学位論文要旨



No 111922
著者(漢字) 田中,稔
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ミノル
標題(和) カイコ培養細胞に存在するボンビキシン受容体に関する研究
標題(洋)
報告番号 111922
報告番号 甲11922
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1638号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨

 ボンビキシンはカイコと近縁種であるエリサン(Samia cynthia ricini)に対し前胸腺刺激活性を有する脳ペプチドとして、カイコガ(Bombyx mori)頭部から単離、構造決定されたインスリン族ペプチドである。しかしながら、ボンビキシンはカイコに対しては前胸腺刺激活性を示さず、カイコ体内におけるボンビキシンの生理機能は不明である。ボンビキシンの真の生理機能を解明するためには、ボンビキシン受容体を明らかにし、標的器官を明らかにすることが必要不可欠であると考えられる。本研究では、カイコ培養細胞BM-N4がボンビキシン刺激によって、特異的に形態変化および凝集塊の形成などの応答を示すこと、およびBM-N4細胞にボンビキシン受容体が存在することを明らかにした。また、受容体タンパク質の解析から、ボンビキシン受容体がインスリン受容体と同様のへテロテトラマー構造を有する可能性が高いこと示した。さらに、BM-N4細胞mRNAから構築したcDNAライブラリーからボンビキシン受容体と思われる遺伝子をクローニングし、約4kbのORF(open reading frame)の全塩基配列を決定した。

1.カイコ培養細胞BM-N4に対するボンビキシン活性

 既に樹立されている6種のカイコ培養細胞系の中からボンビキシンに対して何らかの応答を示す株が存在するかどうかを調べた結果、BM-N4細胞がボンビキシンに対して形態変化を伴う応答を示すことを見い出した。すなわち、生理濃度である10-9M以上のボンビキシンーIIを添加することにより、細胞の増殖速度が低下し、肥大化した細胞や紡錘形や繊維芽状に形態変化した細胞が多く見られるようになり、さらには細胞が凝集する活性が見られた。これらの活性は類縁体であるボンビキシンーIVでも観察されたのに対し、他のインスリン族ペプチドであるインスリン、リラキシンでは観察されなかった。このことから、これらの細胞応答はボンビキシン特異的なものであり、BM-N4細胞にボンビキシン受容体が発現している可能性が高いことが示唆された。

2.ボンビキシン受容体の性質

 BM-N4細胞に存在するボンビキシン受容体の性質(解離定数、細胞当たりの発現量、分子量など)を明らかにするため、ヨードゲン法を用いてラベル化ボンビキシンを作製し、結合実験を行なった。ラベル化ボンビキシンを10nMから倍々に希釈した系列を作製して細胞とインキュベートし、ラベル化ボンビキシンの細胞への結合量を-カウンターで測定した。各濃度での特異的結合量を基にスキャッチャード解析を行なったところ、BM-N4細胞には解離定数 Kd=2.36±0.56nM、細胞当たり15,800±1,400の受容体が発現していることが明らかとなった(図1)。

 次に、ボンビキシン受容体の分子量を知るために、化学架橋剤を用いた架橋実験を行なった。ラベル化ボンビキシンと細胞とを4℃でインキュベートして結合させた後、化学架橋剤を用いて共有結合的に架橋することでリガンドー受容体複合体を形成した。細胞を可溶化した後、還元条件もしくは非還元条件下でSDS-PAGEを行なったところ、非還元条件下では300kDa以上の位置に、還元条件下では約105kDaの位置にボンビキシンと特異的に結合するバンドが検出された。また、約190kDaの位置に部分還元物と思われるバンドも検出された。このことから、ボンビキシン受容体はジスルフィド結合を介するサブユニット構造をとっていると考えられた。

 ところで、インスリン受容体をはじめ、増殖因子の受容体の多くはチロシンキナーゼを介する情報伝達系を有することが知られている。そこで、抗ホスホチロシン抗体を用いたウェスタンブロッティングにより、ボンビキシン刺激によりチロシンリン酸化されるタンパク質の有無を調べた。その結果、ボンビキシン添加後、速やかにリン酸化される約92kDaのバンドが検出された。インスリン受容体のサブユニット(95kDa)はインスリン刺激により、自己リン酸化されることが知られており、これらの結果を総合すると、ボンビキシン受容体はインスリン受容体のようなヘテロテトラマー構造を有している可能性が非常に高いと考えられた。推定されるボンビキシン受容体のモデルを図2に示した。

図表図1 スキャッチャード解析 / 図2 インスリン受容体とボンビキシン受容体のモデル
3.ボンビキシン受容体のクローニング

 ボンビキシン受容体のアミノ酸配列等の構造に関する情報を得るために、分子生物学的手法を用いた解析を試みた。受容体タンパク質の解析から、ボンビキシン受容体はインスリン受容体と相同性が高いことが示唆されたため、相同性に基づいたcDNAのクローニングを試みた。インスリン受容体ファミリー間でよく保存されているチロシンキナーゼ領域について複数の混合プライマーを作製し、様々な組み合わせでRT-PCRを行なった。その結果、アニール温度を54℃にした時、一つの組み合わせで、予想される大きさのバンドが増幅された。このDNAをサブクローニングした後、塩基配列を決定したところ、インスリン受容体のチロシンキナーゼ領域と非常に相同性の高い配列であった。そこで、oligo-dT primerおよびrandom primerを用いて2kb以上のcDNAを含むgt10ライブラリーを作製し、PCRで得られた配列をプローブとして、プラークハイブリダイゼーションにより計1.1×106クローンをスクリーニングした。しかしながら、陽性クローンは得られなかった。そこで、次にPCRで得られた配列に対するantisense primerを用いてcDNAを合成することで特異性の高いライブラリーを構築した。4×105クローンをスクリーニングしたところ、最長で2.5kbの6つの陽性クローンが得られた。しかし、そのどれもが開始メチオニンまで達するものではなかった。そこで、5’-RACE(Rapid Amplification of cDNA Ends)法および3’-RACE法を用いることで、5’側および3’側の非翻訳領域までを含むクローンを得た。このようにして得られたクローンの塩基配列決定を行ない翻訳アミノ酸を解析したところ、サブユニットとサブユニットとの境界と推定されるプロセシング部位LysValLysArg、膜貫通領域と思われる疎水性に富んだアミノ酸配列および21箇所の推定糖鎖付加部位が確認された。また、サプユニットに存在するシステインに富んだ領域のシステインの位置もインスリン受容体とほとんど一致していた(図3)。推定されるサブユニットとサブユニットの分子量はボンビキシン受容体タンパク質の解析から得られた結果に矛盾するものではなく、この遺伝子がボンビキシン受容体であると考えられる。また、スクリーニングの過程でORFの途中から全く異なる塩基配列になっているクローンが数種類得られた。その付近を含むゲノムを解析したところ、exon-intron junctionの位置から塩基配列が替わっていたことから、alternative splicingによるものである可能性が高いと考えられた。今後、COS7などの発現用動物細胞に遺伝子導入して発現させ、ボンビキシンとの相互作用を詳細に調べる必要があると考える。

図3 ボンビキシン受容体とインスリン受容体との構造の類似性
審査要旨

 本論文は、カイコから単離された、昆虫で最初のインスリン族ペプチドであるボンビキシンについて、その受容体の解明を目的として実施された研究結果をまとめたもので、本文2部、緒言、総括および実験の部より構成されている。

 第1部は、ボンビキシン受容体タンパク質の解析に関するものである。まず、6種のカイコ培養細胞系について、ボンビキシンに対する反応の有無を検討した。その結果、BM-N4系細胞が10-9M以上のボンビキシンに対して形態変化を伴う反応を示すことを見いだした。この発見は、これまでカイコにおける機能が明らかにされていないボンビキシンについて、ボンビキシンがカイコにおいて機能を有する可能性を細胞レベルにおいて示したものとして注目される。また、インスリンやリレキシンのようなインスリン族ペプチドにおいてはそのような形態変化は認められず、BM-N4細胞に、ボンビキシン受容体が発現している可能性の高いことが示された。

 次にヨウ素ラベルしたボンビキシンを用いてBM-N4細胞に対する特異的結合量を測定した。スキャッチャード解析の結果からは、BM-N4細胞には、1細胞当たり約1万5千の受容体(解離定数、Kd=2.36±0.56nM)が発現していると推定された。さらに、化学架橋剤を用いてリガンドー受容体複合体を形成し、細胞を可溶化した後、還元および非還元条件下でSDS-PAGEを行ったところ、還元条件では約105kDa、非還元条件下では約300kDaの位置に、リガンドと特異的に結合したと思われるバンドが検出された。この結果から、ボンビキシン受容体はジスルフィド結合を介するサブユニット構造をとっていることが示唆された。また、抗ホスホチロシン抗体を用いたウエスタンプロッティングにより、ボンビキシンの刺激により速やかにリン酸化される約92kDaのバンドの存在を認めた。

 インスリン受容体のサプユニット(約92kDa)は、インスリンの刺激により自己リン酸化されることが知られており、これらの結果を総合して、本論文の著者はボンビキシン受容体は、インスリン族ペプチドの受容体と類似の構造を有するものと推論した。

 第2部は、ボンビキシン受容体遺伝子のクローニングに関するものである。

 本論文の著者は、ボンビキシン受容体がインスリン受容体と類似の構造を有することが推定された事実から、それらの間に相同性が存在することを仮定し、相同性に基づいたcDNAのクローニングを試みた。インスリン受容体間でよく保存されているチロシンキナーゼ領域について複数の混合プライマーを作成しRT-PCRを行ったところ、チロシンキナーゼ領域と相同性の高い配列を有するDNA配列が増幅された。この配列に対するantisense primerを用いてcDNAを合成しライブラリーを構築、スクリーニングを行ったが期待されるクローンは得られなかった。そこで、5’-RACE法、および、3’-RACE法を用いて、5’および3’側の非翻訳領域のクローンを得た。このクローンの塩基配列を決定し翻訳アミノ酸を解析したところ、図1に示すように、インスリン受容体の構造と極めて類似した構造を有することが示された。このクローンが真にボンビキシン受容体に対応するものであるか否かは、さらに検討を有するが、無脊椎動物インスリン族ペプチドに対する受容体は未だクローニングされておらず、ここにその有力な候補が得られたことは、高く評価されよう。

図1 ボンビキシン受容体とインスリン受容体との構造類似性

 以上、本論文は昆虫インスリン族ペプチド、ボンビキシンの受容体タンパク質について解析を行うと共に、その遺伝子のクローニングを試みた結果について論じたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位請求論文として価値あるものと認めた次第である。

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