学位論文要旨



No 111931
著者(漢字) 美濃羽,靖
著者(英字)
著者(カナ) ミノワ,ヤスシ
標題(和) 森林から得られる主観的情報の定量化とその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 111931
報告番号 甲11931
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1647号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 助教授 酒井,秀夫
内容要旨

 林業技術の中には人間の主観が大きく関与するものが少なくない。例えば目測による樹高測定・樹形級区分・立木の形質評価といった測樹に関するものや,枝打ち技術・間伐木の選定技術・経営計画における意志決定といった森林施業に関するもの等があげられる。これらの多くは熟練することにより非常に有効な手段となるが,客観的に評価することが難しいため誰もが同じように利用できるわけではない。しかし,こういった林業従事者の経験・技能あるいは職人芸といったものを客観的に捉え定量化していくことができれば,これらの習得に役立つだけでなく,林業従事者が減少する中,その専門的知識や技術的ノウハウをいかに残していくかといった問題に対して何らかの知見となる。

 一方,自然界の現象の多くは複雑なシステムを形成しており,それは「非線形」という言葉で表現できる。そこで,ニューラルネットワーク・カオス・フラクタル・ソリトン・ウェーブレット・フルーエンシ・遺伝的アルゴリズムといった工学的アプローチや,曖昧さを取り扱うことができるファジィ理論,人間の知識を推論メカニズムとしてコンピュータ上で表現するエキスパートシステムといったAl(artificial intelligence)アプローチは,非線形現象を線形理論に帰着することなく取り扱うことのできる手法として.近年,注目を浴びている。しかし,工学分野においてはその研究事例も多く実用化もかなり進んでいるが,農学分野,特に森林科学分野では研究事例も少なく,その有効性に関してもあまり認知されていない。つまり,森林といった自然を対象とすることが多い森林科学分野において,非線形工学的・知識工学的手法の応用の場は多いと思われるのにも関わらず,ほとんど研究されていないのが現状である。

 このような背景から,本論文はファジィ理論やニューラルネットワークといった非線形工学的手法を用いて,森林から得られる情報,特に主観的要素の大きい情報に着目し,その定量化および応用に関する研究を行ったものである。尚,本研究では「森林から得られる主観的情報」とは以下のように定義する。

 「森林から得られる主観的情報とは,人間の主観が大きく関与するもの(例えば目測による樹高測定)や,それらを用いた行動(例えば間伐木の選定技術)等において『経験』とか『勘』が重要な役割を果たす情報のことである」。

 第I章では本研究の背景と目的について述べた。

 第II章では,森林から得られる情報,特に主観的情報について取り上げ,非線形工学的な手法の適用可能性について述べた。

 第III章では,森林から得られる主観的情報の価値を定量的に評価する方法について理論的考察を行った。本研究では,例として目測による樹高測定を取り上げ,「シャノンの情報理論」を理論的背景としたエントロピー計算による情報量の定量化を行った。

 ここでは2種類の観測システム「通常の観測システム:種々の測高器を用いた計測」,「ファジィ観測システム:目測による計測」に対してその情報量を比較した。そして,ファジィ観測システムでは,「目測の傾向を考慮しない場合:左右対称の三角形型ファジィ数を用いた仮想モデル」および「目測の傾向を考慮した場合:実際に行った目測による樹高測定データをもとに作成したメンバーシップ関数を用いたモデル(ただし用いた三角型ファジィ数は必ずしも左右対称ではない)」についてそれぞれ情報量比較を行った。尚,ファジィ観測システムは目測の誤差範囲をメンバーシップ関数の幅として表現することにより,通常の観測システムとの情報量比較が可能となった。

 その結果,通常の観測システムから得られる平均情報量に対し.ファジィ観測システムでは与えられるメンバーシップ関数の幅がその情報抽出能力に大きく影響しており,メンバーシップ関数の幅が小さいほど情報抽出能力が高いことがわかった。

 また,目測の傾向を考慮した場合では,さらに2つの方法,「教師なし学習モデル:測定者に真の樹高を教えないモデル」,「教師付き学習モデル:1本目測するごとに測定者に真の樹高を教えるモデル」を用いた樹高測定に対してその情報量比較を行った。その結果,教師なし学習モデルではメンバーシップ関数はかなりばらついたものとなり,また,その情報量も樹高情報を確定するのに必要な情報量を100とした場合,約38%とかなり悪い値となった。しかし,教師付き学習モデルではメンバーシップ関数の平均幅が3.5mといった,かなり精度の良い目測となり,その情報量も約70%であった。このメンバーシップ関数の平均幅が3.5mというのは,目測誤差が±1〜2m程度であることを示しており,これは目測による樹高測定としては十分有効であると考えられる。つまり,目測の際に学習効果を取り入れるとその精度はかなり向上することがわかった。

 つまり,たとえデータを取る方法が主観的であっても適当なメンバーシップ関数を与えればそれほど情報抽出能力は低下しないと言える。

 第IV章では非線形工学的手法を用いた森林情報の解析として,間伐木の選定および時系列データ解析にニューラルネットワークを適用した場合について考察した。本研究ではニューラルネットワークの中において,最も多く研究されかつその応用能力が高い手法の1つであるバックプロパゲーション法(誤差逆伝搬法)を用いた。

 間伐木の選定は森林施業に関わる技術の中では主観的な要素を多く含み,また直径や樹高測定といった森林調査と比べてより多くの経験を必要とする。間伐木の選定は林木から得られる直径・樹高・樹冠量・幹形質・欠点等といった量的・質的情報をもとに選木者の主観的判断によって間伐木が決定されるため,判断に至るまでの過程を説明する客観的なデータが存在しない。つまり,入-出力情報については入手することが可能であるが,入-出力関係を表す理論式等が存在しない。また,これらに実験式を適用する場合,従来の線形モデルを基本とした手法では曖昧さを伴ったデータを扱う場合や主観的・客観的データが混在した場合に対して十分な結果が得られないことが多い。そこで,本研究ではこういった非線形関係に対して,対象を線形に置き換えることなく,非線形のまま取り扱うことができる手法の1つであるニューラルネットワークを用いて分析を行った。

 ここでは出力値を離散値{0,1}で与える「分類型モデル」と連続値[0,1]で与える「重回帰型モデル」の2種類の方法を用い,間伐木選定に対するニューラルネットワークの選定能力およびその汎化能力を分析した。資料には東京大学千葉演習林内の2林分で実施された間伐調査データを用い,入力層・中間層・出力層に様々な条件を与えてニューロによる学習を行った。その結果,分類型モデルでは出力層が「間伐する・間伐しない」の2値判断であれば約95〜99%といった非常に高い精度で正答することができた。また,「間伐しない・環境保全型間伐・長伐期施業型間伐・複層林施業型間伐」といった出力層数が4の場合でさえも,約85%の正答を与えることができた。また,重回帰型モデルでは,比較として行った通常の線形回帰分析による推定値と比べ精度が高い結果となった。尚,間伐木の選定をするという性質上,重回帰型モデルより分類型モデルの方が好ましいと考えられる。

 実際の間伐においては立木の位置情報が重要な選定要因の1つとなる。しかし,測定が困難である,あるいは測定された立木位置情報を有効に活用するための理論的枠組みや手法といったものがほとんどない,等の理由のため森林調査においては立木位置の測定を省略することが多い。しかし,たとえ位置情報を用いなくとも,ニューラルネットワークモデルを適用すれば,質的・量的データが混在し出力が主観的判断によって与えられるような間伐木の選定に対しても十分有効な結果を得ることができることがわかった。

 次にニューラルネットワークの持つ非線形回帰分析能力および多入力-多出力を扱える利点を利用して,定期的に測定された毎木直径データに対し,ニューラルネットワークによる直径成長予測を行い,予測値の精度あるいは実測値との適合性等について検証し,その有効性を検討した。

 本研究で用いたデータはそれほど非線形性が大きくなかったため,出力層数を1としたニューラルネットワークによる予測モデルは線形重回帰分析による予測モデルと比べて.若干ではあるが予測精度が低い結果となった。しかし,その予測精度は実測値との相関で見た場合,相関係数で0.98〜0.995といったかなり高い値を示していることを考えればほとんど問題にならないと言える。それ以上に,ニューラルネットワークを用いたモデルは,従属変数をただ1つしか用いることができない線形重回帰モデル等と違って,いくつでも従属変数を用いることができるといった利点がある。そのため時間変数を用いずとも長期的予測を行うことができる。ただし,本研究で用いたバックプロパゲーション法のアルゴリズムは,フィードバックのない静的なネットワーク構造であるため,時間相関を考慮することができない。そのため,予測区間が先になるほどその予測精度は低下する結果となった。しかし,全体的にかなり高い精度で予測することができ,特に短い区間の予測であれば十分有効であると言える。

 以上のように本論文では,得られる情報が主観的であっても,情報理論・ファジィ理論・ニューラルネットワークといった手法を用いて定量化すれば,客観的な情報と同様に取り扱うことができることを述べた。熟練された技術者の経験や勘といった主観的な情報や非線形性を伴った情報を有効に利用するためには,本研究のようなアプローチが今後ますます重要になると考えられる。

審査要旨

 林業技術の中には、樹高の測定や間伐木の選定などのように、人間の勘や経験といった定性的でかつ主観的判断を要するものが少なくない。その理由は、森林の測定や森林の取り扱いには、コントロール出来ない多くの誤差や非線形的な因子が関与しているからである。他方、近年、あいまいな、非線形的現象を扱う手法として、ファジィ理論やニューラルネットワーク、カオス、フラクタルなどのような手法が注目を浴びている。このような背景の下で、本研究は主観的情報や主観的判断を必要とする林業技術のいくつかを取り上げ、ファジィ理論やニューラルネットワークの手法を用いて、それらのプロセスを定量的に解析することを目的としたものである。

 第1章では本研究の背景と目的、第2章では森林から得られる主観的情報の種類や非線形工学的手法の概要が述べられている。第3章は、目測による樹高測定を取り上げ、シャノンの情報理論を基にエントロピー計算による樹高測定情報量の定量化を行ったものである。2種類の測定システム:「計測器を用いた測定」と「目測による測定」を対置させ、さらに後者は、目測の傾向を考慮しない場合と考慮する場合に分け、その違いをファジィ理論におけるメンバーシップ関数の形で具体的に表現した。この定量化を通じて、目測による情報抽出能力とメンバーシップ関数の幅との関係が明らかにされた。さらに、教師付きの目測(目測の後に真の樹高を教える)場合を検討し、メンバーシップ関数の平均幅が3.5m、目測の誤差が±1〜2m、その際の情報量は計測器を用いた場合の70%であることを明らかにした。また、樹高情報と対をなす単木の直径情報を結合的に利用することによる情報量の増大を定量的に明らかにした。

 第4章は、間伐木の選定および時系列データの解析に非線形的手法の一つであるニューラルネットワークを適用し、それらのプロセスをニューロによる学習という形で客観化したものである。資料としては、東京大学千葉演習林の2林分で実施された間伐調査(環境保全型、長伐期施業型、複層林施業型)のデータが用いられた。ニューラルネットワークの入力層、中間層、出力層に様々な条件を与えて解析した結果、出力層が「間伐する・間伐しない」の2値判断の場合は約95〜99%、また、「間伐しない・環境保全型間伐・長伐期施業型間伐・複層林施業型間伐」の4値判断の場合は約85%と、間伐木の選定に関する高い正答率が得られた。これらの値は、比較のために用いた通常の重回帰分析の推定値よりも精度の点で優れている。

 次に、ニューラルネットワークのもつ非線形回帰分析能力および多入力-多出力能力を利用して単木の成長予測を行い、予測精度の高いことを明らかにした。資料としては、千葉演習林の固定標準地のデータが用いられた。単木は周囲の環境の影響を受けて非線形的な成長をしており、その成長過程を記述するためには従来の微分方程式型のモデルや重回帰型のモデルよりも、ニューラルネットワークモデルの方が望ましいと考えられる。なお、本研究で用いたバックプロパゲーション法は時間相関を考慮することができないために、予測区間が長くなると予測精度が低下する。したがって、この面での改良が必要である。

 以上のように、本論文は、林業技術や森林に関わる主観的情報の定量化が可能であることを、情報理論、ファジィ理論、ニューラルネットワークなどの手法と、目測による樹高測定、間伐木の選定、単木の成長予測の事例解析を通じて明らかにしたものである。よって、審査員一同は、理論および応用上の観点からその意義を評価し、本論文は博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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