学位論文要旨



No 111933
著者(漢字) 阿部,真
著者(英字)
著者(カナ) アベ,シン
標題(和) 亜高木性樹種ハクウンボクの生活史および撹乱依存性の評価
標題(洋)
報告番号 111933
報告番号 甲11933
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1649号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,惠彦
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 助教授 丹下,健
内容要旨 1.

 森林の公益的機能や遺伝子資源としての価値が理解され、天然林はその価値を再認識されるようになった。森林の機能を保ち、資源を持続的に利用するためには天然林の群集動態や構成種の生活史に関する正確な知識が必要不可欠である。しかし、これまでは優占する高木種の個体群研究が多く、従属的な群集構成種の生活史や個体群に関する知識は限られていた。

 亜高木性樹種は優占種にはなり得ないが、群集の種多様性の大きな構成要素であるため、天然林の維持機構を解明するためにはその生活史についての知識が強く求められている。また、高木種と異なり林冠に達した後の生活史段階を欠くため、林冠ギャップなどを利用する短期の生活史をもつか、あるいは長い被圧期間への耐性をもつか、といった森林の空間構造に対する特有の戦略を分化させている。本論文では、ハクウンボク(Styraxobassia)の個体群動態を解析することで、このような亜高木種の生活史特性を明らかにするとともに、森林構造の形成要因としての撹乱に対する依存性を評価する。

 木本種の個体群動態を研究する上で、樹木の長い寿命や森林の複雑な構造は大きな障害であった。固定試験地での長期観察を前提とした個体群統計学(デモグラフィー)的方法によって、こうした問題点のいくつかを克服できる。対象とした北茨城の小川学術参考保護林には6haの固定試験地が設定され、森林群集全体の変動が、撹乱やそれによって生ずる森林構造とともに継続観測されている。本研究では、この森林の重要な亜高木種であるハクウンボクについて、生活史全体にわたるデモグラフィーの解析を行った。8年間の継続的研究から得られたデータを個体群の行列モデルによって統合する。

幼木・成木の個体群構造と動態

 直径5cm以上の個体群構造から、ハクウンボクは、高い耐陰性をもつ亜高木種であることが示唆された。胸高断面積では群集構成種中第12位であったが、幹数および個体数においてこの森林群集の第2優占種であった。DBH頻度分布は安定したL字型を示したが、林冠に達していた個体はわずか0.6%に過ぎず、閉鎖林冠下で安定な個体群構造をもつことを示していた。

 一方では、ギャップ形成等の撹乱には鋭く反応することがわかった。ギャップなどで被圧から開放されている個体の直径成長速度は被圧された個体より大きく、最大相対成長速度は群集構成種の中でも3番目の大きな値を示した。また、開放個体は被圧個体より繁殖が旺盛で、個体あたりの種子生産量でも多いことが観察された。

 以上のことから、幼木・成木期のハクウンボクは、林冠下で待機しながら機会的なギャップに素早く反応して高い成長速度や開花に利用していると考えられる。

種子期の動態

 ハクウンボクの種子は、ブナ科の堅果に匹敵する重量があり、亜高木・低木種の種子としては群をぬいて大きく、重かった。逆に、一母樹が生産する種子数は少ない。その生産数には強い豊凶(masting)が確認され、開花から結実に至るデモグラフィの詳細な観察や、落下種子の分析から、捕食者飽食仮説や資源適合仮説を部分的に支持するデータが得られた。

 種子の発芽特性として、散布後土壌中で1.5年以上発芽せずに休眠する埋土種子集団を持っていた。実際に母樹下の表土中には常に3個m-2前後の種子集団が存在した。種子を金網で被食から保護して休眠と発芽を追跡した結果、閉鎖林冠下であっても発芽するが、ギャップ内では有意に高い率で発芽した。メカニズムの詳細は明らかでないが、何らかのギャップ探索機構(gap detecting mechanism)をもつことが予想される。一方、金網で保護しない種子試料は1年間で99.6%が消失し、地上動物の被食圧は高かった。

 大型種子は、実生の高い生存率や、初期の大きな絶対成長量に関係があり(後述)、閉鎖林冠下での生存やギャップでのすばやい成長に貢献していると思われる。種子生産数は種子サイズとトレードオフの関係にあって少ないが、強い豊凶によって高い捕食圧を回避したり、休眠とギャップ探索機構によって好適環境で効率的に定着している、と考えられる。

実生・稚樹期の動態

 当年生実生、1年生以降の実生(H<30cm)とも、生存率は群集内の他種に比べても高く、林床での被陰に対して耐性が高いといえる。一方、ギャップ内では閉鎖林冠下よりさらに高い生存率が観察されたが、ギャップへの依存性という点では(たとえば、ギャップ/閉鎖林冠下の生存率の比)、他の種に比べて低い。ただし、ギャップでの絶対成長速度は他の種よりも大きく、発芽当年で樹高20cm、翌年では35cmに達する個体もあった。また、ギャップ内では、実生や稚樹の成長が早いため、実生の新規加入はギャップ形成後数年に限られており、実生期の個体にギャップが機能する時間は短いことがわかった。

 稚樹(H30cm、DBH<5cm)は閉鎖林冠下よりもギャップ内に有意に高密度で分布し、とくに大きなギャップでは有意に高密度で生育していた。このことは、ギャップ探索型の発芽特性やギャップ内での実生の高い生存率・初期成長速度によって説明できる。しかし種間・種内の競争のため、稚樹期にはギャップでの死亡率が大きく上昇していた。

行列モデルによる検討

 ハクウンボクの生活環を当年生実生から成木(繁殖段階)まで5段階に分け、個体群及び各生活史段階のギャップ依存性の大きさを推移行列モデルで評価した。個体群の構造は安定期であったが、林冠の構造と変動量の仮定の仕方によって増加の潜在力は大きく異なった。

 ギャップの環境を強調したモデルほど大きな増加率が得られた。これは各生活史段階で観察されたギャップへの順応を反映している。反対に閉鎖林冠下のみの仮想的なモデルであっても個体群は正の増加率を持っており、これは各生活史段階の高い耐陰性の結果だといえる。しかし一般的な温帯林の林冠ギャップの強度(林冠面積のおよそ10〜20%、修復期間25〜50年かそれ以上)に比較すれば試験地の撹乱は相対的に穏やかであり、ハクウンボクの潜在力は試験地ではかならずしも有効に機能していない。

 繁殖段階である成木の生存率が個体群変動へおよぼす影響力(弾力性;elasticity)は常に大きく、ハクウンボク個体群の盛衰にとって重要なのはこの段階の維持である。一方ギャップを強調したモデルでは、成木の繁殖能力(fecundity)と実生・稚樹の段階の生存率との弾力性が相対的に大きかった。しかし林冠に占めるギャップ面積はわずかで、さらに幼木が生育する地表付近の実質的な撹乱面積は林冠よりも少ないため、ギャップ内でのデモグラフィーが個体群全体へ及ぼす影響は著しく弱められている。

結論

 ハクウンボクは閉鎖林冠下でも個体群を維持することが可能であり、高い耐陰性が種の戦略上に重要な意味を持っている。ギャップ環境に対しても、種子発芽機構や、実生・稚樹・幼木の生存率と成長速度、および繁殖能力を高めることで、他の優占種と比較してなお有利に対応している。しかしその個体群全体への効果は、閉鎖林冠下の部分個体群(sub-population)のサイズが大きいために表面には現れにくい。ギャップ環境に対する先駆樹種的な高い順応能力によって、林冠の撹乱強度の強い森林で個体群を大きく増加させうることが示唆される。しかし先駆樹種より高い耐陰性を併せ持つことで、この種は撹乱強度の弱い成熟林においてこそギャップを利用しつつ効果的に個体群を発達させていくと考えられる。

審査要旨

 本論文は、落葉広葉樹林の亜高木種であるハクウンボク(styrax obassia)の個体群動態を解析し、閉鎖林冠下での実生の発生・定着や林冠ギャップの形成等の攪乱に対する依存性など、林冠木となることの少ない亜高木種の生活史特性を明らかにしたものである。本論文の概要は以下の通りである。

 試験地とした北茨城の小川学術参考林は、林冠に占めるギャップ面積が6%と小さく、試験地の大部分が閉鎖林冠下にあった。森林構造の解析から、この森林では、ハクウンボクは、構成樹種のなかで胸高断面積で12番目、個体数で2番目の位置を占め、閉鎖林冠下において、安定的に維持されている個体群構造を持つことを示した。

 さらに、林冠ギャップに生育するハクウンボクの幼木・成木(胸高直径(DBH)≧5cm)は、閉鎖林冠下の個体に比べて、成長速度が大きく、個体あたりの種子生産量も多いことを示し、幼木・成木期のハクウンボクは、閉鎖林冠下で生活しながら、機会的なギャップ形成に対して、成長や繁殖の面ですばやく反応していることを明らかにした。

 ハクウンボクの種子は、ブナ科の堅果に匹敵する重量があり、亜高木・低木種の種子としては例外的な大きさであり、種子のほとんどは、母樹の樹冠下に落下した。しかし、落下した種子のほとんどは、1年以内に樹冠下から消失し、母樹下以外でも実生が発生した。このことから、動物による運搬が、種子散布範囲の拡大に寄与していることを示唆した。

 ハクウンボクは、母樹一本あたりが生産する種子数は少なく、その生産数には強い豊凶があることを確認した。しかし、発生実生数は、種子生産数の豊凶に対応した年変動を示さなかった。これは、ハクウンボクの種子が、土壌中で1.5年以上発芽せずに休眠し、埋土種子集団を形成するためであることを明らかにした。また、種子を金網で動物による被食から保護して林床に置き、休眠と発芽を追跡した。ハクウンボクの種子は、閉鎖林冠下であっても発芽は可能であるが、ギャップ内の方が有意に高い発芽率を示すことを明らかにし、種子が何らかのギャップ探索機構をもつことを示唆した。

 当年生実生、1年生以降の実生(H<30cm)とも、閉鎖林冠下での生存率が群集内の他種に比べて高く、高い耐陰性が示唆された。一方、ギャップ内では閉鎖林冠下よりさらに実生の生存率が高く、ギャップの環境にも適応可能な種であることを示した。

 稚樹(H≧30cm、DBH<5cm)は閉鎖林冠下よりもギャップ内に有意に高密度で分布し、とくに大きなギャップでは有意に高密度で生育していた。このことは、ギャップ探索型の発芽特性やギャップ内での実生の高い生存率と成長速度によって説明された。しかし、ギャップ内では稚樹期の死亡率の高さが観察され、種内・種間競争の影響を示唆した。

 ハクウンボクの生活環を当年生実生から成木(繁殖段階)まで5段階に分け、個体群及び各生活史段階のギャップ依存性の大きさを推移行列モデルで評価した。

 試験地のギャップ面積は小さいため、試験地全体を対象としたモデルでは、ギャップ内での個体群動態が個体群全体へ及ぼす影響は、著しく弱められていた。しかし、ギャップ面積を大きく見積もったモデルほど大きな個体群増加率が得られることを示し、実生から成木に至る各生活史段階でのギャップへの適応が個体群動態に大きな影響力を持つことを示唆した。反対に閉鎖林冠下のみの仮想的なモデルであっても個体群は正の増加率を持っており、これは各生活史段階の高い耐陰性によるとした。

 ハクウンボクは閉鎖林冠下でも個体群を維持することが可能であり、被陰下での高い生存率が本種の個体群維持に重要な意味を持っていた。ギャップ環境に対しても、種子発芽や、実生・稚樹・幼木の生存率と成長速度、および繁殖で、他の優占種に比べて有利に対応していた。したがって、本種は、耐陰性と林冠ギャップ形成に対するすばやい反応特性を合わせ持つことで、攪乱強度の弱い成熟林において効果的に個体群を発達させていくことが可能な種と考えられた。このような生活史特性によって、林冠木となることの少ない亜高木種の個体群維持が図られていることを示唆した。

 以上のように本論文は、ハクウンボクの個体群動態を解析することによって、亜高木種の生活史特性を明らかにし、多様な種が階層構造をつくって共存している森林生態系の維持機構の解明に対して、非常に重要な知見をあたえるものであり、その学術上、応用上、極めて貢献するところが大きい。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53912