学位論文要旨



No 111883
著者(漢字) 永田,祐一郎
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,ユウイチロウ
標題(和) 酸化的修飾を受けた脂質の酵素的修復に関する研究
標題(洋) A Study on Enzymatic Repair of Oxidatively Modified Lipids
報告番号 111883
報告番号 甲11883
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3681号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 鈴木,栄二
 東京大学 助教授 山本,順寛
内容要旨

 酸素の還元体であるスーパーオキシド,過酸化水素,ヒドロキシルラジカルなどの活性酸素種は,脂質,蛋白質,核酸などの生体分子を酸化的に修飾することで種々の疾病の発症や老化の進行過程に深く関与すると考えられている.

 生体膜構造を支えるリン脂質に結合している脂肪酸のうち,高度不飽和脂肪酸(PUFA)は特に酸化され易く,ラジカル連鎖的に脂質過酸化反応を受けて脂質ヒドロペルオキシド(L-OOH)となる.この反応は生体中でも確実に進行しており,健常人の血漿中にコレステリルエステルヒドロペルオキシド(CE-OOH)が検出される.L-OOHと遷移金属イオンの反応生成物である酸素ラジカルはさらなるラジカル反応の伝播を引き起こす可能性を持ち,二次生成物である不飽和アルデヒドは細胞毒性を持つ.したがってL-OOHを酵素的に分解・無毒化することは酸化傷害由来の疾病を予防するうえで極めて重要と考えられる.本研究では酸化的修飾を受けた脂質に対する酵素的な修復機構に関して検討した.

 主要なリン脂質であるホスファチジルコリンのヒドロペルオキシド(PC-OOH)は健常人の血漿中で不安定である.PC-OOHの酵素的分解・修復機構として,低密度リポタンパク(LDL)中のホスホリパーゼA2(PLA2)活性によるリゾホスファチジルコリン(lysoPC)と遊離脂肪酸ヒドロペルオキシド(FFA-OOH)への加水分解(1),高密度リポタンパク(HDL)中のレシチン:コレステロールアシルトランスフェラーゼ(LCAT)によるCE-OOHへの転化反応(2)が提案されていたが,定量的な検討はなされていなかった.また血漿グルタチオンペルオキシダーゼ(GSH Px)はFFA-OOHを還元する(3)が,この酵素のPC-OOHに対する還元活性の有無は知られていなかった.そこで,ヒト血漿中におけるPC-OOHの酵素的分解・修復機構を定量的に明らかにすることを本研究の第一の目的とした.

 

 まずモノダンシルカダベリン(MDC)によるHPLC-プレカラム蛍光誘導化法[Lee et al.(1989)Anal.Sci.5,681]を改良し,PLA2活性による反応生成物であるFFA-O(O)Hに対し特異的で高感度な分析方法を開発した.生体中の主要なPUFAであるリノール酸,アラキドン酸のヒドロペルオキシド及びそれらの還元体の各種異性体を蛍光誘導化し,水/メタノールを移動相とする逆相HPLCで分離・分析する方法を確立できた.同様に各種遊離脂肪酸の分析方法も確立した.この方法を健常人の血漿サンプルに応用すると,FFA-O(O)H―MDCの保持時間である39-54minには血漿中で約1Mに相当するラウリン酸のピークのみが検出された.

 次に血漿GSHPxがPC-OOHを還元できるかどうかを検討した.PC-OOHはグルタチオン(GSH)の存在下で,ラットの血漿から精製したGSH Pxにより速やかに還元された.この報告の後,ヒト血漿GSH PxもPC-OOHを還元できることが複数のグループにより確認された.GSH Pxにより1分子のL-OOHが還元されるためには2分子のGSHが必要である.健常人の血漿中のGSH濃度は約5Mであるため,血漿には少なくとも数MのL-OOHを還元する能力があると考えられる.

 さらにPC-OOHとその還元体(PC-OH)に対するLCATの作用を検討するため,健常人の血漿,HDL,LDLにPC-O(O)Hを添加し,種々の脂質酸化生成物の濃度を経時的に追跡した.血漿に添加したPC-OOHは速やかに減少し,主生成物としてPC-OHが,副生成物としてCE-OOHとその還元体(CE-OH)が生成した.CE-O(O)Hの生成はLCATの阻害剤である5,5’-dithiobis(2-nitrobenzoic acid)(DTNB)により完全に抑制された.また血漿にPC-OHを添加するとCE-OHが生成し,これもDTNBにより抑制された.さらにHDLにPC-OHを添加しても同様にCE-OHが生成し,これがDTNBの添加により抑制されたが,LDL中ではCE-OHは生成しなかった.またPC-OOHを添加した場合にもHDL中でのみCE-O(O)Hが生成した.これらの結果はLCATがHDL中に存在しLDL中に存在しないこと,LCAT活性がDTNBにより阻害されることと矛盾しないことから,LCATがPC-O(O)HをCE-O(O)Hに変換できることが強く示唆された.

 リポタンパク中でPC-OOHはその外側に,CE-OOHは中心部に位置すると考えられているため,LCATは-OOH基をリポタンパクの内側に囲い込むことにより,これと遷移金属イオンとの反応生成物である酸素ラジカルの生成を起こりにくくしているといえる.またHDLは末梢組織から余剰の遊離コレステロールとともにリン脂質を引き出して肝臓に運ぶ"Reverse cholesterol transport"の役割を担っているため,酸化傷害を受けた組織からPC-O(O)HがHDLに取り込まれると,LCATによりCE-O(O)Hに変換され肝臓に輸送されると推定される.HDL中のCE-OOHはコレステリルエステルより効率的に肝細胞に取り込まれて分解されることが報告されており,組織中で起きた酸化傷害の修復にLCATも重要な役割を果たしていると考えられる.

 血漿に20MのPC-OOHを添加した際の5時間後のL-O(O)H濃度を下図に示した.L-OOHの大部分が還元されたため,還元反応は3種の酵素反応のうち最も重要と考えられる.しかし血漿GSH Pxによる還元量は限られており,別の酵素の関与が示唆された.CE-O(O)Hの生成からLCATの反応も重要といえるが,その反応速度は還元反応より遅い.FFA-O(O)Hの生成量は少なく,PLA2活性の寄与は他より小さいといえる.

血漿に添加した20MのPC-OOHの行方(反応5時間後の濃度).

 本研究の第二の目的として,細胞が酸化傷害を受けた場合の酵素的修復機構について検討した.脂質過酸化反応の進行に伴い生体膜中のPUFAが減少することが予想され,さらに酸化ストレス下においてホスホリパーゼ活性が上昇することも知られているため,結果としてPUFAの割合の低い遊離脂肪酸が血流中へ放出されると考えられる.そこで細胞が酸化ストレスに曝されたモデルとして肝臓中でラジカルを発生させて脂質過酸化反応を誘発する四塩化炭素をラットに投与し,血漿遊離脂肪酸組成の変動を測定した.

 四塩化炭素投与ラットでは血漿中GOTレベルの上昇から肝細胞壊死が,肝臓中ビタミンCレベルの低下から酸化ストレスの亢進がそれぞれ確認できた.血漿遊離脂肪酸のうちPUFAの割合は有意に低下した.これは肝臓中での脂質過酸化反応の進行を反映したものと考えられる.一方,パルミトレイン酸(16:1)やオレイン酸(18:1)の割合が有意に上昇した.16:1や18:1は,細胞内で9desaturaseによりそれぞれバルミチン酸(16:0),ステアリン酸(18:0)から合成されると考えられているが,その生理的意義については不明である.PUFAの減少に伴う生体膜流動性の低下を,不飽和脂肪酸の合成により補っているとも考えられる.

結論

 1.血漿GSH PxによりPC-OOHは還元される.血漿中でのPC-OOHの酵素的分解反応では還元反応が最も重要である.

 2.LCATによりPC-O(O)HはCE-O(O)Hに変換される.LCATは酸化傷害を受けた組織中の酸化リン脂質の効率的な修復に関与している可能性がある.

 3.PLA2活性によりPC-O(O)Hは加水分解される.しかし還元反応やLCATの反応に比べその重要度は低い.

 4.細胞中の酸化ストレスにより血漿遊離脂肪酸中のPUFAの割合が減少し,16:1,18:1の割合が上昇した.これらは新しい酸化ストレスのマーカーとなることが期待される.

 以上より,生体中で酸化的修飾を受けた脂質に対して種々の酵素が効果的に作用し,酸化傷害由来の疾病の予防に重要な役割を果たしていることを明らかにした.

審査要旨

 本論文は,生体内で恒常的に産生されている活性酸素の作用により生成する酸化的修飾を受けた脂質のいくつかの酵素的分解・修復反応に関し,定量的な検討を行ないその重要性を比較することを目的としたものである.

 第1章では生体内での活性酸素の発生,脂質過酸化の進行と,脂質酸化生成物の毒性についての概論が述べられ,代表的脂質過酸化物であるホスファチジルコリンヒドロペルオキシド(PC-OOH)のヒト血漿中における酵素的修復機構について概説されている.PC-OOHは,これまでにホスホリパーゼA2(PLA2)活性による遊離脂肪酸ヒドロペルオキシドへの加水分解,レシチン:コレステロールアシルトランスフェラーゼ(LCAT)によるコレステリルエステルヒドロペルオキシド(CE-OOH)への転化,血漿グルタチオンペルオキシダーゼ(pGSHPx)による還元を受ける可能性が示されているが,これらの反応が血漿中で進行するかどうか,またそれらの相対的重要度を明らかにすることが本研究の第一の目的とされている.

 また,酸化ストレス下の細胞でホスホリパーゼ活性が上昇するとされているが,肝臓中で脂質過酸化反応を誘発する四塩化炭素をラットに投与した場合,血漿遊離脂肪酸組成がどのように変動するかを測定することを研究の第二の目的としている.

 第2章から第6章では,上記の目的のために行なわれた実験の方法と結果の詳細が述べられ,結果のもつ意義について綿密な考察がなされている.

 第2章では生体試料中の遊離脂肪酸とその酸化生成物に対する,特異的でビコモルレベルの高感度な分析方法の開発について述べられている.遊離脂肪酸とその酸化生成物を温和な条件で蛍光誘導化し,高速液体クロマトグラフィーにより定量する方法が確立された.この方法をヒトの血漿に応用し,遊離脂肪酸が確実に定量されること,遊離脂肪酸のヒドロキシ体の濃度が検出限界以下であることが示している.この方法は血漿等の生体試料中の脂質酸化生成物に関する研究に有用であると結論されている.

 第3章では,pGSHPxがグルタチオン共存下でPC-OOHを還元することが初めて見いだされたことを述べている.この酵素がCE-OOHを還元できないことも確認され,健常人の血漿中にCE-OOHのみが検出されてPC-OOHが検出されないという従来の知見と矛盾しないことが示された.

 第4章では,ヒトの血漿,高密度および低密度リポタンパク質にPC-OOHやその還元体(PC-OH)を添加し,その行方を丁寧に追跡している.血漿,高密度リポタンパクへの添加ではCE-O(O)Hが生成し,これがLCATの阻害剤により抑制されること,LCAT活性のない低密度リポタンパクへの添加ではCE-O(O)Hが生成しないことから,PC-O(O)Hは高密度リポタンパクに結合しているLCATによりCE-O(O)Hに転化かれることが証明された.添加したPC-OOHの大部分が還元体として回収されることから還元活性の重要性が,CE-O(O)Hが得られることからLCAT活性の重要性が述べられ,その生理的意義が考察された.遊離脂肪酸酸化生成物の生成量が少ないことからPLA2活性はあまり重要ではないと結論された.

 第5章では,ヒトの血漿を酸化した場合に脂質ヒドロペルオキシド還元酵素,LCAT,PLA2活性が作用しうるかどうかを検証している.PC-OOH,CE-OOHに加えてそれらの還元体が生成することから,ヒドロペルオキシドの還元が酸化反応中にも起こることが示された.水溶性及び脂溶性のラジカル開始剤を用いて酸化反応が開始されており,その生成物分布の違いからPC-OH由来のCE-OHの生成が推定され,LCATの作用が示唆されている.遊離脂肪酸酸化生成物が生成しなかったことから,PC-OOHの分解反応へのPLA2活性の寄与に関しては,第4章と同様に否定的見解が述べられている.

 第6章では,四塩化炭素を投与したラットの血漿遊離脂肪酸組成の変動が検討された.総遊離脂肪酸に対する高度不飽和脂肪酸の割合が減少,パルミトレイン酸,オレイン酸の割合が上昇し,これらの割合が酸化ストレスのよい指標となる可能性が示されている.

 第7章では上記の結果をまとめた結論が述べられている.

 以上より,本論文では酸化的修飾を受けた脂質の酵素的修復に関し,過去の知見を踏まえた上での定量的な検討がなされ,その生理的意義に関する考察が十分なされていると認められる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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