内容要旨 | | 骨は支持器官としての役割と同時にミネラルの貯蔵所としても重要な機能を果たしていることは広く知られている.このため動物は様々な生理状態に応答して常に骨組織の吸収・形成の繰り返し〜すなわち骨代謝回転〜を行い,恒常性を維持している.この骨代謝回転のバランスが崩れ「骨の質的な変化を伴わずに骨量が減少し,骨の強度が骨折閾値を下回った」状態を骨粗鬆症といい,現在,社会的にも大きく問題視される疾病の一つである.骨粗鬆症の発症には,加齢・内分泌疾患・栄養障害など様々な要因が関わることが知られているが,現在までのところこれらの要因が骨代謝回転のどの段階で,どのように作用するのかについては必ずしも明確にされていない.そこで本研究では様々な生理状態の実験動物を用い,骨粗鬆症の成因となり得る種々の要因が骨代謝回転にどのような影響を及ぼすかについて総合的に解析した. まず骨代謝の状態を反映する指標として以下のような項目を解析した.(1)カルシウム出納および骨の重量・Ca含量等の骨量に関する計測値.(2)尿中ピリジノリン排泄量:コラーゲンの分子間架橋であるピリジノリンは骨への局在性が高く,骨吸収により遊離して尿中に排泄されるため,その排泄量は吸収された骨の量を反映していると考えられる.(3)血漿中アルカリフォスファターゼ活性:血漿中には骨芽細胞(骨を形成する細胞)に由来する活性の他,肝臓・小腸等由来の活性が存在するが,これらを区別せずに血中の総アルカリフォスファターゼ活性として測定した場合でも測定値が骨形成に正の相関を示すため,骨形成の指標として用いられる. 次に以下に挙げる骨基質タンパク質のin vivo骨組織における遺伝子発現量の解析を行い,各要因が遺伝子発現のレベルでどのように骨代謝に影響するのか明らかにした.(1)Procollagen 1(I)(以下ColI)および(2)osteocalcin(以下OC):どちらの骨基質タンパク質も骨芽細胞によって産生され,骨の基質タンパク質のほとんどをこの2つで占めることから,両タンパク質の遺伝子発現量の動態は骨芽細胞による骨形成活性を反映していると考えられる.(3)Osteopontin(以下OP):骨吸収を行う細胞である破骨細胞で発現され,破骨細胞自身の骨基質への接着に関与する基質タンパク質であることから,OP遺伝子発現量の変動は少なくとも破骨細胞活性の一部を反映するものであると考えた. 更に骨代謝回転の制御機構についても検討を加えるため,骨代謝調節における重要な局所因子と考えられているインスリン様成長因子-I(以下IGF-I)およびその結合タンパク質(以下IGFBPs)の遺伝子発現量に注目し解析を進めた.(1)IGF-I:培養細胞を用いた研究より骨芽細胞自身の増殖・分化を促進するとともに破骨細胞の分化にも作用すると考えられているが,様々な骨の病変との関わりについては不明な点が多く残されており,本研究によりIGF-Iがin vivoでどのように骨代謝に作用するのか明らかにしようとした.(2)IGFBPs:主に培養細胞を用いた研究よりIGF-Iの作用を修飾する重要な機能を果たすと考えられてきているが,in vivo骨組織における産生調節および機能についてはほとんど知見が得られておらず,本研究で検討を試みた. 第一章 ラットの成長と骨代謝 現在までのところ,成長期ラットの骨組織における骨基質タンパク質・IGF-I,IGFBPsの遺伝子発現を,経時的・定量的に解析した報告はほとんどない.そこで本章では,成長期ラットの骨組織における各遺伝子の経時的な発現量の変動を追跡し,実験系としての評価を行った. 1)ラット成長期における骨代謝の動態 Wistar系雌ラットを8週齢から12週齢まで飼育し1週ごとの骨代謝状態の変動を追跡した.期間中ラットの体重は一律に増加し,持続的な成長が確認された.まずピリジノリンの尿中排泄量を測定したところ経時的な減少が観察された.大腿骨における骨基質タンパク質遺伝子発現量についてはOPで変動がみられない一方で,ColIは10週齢まで増加,以後は減少に転じた.OCの遺伝子発現量は経時的に減少する傾向を示した.これらの結果よりラットは8週齢から12週齢にかけて成長を維持しているが,骨の成長・再構築は特に10週齢以降で減弱する方向にあると結論した.この際IGF-Iの遺伝子発現量は経時的に減少しており,IGF-Iによる骨代謝制御機構は8週齢から12週齢にかけて骨代謝回転が低下する方向にシフトすると考えられた.IGFBPsについては,IGFBP-3が漸減していく一方,IGFBP-4,-6は漸増し,各IGFBPsの間で挙動は一様でなかった. 第二章 食餌カルシウム摂取量と骨代謝 本章では骨代謝回転に影響する因子の一つとして食餌カルシウムの不足をとりあげ,骨代謝への影響の機構を検討した.また卵巣摘出(以下OVX)によるエストロゲン欠乏時には,骨代謝回転の亢進を伴って骨量が減少することが明らかになっている[Higashi et al.Brit.J.Nutr.in press]が,これに食餌カルシウムの不足が重なると,より速やかに骨量が減少することが報告されている.本章ではこの相乗的な骨量減少の機構についても検討を行った. 1)食餌カルシウム摂取量の制限が成長期ラットの骨代謝に与える影響の解析 カルシウム含量が異なる食餌を9週齢のWistar系雌ラットに3週間給餌した後,各指標について解析を行った.その結果大腿骨の乾燥重量が食餌カルシウム含量の制限に応じて減少し,骨量の大幅な減少を確認した.この際の骨基質タンパク質遺伝子発現量を解析したところ,ColI,OCの遺伝子発現量がやや増加する傾向を示した.この結果より,食餌カルシウム摂取量の制限による骨量の減少が骨代謝回転の亢進を伴うものであることが示唆された. 2)食餌カルシウム摂取量の制限が卵巣摘出ラットの骨代謝に与える影響の解析 8週齢のWistar系雌ラットより両卵巣を摘出し,カルシウム含量の異なる食餌を3週間給餌した後各種の解析を行った.まずピリジノリンの尿中排泄量は食餌カルシウム含量の制限によって増加しており,OVXによってもやや増加していた.また,血漿中のアルカリフォスファターゼ活性は食餌カルシウム含量の制限・OVXによって相乗的に上昇していた.このときの骨基質タンパク質遺伝子発現量を検討したところ,食餌カルシウム含量の制限によりColI,OCの遺伝子発現量が増加する一方で,OVXによってはColIの遺伝子発現量がやや増加していた.これらの結果は食餌カルシウム含量の制限・OVXの両条件により,(1)骨吸収の上昇,(2)骨形成の上昇,という変化が引き起こされたことを示している.このときの骨中IGF・I遺伝子発現量はOVXによってやや増加したが,食餌カルシウム含量の制限では全く変動しなかった.IGFBPについては,IGFBP-3がIGF-Iと同様の変動を示す一方,IGFBP-4,-5の遺伝子発現量は逆にOVXによる変動を示さず,食餌カルシウム含量の制限によってはやや増加した.これらの結果は,(1)OVXによる骨代謝回転の亢進は骨組織におけるIGF-Iの産生を介している,(2)食餌カルシウム含量の制限に応じた骨代謝回転の亢進はIGFBP-4,-5の産生を介している,ことを示唆している.すなわち,食餌カルシウム含量の制限・OVXはそれぞれ骨代謝の制御機構に異なった様式で作用し,その結果骨代謝回転を相互に上昇させると考えられた. 第三章インスリンと骨代謝 I型糖尿病は骨量の減少を招く要因の一つであると考えられている.しかしこの骨量減少の成因・機構については,インスリンの骨代謝における役割も含めて,ほとんど明確になっていない.そこでまずI型糖尿病モデル動物を用いてインスリンの欠乏が骨代謝にどのような影響をおよぼすのか解析した.さらに詳細な検討を加えるため,I型糖尿病ラットにインスリンを投与,あるいは当研究室の団野により開発された糖尿病病態食[団野 浩,平成6年度東京大学修士論文]をI型糖尿病モデル動物に給餌し,骨代謝状態の改善を試みた. 1)I型糖尿病がラットの骨代謝に与える影響の解析 8週齢Wistar系雄ラットにストレプトゾトシン(以下STZ)を投与,5日間飼育後に各種解析を行った.STZの投与によりラットは体重減少,高血糖,低血漿インスリン濃度を示し,典型的なI型糖尿病の症状を示した.この際の骨基質タンパク質遺伝子発現量はOC・OPの遺伝子発現量が減少していた.この結果より,I型糖尿病によって骨代謝回転が低下しているものと考えられた.このとき骨中IGF-I遺伝子発現量は減少していた.またIGFBP-3遺伝子発現量は増加し,IGFBP-4,-5遺伝子発現量はやや減少していた.これらの結果よりI型糖尿病による骨代謝回転低下機構の少なくとも一部に,骨局所におけるIGF-I産生の低下およびIGFBPs産生の変動が関与していることが考えられた. 2)インスリンの投与がI型糖尿病ラットの骨代謝に与える影響の解析 STZを投与してI型糖尿病を発症させた8週齢Wistar系雄ラットにインスリンを投与した.インスリン投与量は2段階に設定し,3日間投与した後に各種解析を行った.まず血糖値はインスリンの投与量に応じて低下したが,低投与量の群として設定したインスリン1.4U/day投与群では正常時の血糖値に比較してやや高い値までしか低下せず,インスリン欠乏から完全には回復していないと考えられた.このとき尿中のピリジノリン排泄量はインスリンの投与量に応じて減少し,骨基質タンパク質の遺伝子発現量はColI,OCの遺伝子発現量がインスリンの投与量に応じて増加していた.これらの結果より,I型糖尿病による骨代謝回転の低下はインスリンの投与によって上昇することが示された.このときの骨中IGF-I,IGFBPs遺伝子発現量の変動を検討したところ,IGF-I,IGFBP-5の遺伝子発現量がやや増加しておりインスリンが骨組織でIGF-I,IGFBP-5の産生を介した機構で骨代謝に影響することが示唆された. 3)糖尿病病態食の給餌がI型糖尿病ラットの骨代謝に与える影響の解析 STZの投与によりI型糖尿病を発症させた8週齢Wistar系雄ラットに対して病態食を給餌したところ,体重,血糖値,血漿インスリン濃度について改善が認められた.しかし,骨中のOC,OPあるいはIGF-I,IGFBPsの遺伝子発現量の変動については効果が認められなかった.このことから,骨代謝を正常に維持するために必要なインスリン濃度は比較的厳密に要求され,病態食の給餌によってやや改善された程度のインスリン濃度によっては骨代謝は正常化しないことが明らかとなった. 第四章グルココルチコイドと骨代謝 グルココルチコイド(以下GC)の過剰は著しく骨量を減少させることが知られている.そこでラットに合成GCであるデキサメタゾン(以下Dex)を皮下投与し,その際の骨代謝の変動を詳細に解析した.その結果Dexをラットに過剰投与すると骨における遺伝子発現に大きな変動が観察されることが明らかとなったので,次に副腎摘出(以下ADX)したラットにDexを投与し,GCの欠乏〜過剰の各状態における遺伝子発現量を検討した. 1)グルココルチコイドの投与が成長期ラットの骨代謝に与える影響の解析 7週齢Wistar系雄ラットにDexを毎日皮下投与した.5日間Dexを投与したところ,末梢骨用定量的CTで測定した脛骨の幾何学的強度がやや減少しており,短期間の投与にも関わらず骨量の減少傾向が認められた.このとき尿中ピリジノリン排泄量はDex投与で増加していた.骨基質タンパク質遺伝子発現量については,特にColI・OCの遺伝子発現量が大きく減少していた.これらの結果はDexにより骨形成活性が低下すると同時に骨吸収は増大し,骨量の減少が起こることを示している.このとき骨中IGF-I遺伝子発現量は,Dexを高濃度で投与した際にやや減少が観察された.またIGFBPsの遺伝子発現量については,特にIGFBP-3の遺伝子発現量がDexの投与により著しく増大した.以上の結果よりDexの骨代謝に対する作用の少なくとも一部はIGF-I,IGFBP-3の産生を介した機構で行われる可能性が示された. 2)グルココルチコイドの投与が副腎摘出ラットの骨代謝に与える影響の解析 7週齢Wistar系雄ラットから副腎を摘出してDexを毎日皮下投与し,骨中の各種遺伝子発現量の変動を検討した.骨基質タンパク質の遺伝子発現量については,ADXを行ったラットでOC遺伝子発現量が大きく増大する一方,ColI遺伝子発現量に変動はみられなかった.ADXラットにDexを投与するとOC,ColIの遺伝子発現量は投与量に応じて減少した.この結果は,OCの遺伝子発現が生理的なレベルでGCによる調節を受けることを示す一方,ColIの遺伝子発現は生理的な状態ではGCによる制御を受けず,過剰のGC投与により抑制されることを示している.骨中のIGF-I・IGFBPsの遺伝子発現もColIと同様にADXによっては変動を示さず,Dexの投与量に応じて,IGF-I遺伝子発現量は減少傾向にあり,これに対してIGFBP-3遺伝子発現量の顕著な増加が観察された.また今回の実験においてはIGFBP-5遺伝子発現量もDexの投与によって減少した.すなわちIGF-I,IGFBPsは生理的な状態ではGCの影響を受けないが,過剰量のGCに応じて産生が変動し骨代謝に影響すると考えられた. 骨代謝活性に影響する栄養学的・内分泌学的要因の作用機構を明らかにする目的で,各種モデル動物を用いた詳細な検討を行った.その結果,様々な骨代謝の状態について,培養細胞などを用いたin vitro系の研究では観察し得なかった詳細な知見を得ることができた.これらの知見は今回検討した各種代謝性骨疾患に対する治療法開発上の分子的な基礎になるものと期待している. |