システインプロテアーゼ(CP)は、動・植物において細胞内の基本的なタンパク質代謝に関与する一方、様々な疾病、害虫や細菌の生育、ウイルスの増殖といった事象にも関わっている。このようなCPを特異的に制御するタンパク質性のインヒビターであるシスタチンは、基礎生理学的・応用的両面から、重要な研究対象として注目されている。本研究においては、特に研究が遅れていた植物、特に食用作物のシスタチンについて、基礎的な研究から換み替え植物への利用を見据えた応用研究まで、幅広い分野に渡った成果が、第1章の序論に続く第2章から第6章までに報告されている。 第2章においては、世界的に重要な穀物である、トウモロコシとコムギ2品種についてシスタチン分子を初めて見いだし、既に報告されていたコメのものとあわせ、植物種、品種に関わらずに広くシスタチン分子が存在していることを証明している。また、種子の登熟期ばかりでなく、発芽期においても強く誘導されることを初めて明らかにした。同時に、コムギにおいて複数見いだされたシスタチン分子については、分子ごとに発現量に大きな差があることも明らかにした。これらの成果により、シスタチンの機能という面で、従来より言われていた貯蔵タンパク質の分解防止に限らず、さらに広い意味で植物体内における基本的なタンパク質代謝に関わる分子であるとの新たな見解を提示している。 第3章においては、シスタチンをタンパク質レベルにおいて解析を行っている。コムギ種子においてシスタチン分子ごとに発現部位が異なっていることを明らかにしている。また、植物シスタチン間では、動物のカテプシンL型、H型のCPに対して阻害活性が高いという共通する阻害活性スペクトルを持っていることを示している。これらの成果はシスタチン分子の機能を推定する上での新たな知見を加えるものであり、同時に植物の内在性CPとの相互作用に関連している結果として、第4章に研究を展開している。 第4章では、ほとんど研究が進んでいないコムギ種子のCPを遺伝子・タンパク質両面から検討を加えている。まず完熟コムギ種子から動物のカテプシンL型に類似したCPを精製するとともに、外来性のコメのシスタチンよりも内在性のコムギのシスタチンによって効果的に阻害されることを見いだしている。またcDNAクローニングによりコムギCPを見いだし、その発現パターンがシスタチンのものと相同であることを初めて明らかにしている。これらの成果は、第2、3章とあわせて、これまでほとんど研究例がなかった植物体内でのプロテアーゼとプロテアーゼインヒビターの相互作用という点で、植物生理学的に多くの知見を加え、新たな研究の展開を示したものとして評価できる。 次には、これまでの基礎的研究から方向を転換し、シスタチン活性を植物体外のCPに対して用いることに目を向けている。第5章においては、豆類を食害する鞘翅目、半翅目に属する害虫をシスタチン入りの餌で飼育すると、生育が遅延し、やがて死滅することを実験的に検証し、シスタチンが抗虫因子として有望な可能性をもつことを証明している。また同時に、これらの成果から昆虫の餌のタンパク質消化にCPが大きく関与することを指摘しており、昆虫生理学的にも興味深い成果をもたらしていると考えられる。 第6章においては、消化器系、粘膜系から人間に感染する病原ウイルスを対象としている。ウイルスに感染した細胞をシスタチンを添加した培地で培養すると、ウイルスの増殖が顕著に抑えられることを、ポリオウイルス、ヘルペスウイルス、ロタウイルスという全く異なった3種のウイルスについて証明している。この結果はシスタチンが広く抗ウイルス機能を有することを明らかにし、これらのウイルス増殖にCPが関与している可能性を示唆している。第5章の成果とあわせ、特に遺伝子組み換え植物に応用することにより、耐虫性、耐病性にすぐれ、消化器系において抗ウイルス作用を示す新しい作物の作出までの可能性を指摘し、実用化研究の意義を明確に示した例として評価できる。 以上のように、本研究は、植物生理学の基礎的分野において未知であった分野を切り開くとともに、基礎研究の成果を社会に還元しうる可能性を実験的に明示するという広い範囲での成果をもたらしており、学術的にも社会的にも貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。 |