内容要旨 | | 知能ロボットに今後最も期待されることの一つとして,日常生活において,計算機等の専門的知識や熟練した技能を持たない一般的な人のために活動することが挙げられる.そのようなロボットにとっては,人間の行動指示を理解するために,人間との現実世界に関する情報の共有が必須である. 本論文では,以下の3点を目的として,全7章から構成される. 1.視覚情報に基づいたロボットへの行動指示の構造を分析し,視覚情報の共有プロセスという概念に関する原理的考察と具体的かつ一般的な実現法の提案を行なう. 2.人間と共に行動しつつ視覚情報の共有を行なうことが可能な全く新しいタイプの移動ロボットシステムを構築し,その移動ロボットを用いた具体的タスクを通して,視覚情報の共有可能なロボットシステムの有効性を検証する. 3.ロボットの視覚処理において重要なファクターである頑健性と実時間性を,視覚情報の共有プロセスに反映させるための,共有プロセスの自律化アルゴリズムの枠組を提案する. 第1章「序論」ではまず,本研究の背景と目的を述べた. 第2章「視覚情報の共有に基づく移動ロボットへの行動指示とその表現」では,人間によるロボットへの行動指示というテーマに関しての問題点を整理し,その問題点に対しての本研究でのアプローチを直観的に説明することを目的とした. 実世界で行動し,人間の行動指示を受け入れることの可能なロボットシステムは,できるだけ世界に関する知識を人間と共有する必要があり,とくに視覚情報を共有することが重要である.しかし従来のロボットへの行動指示に関する研究では,視覚情報処理が予めシステムに埋め込まれているために,任意の環境に対応するようなものは無かった. そこで本研究では,人間によるロボットへの行動指示の構造を分析し,それが視覚支配型行動というものによって記述可能であることを示し,この記述をロボットと共に行動する人間が環境に応じて埋め込んで行くシステム,すなわち人間との視覚情報の共有に基づいて行動するロボットシステムのデザインを提案した. 具体的には,人間とロボットとの情報の共有に関して,情報工学や認知科学的領域からの考察を行なうことによって,視覚情報の共有プロセスという概念の導出を行ない,更に深い検討を加えることによって,対象の視覚情報空間での局在性という規準に基づいた共有プロセスの実現方法を提案した. 本論文では第4章から第6章において,異なった形式の視覚処理を用いながら人間とロボットとの視覚情報の共有プロセスを実現することになるが,この対象の視覚情報空間での局在性という規準は一貫して適用される. 第3章「人間との視覚情報の共有に基づいて行動する移動ロボット」ではまず,本研究のために開発した,人間と視覚情報の共有に基づいて行動する移動ロボット,Hyper Scooterの紹介を行ない,以後の第4章,第5章で述べるタスクに関するプレビューも行なった. 次にこのシステム開発におけるコンセプトを述べた.知能ロボットの開発コスト削減や実用化の促進には,ロボットシステム全体をいくつかに分割して開発する技術が必要であると考えられるが,本論文で扱う人間との視覚情報を共有するアプローチは,ロボットシステムをデバイス制御部,視覚部,知能部という分割作業で開発するための拠り所となるものである. 続いて前述の分割開発のコンセプトにのっとったHyper Scooterのハードウェア構成,ソフトウェア構成,そしてそれらの中でも中核となる視覚処理ソフトウェアの説明を行なった.特に,視覚処理ソフトウェアに関して,ロボット視覚の開発に適した拡張性の高いものであることを示した. 第4章「区間局在な対象の共有に基づく経路指示」では,従来の視覚を有する移動ロボットには困難であった,特別に仮定をおかない環境における,特別な知識を仮定しない人間によるロボットへの経路指示法に関する考察を行ない,Hyper Scooterを用いた具体的な実験を行なうことでその有効性を実証した. まず,相対的な経路の表現は時間的に連続した視覚行動記述によって表現できることと,それが非常に単純な視覚処理だけで可能であることに言及した.但しこの手法は,経路に沿った移動という文脈に強く依存するために,その視覚情報の指示においては,人間がその能力を用いて「区間局在性規準」を満たす対象を指示する必要があることも述べた. そして,次に経路指示に必要な,高速局所相関演算処理とその応用処理に関する技術的説明を行ない,最後に本手法の有効性を実証するための複雑な経路の指示実験を行なった. 本章で行なった実験は,視覚移動ロボット研究の観点からは,幾何学的な環境モデルを持たずに,視覚行動のネットワークだけを記憶することで,人間の欲した任意の経路に従った走行が可能になるという,全く新しい手法であると言える. 第5章「空間局在な対象の共有に基づく追跡行動」では,空間局在性規準を満たす対象物体の3次元的な視覚追跡,およびそれに基づく追跡走行という問題を扱った.対象が空間局在であるとは,対象が実世界のある一定の空間に収まり,かつ対象の近傍に他の対象が無いような場合のことを言う.対象が空間的に局在している,という条件を用いることで,前章の区間局在な対象の場合と違い,見え方に依存しない処理が可能となる. 本章では,両眼により物体の3次元情報を算出する方法の一つであり,対象の幾何学的形状のモデルなどは必要がなく,処理が頑健であるという特徴を持つ拡張ゼロ視差フィルタ法によって対象を共有した.これは,一度拡張ゼロ視差フィルタという両眼画像の統合処理を行なうフィルタを通した後の結果を共有するという,「間接的な共有プロセス」であると言える.そして,本章では,前方を歩行する人をロボットが視覚により追跡するというタスクを具体的に取り上げ,基礎実験によりその有効性を確認した後に,屋外において人間の追跡走行実験を行なった結果と考察に関して述べた. 第6章「視覚情報の共有プロセスの自律化」では,本章までの,人間が一方的に対象に対する何らかの局在性規準を判別して共有を強いていたプロセスの形態から,より自律的な共有プロセスへの形態への転換を図ることを目的とした.なぜなら,共有というプロセスは,自律的な複数個体の間で生じる,自律的な過程であるのが本質的だと考えられるからである.例えば,実世界で行動するロボットにとっては視覚処理の頑健性と実時間性という要素が大変重要であるが,人間が予めシステムの内部や外界を想定して記述しておく方法には限界があるのは明らかである. 本章では,実時間性を実現する上で並列視覚情報処理を用いることを前提とした.そして,視覚心理学の分野で研究されてきた初期視覚の視覚探索理論を参考にし,人間がモニタ上で指し示した対象が,ロボットの並列視覚システムでの統合処理によって,自然な形で周囲から分離,検出が可能になる自律的共有アルゴリズムを提案した.具体的には統合結果において対象が局在になるように,特徴抽出器のパラメータ空間をある戦略によって探索する課題と考え,本研究における戦略は,人間の視覚情報処理を参考にし,Coarse to Fine戦略を採用した. 本文中ではシミュレーションによってこのアルゴリズムを適用し,動作を確認した上で,実際の並列視覚処理システムを用いた簡単なオンラインの共有実験も行ない,本手法が自律的に頑健性と実時間性を両立させる特徴抽出パラメータを探索した結果を示して,本アルゴリズムの有効性の一端を示した. 第7章「本論文の結論と展望」では,これまでの各章で展開した議論を総括し,結論を示した.また,本研究の成果と問題点を踏まえ,理論および工学的応用の両側面において,人間とロボットとの視覚情報共有プロセスに関する研究の将来の展開について議論し,幾つかの方向を示した. 本研究で開発した,人間が搭乗でき,視覚情報を通じたコミュニケーションに基づいて行動するタイプの移動ロボットは従来になく,またその有効性は,非常に単純な視覚処理によって従来困難とされたタスクの遂行が達成されたことによって実証された.また,第2章で導出され,第6章によって共有プロセスの自律化にも用いられた局在性規準に基づいた対象の識別の理論は,今後の視覚情報処理の包括的理論となり得ると考えており,また視覚以外の知覚情報モデルにも適用が可能であると考える. |