学位論文要旨



No 111919
著者(漢字) 大山,直美
著者(英字)
著者(カナ) オオヤマ,ナオミ
標題(和) フサシダ科植物の造精器誘導物質に関する生物有機化学的研究
標題(洋) Bio-organic Chemical Studies on the Antheridiogens in Schizaeaceous Ferns
報告番号 111919
報告番号 甲11919
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1635号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 助教授 山根,久和
 東京大学 助教授 山口,五十麿
内容要旨

 シダ植物において、造精器誘導物質は造卵器を有するような成熟した前葉体から分泌され、その周囲に存在する幼若な配偶体に造精器形成を誘導し、他家受精が起こりやすい状況を作り出していると考えられる。造精器誘導物質は胞子暗発芽誘導活性を併せもっているが、これは未発芽の胞子の発芽を誘導し、成熟前葉体の周囲に造精器誘導物質に感受性の高い幼若配偶体の個体数を増加させるためと考えられる。造精器誘導物質は幾つかの物質群に分類されるが、現在までに構造が明らかになっているものはフサシダ科植物由来の12種で、いずれもジベレリン(GA)関連構造を有する物質である。それらは炭素骨格に関してantherid-8(14),16-diene,ent-9,15-cyclogibberell-16-ene,ent-gibberell-9(11),16-diene,及びent-gibberell-16-eneの4種に大別され、相互に密接な生合成的関連を有していると考えられる。

 本博士論文研究においては、このようなフサシダ科植物の造精器誘導物質の構造と生合成、及び生理的役割を解明しようとする観点から、次に挙げる課題について追究することにした。

 ○造精器誘導物質とその関連物質の検索

 ○Anemia phyllitidisの生活環における造精器誘導物質とジベレリンの質的・量的変動

 ○造精器誘導物質の生合成経路

 ○造精器誘導物質生合成に関連する遺伝子のクローニング

図1 フサシダ科植物の造精器誘導物質とその関連物質の構造(1)造精器誘導物質とその関連物質の検索

 A.phyllitidisなど4種のAnemia属シダの主要造精器誘導物質であるantheridic acid(1)は9,15-cyclo-GA9(GA103:2a)から3-hydroxy-9,15-cyclo-GA9(GA107:2e)を経て生合成されることが明らかにされている(Yamauchi et al.1991)が、GA103やA.phyllitidisの微量成分として同定された3-epi-GA63(4d)の生合成経路については未解明である。また、Lygodium属のシダの主要造精器誘導物質であるGA73-Me(3a)の前駆体がGA24であることが明らかにされている(山内 1993)が、その間どのような変換を経るかについては分かっていない。本研究では、これら造精器誘導物質の生合成経路に関する未解明の部分を明らかにするための基礎的知見を得るため、これまで造精器誘導物質の詳細な分析が行われていなかった種について造精器誘導物質の検索を行った。

a.Mohria caffrorumの造精器誘導物質

 M.caffrorum前葉体の培養液より、antheridic acid,3-epi-GA63,GA104(2b),GA107の4種が同定された。したがって、M.caffrorumにおいても、A.phyllitidisと同様な生合成経路が機能していると考えられる。しかしながら、この場合、主要成分は3-epi-GA63である点において(GC/MS分析の結果antheridic acidの約100倍量存在すると考えられた)A.phyllitidisとは異なっており、M.caffrorumが3-epi-GA63の生合成経路を追究するための好適な材料である可能性も示された。

b.Lygodium flexuosumの造精器誘導物質

 L.flexuosumの造精器誘導物質については前葉体培養液よりGA73-Meが主要造精器誘導物質として同定されているが、微量成分についてはまだ分析されていない。そこでL.flexuosumの造精器誘導物質をさらに精査するとともに、前葉体に含まれる造精器誘導物質の検索も行った。その結果、前葉体培養液より既知のGA73-Meに加えて2種のmonohydroxy-GA73-Me様物質が検出された。前葉体のメタノール抽出物からは、GA73-Me,2種のmonohydroxy-GA73-Me様物質、1種のdihydroxy-GA73-Me様物質が検出された。

c.ジテルペン炭化水素の検索

 フサシダ科植物の造精器誘導物質はGA関連構造を有しているので、GAと同様、ent-kaurene等のジテルペン炭化水素を生合成前駆体としていると考えられる。そこで、A.phyllitidis,A.flexuosa,L.japonicum,L.flexuosumの前葉体に含まれるジテルペン炭化水素の検索を行った。その結果、全ての試料よりent-kaurene及びent-9,15-cyclokaurene様物質が検出された。

図2 フサシダ科植物から検出されたジテルペン炭化水素の構造
(2)リンゴ未熟種子における造精器誘導物質関連化合物―新規GAの単離・同定―

 最近、これまでフサシダ科植物にしか検出されていなかった、9,11-didchydro構造を有するGAがリンゴ未熟種子に存在することが報告された(Hedden et al.1993)。そこで、9,11-didchydro-GAの生合成経路に関する基礎的知見を得るために、開花後10週目及び14週目のリンゴ未熟種子における造精器誘導物質関連化合物の精査、及びジテルペン炭化水素の検索を行った。その結果、10週目の種子からは23種の既知GA及び6種の9,15-cyclo-GA、14週目の種子からは17種の既知GA及び5種の9,15-cyclo-GAが同定された。ここで極めて興味深い点は、9,11-didehydro-GAsとして既報のGA88に加え、GA73が種子植物より初めて同定されたこと、及び9,11-didehydro-GAと同様にフサシダ科植物の造精器誘導物質として見い出されていた9,15-cyclo-GAが同定されたことである。特にGA103,GA105(2c),GA106(2d),GA108(2f)は天然から初めて同定されたものである。以上のことから、リンゴ未熟種子はent-9,15-cyclogibberell-16-ene骨格、ent-gibberell-9(11),16-diene骨格を有するGAの生合成経路を追究するための好適な材料となる可能性が示唆された。また、リンゴ未熟種子中のジテルペン炭化水素についても検索したところ、ent-kaurene及びent-9,15-cyclokaurene様物質が検出された。

(3)A.phyllitidisの生活環における造精器誘導物質とジベレリンの質的・量的変化

 A.phyllitidisから同定された造精器誘導物質はGA関連構造を有するが、前葉体から胞子体にいたるシダの生活環のなかで、それら造精器誘導物質が質的・量的にどのように変動するのか、またGAが存在するとすればどの生育段階にどのようなGAが存在するのかきわめて興味深い。ここではA.phyllitidisの前葉体、胞子体各々2つの生育段階について、造精器誘導物質及びジベレリンについて定性・定量分析を行い、造精器誘導物質、GAの生理的役割について考察した。A.phyllitidisの前葉体については播種後4週間目と6週間目、胞子体については播種後1年目と2年目のものを分析した。4週間目の前葉体では、GA9が痕跡量存在する可能性が示されたが、antheridic acidの存在は認められなかった。また6週間目の前葉体ではantheridic acidと、3-epi-GA63及びantheridic acidのisomerと考えられる物質が検出され、さらにGA9,GA24,GA25が同定された。一方、比較的若い成長段階である1年目の胞子体からGA4,GA9,GA15,GA20,GA24が、主として成熟葉より成る胞子体からGA4,GA9,GA15,GA19,GA20,GA24が同定されたが、いずれの胞子体からもantheridic acidなどの造精器誘導物質は検出されなかった。定量分析では、4週間目の前葉体におけるGAレベルはきわめて低く、6週間目の前葉体ではantheridic acid,GAのレベルが顕著に高くなっていることが示された。特にantheridic acidのレベルは高く、GAの中では最も多量に存在するGA24の少なくとも3倍は存在した。以上の事実は、播種後、4-6週間の間に造精器誘導物質及びGAの生合成が飛躍的に高まることを示している。GA間の比較では前葉体と胞子体の間でGA24とGA9の量に顕著な差がみられた。6週間目の前葉体ではGA25がGA24と同程度存在し、前葉体におけるGA24の主要代謝物はGA25であることが示された。GA9は少量存在するものの、GA4の存在は認められなかった。胞子体においてはGA9が主要内生GAであり、高等植物における活性型GAと考えられるGA4の存在も認められた。

 本研究において、胞子体や播種後4週間目の若い前葉体にantheridic acidの存在が認められなかったことにより、antheridic acidが半数世代において播種後4-6週間に時期特異的に生成分泌されることが示された。A.phyllitidisにおいて造精器形成は播種後5週間目頃より認められることから考えると、antheridic acidの主たる生理的機能は造精器の分化・形成の制御であることが示唆されたものといえる。一方、GAは比較的発達した前葉体及び胞子体から同定されたが、主要GAは胞子体ではGA9,GA4であり、前葉体ではGA24,GA25であった。以上の事実よりA.phyllitidisにおけるGAの主要生合成経路はearly-non-hydroxylation pathwayであること、胞子体と前葉体では活性型と考えられるGA4のレベルに顕著な違いがあることが示された。

 ここで用いた前葉体と胞子体についてもジテルペン炭化水素の検索を行った。その結果、6週間目の前葉体及び胞子体からent-kaurene、6週間目の前葉体からのみent-9,15-cyclokaurene様物質が検出された。(1)の結果も併せると、造精器誘導物質の生合成とent-9,15-cyclokaurene様物質は密接な関連がある可能性が考えられる。

(4)造精器誘導物質の生合成経路

 リンゴ未熟種子及びシダ前葉体より調製したセルフリー系、ならびにシダ前葉体を用いて生合成前駆体候補化合物の代謝実験を行ったが、9,11-didehydro-GA及び9,15-cyclo-GAの生合成経路を解明するための知見は得られなかった。一方、A.phyllitidisにおいてはantheridic acidがent-kaureneを経由して生合成されるのか、あるいはent-kaureneを経ずにent-9,15-cyclokaurene様物質から生合成されるのかを調べるために以下の実験を行った。すなわち、ent-kaurene代謝阻害剤であるuniconazole-Pを含む培地上で生育させたA.phyllitidis前葉体を分析したところ、ent-kaureneはcontrolの約80倍の蓄積が見られたが、ent-9,15-cyclokaurene様物質は約2倍に増加したにすぎなかった。また、その場合に前葉体から培地に分泌されるantheridic acidはcontrolの約1/13となった。以上の結果はent-kaureneがGAだけでなくantheridic acidの前駆体であることを示唆するものである。ent-9,15-Cyclokaurene様物質が実際にent-9,15-cyclokaureneであり、ent-kaureneがその前駆体であるとすればent-kaureneからent-9,15-cyclokaureneへの変換はuniconazole-Pにより阻害されるものと考えられる。いずれにしてもent-9,15-cyclokaurene様物質の構造解明はantheridic acidの生合成を考える上できわめて重要であると考えられる。

(5)造精器誘導物質生合成に関連する遺伝子のクローニング

 ent-Kaureneは造精器誘導物質の生合成前駆体と考えられることから、ent-kaurene合成酵素A遺伝子(KSA)のcDNAクローニングをL.circinnatum前葉体について試みた。現在、L.circinnatum前葉体から調製したcDNAを鋳型として用いて、シロイヌナズナのKSA遺伝子に基づいて作成したプライマーをプローブとしたPCR法によりシダKSAのクローニングを試みている。

まとめ

 本研究によってフサシダ科植物の造精器誘導物質について以下に示すような新しい知見が得られた。M.caffrorumの造精器誘導物質の主成分は3-epi-GA63であり、M.caffrorumは3-epi-GA63の生合成経路追究の好適な材料である可能性が示された。L.flexuosumの前葉体培養液あるいは前葉体のメタノール抽出物より造精器誘導物質としてGA73-Meの他にその変換物と考えられる数種の新規物質を検出した。また、GA73や9,15-cyclo-GA類を種子植物(リンゴ未熟種子)から初めて同定した。さらに、A.phyllitidis生活環の中での造精器誘導物質やGAの変動を調べ、造精器誘導物質が成熟前葉体より時期特異的に生成分泌されていること、胞子体ではGAのみが存在していること等をを明らかにした。また、造精器誘導物質の生合成前駆体候補化合物について検索し、ent-kaurene及びent-9,15-cyclokaurene様物質を検出した。このことから、幾つかの種子植物で得られているent-kaurene合成酵素A遺伝子(KSA)に着目し、L.circinnatum前葉体についてKSAのcDNAクローニングを試みた。

参考論文T.Yamauchi,N.Oyama,H.Yamane,N.Murofushi,N.Takahashi,H.Schraudolf,M.Fuber,L.M.Mander,G.L.Patrick,and B.Twitchin,Phytochemistry,30,3247-3250(1991).山内忠幸 東京大学博士論文(1993)P.Hedden,G.V.Hoad,P.Gaskin,M.J.Lewis,J.R.Green,M.Furber,and L.N.Mander,Phytochemistry,32,231-237(1993).
審査要旨

 シダ植物は、その生活環において種子植物と大きく異なる点が幾つかある。その一つは、胞子が発芽・生長して形成される前葉体に造精器、造卵器が分化するが、そのさい造精器を誘導する活性物質が前葉体から分泌されることである。この物質は、造精器誘導物質(antheridiogen)と呼ばれ、フサシダ科植物においてはジベレリン(GA)関連物質であることが明らかにされている。申請者は、フサシダ科植物におけるantheridiogenについて多面的な追究を行い、多数の興味ある知見を得ている。本論文はその成果をまとめたものであり、序論の他5つの章から成る。

 第1章においては、数種のフサシダ科植物におけるantheridiogenの単離・同定について述べている。まず、Mohria caffrorumにおけるantheridiogenについて検索を行った。前葉体の培養液を精製・分析し、GC/MSによる分析を行ったところ、antheridic acid(I),3-epi-GA63(4d),GA104((2b),GA107(2e)が同定された。これらの中で主成分は4dであることが特徴である。同様にしてLygodium flexuosumの培養液、および前葉体抽出物についても同様の検索を行い、すでに同定されているGA73-Me(3a)のほかに、3種のmonohydroxy-GA73-Me様物質、1種のdihydroxy-GA73-Me様物質を検出した。他方、フサシダ科植物におけるantheridiogenはGAと同様にジテルペンであることを前提とし、A.phyllitidis,A.flexosa,L.japonicum,L.flexuosumの前葉体に含まれ、antheridiogenの前駆体となり得るジテルペン炭化水素を検索した。その結果、上記すべての植物から、ent-kaurene,ent-9,15-cyclokaurene様物質が検出された。

図1 フサシダ科植物の造精器誘導物質とその関連物質の構造

 第2章においては、antheridiogenとの関連性から、リンゴ未熟種子中のGAについての検索結果について述べている。これまで、フサシダ植物にしか検出されていなかった9,15-didehydor構造を持つGAがリンゴ未熟種子に存在することが報告されたので、そのような構造を持つGAの生合成経路を追究するため、開花後10週目と14週目の未熟種子についてantheridiogen関連物質の検索を行った。その結果、開花後10週目の種子からは23種の既知GAならびに6種の9,15-cyclo-GA.14週目の種子からは17種の既知GAならびに5種の9,15-cyclo-GAが同定された。それらの中で、従来フサシダ科植物においてのみ検出されていた9,15-cyclo-GAが、種子植物中に始めて同定されたこと注目に値する。なお、GA103,GA105(2c),GA106(2d),GA108(2f)は新規物質であり、新GAとして登録された。また、リンゴ未熟種子中にもent-kaurene,ent-9,15-cyclokaurene様物質が含まれることが示された。

図2 フサシダ科植物から検出されたジテルペン炭化水素の構造

 第3章においては、Anemia phyllitidisの生活環におけるantheridiogenとGAの質的・量的変動について述べている。

 A.phyllitidisの前葉体、胞子体各々2つの生育段階について、antheridiogen、ならびにGAを精査した。その結果、前葉体と胞子体では、主に機能しているGAの生合成経路はそれぞれ異なることが示された。他方、antheridiogenは胞子体においては全く検出されず、前葉体においてのみ検出された。特に、前葉体にわいては、胞子播種後、4-6週目において急激に生合成・分泌されることが示された。

 第4章においては、antheridiogenの生合成経路の追究結果について述べている。

 リンゴ未熟種子およびシダ前葉体より調製したセルフリー系を用いて9,11-didehydro-GA及び9,15-cyclo-GAの生合成経路を調べたが、生合成経路を解明するだけの結果は得られなかった。他方、A.phyllitidisにおいては、ent-kaurene代謝阻害剤を含む培地上で生育させた前葉体におけるent-kaurene,ent-9,15-cylokaureneを分析した結果に基づき、ent-kaureneがGAだけでなく、antheridic acidの前駆体である可能性が高いと結論した。

 第5章においては、antheridiogen生合成に関連する遺伝子のクローニング実験の結果について述べている。ent-kaureneがantheridiogenの生合成前駆体と考えられることから、ent-kaurene合成酵素A(KSA)遺伝子のcDNAクローニングをL.circinnatum前葉体について試みた。現在までのところ、明確な成果を得るには至っていないが、系として用いた前葉体が当該実験には適していることが示された。

 以上、要するに、世界的にも数少ないantheridiogen研究について多面的に展開した研究成果をまとめたもので、学術上きわめて価値あるものである。よって、審査委員一同は、申請者に博士(農学)の称号を与えてしかるべきものと判断した。

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