植物の胚発生は、植物の極性や体制が確立され、シュートや根が最初に分化する過程であり、植物の個体発生を人為的に制御しようとする場合にまず明らかにすべき過程であるが、その遺伝的機構の解明は非常に立ち遅れている。最近、発生過程の研究に対する突然変異の利用の有効性が明らかになりつつある。胚発生に関しては、イネ、トウモロコシ、シロイヌナズナで多くの突然変異が同定され、活発な研究が行われつつあるが、その初期の調節機構に関してはほとんど解明されていない。 本研究では、まず、更に多くのイネの胚発生突然変異を作出する目的で、突然変異原処理されたM2系統から胚発生突然変異を選抜するとともに、突然変異遺伝子間の相互作用を解析した。次に、胚発生初期に異常を示す突然変異の機能を明らかにするため、ごく最近単離され、形態形成に重要な機能を果たしていると考えられているホメオボックス遺伝子、OSH1、をプローブとしたin situ hybridizationを行った。更に、これまでに得られた突然変異体の中から胚のサイズに関係したものを用いて、他の植物種でまったく研究されていない胚・器官のサイズの制御機構について解析した。 1.新たな胚発生突然変異の同定 本研究を始めるまでに88の胚発生突然変異が同定されていたが、突然変異のスペクトルをさらに拡大するために、新たな胚発生突然変異を同定した。MNUで受精卵処理した金南風のM2約3000系統について、約25%の種子が発芽しないか異常な幼苗となるものを選び、完成胚の異常の有無を観察した。その結果、計94の1遺伝子の劣性突然変異を新たに同定した。その表現型は、1.完熟種子で無胚となるもの(3系統)、2.器官分化がまったく見られないもの(7系統)、3.幼根は正常であるが、シュートが分化しないもの(1系統)、4.シュートは分化するが、幼根が分化しないもの(2系統)、5.胚のサイズが異常であるもの(9系統)、6.器官の形態が異常であるもの(57系統)、7.1遺伝子の突然変異であるがさまざまな表現型を示すもの(15系統)、の7つに分類できた。更に、胚発生突然変異間の対立性検定を行い、多くの遺伝子座、対立遺伝子を同定した。また、2重突然変異を作出し、遺伝子間の上位性、独立性を解析した。その結果、器官欠失突然変異は他の突然変異に対し上位であること、胚のサイズの制御は他の制御過程(器官分化の決定、器官位置の制御、器官の形態形成)とは独立であることが明らかになった。 2.ホメオボックス遺伝子、OSH1、の胚発生突然変異体における発現 イネのホメオボックス遺伝子の1つOSH1は、異所的発現により葉の形態の異常を引き起こすこと、野生型イネの胚発生初期から発現することから、イネの器官分化に重要であると考えられている。ここでは、OSH1の野生型胚、突然変異胚における発現パターンを解析するとともに、胚発生研究の為の遺伝子マーカーとしての可能性を検討した。野生型イネの胚発生では、OSH1は器官分化が始まる以前の球状胚の腹側中央部の将来シュートが分化する領域で発現していた。器官分化後は、シュートメリステムと芽鱗および幼根の周囲で発現が見られたが、葉原基では発現していなかった。また胚発生後期ではほとんど発現しなくなった。このOSH1の発現がシュートの分化と直接関係するかどうかを明らか番こするため、胚はかなり生長するが、器官分化がまったく見られないorl1突然変異での発現を調べたところ、OSH1の発現はorl1においても時間的、空間的に正常に制御されていた。このことは、OSH1がシュートの分化決定よりも上流の制御、恐らく腹側領域の分化、に関わっていることを示唆している。 次に、器官分化に異常を示す様々な突然変異体における発現を調べた。これらの多くではOSH1の発現は正常であったが、いくつかの突然変異体では異常な発現が見られた。幼根欠失突然変異体odm 115の胚では基部で発現が見られた。その胚は短いこと、不定根は正常に分化することを考え合わせると、odm 115は基部領域を欠失した突然変異と考えられる。棍棒状胚突然変異cle1-1では胚の基部の狭い領域でのみ発現していた。形態的特徴からもcle1-1は胚盤以外の領域が欠失したものと考えられる。一方、シュート欠失突然変異5系統のうち3系統では正常な発現が見られたが、shl2ではOSH1の発現が見られず、shl1ではOSH1が腹側だけでなく背側でも発現していた。従って、shl1は背腹軸に関する領域分化の異常であると考えられる。シュート欠失突然変異の多くは表現型からは区別できないが、OSH1の発現を調べることによって、それらの機能を分類することができた。このように、OSH1をマーカーとすることによって、胚発生突然変異を詳細に特徴づけることが可能になった。 3.無胚突然変、eml1、における胚乳の影響 無胚突然変異の一つembl1は、胚発生がごく初期に停止し、完熟種子では無胚となるものであるが、ある年にその種子のほとんどが無胚となる劣性のホモ個体が得られた。このことは、eml1の発現が環境条件に依存する可能性を示している。そこで、ホモ個体を用いて、温度感受性を調べたところ、高温ではほとんどの種子で無胚となり、胚乳が大きくなるが、低温になるにつれて無胚種子の頻度が低下し、貧弱な胚乳あるいは無胚乳で巨大胚を持つものが多くなった。従って、eml1は温度感受性で胚及び胚乳のサイズを変異させる突然変異であると考えられる。次に、温度感受性を示す時期を明らかにするため、受粉後の様々な段階で低温処理を行った。その結果、受粉後2、3日目の胚乳が細胞化する時期に種子が感受性を示すことがわかった。他の結果とも考え合わせると、eml1は、高温条件では胚乳を異常に発達させ、初期に胚を押しつぶして無胚種子を形成し、低温では胚乳の発達を阻害し、極端な場合には胚乳を完全に崩壊させて結果的に巨大胚を生じる突然変異であると考えられる。従って、この突然変異では、胚の大きさは胚乳の発達程度により物理的に制限されていると思われる。 4.胚サイズ突然変異体の解析 小胚突然変異4系統、RE1座の2つの突然変異re1-1及びre1-2,独立した2つの遺伝子座の突然変異re2及びre3、を用いて解析した。いずれも胚長は野生型の1/2-1/3で、頂端分裂組織を含め胚の全ての器官が縮小していた。胚乳は野生型よりも拡大し、小胚に接するまで発達していた。一方、5つの巨大胚突然変異(ge-2,ge-3,ge-4,ge-5,ge-6)は、全て1つの遺伝子座GEに由来するもので、いずれも胚盤のみが異常に肥大し、シュートや幼根のサイズは影響を受けなかった。胚乳は胚が巨大化した分だけ小さくなった。これらの突然変異体の発芽後の生長を調査したところ、初期生長は野生型より劣ったが、最終的な植物体の大きさは野生型とほぼ変わらなかった。従って、いずれも種子形成過程にのみ影響すると考えられる。re1-1及びge-2の受粉後の種子の発生過程を詳細に調べた。いずれも初期の胚発生は遅延する傾向にあったが、大きな異常は見られなかった。それに対してre1-1の胚乳の発生は、受粉後3日目頃までは遅延していたが、4日目から種子の基部で急速な生長を示し、野生型で見られる胚と胚乳の間の空間が観察されず、胚に接するほど発達していた。re1-2、re2、re3においても、受粉後5日目でre1-1と同様に胚乳は胚と接していた。従って、いずれの小胚突然変異も、種子の基部の胚乳を異常に発達させるものと考えられる。ge-2では、受粉後4日目から胚に近い胚乳細胞が崩壊し始めていた。この現象は受粉後5日目に更に顕著になった。従って、ge-2は、胚に近い胚乳細胞を崩壊させもので、その結果種子基部に大きな空間が生じ、巨大胚が形成されたと考えられる。 geとre1が胚乳で発現することを確認するために、未分化で小さな棍棒状胚を作るcle1-1突然変異やシュートが胚の先端に分化し、胚盤がほとんど形成されないshp1突然変異との2重突然変異を作出した。ge/cle1-1では、胚はcle1-1の棍捧状胚であったが、胚乳はgeと同じように小さくなった。従って、明らかにgeは胚乳のサイズを小さくする突然変異であり、巨大胚は胚乳の縮小によって生長できる空間が拡大したためであると考えられる。一方、re1-1/shp1でも、胚はshp1タイプであるが、胚乳はre1-1と同じ程度に拡大していた。従って、re1-1は胚乳を拡大する突然変異であると考えられる。このように、GE、RE1ともに胚乳(特に基部)の発生を制御する遺伝子座であり、胚のサイズ、時にはメリステムのサイズも胚乳の発達程度により影響されることが明らかになった。 以上、本研究では、イネの新たな胚発生突然変異を同定、解析するとともに、ホメオボックス遺伝子,OSH1,をマーカーとして胚発生に関与する遺伝子の解析を行い、突然変異遺伝子をより詳細に解析することができた。更に、他の植物種では明らかになっていない胚のサイズの調節機構を解析し、胚・器官のサイズが胚乳により制御されることを明らかにした。 |