学位論文要旨



No 111920
著者(漢字) 黒田,昌治
著者(英字)
著者(カナ) クロダ,マサハル
標題(和) 食糧種実シスタチンの解析と応用に関する研究
標題(洋) Studies on Analysis and Application of Food Seed Cystatins
報告番号 111920
報告番号 甲11920
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1636号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨 緒言

 我々の体を構成する最も基本的な要素であるタンパク質は、それを分解するプロテアーゼと、その働きを抑えるプロテアーゼインヒビターの相互作用を通して代謝調節されている。なかでも、システインを触媒残基とするシステインプロテアーゼ(CP)は、その制御の異常が癌の転移、骨粗しょう症の進行などといった病態に深く関与していること、また、人間に害を与えるある種の昆虫や細菌の生育、ウイルスの増殖等に重要な働きをしていることなど、様々な事実が明らかとなってきており、CP自身を対象とした基礎的研究とともに、それを制御するインヒビターについての研究も盛んに行われている。一方、植物界においても、CPが普遍的に存在し、貯蔵タンパク質の成熟化や発芽時の分解といった現象を始めとして、植物体内のタンパク質代謝を司っていることが明らかにされつつある。

 シスタチンはCPを特異的に制御するタンパク質性のインヒビターであり、早くから研究されていた動物由来のものに加え、当研究室におけるコメの2種のオリザシスタチン(OC-I、OC-II)のクローニングによってようやく植物由来のものについても研究が開始された。オリザシスタチンは動物シスタチンとは異なる様々な特徴を有しているため、分子進化的にあらたなファミリーを形成することを予想させる一方、植物種子内でのプロテオリシスの制御への関与といった植物生理面で、あるいはCPを持つ害虫、感染源に対する防御因子としての利用といった応用面で、興味深い研究対象として注目され始めている。

 本研究では、コメ以外の食糧種実、すなわちトウモロコシ、コムギからシスタチンを見出して植物界におけるシスタチンの普遍的な存在を明らかにすることを出発点とし、特にタンパク質代謝系の解析例が少ないコムギについて、種子でのシスタチンの動態を解析するとともに、それが制御するところのコムギ種子CPの検索と、両者の相互作用を検討した。また一方で、シスタチンのプロテアーゼ阻害活性を活用し、人間に害をあたえる昆虫に対する生育抑制効果・致死効果の検討、ウイルスの増殖抑制因子としての効果の検討を通じて、トランスジェニック植物等にそれを応用することを目的とした領域にまで研究を敷衍した。以下に詳細についてまとめる。

トウモロコシおよびコムギからのシスタチンのクローニング

 1) 登熟初期のトウモロコシ種子よりcDNAライブラリーを作製し、OC-Iをプローブとしてスクリーニングした結果、全長960bpよりなる陽性クローンを得てこれをコーンシスタチンI(CC-I)と命名した。推定アミノ酸配列によれば、CC-Iはシグナル様配列を含む135アミノ酸残基より成り、シグナル配列部分を除くと、OC-Iと70%の相同性があった。登熟期のトウモロコシについてノーザン解析をしたところ、登熟2週目をピークとして登熟のあらゆる時点での発現が観察された。

 2) コムギのCPインヒビターについては全く解析がなされていないため、まず、すでに構築されたコムギゲノムライブラリーを用いシスタチン分子の有無を検討した。その結果、全長14kbpよりなる1つの陽性クローン(gWC2)の中央部分に既知の植物シスタチンと高い相同性を示す推定アミノ酸配列が存在することがわかり、コムギにおいてもシスタチン分子が存在している可能性が示唆された。そこで、日本の栽培種である農林61号の登熟3週目の種子からcDNAライブラリーを作製し、gWC2をプローブとしてスクリーニングし、制限酵素地図の異なる4種のシスタチンクローン(cWC61、cWC81、cWC83、cWC92)を得た。このうちcWC61とcWC83は93%の相同性を示し、ほぼ同一の分子と考えられた。しかし、cWC61はcWC81とは65%、cWC92とは69%、cWC81とcWC92は65%の相同性を示し、これよりコムギ種子中には少なくとも3種(cWC61/83、cWC81、cWC92)のシスタチン分子が発現しているものと推定された。ノーザン解析を行うと、発現量はcWC61が最も多く、次いでcWC92が多く発現され、cWC81はハイブリダイゼーションによるバンドが僅かしか検出されず、他の2者と比較して発現は非常に少ないと推定された。また発現は登熟2週目をピークとした登熟初期に集中し、登熟1〜3週目に強く発現することが明らかとなった。また発芽初期についても同様の検討を行い、これまでの予想に反してシスタチンは登熟期ばかりでなく発芽期にも強ぐ発現されることを初めて明らかにした。これらの結果は、シスタチンの機能は貯蔵タンパク質のプロテオリシスの制御に限定されず、植物体内での一般的なタンパク質代謝、あるいは新生組織の保護(外敵から防御)といった幅広い役割を果たしているものと推察された。

コムギシスタチンとシステインプロテアーゼ(CP)との相互作用の検討

 cWC61とcWC92をそれぞれ大腸菌にて発現させ、ラットのカテプシンを標的酵素として阻害活性を検討した。同時にOC-I、CC-Iについても同様の検討を行い比較した。cWC61およびcWC92はいずれもカテプシンL、Hを強く阻害(Ki,10-8〜10-9M)し、これはOC-I、CC-Iを用いた場合と同程度であった。またカテプシンBに対してはカテプシンL、Hの場合より弱い阻害活性(Ki,10-7M)を示したが、OC-I、CC-Iよりやや強かった。これより、植物シスタチンは一般にカテプシンL、Hに対しては阻害活性が強く、カテプシンBに対しては阻害活性が弱いという特徴を共有していることが明らかとなった。

 一方、植物に内在するCPの制御には、内在性のシスタチンが大きく関与していると考えられる。このような種子内でのシスタチンの機能の一端を解明する目的で、これまでCPおよびインヒビターの研究がほとんど行われていないコムギ種子を題材とし、CPの検索を行った。まず破砕した完熟コムギ種子をリン酸緩衝液中で撹拌して抽出し、その硫安飽和度75%での沈殿をDE52陰イオン交換カラムにかけてNaCl濃度勾配により分画したところ、カテプシンLの基質となるZ-Phe-Arg-MCAを分解する活性がDTT存在下で著しく上昇する画分を見出だした。これをゲルろ過、陽イオン交換のクロマトグラフィーにより精製した。分子量はゲルろ過から24kDa前後と推定され、Z-Phe-Arg-MCA分解活性の至適pHは5.5であった。本酵素の活性はコムギシスタチンcWC92によって阻害され、その阻害活性はOC-Iで同様の検討をした時よりも強いものであった。以上の結果より、コムギ種子にカテプシンL様のCPが存在することを明らかにするとともに、内在性CPに対する内在性シスタチンの阻害活性を植物で初めて明らかにした。

 最近、我々はコメのオリザイン、オオムギのアリューレイン、ヒトのカテプシンHに相同性の高いCPのcDNAをコムギより単離した。このCPは、ノーザン解析による発現パターンがcWC61とよく似ており、弱いながら登熟期にも発現が観察された。これよりコムギシスタチンは前述のカテプシンL様CPとともに、このカテプシンH様CPも制御している可能性が示唆された。

 以上の結果より、コムギ種子においてのCPとシスタチンの相互作用の一端を明らかとし、コムギにおける貯蔵タンパク質の分解を初めとしたタンパク質代謝に関する研究への途を拓いた。

シスタチンの抗虫効果

 農作物を食害する昆虫は、消化管にあるプロテアーゼの働きによってタンパク質を分解し、必須アミノ酸を補給する。農業害虫の多数を含む甲虫目の昆虫を初め、多くの昆虫が消化管酵素としてCPを利用していることが明らかにされつつあり、シスタチンを抗虫因子とする新しいトランスジェニック植物の作出が期待される。以上の背景から、シスタチンの大量培養系が確立しているOC-IとOC-IIを用いて、シスタチンが農業害虫の生育に及ぼす効果を検討した。対象としては豆類を食害する点では共通しているが、昆虫の分類、変態、食餌等の点で大きく異なっているアズキゾウムシとホソヘリカメムシを選び、餌となるササゲに種々の濃度のOC-IとOC-IIを混ぜて飼育した。その結果、シスタチン濃度0.3-0.5%で2種の害虫の生育に対する遅延効果が認められ、1%以上の添加では大部分が羽化しないかあるいは死滅した。これらの結果は、昆虫が食餌中のタンパク質を消化する際にCPがにいかに大きな役割を果たしているかを示唆するとともに、シスタチンが抗虫因子として極めて有用であることを明確に示した。

シスタチンの抗ウイルス効果

 我々の体に感染するウイルスの増殖には、しばしばウイルス自身の遺伝子にあるプロテアーゼが必須である場合があり、ウイルスプロテアーゼのインヒビターが選択的な抗ウイルス剤としての期待を集め盛んに研究が行われている。我々は日常的に食物からシスタチンを摂取していると考えられ、シスタチンがウイルスの増殖に対してどのような効果を持つかについて興味がもたれる。そこで、消化管から感染するウイルスであるポリオウイルスおよびロタウイルス、眼球や粘膜の傷口から感染する単純ヘルペスウイルスI型の3種に対する効果を検討した。方法としては、培養細胞にウイルスを感染させ、その後、様々な濃度でシスタチンを添加した培地で培養し、増殖したウイルスを回収して出現するプラークの数で定量し、比較した。ポリオウイルスに対しては、コメ、コムギ、トウモロコシ、の各シスタチンは、いずれも4M以上の濃度で添加すると顕著にウイルス増殖を抑制した。ヘルペスウイルスに対しては、5Mの濃度ではOC-Iの抑制効果を100とすると、cWC92は60程度、CC-Iは10と、シスタチンによってかなりの差が見られた。ロタウイルスに関しては、明確に増殖を抑制するという結果にまでは至らなかったものの、増殖を抑制できる可能性はあると考えられた。以上のように、植物シスタチンは程度に多少の差はあるものの、様々なウイルスの増殖を抑制できることがin vitroでの培養細胞を用いた系で明らかとなった。シスタチンが増殖抑制効果を発揮するメカニズムやin vivoでの効果については推定の域を出ていないのが現状であるが、in vivoでの効果についても検討され始めており、この分野の基礎・応用研究の今後の発展はおおいに期待できる。

審査要旨

 システインプロテアーゼ(CP)は、動・植物において細胞内の基本的なタンパク質代謝に関与する一方、様々な疾病、害虫や細菌の生育、ウイルスの増殖といった事象にも関わっている。このようなCPを特異的に制御するタンパク質性のインヒビターであるシスタチンは、基礎生理学的・応用的両面から、重要な研究対象として注目されている。本研究においては、特に研究が遅れていた植物、特に食用作物のシスタチンについて、基礎的な研究から換み替え植物への利用を見据えた応用研究まで、幅広い分野に渡った成果が、第1章の序論に続く第2章から第6章までに報告されている。

 第2章においては、世界的に重要な穀物である、トウモロコシとコムギ2品種についてシスタチン分子を初めて見いだし、既に報告されていたコメのものとあわせ、植物種、品種に関わらずに広くシスタチン分子が存在していることを証明している。また、種子の登熟期ばかりでなく、発芽期においても強く誘導されることを初めて明らかにした。同時に、コムギにおいて複数見いだされたシスタチン分子については、分子ごとに発現量に大きな差があることも明らかにした。これらの成果により、シスタチンの機能という面で、従来より言われていた貯蔵タンパク質の分解防止に限らず、さらに広い意味で植物体内における基本的なタンパク質代謝に関わる分子であるとの新たな見解を提示している。

 第3章においては、シスタチンをタンパク質レベルにおいて解析を行っている。コムギ種子においてシスタチン分子ごとに発現部位が異なっていることを明らかにしている。また、植物シスタチン間では、動物のカテプシンL型、H型のCPに対して阻害活性が高いという共通する阻害活性スペクトルを持っていることを示している。これらの成果はシスタチン分子の機能を推定する上での新たな知見を加えるものであり、同時に植物の内在性CPとの相互作用に関連している結果として、第4章に研究を展開している。

 第4章では、ほとんど研究が進んでいないコムギ種子のCPを遺伝子・タンパク質両面から検討を加えている。まず完熟コムギ種子から動物のカテプシンL型に類似したCPを精製するとともに、外来性のコメのシスタチンよりも内在性のコムギのシスタチンによって効果的に阻害されることを見いだしている。またcDNAクローニングによりコムギCPを見いだし、その発現パターンがシスタチンのものと相同であることを初めて明らかにしている。これらの成果は、第2、3章とあわせて、これまでほとんど研究例がなかった植物体内でのプロテアーゼとプロテアーゼインヒビターの相互作用という点で、植物生理学的に多くの知見を加え、新たな研究の展開を示したものとして評価できる。

 次には、これまでの基礎的研究から方向を転換し、シスタチン活性を植物体外のCPに対して用いることに目を向けている。第5章においては、豆類を食害する鞘翅目、半翅目に属する害虫をシスタチン入りの餌で飼育すると、生育が遅延し、やがて死滅することを実験的に検証し、シスタチンが抗虫因子として有望な可能性をもつことを証明している。また同時に、これらの成果から昆虫の餌のタンパク質消化にCPが大きく関与することを指摘しており、昆虫生理学的にも興味深い成果をもたらしていると考えられる。

 第6章においては、消化器系、粘膜系から人間に感染する病原ウイルスを対象としている。ウイルスに感染した細胞をシスタチンを添加した培地で培養すると、ウイルスの増殖が顕著に抑えられることを、ポリオウイルス、ヘルペスウイルス、ロタウイルスという全く異なった3種のウイルスについて証明している。この結果はシスタチンが広く抗ウイルス機能を有することを明らかにし、これらのウイルス増殖にCPが関与している可能性を示唆している。第5章の成果とあわせ、特に遺伝子組み換え植物に応用することにより、耐虫性、耐病性にすぐれ、消化器系において抗ウイルス作用を示す新しい作物の作出までの可能性を指摘し、実用化研究の意義を明確に示した例として評価できる。

 以上のように、本研究は、植物生理学の基礎的分野において未知であった分野を切り開くとともに、基礎研究の成果を社会に還元しうる可能性を実験的に明示するという広い範囲での成果をもたらしており、学術的にも社会的にも貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値あるものと認めた。

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