計する上で重要な課題となる。本論文は、電子供与性および受容性分子間で分子認識に基づく安定な会合体を形成させ、その会合体を構成ユニットとする組織構造体を自己組織化により作製し、これまでの手法では不可能な新規な電荷移動超構造体を実現させた結果について述べたものである。

 第1章は序論であり、分子認識を中心課題とするホスト-ゲストの化学、分子集合体・組織体などを対象とした超分子化学などのこれまでの進展を概観し、電子供与性分子と電子受容性分子との間に働く電荷移動相互作用をはじめとする分子間相互作用を整理している。ついで、自己組織化により高次組織構造体の形成と構造制御を達成するための手法の確立という本研究の目的を述べている。

 第2章では、分子認識により選択的かつ安定な会合体を形成するホスト分子の設計と合成、およびその性質を述べている。ここで設計されたホスト分子は、二つの電子供与性アントラセン部位が電子受容性のアントラキノン部位を介して結ばれた構造をしており、二つのアントラセンが向き合ったコンホメーションをとると、その間の溝に平面性の電子受容体ゲスト分子をサンドイッチ型に挟み込むことが可能となる。このホスト分子は、良好な収率で合成されている。次に各種スペクトル法や分子力場計算を駆使して解析をおこない、このビスアントラセン型ホスト分子中の二つのアントラセンが有機溶媒中で向き合った構造を取っていることを確証している。

 第3章では、有機溶媒中でビスアントラセン型ホスト分子とフルオレノン誘導体やテトラシアノキノジメタン(TCNQ)などの平面性電子受容体分子との会合挙動を解析している。いずれの電子受容体とも1:1の会合体を形成し、可視部に現れる特徴的な電荷移動吸収帯の解析から、この会合にともなう基底状態での電荷移動がほとんど起きてないことを明らかにしている。またビスアントラセン型ホスト分子の会合定数は、アントラセンが一つしかない分子より1-3桁大きな値で会合体の安定性が高いこと、しかしその会合定数は電子受容体の強さとは無関係であることなど、特異な会合挙動を示す結果を報告している。ついで会合の熱力学的な解析を行い、会合におけるエンドロピーエンタルピーの補償関係が完全に成り立つことから、受容体との会合定数を決定する因子が電子受容体の強さではなくホスト分子の溝との適合性であることを示している。またビスアントラセン型ホスト分子がモノ体とくらべて大きな会合定数を与えているのは、事前に電子受容体を挟み込むのに都合のよいコンホメーションを取っているために会合に伴うエントロピー損失が少ないことに起因すると結論している。

 さらに二つのアントラセンの間に電子受容体を挟み込んだ会合体の構造を、プロトンNMRのケミカルシフト値の解析から詳細に検討している。

 第4章では、安定な会合体を形成するビスアントラセン型ホストと電子受容体とが自己組織化して形成される固体組織構造を検討している。ビスアントラセン型ホストとTCNQからは1:1の組成比を持つ結晶が得られており、X線結晶構造解析でその構造を明らかにしている。結晶は二つのアントラセンの間にTCNQが挟み込まれたサンドイッチ型会合体を基本ユニットとし、このユニット間に上下の層を形成するホスト分子中の電子受容性アントラキノン部位が挿入し、平面性の電子供与体と受容体が交互に積み重なったカラムを形成している。カラム内では、電子供与体のアントラセンをはさんで弱い受容体のアントラキノンと強い受容体のTCNQが交互に積み重なっており、二重井戸型のポテンシャルが形成されている。またこのカラムが平行に並んで一つの面を形成しており、その面の上下にカラム方向がほぼ直行する形で同じ様な平面が積層しており、異方性の高い極めて特異な構造を有している。ここで上下の層の方向を決定しているのは、ホスト分子内のアントラキノンとアントラセンとがなす角度であり、ほぼ直行する形となっている。このような組織構造は、従来の平面型電子受容体と供与体を混合しただけでは得られない新規な電荷移動超構造であり、分子設計に基づく安定な会合体を構成ユニットとし自己組織化により高次構造を作製するという本論文の手法が、新規な高次組織構造の作製に有効な手段であることを実証している。

 以上述べたように、本論文が呈示している高次組織構造作製のための分子設計の概念と手法は、これまでにない新規で有効なものであり、超分子化学や有機機能性材料の分野に貢献するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク