学位論文要旨



No 111928
著者(漢字) 金,載興
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヂェーフン
標題(和) II型コラーゲンの経口投与によるコラーゲン誘導性関節炎の抑制
標題(洋) Suppression of collagen-induced arthritis by oral administration of type II collagen
報告番号 111928
報告番号 甲11928
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1644号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 高等脊椎動物において高次の生体調節機構を司どっている免疫系は、リンパ球を含む多種多様な細胞群からなる巧妙な統御体系をつくっている。この免疫機構が病原体など外来侵入物に対する防御体制として進化したであろうことは、免疫機能なしでは我々を取り巻く生態系での生存は不可能であることからも推測できる。限りなく多様な外来侵入物に対し応答しうるリンパ球を創造した免疫系の進化は、同時に、自己成分を攻撃し得るリンパ球の機能を確実に消去しておく機構の確立でもある。すなわち外来侵入物"非自己"に対する免疫応答機構には、自己体構成成分、"自己"に対する不応答性-self tolerance(自己寛容)-が不可欠となる。実際免疫系は"自己"、"非自己"識別機構を持ち、それは核酸遺伝因子による末代不変的なものでなく、免疫系が成熟するなかで後天的に獲得される形質である。しかしながらこの自己寛容が何らかの原因で破綻し、本来免疫応答を誘導しえない自己組織に対して免疫応答が誘導されることがある。このような免疫応答が生体に有害に作用すると、自己免疫疾患の発症につながる。ヒトの自己免疫疾患としては慢性関節リウマチ、多発性硬化症、全身性エリテマトーデス、橋本甲状腺炎、重症筋無力症等があるが、ほとんどの場合根本的な治療法がない。

 一方で、本来"非自己"である外来抗原に対してでも免疫系が応答しない免疫寛容状態を誘導し得ることが知られている。中でも、抗原の経口摂取により誘導される免疫寛容状態は経口免疫寛容として知られ、大量に摂取する食物抗原に対して過剰な免疫応答を抑制する免疫制御機構であると考えられている。この経口免疫寛容は抗原特異的に免疫応答を抑制できるため、自己免疫疾患の新しい予防、治療法として期待される。そこで本研究では自己免疫疾患における経口免疫寛容の誘導について、慢性関節リウマチの動物実験モデルとして利用されるコラーゲン誘導性関節炎(collagen-induced arthritis;CIA)を用いて解析した。慢性関節リウマチは進行性、破壊性の関節炎を主病変とし、憎悪緩解の繰り返しを特徴とする全身性の疾患であるが、CIAは関節軟骨中に多く存在するII型コラーゲン(CII)とアジュバントで特定の系統のマウス、ラットを免疫した場合にこれと類似した症状が観察される実験系である。

 本研究ではまず、CIIを食餌中の成分として経口投与することにより、CIAを抑制する条件を確立した。さらにその部分ペプチドの経口投与によるCIAの抑制を試みた。また、抑制機構についても検討を加えた。

1.CIIの経口投与によるCIAの抑制

 ウシ大腿骨軟骨より精製したウシCIIを10%含む飼料(10%CII食)をDBA/1マウスに2週間自由摂食させ、その後、ウシCIIで免疫し、CIAの症状経過を観察した。その結果10%CII食を摂取したマウスはCIIを含まない飼料を摂食させた対照群と比べて、CIAの症状が強く抑制された。このことからCIIを経口投与することによりCIIに対する経口免疫寛容が誘導され、CIAが抑制されることが確かめられた。

 次に飼料中のCII含量、および投与期間を変化させた。その結果、1%CII食を4週間自由摂食させたマウスにおいても同様な抑制効果がみられ、飼料中のCII含量を低下させても摂食期間を長くすることによりCIAが抑制された。以上の結果より食餌中の成分としてCIIを経口投与することによりCIAを効果的に予防でき、その効果は投与量に依存することがることが示された。

2.CIIの部分ペプチドの経口投与によるCIAの抑制

 CIIの経口投与によりCIAの抑制を試みる場合、CIAを誘発する抗原と同一の抗原を経口投与するため、感作の危険性が全くないとはいえない。そこで、CIA誘発部位の除去が考えられるが、一般に高分子量のタンパク質と比較して、ペプチドフラグメントはその抗原性と同時に寛容誘導能も大きく低下することが知られている。ただし、経口免疫寛容はペプチドフラグメントによっても誘導可能であることが明らかになりつつある。そこで、CIIの部分ペプチドを用いて、感作の危険性を最小限にしながらCIIの部分ペプチドの経口投与により免疫寛容を誘導し、CIAの抑制を試みた。経口免疫寛容の誘導にはT細胞が重要な役割を持つことが明らかとなっているので、投与するペプチドとしては、DBA/1マウスにおけるT細胞抗原決定基を含むウシCII245-270を用いた。化学合成したウシCII245-270をDBA/1マウスに1-25gずつ2-3日おきに計5回経口投与し、CIIで免疫した後のCIAの発症経過を観察した。その結果、ウシCII245-270を経口投与したマウスおいては、ペプチドを投与していないコントロール群と比較して関節炎症状が軽減された。一方、別のCII由来ペプチドCII316-333には抑制効果が認められなかった。次に、ウシCII245-270を1-125gずつCIA誘発の前後に分けて投与した。その結果1回の投与量が1gの場合効果が認められたが、5g,25gでは効果が認められなかった。125gの場合、若干症状が軽減された。そこでペプチドの投与量をさらに増やして(1mg/回)検討した。またこの際、ウシCII245-270に加え(1)同じ領域に相当するマウス由来ペプチド、(2)CIIの260,261,263残基目をI型コラーゲンのアミノ酸で置換し、CII特異的T細胞の反応を惹起することはできないが、抗原提示細胞上のMHC(主要組織適合遺伝子複合体)クラスII分子(Aq分子)と結合できるペプチドの効果についても検討した。その結果、ウシペプチド、マウスペプチド、アナログペプチドのいずれについてもCIA抑制効果が認められた。

 以上の結果より、CII上のT細胞抗原決定基を含むペプチドの経口投与によりCIA症状を軽減することができた。この場合、低投与量、高投与量それぞれにおいて効果的な投与量が存在することが示された。また、CIA誘発に用いたウシCII由来のペプチドに加え、自己抗原であるマウスペプチド、さらに、CII特異的T細胞の反応に重要な残基を置換したアナログペプチドによってもCIAが軽減されることが示された。

3.経口免疫寛容によるCIAの抑制機構の解析

 このようにCII、またはCIIの部分ペプチドの経口投与によりCIAが効果的に抑制されることが示されたが、このときのCIIに対する免疫応答について調べた。10%CII食を摂食することより、CIIに対する抗体産生応答が、CIAの発症に関与するとされるIgG2a,IgG2bアイソタイプの応答を含め、コントロール群に比較して有意に低下していた。さらにCII食摂取群においてはCIIに対するT細胞増殖応答がほとんど認められなくなった。これらのことよりCIIの経口投与によるCIAの抑制現象には免疫応答の低下が伴うことが示され、免疫寛容が誘導されたことが示唆された。経口免疫寛容の機構として有力なものの一つにアクティブサプレッション(active suppression;能動的免疫抑制)がある。これは抗原を認識した調節T細胞が他のB細胞やT細胞の機能を能動的に抑制するという機構である。そこでCIAにおける経口免疫寛容の誘導におけるアクティブサプレッションの関与について検討した。10%CII食を摂取させたマウスの脾臓細胞をCIIを摂取していないマウスに移入した場合にCIAの発症を能動的に抑制するかどうか検II型コラーゲンの経口投与によるコラーゲン誘導性関節炎の抑制討した。その結果、10%CII食を摂食した供与マウスの脾臓細胞を移入された受容マウスにおいては、コントロール(正常マウスの脾臓細胞を移入)に比較してCIAの症状が抑制された。以上の結果から、CIIの経口投与により誘導されるCIAの抑制には、アクティブサプレッションが関与すると考えられた。

 ウシCII245-270を経口投与したマウスにおけるCII特異的IgG2a抗体産生応答は経口投与量が多いほど低下していた。従ってペプチドの高投与量で認められたCIA症状の抑制は抗体産生応答の低下が関与していると考えられたが、低量投与による抑制は抗体産生応答の低下を伴わなかった。以上によりCII245-270によるCIA症状の抑制は、経口投与量によりその抑制機構が異なることが示唆された。

 本研究により経口免疫寛容現象を利用することにより慢性関節リウマチの動物実験系であるCIAを抑制できることが示された。本研究進行中に、CIIの経口投与が、実際にヒトの慢性関節リウマチの治療に効果があるとの報告がなされた。本研究で示したCIIの部分ペプチドによる経口免疫寛容の誘導は、抗原による感作の危険性が最小限と考えられ、さらに効果的な慢性関節リウマチの予防・治療方法として期待される。

審査要旨

 本論文は自己免疫疾患における経口免疫寛容の誘導について、慢性関節リウマチの動物実験モデルとして利用されるコラーゲン誘導性関節炎(collagen-induced arthritis; CIA)を用いて解析したものである。その結果CIAの治療及び予防に経口免疫寛容の誘導が有効であることを明らかにしたもので、3章より成っている。

 第1章では、ウシ大腿骨軟骨より精製したII型コラーゲン(CII)を10%含む飼料(10%CII食)をDBA/1マウスに2週間自由摂食させ、その後、ウシCIIで免疫させると、CIA症状が軽減することを明らかにした。

 第2章では、CIIの経口投与によりCIAの抑制を試みる場合、CIAを誘発する抗原と同一の抗原を経口投与するため、感作の危険性が全くないとはいえない。そこで、CIA誘発部位の除去が考えられるが、一般に高分子量のタンパク質と比較して、ペプチドフラグメントはその抗原性は大きく低下することが知られている。しかし、経口免疫寛容はペプチドフラグメントによっても誘導可能であることが明らかになりつつある。そこで、CIIの部分ペプチドを用いて、感作の危険性を最小限にしながらCIIの部分ペプチドの経口投与により免疫寛容を誘導し、CIAの抑制を試みた。経口免疫寛容の誘導にはT細胞が重要な役割を持つことが明らかとなっているので、投与するペプチドとしては、DBA/1マウスにおけるT細胞抗原決定基を含むウシCII245-270を用いた。化学合成したCII245-270をDBA/1マウスに1-25gずつ2-3日おきに計5回経口投与し、CIIで免疫した後のCIAの発症経過を観察した。その結果、CII245-270を経口投与したマウスおいては、ペプチドを投与していないコントロール群と比較して関節炎症状が軽減された。一方、T細胞抗原決定基を含まないCII由来ペプチドCII316-333では抑制効果が認められなかった。次に、CII245-270を1-125gずつCIA誘発の前後に分けて投与した。その結果1回の投与量が1gの場合効果が認められたが、5g,25gでは効果が認められなかった。125gの場合、若干症状が軽減された。そこでペプチドの投与量をさらに増やして(1mg/回)検討した。またこの際、CII245-270に加え(1)同じ領域に相当するマウス由来ペプチド、(2)CIIの260,261,263残基目をI型コラーゲンのアミノ酸で置換し、CII特異的T細胞の反応を惹起することはできないが、抗原提示細胞上のMHC(主要組織適合遺伝子複合体)クラスII分子(Aq分子)と結合できるペプチドの効果についても検討した。その結果、マウスペプチド、アナログペプチドのいずれについてもCIA抑制効果が認められた。

 以上の結果は、CII上のT細胞抗原決定基を含むペプチドの経口投与によりCIA症状の軽減が可能であることを示したものである。

 第3章では、CII、またはCIIの部分ペプチドの経口投与によりCIAが効果的に抑制された場合のCIIに対する免疫応答について調べた。10%CII食を摂食することより、CIIに対する抗体産生応答が、CIAの発症に関与するとされるIgG2a,IgG2bアイソタイプの応答を含め、コントロール群に比較して有意に低下していた。さらにCII食摂取群においてはCIIに対するT細胞増殖応答がほとんど認められなくなった。これらのことよりCIIの経口投与によるCIAの抑制現象には免疫応答の低下が伴うことが示され、免疫寛容が誘導されたことが示唆された。経口免疫寛容の機構として有力なものの一つにアクティブサプレッション(active suppression;能動的免疫抑制)がある。これは抗原を認識した調節T細胞が他のB細胞やT細胞の機能を能動的に抑制する機構である。そこでCIAにおける経口免疫寛容の誘導におけるアクティブサプレッションの関与について検討した。10%CII食を摂取させたマウスの脾臓細胞をCIIを摂取していないマウスに移入した場合にCIAの発症を能動的に抑制するかどうか検討した。その結果、10%CII食を摂食した供与マウスの脾臓細胞を移入された受容マウスにおいては、コントロール(正常マウスの脾臓細胞を移入)に比較してCIAの症状が抑制された。以上の結果から、CIIの経口投与により誘導されるCIAの抑制には、アクティブサプレッションが関与すると考えられた。

 CII245-270を経口投与したマウスにおけるCII特異的IgG2a抗体産生応答は経口投与量が多いほど低下していた。従ってペプチドの高投与量で認められたCIA症状の抑制は抗体産生応答の低下が関与していると考えられたが、低量投与による抑制は抗体産生応答の低下を伴わなかった。以上によりCII245-270によるCIA症状の抑制は、経口投与量によりその抑制機構が異なることが示唆された。

 以上、本論文は経口免疫寛容現象を利用することにより慢性関節リウマチの動物実験モデルであるCIAを抑制できることを示したもので、本研究で示したCIIの部分ペプチドによる経口免疫寛容の誘導は、抗原による感作の危険性が最小限と考えられ、さらに効果的な慢性関節リウマチの予防・治療方法として期待される。したがって学術上、応用上貢献するところは少なくない。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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