生物は、様々な環境の中で、多くの場合限られた栄養分を有効に利用して生きている。植物は一度芽生えた場所から動くことができないため、他の生物に比べて、栄養条件の変動に応じて生長を調節しながら、次世代へ生命を伝えていく能力を発達させてきたと考えられる。生存に必須な植物の栄養条件適応機構の一端を明らかにするために、植物の必須元素の一つである硫黄の栄養条件の変化に応答する遺伝子発現制御に着目した。本研究を始めるにあたって、外部の硫酸濃度が減少する(S欠)と次のような現象がおきることが、いくつかの植物種において知られていた。 1.硫酸イオンの吸収能が高まる。 2.硫酸代謝経路の初段階に位置するATP sulfurylase、APSSTaseの酵素活性が増える。 3.種子貯蔵タンパク質の組成が変化してSの含有量が減少する。 本研究では、これらの現象に着目して、硫酸の吸収及び代謝の制御機構解明への手がかりを得ることを目指した。 セレンは硫黄元素の同族体で、硫黄に類似した化学的性質を有する元素である。セレン酸は、硫酸と競合して吸収されることがタバコの培養細胞で示されており、植物体内に吸収されたのちは、セレノシステイン(Se-Cys)、セレノメチオニン(Se-Met)となってタンパク質に取り込まれることが、ヤエナリ、小麦を用いた実験で示されている。このようなアナログアミノ酸を取り込んだタンパク質のCys残基、Met残基は、本来の機能を果たせなくなるなどするため、高濃度のセレン酸は植物に対して毒性を示すと考えられている。本研究では、このセレン酸と硫酸の相互作用を通して、シロイヌナズナにおける硫酸の吸収制御機構に関する新しい知見を得ることを目指した。 まず、分子遺伝学的な研究の進んでいるシロイヌナズナを用いて、硫酸トランスポーターの特性を明らかにし、さらにセレン酸耐性を指標として硫酸トランスポーターに変異を持つシロイヌナズナ突然変異株の単離を目指した。また、セレン酸存在下でのノーザン解析によるシロイヌナズナ硫黄代謝経路遺伝子の発現、Se-Met存在下でのダイズ未熟子葉培養における種子貯蔵タンパク質コングリシニンのサブユニットの蓄積を調べることによって、各反応のセレノ化合物に対する応答性を調べた。この応答性の違いによって、硫黄代謝に関わる一連の反応をグループ化することを試みた。 図表第一章 硫酸吸収特性 硫黄代謝経路の第一段階である硫酸の吸収特性を調べた。実験材料として、暗所で6日間生育させたシロイヌナズナArabisopsis thaliana(L.)Heynh.ecotype Columbiaを用いた。暗所で生育させたのは、35Sを測定するために必須なシンチレーターを使用する際の、クロロフィルによるクエンチングを防ぐためである。 シロイヌナズナにおける硫酸吸収のkineticsは、一段階のMichaelis-Menten’s theoryに従ったことから、硫酸吸収は硫酸トランスポーターによるものであると判断できた。通常条件(硫酸1500M)で生育させた植物でのKm値は20.0±3.60M、S欠条件(硫酸10M)で生育させた植物でのKm値は15.7±1.9Mで、ほぼ一致し、S欠条件ではVmax値は2倍に増加していた。これから、S欠時に誘導される硫酸吸収能の増大は、新たな種類のトランスポーターの発現によるものではなく、もとから発現していたhigh affinityのトランスポーターの数が増加することによってもたらされると推測された。これは、最近単離されたStylosanthes hamataでの硫酸トランスポーターのmRNA蓄積量が、S欠により増加するという結果と一致する。 通常条件で生育させた植物を用いて、100Mのセレン酸の存在下、非存在下で吸収実験を行ったところ、両者でVmaxが一致した。これにより、インタクトな植物の根を用いた吸収実験においても、セレン酸は硫酸と競合して吸収されることが示された。 硫酸吸収のpH依存性を調べたところ、硫酸100Mにおける吸収速度は、pH8.0ではpH6.0のときの約40%に減少することがわかった。また、DCCD、CCCPの添加によっても吸収速度が低下したことから、硫酸の吸収機構はH+/SO42- cotransportであり、その働きはH+-ATPaseと連動していることが示唆された。 次に、通常条件で生育させた植物を6日目に硫酸を含まない培地に移したところ、シフト後12時間まではほとんど吸収速度(硫酸100M)に変化は見られなかったが、24時間後に約1.35倍に吸収速度が増加し、その後36時間後にはほぼもとの速度に低下した。逆に、S欠条件で生育させた植物を通常条件に移すと、12時間後から吸収速度が減少し始め、60時間後にはシフト直後の吸収速度の25%まで減少した。以上により、硫酸トランスポーターの蓄積は、外部の硫酸濃度に応じた可逆な制御を受けていることが示された。 第二章 セレン酸耐性突然変異株単離の試み 植物の硫黄栄養条件に対する適応機構を明らかにするため手段の一つとして、硫黄代謝に関わる突然変異株を単離し解析することは非常に有効である。前述のようにセレン酸は硫酸と競合することが示されたので、セレン酸に耐性を示すシロイヌナズナ突然変異株が単離できれば、硫酸トランスポーターやその発現に変化がおきることなどにより吸収能が低下している可能性がある。 セレン酸耐性変異株の単離に先だって、野生型シロイヌナズナのセレン酸に対する応答を次のようにして調べた。セレン酸の毒性の効果が大きくなるよう、硫酸イオンを塩化物イオンで置き換えた培地にセレン酸を加え、セレン酸が発芽に及ぼす影響を調べたところ、200Mのセレン酸を含む培地では根がわずかに伸びるが、子葉の展開は完全に抑えられることがわかった。エタンメタンスルホン酸により突然変異誘起処理を行った次世代の種子(M2)約9万粒を200Mのセレン酸を含む培地に播種した。5日目あるいは6日目に子葉の展開の見られる個体を66株選抜して、その後は通常の水耕液(硫酸1500M)を与えて生育させた。 次世代(M3)の種子の収穫できた株のうち9株で、200Mのセレン酸を含む培地で子葉展開(セレン酸耐性)の再現性が見られた。しかしいずれの株についてもすべての種子がセレン酸耐性を示すわけではなく、その頻度は株ごとにばらつきが見られた。セレン酸耐性は少なくともM6世代まで遺伝し、野生株と3回掛け合わせを行ったのちも耐性株が見られた。M3ラインでのセレン酸耐性検定により、セレン酸耐性という表現型は優性または半優性であると考えられた。 セレン酸耐性の見られた株のM3種子を用いて硫酸イオンの吸収実験を行ったところ、得られた変異株の中には、硫酸イオンの吸収能が野生株に比べて低下しているものと、野生株と同じ吸収能をもつものの2つのグループがあることが明らかとなった。次に、この吸収能が低下している株について、M3植物から個体ごとに種子を収穫し、吸収能低下という現象がM4世代にどのように遺伝しているかを調べたところ、5株中吸収能が低下しているものが1株見いだされた。この株ではKm値、Vmax値とも野生株よりも低下しており、トランスポーターに変異がおきている可能性が示唆された。しかし、実験によってはKm値、Vmax値が野生株と同じ値を示す場合もあった。 第三章 セレン酸が硫黄代謝経路遺伝子の発現に与える影響 微生物、動物ではセレンは微量必須元素であり、タンパク質の特定の位置にセレノシステインが配位している酵素が複数知られている。これは微生物、動物ではタンパク質合成の段階においてSe-CysとCysを区別する機構が存在していることを意味する。藻類では、セレンを必要とする酵素が存在する可能性が示されている。 現在高等植物ではセレンの必須性は証明されておらず、セレンを含むセレノタンパク質も同定されていない。硫黄代謝経路の第一段階に位置する硫酸トランスポーターは、セレン酸を硫酸と区別できず、硫酸を同様に基質として利用することを第一章で示した。しかし、セレンが毒性を示すという事実は、生体でセレンと硫黄を見分ける反応が存在することを意味する。ここでは、硫黄代謝経路上の各遺伝子の発現にセレン酸が及ぼす影響をノーザン解析により調べ、発現制御において両者が区別されるかどうかを調べた。 S欠条件で水耕栽培した野生型シロイヌナズナに1500Mの硫酸を与えた場合、ATPsulfurylase遺伝子では12時間後から、metallothionein遺伝子では6時間後から葉でのmRNAの蓄積量が増加した。一方、APS kinase遺伝子では6時間後にmRNAの蓄積量が減少しており、各遺伝子の硫酸に対する応答性が異なることが明らかとなった。300Mの硫酸を与えた場合も、ATP sulfurylase遺伝子、metallothionein遺伝子では発現が誘導され、硫酸の代わりに300Mのセレン酸を与えた場合も同様に発現が誘導された。これから、ATP sulfurylase遺伝子、metallothionein遺伝子の発現制御において、セレン酸は硫酸と区別されていないことが明らかとなった。APS kinase遺伝子では、硫酸の代わりにセレン酸を与えても発現は抑制されず、セレン酸は硫酸と区別して認識されることが示された。以上より、植物体内において硫酸とセレン酸を区別する段階が存在することが示されたばかりでなく、硫黄代謝経路上の隣り合った2つの酵素遺伝子の発現が、それぞれ異なった制御を受けていることが示された。 第四章 セレノメチオニンがダイズ種子貯蔵タンパク質の蓄積に与える影響 ダイズの種子貯蔵タンパク質の一つであるコングリシニンのサブユニットの蓄積は、S欠により誘導され、未熟子葉培養時にMetを加えることにより抑制されることが明らかにされている。ここでは、Metの代わりにSe-Metを添加し、Se-Metがサブユニットの蓄積に与える影響を調べた。1.0mM以上の濃度のMet、Se-Metを加えた場合、両者ともにサブユニットの蓄積が抑制された。しかし、Se-Met添加区では新鮮重の増加も抑制されたため、毒性が強すぎるために蓄積が抑制されたと判断された。0.25mMのMet、Se-Metを添加した場合は、両者でともにサブユニットの蓄積が抑制され、かつSe-Met添加区における新鮮重の増加も見られた。よって0.25mMのSe-MetはMetと同じ効果を持つと考えられる。またグリシニンにおいても、Se-Metの添加によって、Metを添加した場合と同様にわずかに蓄積が増加した。この結果から、サブユニット及びグリシニンの蓄積の決定において、一定の濃度ではMetとSe-Metは区別されないことが明らかとなった。 結論 本研究において、シロイヌナズナにおける硫酸トランスポーターの吸収速度を測定する系を確立した。これによって、セレン酸は硫酸と競合して吸収されるアナログであることを示した。セレン酸耐性シロイヌナズナ突然変異株での硫酸吸収速度を測定し、吸収速度が低下している株を見い出した。また、セレン酸は遺伝子発現の制御機構において、硫酸と同等の効果を持つ場合と持たない場合があることを示し、硫黄代謝経路上の遺伝子群の発現が、それぞれ異なった制御を受けていることを示した。さらに、Se-Metは種子貯蔵タンパク質の蓄積制御機構において、Metと同様にサブユニットの蓄積を抑制しグリシニンの蓄積を増加させる効果を持つアナログであることを示した。 |