本論文は、水産物等の鮮度を簡便・迅速に測定するための光検知型バイオセンサーの開発に関するものであり、6章より構成されている。 食品産業では、高い品質の食品を提供する事が求められ、製造現場等において迅速に品質を検査する必要がある。中でも味、香り、鮮度等の官能的な品質を客観的に判定できる検査員の確保は難しく、これらの品質を科学的で簡便・迅速に測定する方法が強く要望されている。そこで、本研究では原材料の品質を保つ上で必要な、水産物等の鮮度測定用のセンサーの開発を行った。水産物の鮮度は、魚肉中のATP関連化合物の量比であるK値が指標として使われている。更に、通常流通している水産物では、これを簡易化した指標KI値(単位:%)で鮮度を表わしている。 KI値=100×(イノシン+ヒポキサンチン)/(イノシン酸+イノシン+ヒポキサンチン) 従来のK値(又はKI値)の測定法では、過塩素酸等でATP関連成分を魚肉から抽出する操作が必要で、食品工場の現場等でこれを用いるには、危険かつ煩雑である。また、抽出した成分の測定には、高速液体クロマトグラフィ-(HPLC)等が用いられてきたが、測定に1時間程度を要しており、現場で迅速に測定を行う事ができなかった。一方、固定化酵素電極やリアクターを使用した鮮度センサーやFIA(フロー・インジェクション・アナリシス)装置なども開発され、KI値の測定に用いられているが、1試料の分析に5分間程度を要する上に、他の方法同様、上記の抽出操作が必要であり、現場で用いるには煩雑でほとんど使用されていなかった。 そこで本研究では、魚肉に直接センサーをあてて魚肉鮮度KI値が簡便・迅速に測定可能な鮮度センサーの開発を目的とし、光半導体を用いた高感度な鮮度FIAと魚肉から直接試料を採取できるプローブの開発を行い、これらを組み合わせた直接測定型鮮度センサーを開発した。 第1章は序論であり、本研究の背景について述べ、目的と意義を明らかにした。 第2章では、高感度なフォトダイオードを用い、微量の試料で魚肉中のATP関連物質の一つであるヒポキサンチン(Hx)を測定できる化学発光FIAの開発を行った。本システムは、キサンチンオキシダーゼ(E.C.1.2.3.2;以下XODと略す)を固定化したリアクターとインジェクターを装着したサンプル流路、及び発光試薬を流す流路から構成されている。インジェクターで注入された試料中のHxは、XOD固定化リアクター内で選択的に酸化され、等量の過酸化水素を生成する。この過酸化水素をキャリア溶液と共に、フローセル内で発光試薬と混合し、その際発生する化学発光をフォトダイオードで受光し、電流を値として測定した。 XOD固定化リアクターとしては、牛乳由来のXOD(2U)を多孔質ガラスの固定化担体であるCPG(Controlled Pored Glass)に共有結合法で固定化し、カラム(内径3mmx18mm)に充填したものを用い、サンプル流路には、0.1Mリン酸緩衝液(pH7.8)を通液した。また、発光試薬としては、西洋わさび由来ペルオキシダーゼ(E.C.1.11.1.7;HRPと略す;2g/ml)、ルミノール(10M)、p-ヨードフェノール(20M)を炭酸緩衝液(0.2M,pH9.4)に溶解したものを用い、サンプル流路及び発光試薬流路の流速は、2.0ml/分とした。測定はすべて室温(20〜25℃)で行った。本システムでの100lのHx溶液に対する検量線は2×10-7〜2x10-4Mの範囲で直線であった。また測定時間は1分間以内であり、迅速に測定が行えた。 魚肉の過塩素酸抽出液のヒポキサンチンを本システムとHPLCで測定した結果は(n=13)相関係数は0.978であり、過塩素酸で抽出した魚肉試料中のHxの測定に適用可能である事が分かった。本システムは簡便な装置であるが比較的高い感度が得られ、過塩素酸抽出した試料の測定には十分な感度であったが、魚肉から微量の試料を採取して直接測定するには、感度が不十分と考えられた。また、上記の検出感度を得る為には流速を2.0ml/分と高い値にする必要がある。鮮度FIAでは、イノシン酸(IMP)、イノシシ(HxR)を完全に分解してHxに変換する必要があるため、このような高い流速では大きな固定化酵素リアクターを必要とし適当ではない。そこで第3章及び第4章においてこれらの点の改良を行った。 第3章では、化学発光FIAを高感度化する為に、比活性の高い微生物(Arthromyces ramosus)由来のペルオキシダーゼ(ARPと略す)を用いた。HRPの代わりにARPを用いた事、及び従来この系を利用した化学発光FIAで用いられていたルミノールのホウ酸緩衝溶液の代わりに炭酸緩衝溶液を用いた事で、発光強度が約25倍増加した。さらに、フォトダイオードを検出器に用いた化学発光FIAで、光電子増倍管検出器を用いたFIAと同程度の過酸化水素の検出感度(3×10-9M)が得られ、Hx濃度1x10-8Mの検出が可能であった。従来の化学発光FIAは高感度であるが、光電子増倍管のような高価でデリケートな検出器を必要としたため、医療用や環境計測用等限られた用途にしか用いられていなかった。本システムを用いれば、酸素電極等と同じ簡便さで低濃度のHxあるいは微量の試料を測定できる化学発光FIAが可能になる。なお、本システムでは、第2章のシステム同様、鮮度FIAに応用するには流速が速すぎるので、第4章でさらに改良を行った。 第4章では、低流速で高感度に、さらに迅速に測定できるようにするため、1)サンプル流路のキャリアと発光試薬を混合後、フローセルに入るまでの流路の容積を小さくした、2)安定で比活性の高い酵素を固定化したリアクターを用い、従来の鮮度FIAより小型のリアクターでIMP→HxR→Hxの変換が行えるようにした。従来の鮮度センサーやFIAでは、5’-ヌクレオチダーゼ(E.C.3.1.3.5:非常に不安定)や牛乳由来のXOD、牛の小腸由来のプリンヌクレオシドフォスフォリラーゼ(E.C.2.4.2.1:PNPと略す)が用いられてきたが、いずれも安定性が低く、また比活性が低いため、大きな固定化酵素リアクターを必要とし、その結果、1回の測定に3〜5分間もかかっていた。本研究では、安定性及び比活性の高い酵素として、アルカリフォスファターゼ(E.C.3.1.3.1:牛小腸由来:APと略す)及び好熱性微生物由来の XODとPNPを用い、これらを固定化してリアクターとして用いた。Kl値を測定するには、IMP、HxR Hxの濃度の合計値とHxR,Hxの濃度の合計値を測定すれば良いので、2組の化学発光FIAを組み合わせて用いた。すなわち、第1のFIAでは、APとPNPとXODを固定化したリアクター(内径2mm×長さ30mm)を用い、IMPはAPによりHxRに変換され、HxRはPNPでほぼ100%Hxに変換される。これら3成分の濃度の合計に等しい濃度のHxが生成するので、これをXODで酸化して等量生成する過酸化水素の濃度を測定する事により、3成分の濃度の合計値を算出した。このリアクターではリン酸イオン及びマグネシウムイオン濃度により反応効率が変化するので、最適化を行い、0.1Mトリス緩衝溶液(pH8.0)に1mMのリン酸塩と10mMのMg塩を添加したものを流速0.6ml/分で通渣する事によって、100M以下のIMP、HxRがほぼ100%Hxに変換できる事が分かった。第2のFIAには、PNPとXODを固定化したリアクターを装着し、0.1Mリン酸緩衝溶液(pH7.8)を同じく0.6ml/分で通液した。この流路では試料中のIMPはほとんど分解されなかったが、HxRはほぼ100%Hxに変換された。第1のFIAのピーク高さは、試料中のIMP,HxR,Hxの濃度の合計値に比例し、第2のFIAのピーク高さは、HxR,Hxの濃度の合計価に比例した。そこでFIAのインジェクター(20l)で試料溶液をそれぞれのFIAに同時に注入して測定を行い、第1のFIAの測定値で第2のFIAの測定値を割り、100倍してKl値を算出した。 低流速でも過酸化水素の高い検出感度が得られるようにフローセルを改良した結果、3成分についてそれぞれ6x10-8Mと十分高い検出感度が得られ、同時に小型のリアクターで1x10-4MまでIMP→HxR→Hxの変換が定量的に行えた。このように本システムは微量の試料で測定可能なため、リアクターを小さくする事が可能となり、その結果、鮮度Kl値の測定に要する時間は1分間以内と短縮された。これは、従来の鮮度FIAの5倍程度の迅速な測定である。以上、従来の鮮度FIAと比較して、微量の試料で簡便かつ迅速に鮮度測定が行える迅速測定型鮮度FIAを開発することができた。 第5章では、魚肉鮮度Kl値の直接測定用のプローブの開発とこれと鮮度FIAを組み合わせた直接測定型鮮度センサーの開発を行った。直接測定用プローブとしては、ステンレス管に透析膜等を装着したものを用い、これの内部に20mMBis-Tris緩衝溶液(pH6.5)を通液し、浸透してくる成分をキャリア溶液と共にインジェクターで鮮度FIAに注入して測定を行った。その結果、第1と第2のFIAにおける繰り返し測定時の測定値の比は一定の値を示し、鮮度Kl値の直接測定が可能であると考えられた。 第6章は総括であり、本研究を要約して得られた結果をまとめた。 魚肉にセンサープローブをあてて鮮度が直接測定できる鮮度センサーを開発した。今後、本センサーは、食品産業などの現場において、簡便・迅速に水産物鮮度が検査できるデバイスとして食品の品質向上に重要な役割を果たすものと考えられる。 |