第二次世界大戦において壊滅的な痛手を被った日本経済が、戦後世界にも例がない急成長を成し遂げてきたのは製造業の躍進があったからにほかならない。 しかし1990年代に入り、急速な円高、生産拠点の海外進出による空洞化や、急速に経済力、技術力をつけてきたアジア諸国の追い上げなど、製造業を取り巻く環境は厳しさを増している。産業構造の変化とともに、国内経済を牽引していく新たなリーディング・インダストリーが今模索されている。 ここ数年、情報通信技術はめざましい進歩を果たしている。また、社会、経済の国際化、複雑化、多様化により様々な場面で情報の価値は高まる一方である。社会に向けて発信される情報量も急激に増加している。情報インフラやハードウェア、ソフトウェアを含めたトータルとしての情報産業は、来るべき21世紀のリーディング・インダストリーとなる有力な候補と目されている。 一方、社会システムが大きく変化し、新たな段階に移行するのであれば、新たな社会システムを支える基盤が必要となるのは言うまでもない。 将来の社会においては、産業・経済をも包括した社会全般において、情報が大きなインパクトを与えていくことになる。 したがって、今後の社会基盤として、情報を迅速かつ効率的に、そして公平に利用、活用することが可能な情報環境を整備することを考えていく必要がある。 本論文ではまず将来の情報環境を考える前に、現在までの我が国の情報環境の基幹的役割を担ってきた電気通信産業について概観している。我が国では、1985年に電電公社の民営化を中心とした電気通信自由化がおこなわれ、以後、長距離通信分野などにおいて競争が導入され、長距離通話料金は大幅に低下した。しかし、依然、多くの問題点が指摘できることも事実である。その中でも大きな問題点として、地域通信事業の独占および長距離通信事業者と地域通信事業者の間の接続に関する問題について、事実関係を中心にその課題などについて論じている。 一方、現在の電気通信産業の主導的役割を果たしている日本電信電話株式会社の地域通信事業部の費用構造を分析し、その結果から、現状の地域通信事業部の区割りでは、その費用構造に明らかに格差が生じていることを示した。特に、都市部と地方との間で費用の地域間格差は最大25%にもなり、無視できないものになっている。 以上のように現在の電気通信産業の状況を踏まえた上で、来るべき高度情報化社会の基盤となる、光ファイバーを用いた高速広帯域の次世代通信ネットワークの整備について検討を進めた。94年5月、次世代通信ネットワークの整備について電気通信審議会(郵政相の諮問機関)は「21世紀の知的社会への改革に向けて」と題する最終答申を行った。この中で次世代通信ネットワークは、民間主導の整備を中心とし、国の役割は整備の円滑な進展が可能な環境整備、つまり規制緩和や低利融資、地域間格差などを最小限にするなどの政策を講ずることとしている。 ただし、民間主導である以上、事業の採算性を検討することは不可欠であるし、またその検討結果を基に社会基盤としての次世代通信ネットワークの整備をどう支援していくか、政府の役割が問われるのである。 本論文では、「情報・通信事業の事業採算モデル」を新たに構築し、いくつかのシミュレーションを行い次世代通信ネットワークの整備とその後の事業の採算性について分析した。シミュレーションの結果から、2015年に次世代通信ネットワークの普及率が75%確保できた場合、事業が成立するための目安として、1契約当たりの平均負担額は月間14000円、1世帯当たりの負担額では月間10300円が最低の条件であることを示した。 しかし、現状(1995年)の1世帯当たりの通信料は月間5000円強であり、1世帯当たりの月間負担額10300円をクリアするためには、魅力ある新たな情報・通信サービスが提供されなくてはならない。魅力ある情報・通信サービスが提供されることにより従来からの通信費の予算制約を上方に押し上げることが可能になるのであり、次世代通信ネットワーク上で実現する新規の情報・通信サービスの拡充が今後はより重要となるのである。 上記のシミュレーションの結果は、次世代通信ネットワークの整備を、全国的に単一の事業主体が担当するという前提のものである。しかし、全国を複数の事業主体が整備することも一つの選択肢である。本論文では、整備主体を長距離通信を担当する事業者と地域通信を担当する事業者に分けた上で、全国を10の地域ブロックに分割し、その場合の各地域ブロック毎の地域通信事業の採算性をシミュレーションしている。その結果から、各地域ブロック毎に次世代通信ネットワークの整備を進める場合、利用者が負担する費用に格差が生ずることがわかった。このことは次世代通信ネットワークの利用料金を全国同一とした場合、地域間での事業の採算性に大きな影響を与えることを意味する。したがって、費用負担の格差をどのように解消するのか、例えば地域ブロックの区分けの問題や費用負担の格差を是正すべく公的な補助などを検討する必要がある。 さらに本論文では、高度情報化社会における新たな高度情報サービスを担うべき情報処理サービス産業の分析を行っている。 具体的には、情報処理サービス産業の費用構造を、長期費用関数を用いた規模の経済性の分析、範囲の経済性の分析、TFPの分析を通じ明確にし、現状の問題点と今後の展望について考察した。 現在の情報処理サービス産業には問題点が多い。しかし、同産業の高度化を進めることによって、将来の高度な情報サービス、コンテンツを生みだす新しい産業を形成することができるのである。 以上のように、本論文では高度な情報環境を構築するために必要な、次世代通信ネットワークの整備や高度な情報サービスを提供すべき情報処理サービス産業の課題などについて論じている。確かに、高度情報化社会の基盤となるハードウェアとしての情報通信インフラの整備は急務である。しかし、高度な情報通信インフラの機能を存分に利用し、社会全般に活用していくためには、ソフトウェアとしての情報環境の構築も主要なテーマである。 高度情報化社会では、質の高い情報が高度な情報通信インフラの中を様々な形態で流通することになる。したがって、高度な情報通信インフラに対応した様々な情報サービスの企画、提供や新たなコンテンツを開拓する産業の育成は我が国にとって大きな課題である。 そのためには、ベンチャー企業育成のためのプログラムを検討するとともに、自由な情報活動が展開できるように、各種の規制緩和を進めていかなくてはならない。同時に人材の流動化を進め、産業構造の転換と人材の有効活用をはかり、経済全体にダイナミズムを持ち込む必要があろう。 また、情報の利用拡大にともない、情報権ともいうべき新たな権利の確保と開放を考えていくことも忘れてはならない。もちろん情報に関する知的所有権は確保しなくてはならないが、過度に厳格なものとなった場合、情報の自由な利用が困難になるだけではなく、ソフトウェアにおけるイノベーションが発生しなくなる恐れもある。つまり、情報の知的所有権の確保と開放をどのようにバランスさせるのか、各国との意見調整をおこない、国際的なガイドラインを示す必要がある。 さらに、情報の悪用による犯罪や個人情報の不必要な流通によるプライバシーの侵害なども増加することが考えられる。高度な情報環境の下で、秩序ある情報活動を確立するためには一定のルール作りも検討すべきである。 以上のように、本論文では情報の活用、コンテンツの制作、各種の規制緩和、情報権の問題などソフト面での環境整備も次世代通信ネットワークの構築と同様に欠かせないものであると論じている。 現在、過渡期にある社会システムの中で情報の果たす役割は高まる一方であり、真の情報化社会を形成していくためにも、基盤となる総合的な情報環境(ハード、ソフトの両面)の整備は急務なのである。 |