学位論文要旨



No 111923
著者(漢字) 長谷川,徹
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,トオル
標題(和) 生物活性を有する環式化合物の合成研究
標題(洋) Synthetic Studies on Biologically Active Cyclic Compounds
報告番号 111923
報告番号 甲11923
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1639号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨

 天然には多くの生物活性物質が存在するが、その構造、及び活性本体の解明に対し有機合成化学の果たす役割は大きい。第一に天然には微量でしか得られない化合物、例えばフェロモンなどについては多くの場合、合成によりある程度の量のサンプルを供給して初めて構造と活性の関係が明らかになる。第二に一旦合成法が確立されれば天然にある他の類縁体、また天然には存在しない誘導体についても調製が可能となり、それらを用いた生物活性試験で構造活性相関を明らかにできる。ここでは興味深い生物活性物質のうち特に環式化合物を取り上げ、究極的にはその活性解明を目的として合成研究を行なった。

1.スズメバチのスピロアセタール型フェロモン、(E)-7-メチル-1,6-ジオキサスピロ[4.5]デカンの両鏡像体の合成

 1978年、Franckeらはスズメバチの一種、Paravespula vulgarisのフェロモンとして(E)-7-メチル-1,6-ジオキサスピロ[4.5]デカン1を主成分とするスピロアセタール混合物を得た。1はまた三種のマツクイムシConophthorus banksianae、C.resinosae、C.coniperdaの集合フェロモンであり、その絶対立体配置は近年になって(5S,7S)-体と決定されている。森らによる一連の光学活性スピロアセタール型フェロモン合成の際確立された方法論、ジアニオンのアルキル化を鍵段階として用いて1の両鏡像体を簡便、高光学純度、かつ大量に調製し、得られたサンプルを生物活性試験に供与すべくその合成に着手した。

 生化学的手法により調製された(S)-3-ヒドロキシブタン酸エチル(98.0%e.e.)(S)-2より出発し既知の方法によりヨウ化物(S)-3へと導いた。このヨウ化物を-アセチルブタノライド4のジアニオンとカップリングさせることで(S)-5が得られる。(S)-5を脱炭酸、脱保護することによってP.vulgarisのフェロモンの天然体(5S,7S)-1を得た。(S)-2より出発して7工程、全収率11.3%であった。ポリヒドロキシブタン酸の加エタノール分解によって得られる(R)-2(ほぼ100%e.e.)から出発すると同様の工程により非天然体(5R,7R)-1が得られる。(R)-2より全収率13.7%であった。以上行った合成は、現在までに報告されているOehlschlagerらによる唯一の両鏡像体合成(いずれも97%e.e.)よりも高光学純度かつ、高収率であり、しかも500mg以上という大量のサンプルを調製できた。

 

2.アシルテトラミン酸系抗生物質に見られるシス-オクタリン骨格の構築

 菌類の生産する抗生物質でアシルテトラミン酸部とオクタリン骨格を同時に持つものがある。Fusarium equisetiよりequisetin 6、Ophiobolus vermisporus L-8菌株よりvermisporin 7、Ophiobolus rubellus MCI 2552菌株よりMBP 049-13 8 他多くの化合物が単離されている。これら一連の化合物のうち、トランス-オクタリン骨格を持つ6についてはDanishefskyによって全合成が達成されたが、7、8といったシス-オクタリン骨格を持つ化合物については未だその合成は報告されていない。通常のDiels-Alder反応では構築困難なこのvermisporinタイプのオクタリン骨格についてその合成法を確立すべく研究を行なった。そのモデル体として13の分子内Diels-Alder反応を検討した。13のDiels-Alder反応がendo則に従って進行すれば14が生成し、7、8合成の際の二つの問題点、シス-オクタリン骨格の構築と10位の-メチル基の制御が同時に解決できると考えた。

 

 2-(4-ペンテン-1-イル)プロパン-1,3-ジオール9より出発して3工程で得られるアルデヒド 10に対しWittig反応で増炭、続く官能基変換でヨウ化物11とした。11は、フェニルチオ酢酸メチルでアルキル化して12、続いて3工程でトリエン13とした。13は通常の条件では反応しなかったが、トルエン封管、190℃、17時間の条件で初めて反応が進行した。そして、シス-オクタリン骨格を持つ14(endo付加物)、およびトランス骨格の15(exo付加物)の混合物を収率65%、1.7:1の比で与えた。この混合物は加水分解、酸処理によって14のみ異性化し、この時点で分離精製することにより16を 44%、15を31%で得た。16は7、8のオクタリン骨格の立体を正しい向きで保持しており、以上に示した分子内Diels-Alder反応がvermisporinタイプのシス-オクタリン骨格構築法として有効であることがわかった。

3.MBP049-13 アナログの合成研究

 MBP 049-13 8はコラーゲン生合成系の酵素であるプロリン水酸化酵素の阻害活性を有し、肝硬変等の臓器線維化症の治療薬として期待されている。前章の方法を用い、更に生化学的手法によってキラリティーを導入すれば、8のアナログ17の光学活性体合成が可能と考え、これを用いた生物活性試験まで考慮にいれて、17の合成に着手した。

 

 前章における中間体10の光学活性体を得るため、9、18二種の対称ジオールについて酵素を用いた不斉エステル化を検討した。その結果18を基質とし、酵素としてHyflo supercelに固定化したPPL、溶媒として酢酸ビニル、4℃の条件がもっともよい結果を与え、光学純度80.3% e.e.の(R)-19を66%の収率で得た。大量スケールでは若干の光学純度の低下が見られたが、結果として73.1%e.e.の(R)-19を調製できた。(R)-19の残った水酸基を保護後、水ほう素化反応、酸化的後処理、Swern酸化によって(S)-10とした。(S)-10からは前章の方法と同じくしてトリエン(S)-9を調製し、その分子内Diels-Alder 反応を経由して20を得た。20は脱酸素化後、Danishefskyの方法でアシルテトラミン酸部位を導入し17を得る予定である。

審査要旨

 本論文は、生物活性を有する環式化合物の合成研究に関するもので、三章よりなる。フェロモン、抗生物質などの生物活性を有する化合物の合成は、生物活性試験に供与することでその生態学的研究に役立つだけでなく、誘導体合成等への応用により構造活性相関の解明、さらには農薬、医薬などへの実用化に対しても意義が大きい。著者はこの点に着目し、興味深い生物活性を有する化合物のうち特に環式骨格を持つ物について、その合成研究を行なった。

 まず序論で本研究の背景と意義について説明した後、第一章ではスズメバチ(Paravespula vulgaris)、及びマツクイムシ(Conophthorus resinosae、C.banksianae、C.coniperda)のフェロモン(E)-7-メチル-1,6-ジオキサスピロ[4.5]デカン1の両鏡像体合成について述べている。光学純度98.0%e.e.の(S)-2より導かれたヨウ化物(S)-3を4のジアニオンとカップリングさせることで(S)-5、更に2工程でフェロモンの天然体(5S,7S)-1を得た。また、ほぼ100%e.e.の(R)-2より出発して同様の工程により非天然体(5R,7R)-1を得た。この合成は、Oehlschlagerによる過去の合成報告よりも高光学純度かつ、高収率であり、しかも500mg以上という大量のサンプルを生物活性試験に供給するのを可能にした。

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 第二章ではアシルテトラミン酸系抗生物質に見られるシス-オクタリン骨格の合成研究について述べている。菌類の生産する代謝産物であるvermisporin6、MBP049-13 7などのシス-オクタリン骨格を持つアシルテトラミン酸類は、その構造、活性の興味深さにもかかわらず、未だ合成が達成されていない。通常のDiels-Alder反応では構築困難なこのvermis porinタイプのオクタリン骨格についてその合成法を確立すべく、そのモデル体(±)8の合成を行った。9より出発して得られるアルデヒド10をWittig反応による増炭などでヨウ化物11、11は、フェニルチオ酢酸メチルによるアルキル化などで、トリエン12とした。鍵段階となる12の分子内Diels-Alder反応はトルエン封管、190℃の条件で、シス-オクタリン骨格を持つ(±)-13(endo付加物)、およびトランス-オクタリン骨格を持つ(±)-14(exo付加物)の 1.7 : 1 混合物を与え、更にこれより1工程で(±)-8、(±)-14を得た。(±)-8はvermis porin型のオクタリン骨格に必要なすべての相対立体配置を保持しており、初めてこの型のシス-オクタリン骨格構築に成功した。

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 第三章では有用な活性を有するMBP 049-13のアナログ体15の合成研究について述べている。MBP 049-137はコラーゲン生合成系の酵素の一つであるプロリン水酸化酵素の選択的阻害剤で肝硬変などの治療薬としての期待が持たれている。まず16について酵素を用いた不斉アセチル化で光学純度73.1%e.e.の(R)-17に変換後、三工程でキラルなアルデヒド(S)-10へと導いた。(S)-10からは第2章とほぼ同様にしてキラルな8を調製しその官能基変換により18を得た。一方D-バリン19から出発して-ケトラクタム20を得て、モデル反応ではテトラミン酸の合成に成功し、18と20を組み合わせることで最終物15を得ようとしている。

 終章は結論で以上の結果をまとめている。

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 以上本論文は、フェロモン、酵素阻害剤など生物活性を有する環式化合物の合成研究を行ったものである。その結果過去の合成より効率良い新規合成、あるいは初めての骨格構築法の確立に成功しており、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、申請者に対し博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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