本論文はタンパク質およびDNAの迅速な測定法の研究と開発に関するものであり、6章より構成されている。 一般に生物は恒常性によってさまざまな生体物質の濃度を一定に保っているが、これらの濃度がある上限または下限をこえると生命活動に異常が生じ病気となる。また、因果関係が逆の場合もある。そこで病気の診断を行う場合、生体物質の濃度を測定することができればきわめて重要な情報を得ることが可能である。このような病気の指標となる生体物質にはさまざまなものがあるが、なかでもタンパク質およびDNAは生物を形づくる材料およびその遺伝情報源であり、これらを測定する必要性は高い。タンパク質を測定する方法としては抗原抗体反応を利用する免疫測定法が広く用いられている。DNAを測定する方法としてはDNAプローブなどが開発されている。 一方、免疫測定法は一般に、抗原抗体結合体と非結合体との分離操作(B/F分離)が必要であるが、この操作は非常に煩雑であるため測定の迅速化を妨げる大きな要因となっている。したがって測定の効率化が困難であるとともに、B/F分離操作に伴う検体から測定者への微生物感染の危険性も問題となっている。また、測定システムの自動化をはかる場合にも、B/F分離を行うために非常に複雑で高価なシステムを必要とする。これらの問題はDNAの測定法においても同じである。 以上のように、タンパク質やDNAの迅速、高感度な測定が可能となれば、検査の効率化や診断の迅速化をはかることができ、また基礎的な研究への応用も期待されるが、そのような測定法は未だ開発されているとはいえない。そこで本研究はB/F分離操作が不要な蛍光偏光法に基づき、タンパク質およびDNAの迅速、高感度な測定法を開発することを目的とした。 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。 第2章では、蛍光偏光法の免疫測定法およびDNA測定法への応用について述べた。まず、これらの測定原理を概説し、蛍光偏光度の式および既知の定数値を用いて抗原抗体反応による蛍光偏光度の変化を理論的に検討した。これにより従来の測定法の問題点を定量的に考察するとともに、固定化抗体を用いる新しい蛍光偏光免疫測定法を提案し、高感度なタンパク質の測定の可能性を示した。すなわち、従来法では蛍光標識免疫グロブリンG(IgG)に抗IgG抗体が1分子結合した場合の蛍光偏光度の変化は約5%であるのに対し、本研究の固定化抗体を用いる方法ではこれがおよそ15%以上に増加することが示され、本研究の新しい測定法により感度の向上が期待できることが明らかになった。 同様にDNA測定法についても検討し、試薬であるプローブDNAと測定対象であるターゲットDNAとのハイブリダイゼーションによる蛍光偏光度の変化量を見積もり、蛍光偏光法をDNA測定法に応用することが充分に可能であることを示した。 第3章では、第2章での考察に基づき蛍光偏光法によりタンパク質のIgGの測定を行った。 測定には蛍光偏光分析装置を用い、励起光の中心波長を485nm、蛍光の中心波長を525nmに設定した。サンプルセルは内寸10x10[mm x mm]の水晶製のセルを用い、37℃に保持した。蛍光標識物質としてフルオレセインイソチオシアネート(FITC)を用い、蛍光標識抗原および抗体試薬は市販の試薬を使用した。試薬およびサンプルの希釈または反応には、リン酸ナトリウム緩衝液(70mM,pH7.0,0.05wt%アジ化ナトリウム)を用いた。 まず、従来の蛍光偏光免疫測定法により、測定試薬である蛍光標識IgGおよび抗IgG抗体の濃度の最適化を行った後、IgGの検量線を作成した。その結果、測定可能な濃度範囲はおよそ10-9-10-7Mであった。また、1サンプルの測定に要する時間はインキュベーション時間も含めて8分間であり、迅速な測定が可能であることがわかった。しかし、測定下限(最小検出感度)は未だ不十分であった。 そこで、第2章での考察に基づき、固定化抗体を用いる蛍光偏光免疫測定法によりIgGの測定を行った。本測定法はフリーの抗体の代わりに固定化した抗体を用いることが特徴である。固定化抗体の担体としては、いくつかの実験に基づき粒径約20nmの銀微粒子を採用した。その結果、測定可能な濃度範囲はおよそ10-11-10-8Mであり、従来法による測定の場合と比べて約2ケタの測定下限の向上がみられた。この結果は第2章で述べたように、固定化抗体を使用したことにより蛍光偏光度の変化が増大したためと考察された。したがって、固定化抗体を用いる蛍光偏光免疫測定法でタンパク質IgGの迅速かつ高感度な測定が可能であることが示された。 第4章では、蛍光偏光法のDNA測定への応用を目的とし、DNAハイブリダイゼーション速度に影響する諸条件を詳細に解析し、蛍光偏光法におけるDNAハイブリダイゼーション速度の最適化および本測定法の特異性に関する検討を行った。 蛍光偏光分析装置およびその設定波長は第3章と同じとした。サンプルセルとしては内寸10x10または2x7.5[mm x mm]の水晶製セルを用い、26-56℃の温度範囲でコントロールした。DNAの合成には自動DNA合成機を用い、精製はHPLCで行った。蛍光標識にはフルオレセインを用い、蛍光標識試薬およびDNA合成用試薬は市販の試薬を用いた。試薬およびサンプルの希釈または反応にはTEバッファー(10mM Tris-HCl(pH8.0),1mM EDTA)を用いた。 一般に、DNAハイブリダイゼーション速度は塩の濃度に強く依存することが知られているが、その動的挙動を調べた例はほとんどみられない。本章では、まずDNAハイブリダイゼーションの時間変化におけるNaCl、KCl、MgCl2およびCaCl2濃度依存性を測定した。さらにそれぞれの時間変化を二次の反応速度式によって関数フィットすることによりハイブリダイゼーション反応速度定数を求めた。これらの結果から、1価の陽イオンのNa+,K+はほとんど同じ効果を示し、濃度が高くなるとDNAハイブリダイゼーションは急速に起こることが確認された。さらにNaCl濃度が0.8 M付近でDNAハイブリダイゼーション速度は飽和することがわかった。そこでハイブリダイゼーションの最適な塩濃度は0.8M NaClとした。また、2価の陽イオンは1価のイオンより反応速度を高める効果が大きく、これはイオン強度との関連が示唆された。しかし、2価の陽イオンはDNAに強く配位し高次構造を変化させることが知られており、DNA測定時に高濃度に添加するのは適当ではない。 さらに、ハイブリダイゼーションの時間変化における温度依存性を調べた。その結果、26℃から56℃までは温度が高いほどハイブリダイゼーションは速いことが示された。しかし、56℃においては測定対象DNAとコントロールDNAとの測定値の差(S/N)が小さくなるため、最適な温度は46℃とした。なお、本プローブDNAのTm(融解温度)は77℃である。 また、DNAハイブリダイゼーション速度に及ぼす塩基配列ミスマッチの効果を調べた結果、0.8M NaClまたは0.2M MgCl2の塩濃度条件において、完全に相補する配列に対してミスマッチが3塩基以上存在すればこれらを識別できる可能性が示された。また、0.2M MgCl2では1塩基のミスマッチも判別可能であることが示唆された。これらの結果から本研究のDNA測定法の特異性が確認された。 以上の結果を用いて、測定対象DNAの検量線を作成した。最適な測定条件としてNaCl濃度0.8M、反応温度46℃とした。その結果、対象DNAの測定下限はおよそ10-10M濃度であり、絶対量では40fmol/assayであった。 第5章では、第4章の研究で得られた測定条件を用いて、実際の細菌に特異的な塩基配列の迅速な測定を試みた。用いた細菌はメチシリン耐性ブドウ球菌(MRSA)で、この耐性遺伝子配列を含む287塩基、さらにその内側の239塩基の部位をPCR法により増幅した2種類の試料について測定した。測定はNaCl濃度0.8M、反応温度46℃で行った。なお、測定用プローブDNAのTmは76℃である。蛍光偏光度は1分毎に10分間測定し、これらの平均値および標準誤差を求めた。その結果、2種類の試料の測定値は、いずれの場合もブランクおよびコントロールに対して差があり、t検定から危険率0.1%未満で有意と判定された。以上より、蛍光偏光法による迅速なDNA測定の可能性が示された。 第6章は結論であり、本研究を要約し、得られた研究成果をまとめた。 以上、本研究では、蛍光偏光法によるタンパク質およびDNAの測定法を開発し、それぞれの迅速、高感度な測定を行った。さらに、本測定法に関して理論的考察を加えた。また、蛍光偏光法によりDNAハイブリダイゼーションの最適条件を確立し、細菌遺伝子の迅速な測定が可能であることを示した。今後、この測定法が臨床検査や健康モニタリングなどの分野に応用されれば、大きな役割を果たすことが期待される。 |