学位論文要旨



No 111929
著者(漢字) 崔,禎延
著者(英字)
著者(カナ) チェ,チョンヨン
標題(和) 経口投与した抗原タンパク質の免疫応答に関する研究
標題(洋)
報告番号 111929
報告番号 甲11929
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1645号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 消化器、呼吸器、生殖器などの全身の粘膜は生体と外環境との接点を形成しており、たえず多種かつ多量の微生物や化学物質などの外来の抗原の侵襲に曝露されているが、それらに対し種々の防御機構を備えている。消化器系の場合には腸管関連リンパ組織(gut associated lymphoid tissue;GALT)が中心となり、口腔を介して侵入してきた異物に対するIgA抗体を粘膜面に誘導している。一方でタンパク質抗原を経口投与すると、粘膜面における分泌型免疫に加え、全身系においては、免疫寛容状態が誘導される。すなわち次に同一抗原が全身系免疫機構を介して体内に投与された時、その抗原に対して免疫応答を示さなくなる。このように全身系の免疫が不応答になった状態を経口免疫寛容(oral tolerance)という。経口免疫寛容は、大量に摂取される食物抗原に対する過剰な免疫応答を抑制する機構であると考えられている。

 当研究室では牛乳の主要アレルゲンの一つであるカゼインを含む飼料をマウスに摂取させることにより抗体産生応答、経口免疫寛容が誘導されることを明らかにしている。一般に、抗体産生応答、免疫寛容には抗原特異的T細胞の応答が深く関与していることが知られている。しかしながら、胞反応については不明な点が多い。そこで本研究では、T細胞の反応に注目して、経口投与したタンパク質抗原による免疫応答を詳細に解析した。

第1章 カゼインの経口投与によるTh1型・Th2型免疫応答の解析

 最近、T細胞の産生するサイトカインが免疫応答の制御に深く関与していることが明らかとなってきている。特に、CD4+T細胞は、そのサイトカイン産生パターンによりインターロイキン(IL)-2、インターフェロン(IFN)-などを産生するTh1.IL-4、IL-10などを産生するTh2の2つのサブセットに分化し、免疫応答を制御することが示されている。これに対応したTh1型反応として遅延型過敏反応やIgG2a抗体産生、またTh2型反応としてIgG1.IgE抗体の産生が誘導される。そこで本章では経口投与抗原により誘導される免疫応答におけるTh1型・Th2型反応について検討した。

 まず、経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型反応について検討した。あらかじめ、カゼインを20%含む飼料(20%カゼイン食)を2週間摂取させたマウス(6週齢のC3H/He,DBA/2)をs1-カゼイン(s1-CN)とアジュバントで免疫し、T細胞増殖やサイトカインの産生、また血中の抗s1-CN抗体量をIgGサブクラスごとに測定した。その結果、T細胞増殖はカゼインを含まない飼料を投与したコントロール群に比べ、カゼイン食を摂食した群で強い抑制が観察された。サイトカイン産生応答についてもカゼイン食群ではコントロール群に比べ、IL-2、IFN-、IL-4、IL-10の産生が強く抑制されTh1型、Th2型反応とちらも抑制された。IgGサブクラスの産生応答についても、Th1型のIgG2a抗体、Th2型のIgG1抗体ともに抗体産生量が低下しており差は認めら

 次に、カゼイン食を長期間摂取させたマウスの血中の特異抗体産生応答について検討した。本実験においては、経口投与したカゼインに対して強い抗体産生応答を示すC3H/Heマウス、3週令を用いた。カゼイン食摂取開始後5週目においてs1-カゼインに対するIgG抗体産生反応が見られた。この特異IgG抗体のサブクラスを調べた結果、Th1型のIgG2aであった。しかしながら、別の実験においては、Th2型のIgG1反応も観察された。脾臓細胞のサイトカイン産生応答を検討したところ、IgG2a応答が観察される場合はIFN-産生応答が認められ、IgG1応答が認められる場合には、IL-4が産生された。これらの結果より、カゼインの経口投与により全身免疫系でTh1型・Th2型応答が誘導され、血中に特異抗体が産生されるが、Th1型・Th2型のバランスは個体や実験間で大きく異なることが示された。

第2章 経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型反応の解析

 第1章で経口免疫寛容においてTh1型・Th2型反応が低下することが示された。そこで本章ではカゼイン飼料を経口投与することによって誘導される経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型反応について、投与期間・投与量等を変化させ詳しく調べた。まずカゼイン食を期間を変えて摂取させた後、マウスをs1-CNで免疫し、脾臓・リンパ節細胞の増殖、サイトカイン産生応答、血中の特異抗体産生応答を測定した。Th1型サイトカイン産生応答については、IL-2産生応答が5日間の投与で大きく低下し、IFN-産生応答が投与期間が長くなるにつれ徐々に低下した。Th2型サイトカインについては5-7日間の投与でIL-4,IL-10産生応答いずれも低下した。T細胞増殖応答の低下はおおむねこれらサイトカイン産生応答の低下に対応していた。しかしながら、抗体産生応答がを必要とし、サイトカイン産生能が大きく低下している場合でも、抗体産生には影響がなかった。

 次に飼料中のカゼイン量を1/10(2%カゼイン食)にして検討したところ、IL-2、IFN-産生応答、T細胞の増殖応答については20%カゼイン食を投与した場合と同様の結果を示した。これよりTh1型応答については抗原投与量よりむしろ投与期間に影響されることが示唆された。一方、IL-4産生についてはカゼイン摂取マウスでむしろ増強されていた。これより、Th2型サイトカイン産生応答については抗原投与量に大きく影響を受け、投与量が低い場合は抗原の経口投与によりむしろ亢進する場合があることが示された。しかしながら、特異抗体産生応答は増強されず、IL-4産生能の増大は抗体産生応答の増強に結びつかなかった。

 以上のように経口免疫寛容では抗原特異的な免疫応答が強く抑制される。しかしながら、当研究室では食餌中のタンパク質抗原が、他の抗原に特異的な免疫応答に影響を与える結果を得ている。そこでマウスに市販飼料、卵白タンパク質飼料、カゼイン食を摂取させ、その後の卵白アルブミン(OVA)、またはs1-CNに対する免疫応答を検討した。その結果、卵白飼料を摂取したマウスのカゼインに対するT細胞増殖応答は市販飼料を摂取したマウスと比較し若干低かった。卵白飼料摂取群ではIFN-産生応答、IgG2a抗体産生応答についてもやや低下が認められ、s1-カゼインに対するTh1型反応が低下していることが示された。OVAを経口ゾンデで投与した場合もカゼイン特異的T細胞増殖応答およびサイトカイン産生応答が抑制され、OVAの経口投与によりs1-カゼイン特異的免疫応答が変化することが示された。

 以上の結果から経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型免疫応答は抗原の投与量、投与期間により影響を受け、それぞれ異なる挙動を示すこと影響することが示された。

第3章 経口免疫寛容におけるT細胞増殖応答の抑制機構の解析

 経口免疫寛容の誘導にはT細胞が深く関与することが知られている。その誘導メカニズムはまだ明らかにされていないが、その仮説として1)アクティブサプレッション(active suppression;能動的免疫抑制)2)クローナルアナジー(clonal anergy;免疫不応答)説が上げられる。さらに、つい最近、3)クローナルデリーション(clonal deletion;クローン消失)説が経口免疫寛容の誘導メカニズムとして提唱された。本章ではカゼイン食摂取による経口免疫寛容誘導機構について特にT細胞増殖応答の抑制に注目して検討した。

 まず、アクティブサプレッションについて検討した。マウスにカゼイン食を14日間摂取させ、経口免疫寛容を誘導した。そのマウスの脾臓細胞を同系マウスへ移入し、この受容側マウスをs1-カゼインで免疫し、T細胞増殖応答を測定した。受容側のT細胞増殖応答は、全く細胞を移入しなかったマウスのそれと同程度で、積極的な抑制効果は認められなかった。また、経口免疫寛容を誘導したマウスの脾臓リンパ球にはin vitroにおいてもs1-カゼインで免疫したマウスのリンパ節細胞の抗原特異的増殖応答を抑制する作用は認められなかった。以上の結果より、本実験系ではアクティブサプレッションは主な機構ではないと考えられた。

 アナジー状態のT細胞は、IL-2産生能が低下しているために増殖できないものの、IL-2によりアナジー状態が解除され、抗原に対しての増殖反応性が回復するとされる。そこで、カゼイン食経口免疫寛容を誘導態になった細胞の抗原特異的増殖応答の回復を試みた。その結果、培養後にもs1-カゼインに対する応答は低く、アナジー状態の解除は認められなかった。また、カゼインを摂取したマウスのリンパ節細胞をin vitro抗原刺激し、IL-2受容体の発現をフローサイトメーターで測定すると、CD4+T細胞のIL-2受容体の発現がほとんど認められなかった。

 以上から本実験の投与条件ではカゼインの経口投与により抗原を認識する細胞が不可逆的アナジー状態に陥ったか、クローナルデリーションにより消去されたことが示唆された。

第4章 抗原感作後の経口投与による免疫応答の抑制の解析

 生体の防御機構である免疫系が体に対して有害に作用するのがアレルギーであるが、アレルギーの低減化方法として経口免疫寛容の利用が期待される。この場合、抗原感作後、抗原を経口投与することにより免疫応答が抑制される必要がある。そこで、本章ではこの点について検討した。

 あらかじめ、s1-カゼインをCFAアジュバントと共に腹腔免疫したマウスにカゼイン食を摂取させ、T細胞増殖応答とサイトカイン産生応答を調べた。その結果、20%カゼイン食を摂取した場合のいずれもコントロール群に比べ抑制された。2%カゼイン食の場合も、抑制の程度は20%カゼイン食群より弱いもののT細胞増殖反応、サイトカイン産生応答ともに抑制された。この結果から、アレルギー治療において経口免疫寛容の利用の可能性が示された。

 本研究では食餌中の抗原タンパク質による免疫応答におけるT細胞の反応性を詳細に検討し、Th1・Th2型反応が変化することを示した。た。さらに、抗原感作後でも経口免疫寛容が誘導されることを示した。本研究で得られた知見は牛乳アレルギーの発病メカニズムの解明や予防・治療法の開発に役立つものであろう。

審査要旨

 本論文は経口投与した抗原タンパク質による免疫応答に関して、T細胞の反応に注目し、経口免疫寛容の抑制パターン及びその誘導機構について述べたものであり、総4章より成っている。

 第1章では、経口投与抗原により誘導される免疫応答におけるTh1型・Th2型反応について検討するために、カゼインを20%含む飼料(20%カゼイン食)を2週間摂取させたマウスにs1-カゼインをアジュバント共に免疫し、T細胞増殖やサイトカインの産生、また血中の抗s1-CN抗体量をIgGサブクラスごとに測定した。その結果、カゼインの経口投与による経口免疫寛容においては、追加免疫に用いるアジュパントの種類、マウスの系統に関係なく、全身免疫系のTh1型・Th2型反応が抑制されることを明らかにした。

 次に、カゼイン食を長期間摂取させたマウスの血中の特異抗体産生応答について、s1-カゼインに対するIgG抗体産生反応やサイトカイン産生応答を検討した結果、カゼインの経口投与により全身免疫系でTh1型・Th2型応答が誘導され、血中に特異抗体が産生されるが、Th1型・Th2型のバランスは個体や実験間で大きく異なることが示された。

 第2章では、カゼイン飼料を経口投与することによって誘導される経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型反応について、投与期間・投与量等を変化させ詳しく調べた。その結果、経口免疫寛容におけるTh1型・Th2型免疫応答は抗原の投与量、投与期間により影響を受け、それぞれ異なる挙動を示し、Th1型応答については抗原投与量よりむしろ、投与期間に影響されることが示唆され、投与量が少ない場合でも、十分長い期間にわたり投与すれば、Th1型反応は抑制されることが確認された。Th2型サイトカイン産生応答については、抗原投与量に大きく影響を受け、投与量が低い場合は抗原の経口投与によりむしろ亢進する場合があることが示された。さらに、IL-4の作用で、Th1型細胞への分化が抑制された可能性も提示された。

 また、経口投与抗原が他の抗原に対する非特異的な免疫応答に影響することが示された。

 第3章では、カゼイン食摂取による経口免疫寛容の誘導機構について、特に、T細胞増殖応答の抑制に注目して解析した。経口免疫寛容の誘導にはT細胞が深く関与することが知られているが、その誘導メカニズムはまだ明らかにされていない。本実験系でのマウスは1日平均、約200mgのs1-カゼインを摂取することになり、抗原を大過剰に投与したので、この実験の投与条件では、アクティブサプレッションは主な機構ではなく、カゼインの経口投与により抗原を認識する細胞が不可逆的アナジー状態に陥ったか、クローナルデリーションにより消去されたことが示唆された。

 第4章では抗原感作後、抗原を経口投与することによる免疫応答の抑制ついて検討するため、あらかじめ、s1-カゼインをCFAアジュバントと共に腹腔免疫したマウスにカゼイン食を摂取させ、T細胞増殖応答とサイトカイン産生応答を調べた結果、T細胞増殖反応、サイトカイン産生応答ともに抑制された。この結果から、アレルギー治療において経口免疫寛容の利用の可能性が示された。

 以上、本論文は食餌中の抗原タンパク質による免疫応答におけるT細胞の反応性を詳細に検討し、経口免疫寛容におけるT細胞増殖応答の抑制機構について解明したものであり、本研究で得られた知見は牛乳アレルギーの発症メカニズムの解明や予防・治療法の開発に役立つなど、学術上ならび応用上に貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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