学位論文要旨



No 111876
著者(漢字) 大庭,亨
著者(英字)
著者(カナ) オオバ,トオル
標題(和) クロロフィルの分子集合に関する研究
標題(洋) Physicochemical Studies on the Aggregation of Chlorophylls
報告番号 111876
報告番号 甲11876
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3674号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 助教授 荒木,孝二
内容要旨

 光合成は太陽エネルギーを自由エネルギーに変換する複合過程であり、その機構の解明は将来的なクリーンエネルギー生産に不可欠な重要課題であるが、分子レベルでは未解決の問題も多い。特に酸素発生型光合成生物のエネルギー変換機能分子P700の構造と、P700と同一の反応中心タンパク質中に近年検出されたクロロフィルaのC132位立体異性体クロロフィルa’の機能は不明である。本論文はP700の実体解明を目的に、Chla’会合体のP700生体外モデルとしての妥当性を検討したものであり、6つの章から成る。

 第1章は序論で、研究の背景と目的を述べた。植物の光エネルギー変換を担うクロロフィル分子集合体の構造と機能は、生体外で作製したクロロフィル会合体を用いて研究されてきた。これまでChlaの会合体のみがP700モデルとして検討されてきたが、本研究ではエネルギー変換部位に検出されたChla’が2量体としてP700を構成している可能性を指摘し、これを生体外モデルとしてのChla’会合体を通じて検証する必要性を示した。

 第2章では高純度のChla’を調製する方法とその信頼性について記した。Chla’は極めて分子変性し易く、調製の難しい色素であるが、本研究ではシリカ順相高速液体クロマトグラフィー(HPLC)を使用することによって高純度試料の調製を可能にした。第2節ではクロロフィル類を分析、調製する上でシリカ順相カラムが非常に優れていることを、逆相カラムとの比較などを通して実証した。こうした検討例はこれまでに無く、シリカはクロロフィル類の分離に不適当であるとする通説に根拠のないことを明らかにした。章末には、このようにして調製した高純度Chla’の、単分子レベルでの分光学的性質を付記した。

 第3章では、前章に記した高純度Chla’を用いて、水性アルコール中で会合体を作製し、その特異性をChlaの会合挙動との比較において明らかにした。第1節ではChlaとChla’の会合挙動を概説し、Chlaが多量体を含む様々な会合体コロイドの混合物を生成するのに対し、Chla’は特異な吸収スペクトルを与える会合体コロイドを形成することを示した。第2節以降では、これらの会合体コロイドが微視的な「単位構造」の集積によって形成されているとの仮定の下に会合挙動を解析した。

 第2節では従来の研究結果を援用してChlaの会合体構造を推測した。

 第3節から第6節にはChla’の会合挙動の解析結果を示した。第3節では、メタノール40体積%の系で形成される最も安定なChla’会合体について、可視吸収、CD、蛍光および共鳴ラマン測定から詳しく調べた。その結果、特徴的な吸収スペクトルは近似的に強い励起子相互作用をもつ単一の単位構造に由来していることがわかった。また溶媒の重水素化の効果を共鳴ラマンスペクトルから調べ、クロロフィル分子間にはたらく結合を明らかにした。

 第4節では、水性メタノール中での溶媒組成(水とアルコールの体積混合比)がChla’の会合挙動に及ぼす影響を、分光学的測定とともにコロイド粒子の電子顕微鏡観察などから得られた知見をもとに、微視的・巨視的構造の両面から検討した。その結果、Chla’会合体コロイドの粒径は溶媒組成によって変化するが、単位構造は一定であり、多量体は形成しないことがわかった。この挙動はChlaとは全く対照的であり、他に例のない包括的な解析によって初めて明らかにされたものである。

 第5節では、Chla’の会合挙動に及ぼす温度の効果を調べ、温度低下によっても多量体は形成されず、30℃から-10℃の範囲で上述の単位構造が主であることを示した。

 第6節では、溶媒のメタノールをエタノール、1-プロパノールあるいは2-プロパノールに置き換え、アルコールがChla’の会合挙動に及ぼす効果を考察した。Chla’会合体はこれらの溶媒中でも、水性メタノール中のものと本質的に同じ分光学的性質を示したことから、溶媒が異なっても形成される単位構造に大きな違いはないものと推測した。

 第7節は第3章全体のまとめであり、C132位の立体異性は会合体構造に本質的な影響を与えており、Chla’はある一定の小さな特異的単位構造をもつ会合体を形成し易いとの結論を得た。

 第4章では、水性メタノール中で形成されるChla’会合体の構造を推定した。第1節では第3章の解析結果をもとに、特徴的な吸収を与えるChla’会合体の単位構造を提案し、同時にC132位の立体異性が会合挙動に影響を与える機構について考察した。第2節では会合体コロイドの小角X線散乱スペクトルをもとに、コロイドの推定構造を示した。

 第5章では、従来全く検討例のない、クロロフィルの水性アルコール中での会合機構について考察した。第1節では溶媒分子間の水素結合の強さに着目することにより、会合体形成に対する溶媒構造の関与を初めて明らかにした。第2節では、重水素化溶媒中での異常な会合挙動を、第1節の議論を適用することによって説明した。

 第6章では以上の結果を総括するとともに、P700がChla’の2量体である可能性をあらためて指摘し、本論文の扱ったChla’会合体は新規なP700モデル候補であるとの結論を得た。

審査要旨

 高効率の光→化学エネルギー変換を行う光合成の機構解明は、クリーンエネルギー生産系の設計に有用であるが、分子レベルでは未解明の側面も多い。とくに酸素発生型生物の系I反応中心P700の構造と、その近傍に近年検出された新規色素クロロフィルaのC132立体異性体クロロフィルa’(Chla’)の機能はわかっていない。本論文はP700の実体解明を最終目標に、P700モデルとしてのChla’会合体の妥当性を検討したもので、全六章から成る。

 第1章は序論で、研究の背景と目的を述べている。従来はChlaの会合体をモデルとして検討されてきたP700が新規色素Chla’の二量体である可能性を指摘しつつ、Chla’会合体を研究することの意義を論じている。

 第2章は高純度Chla’の調製法にかかわる。分子変性しやすくて調製のむずかしいChla’を、シリカ順相HPLCにより高純度で得、従来多用されてきた逆相HPLCより順相HPLCが優れていることを実証した。このように調製した高純度Chla’の単分子レベルでの分光学的性質を章末に付記している。

 第3章では、水性アルコール中でChla’の会合体を作製し、その性質をChlaの会合挙動と比較しつつ詳細に検討している。

 第1節ではChlaとChla’の会合挙動を概観し、Chlaが多量体を含む会合体コロイドの混合物を生成するのに対し、Chla’は特異な吸収スペクトルを与える会合体コロイドを形成することを示した。

 第2節では従来の研究結果を援用してChlaの会合構造を推測している。

 第3〜6節は、Chla’の会合挙動の解析にかかわる。第3節では、メタノール40体積%の系で形成される最も安定なChla’会合体について、可視吸収、CD、蛍光および共鳴ラマン測定で調べた結果を述べている。検討の結果、特徴的な吸収スペクトルは強い励起子相互作用をもつ単一の単位構造に由来していると結論した。また共鳴ラマンスペクトルが溶媒の重水素化の効果を受けないことより、分子間に直接の配位結合が形成されると推定した。

 第4節では、水性メタノール中での溶媒組成がChl’の会合に及ぼす影響を、分光学的測定およびコロイド粒子の電顕観察などの知見をもとに、ミクロ・マクロ構造の両面から検討している。Chl’会合体コロイドの粒径は溶媒組成で変わるが、Chlとはきわめて対照的に、単位構造は一定で、多量体は形成しないとわかった。

 第5節では、Chl’の会合に及ぼす温度の効果を調べ、30℃から-10℃の広い範囲で上記の単位構造が主体であると結論している。

 第6節では、メタノールを他の一連の低級アルコールに置き換えた実験の結果をもとに、いずれのアルコールでもChl’の会合挙動はほぼ同じ、つまり単位構造が基本的に不変であることを明らかにしている。第7節は第3章全体のまとめである。

 第4章では、水性メタノール中で形成されるChl’会合体の構造を検討している。第1節では、第3章の結果をもとに、特徴的な吸収を与えるChl’会合体の単位構造を提案し、C132位の立体異性が会合挙動に与える機構について考察している。第2節ではX線小角散乱スペクトルをもとにコロイドの構造を推定している。

 第5章では、水性アルコール中でのクロロフィル類の会合機構を、溶媒分子間の水素結合の強さ(第1節)および溶媒の重水素化の影響(第2節)に着目して検討し、会合体形成に対する溶媒構造の関与を議論している。

 第6章は総括で、P700がChl’の二量体である可能性をあらためて指摘するとともに、Chl’会合体がP700の有力なモデルであると結論している。

 以上要するに本論文は、光合成器官の光化学系I反応中心(P700)の素性解明を目指し、従来ほとんど研究例のない生体内微量色素であるChl’の会合挙動を詳細に調べることにより、当該分野の議論の深化に寄与するとともに光エネルギー変換系の設計に有用な知見をもたらしたもので、生体機能化学および工業物理化学の領域における意義は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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