学位論文要旨



No 111936
著者(漢字) 鄭,夏顕
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ハヒョン
標題(和) 戦後における韓日森林資源政策の比較分析
標題(洋)
報告番号 111936
報告番号 甲11936
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1652号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 助教授 大橋,邦夫
 東京大学 助教授 井上,真
 宇都宮大学 教授 笠原,義人
 三重大学 助教授 三井,昭二
内容要旨

 本研究では、韓国の森林資源政策が戦後の経済発展に伴って如何に変化してきたのかを明らかにし、また日本の森林資源政策と対比させつつ両者の異同を検討した。以上を踏まえ、特に韓国におけるこれからの森林資源政策の方向性を考察した。

 韓国では、日本による植民地支配以降、朝鮮戦争等の政治・社会的混乱期までに荒廃していた山野に対して、1973〜87年の治山緑化計画のもとで大規模な造林が行われた。その結果、93年には人工林率が32%となっている。一方、日本では50年代から70年代初頭にかけて盛んに人工造林が行われた結果、90年の人工林率は41%に達している。こうした森林資源構成を持つに至った背景として、林野制度、つまり所有構造(第1章)と、木材需給のあり方(第2、3章)が挙げられる。

 第1章では、韓国の林野所有近代化過程について特に国有・民有区分過程に注目して、文献調査によって韓国と日本の林野制度の相違点と類似点とを明らかにした。

 日本の林野制度の近代化は、1872年の地租改正すなわち官民有区分によって骨格が形成され、その後、明治中期から末期にかけて森林・林業政策の展開の中で確立されていった。一方、韓国では旧韓末から日本による植民地支配が行われ、林野制度の近代化も他律的になされた。韓国での林野所有区分は1908年の「森林法」第19条に基づいて始まった。その後、10年の林籍調査の結果、森林法第19条は社会実情に適合せず且つ無理な規定であったと判断されて、森林法は廃止となった。更に国有林区分調査(1911〜24)が行われ、要存置、不要存置林野に区分された。後者に関しては、植林の推進を目的に貸付等がなされて私有化の契機になった。また、朝鮮特別縁故森林令(1926)によって慣行を尊重しつつ縁故森林譲与処分(1927〜34)が行われ、私有林が増加し、地方公共団体への譲与が行われた。こうして韓国の近代的林野制度が確立した。

 近代化の過程における韓国と日本の官民有区分は、大部分の入会林野に対して外部から形式的な所有の概念を強制的に導入した過程であったと言える。韓国における林野制度の形成過程を評価してみるならば、荒廃した林野の住民による復旧、燃料問題の解決によって社会的要請に応えるものであったと判断できる。しかしながら、主として以前から林野を占有してきた縁故者に私有権を認定したので、封建時代の非林業的要因をそのまま継承することにもなった。

 第2章では、韓国におけるエネルギー消費が経済発展や都市化の進展の中で、どのように推移し、林産燃料から化石燃料への転換(エネルギー革命)が進んだのかを、日本と対比させつつ、統計データを用いて考察した。

 両国のエネルギー革命の時期は、韓国では1960年頃から90年頃までの約30年問を、日本では57年から60年代後半までの約10年間を想定できた。両国ともに国民所得が約8000$/人(’85年価格)に達する頃にエネルギー革命が完了し、化石燃料への転換がはかられたと考えられる。また農村人口率からみると、韓国は20%、日本は30%を切った時期と推定される。韓国のエネルギー革命が長くかかった理由としては、60年代までの政治・経済的混乱のために日本と比べて経済成長が遅かったこと、都市への人口集中が緩やかに進んだために農村人口率が高いまま推移したこと、そしてオンドルの燃料転換に時間がかかったことが挙げられる。

 また、林産燃料の内容は、日本では林産燃料の大部分が薪と木炭であるのに対し、韓国では林産燃料の大半は枝葉と柴草であった。これは朝鮮戦争などで森林資源が枯渇したことと、燃料消費の中心がオンドルであったことに由来している。さらに、韓国では1958年の都市への林産燃料の流入禁止などで自家消費に限られてきたが、日本では林産燃料が商品として価値を持っていたので山村経済に重要な意味を持っていた点も看過できない。この点は特にデータの捕捉の難易に関係し、韓日の林産燃料消費の比較を困難にしてきたわけである。

 第3章では、第2章での韓国における林産燃料の消費量の見直しをもとに、全木材需要量の推移を日本と比較させた。林産燃料は、日本では57年に国内木材供給量の25%を占めていたが、その後のエネルギー革命によって、70年には4%に過ぎなくなった。韓国では、荒廃した森林資源からの用材供給力は限られており、国産材の大部分は林産燃料として使われてきた。そのため、林産燃料は80年まで国内木材供給量の86%を占めていたが、その後は低下していき93年には23%となった。

 用材については、日本では国産材加工から外材の国内加工へ、さらに現地加工へと移行してきているのに対し、韓国では外材の国内加工が一貫した形態だったと言えるだろう。この背景には、日本では戦後の木材需要の拡大期に国産材供給だけでは追いつかず、政策として外材輸入を推進したことが挙げられる。経済の発展に伴い、木材加工は比較優位を失ってきたと言えるだろう。一方、韓国では経済発展政策の一環として木材産業を輸出産業として振興したが、国内の不十分な森林資源のもとで外材輸入に頼らねばならなかったのである。また、日本では製材品で、韓国では合板生産で雁行形態がみられた。

 韓国では輸入材の大部分は丸太であるが、1980年代半ば以降、ニュージーランド材の輸入増にみられるように、輸入先を多国化させている。製材品輸入の割合も、85年の5%から93年の30%に増えてきてもいることも注目すべきだろう。日本ではより早い70年ごろから製材品輸入が増加し、93年現在では製材品が輸入材の49%を占めるまでになっており、その傾向は近年さらに顕著になっている。

 第4章では、韓国における森林資源政策の変遷を、森林資源面と政策面とから考察した。また、日本と対比させつつ、その違同を明らかにした。

 日本では間伐期である4〜7齢級の人工林面積が90年に63%を占めた。単位面積当たりの蓄積量は66年の69m3/haから90年の155m3/haへと増えている。韓国では93年現在、6齢級以下の面積が89.6%を占め、1ha当たりの蓄積は43.9m3でしかない。しかし、70年の10.4m3/haから考えると著しく多くなったと言えるだろう。造林については、日本では50年代から70年代初頭まで、スギ、ヒノキを中心に植林してきたが、韓国では78年の第1次治山緑化事業までは主に燃料林造林と早生樹植林が行われてきた。日本では用材需要増大期、韓国ではそれより早い時期に造林が多かったことになる。どちらも近年は造林面積が減少しているので、資源構成が不法正になりがちであり、将来の需要を満たしていく上で問題となることが危惧される。

 韓国では、1961年まで森林政策の基本となる「山林法」がなかった。それ以前には、森林資源を保護するために51年に「山林保護臨時措置法」が制定された。農村では燃料問題が深刻であったため、59年に燃料生産の特別措置として燃料林造成5カ年計画を樹立した。さらに、60〜78年の第1次治山緑化事業までの森林資源政策では、森林資源枯渇の危機を克服するために、森林の復旧と森林資源の造成を中心テーマとしてきた。また80年には、経済林の造成と公益的機能の増進を計るために「山林法」が全面改正された。また、それと同時に「山林組合法」が分離・制定され、森林所有者や地元住民の経済的・社会的地位の向上と森林の保護及びと開発とが並行して促進された。

 それに対し、日本では1951年に制定された「森林法」で伐採の規制が設けられ、森林資源の保続培養が計られてきた。その後、高度経済成長期に入って、紙・パルプ需要が増大する中で、57年からは広葉樹に対する伐採許可制が解除された。さらに、62年の森林法改正では、木材需要全般の増大に対応して、伐採許可制を保安林だけに残した。74年の森林法改正では、木材生産だけではなく森林の環境効果を高めるための森林整備も主要な課題となった。また、林業生産活動の停滞と森林の公益的機能への社会的要請の増大を背景に、78年には「森林組合法」が「森林法」から分離・制定され、森林組合の地域林業の中核的担い手としての機能の強化が図られた。

 韓国では第1・2次治山緑化事業(1973〜87年)の成功により、80年代後半から、森林内の休憩空間などの国民の森林に対する新しい要請が高まってきた。それに応えて、90年の「山林法」改正では自然休養林を指定・造成することができるようになった。加えて、「山林資源化」を促進するために篤林家と林業後継者とを育成し、森林の林業振興が必要だと認定される地域を林業振興促進地域に指定できるようになった。片や日本では、89年に都市生活者のレクリエーション需要の高まりに応えて森林の保健機能の増進に関する特別措置法を制定した。さらに、91年には緑と水の多様な森林整備と国産材時代を実現するための条件整備とを目的に森林法の改正が行われた。これは、国民の多様なニーズに応える森林整備水準の向上と、低コストでかつ安定的な木材供給の可能な国産材産地の形成とを進めようというものである。

 韓国では、1970年代までは燃料林造成と早生樹植林とを中心にし、その後は主に用材用植林によって、資源の充実をはかってきたが、まだ若齢であることから国産材時代の実現には時間が必要だと言えるだろう。他方、日本では戦後植林されたスギが伐期を迎えつつあり、九州や四国などではその供給が増加している。まさに現在、国産材時代を迎える状況になったということができる。だが、両国ともに植林の時期や樹種に偏りがあり、今後の木材需給を満たしていくには、資源構成を法正化することが求められる。また、両国ともにレクリエーション需要などの森林への新たなニーズが高まり、それを見据えた資源造成、すなわち広葉樹植林なども推進して行かなければならないだろう。

審査要旨

 韓国では、朝鮮戦争などの政治的・社会的混乱によって荒廃していた山野を緑化するため、1960年代以降の経済開発計画の実施に併せて、国を挙げた植林政策が推進された。また経済発展に伴い、近年の国民の森林に対する期待は、木材生産のみならず公益的機能や憩いの場の提供へも向くようになっている。こうした状況のもとで、今までの韓国における森林政策を検証しつつ、今後の方向性を再検討することが必要である。

 また、国土に占める森林面積の大きさ、木材需給に占める輸入材の多さ等、日本と韓国の森林や林業の実状は似通っている。従って、日本がこれまでに行ってきた森林政策は、韓国の森林政策を考える上で参考になる点が多いと考えられる。しかし、これまでの韓日の森林[資源]政策を比較した研究には、韓日間の戦前を中心にした国有林政策や木材産業発展過程の比較研究が挙げられる。また韓国における山林組合や森林造成政策の研究があるが、韓日の森林資源総体を比較したものはなかったと言えよう。

 このような背景のもとで、本論文は、戦後における韓日間の森林資源政策の変遷とその比較を詳細に行い、その比較をもとに韓国における森林資源政策の方向性を検討することを課題とした。

 「第1章」は、韓国の林野所有近代化過程を取り上げ、特に国有・民有区分過程に注目して、文献調査によって韓国と日本における林野制度の相違点と類似点を明らかにした。近代化の過程で行われた韓国と日本の官民有区分は、入会林野に対して、近代的な所有の概念を外部から強制的に導入した過程であった。植民時代の韓国における林野制度の形成過程では、強制的な官民有区分の導入がなされたが、その後、以前から林野を占有してきた縁故者に私有を限定的に認める方向に政策は転換し、荒廃した林野の住民による復旧と燃料問題の解決を主眼とした社会的要請に応えるものとなったと判断された。また、このことは所有構造を細分化することにもなった。

 「第2章」は、韓国におけるエネルギー消費構造の転換、つまり林産燃料から化石燃料への転換(エネルギー革命)を、国民所得と農村人口率の推移の中で日本と対比させつつ、分析した。林産燃料は韓国では枝葉・柴草、日本では薪炭が主体であったため従来比較がされて来なかったが、本論文では林産燃料として統一的に把握し、その比較を行った。その結果、両国のエネルギー革命の時期を、韓国は1960年頃から90年頃まで、日本は57年から60年代後半までと措定した。韓国のエネルギー革命が長くかかった理由として、日本に比べて経済成長が遅かったこと、都市への人口集中が緩やかに進んだこと(農村人口率が高いまま推移)、そしてオンドルの燃料転換に時間がかかったことを挙げている。

 「第3章」は、第2章での韓国における林産燃料の消費量の見直しをもとに、全木材需要量の推移を日本と比較した。日本では、戦後の木材需要の拡大を国産材供給で満たせなかったために政策として外材輸入を推進し、国産材から外材の国内加工、さらに現地加工へと移行してきている。それに対し、韓国では経済発展政策の一環として輪出産業としての木材産業を振興してきたが、国内の不十分な森林資源のもとで外材輸入に依存し、外材の国内加工が一貫して行われたと述べている。

 「第4章」は、韓国における森林資源政策の変遷を森林資源面と政策面から考察し、日本と対比させることにより両国の異同を明らかにした。韓国では、1970年代までは燃料林造成と早生樹植林、その後は用材用植林を中心として資源の充実をはかってきた。だがまだ若齢であることから国産材時代の実現には時間が必要と判断されている。他方、日本では戦後植林されたスギが伐期を迎えつつあり、九州や四国などではその供給が増加している。しかし、両国ともに植林の時期や樹種に偏りがあり、今後の木材需給を満たしていくには、資源構成を法正化することが必要であると述べられている。

 両国ともにレクリエーション需要などの森林への新たなニーズが高まり、それを見据えた資源造成、すなわち広葉樹植林なども推進して行かなければならないことを論じている。

 「第5章」は、全体のまとめである。

 以上、要するに本論文は、韓日の森林資源政策を統一した統計にもとづいて初めて比較分析したものであり、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に十分に値するものと判断した。

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