生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)は脊椎動物の脳で作られるアミノ酸10個の神経ペプチドで、下垂体における生殖腺刺激ホルモン(GTH)の産生・分泌を促進するという生殖活動上重要な役割を果している。しかし魚類の性成熟過程におけるGnRHの産生・分泌動態については不明な点が多く、また水産増養殖上、GnRH投与により計画的な種苗生産を効果的に行うためには、魚類のGnRHに関する基礎的知見の集積が必要である。 そこで魚類のGnRHに関して、どの分子種のGnRHが、脳内のどの細胞で作られ、どのような機能を持つかについて明らかにすることを目的にキンギョを用いて本研究を行った。まず免疫組織化学的手法(ICC)により、GnRH産生細胞の分布を調べ、次に脳内のGnRH細胞の投射および生理機能を明らかにするために嗅索切断手術(OTX)を行ない、ICCおよびラジオイムノアッセイ(RIA)法によりOTX後のGnRHの分布および量の変化について調べた。さらに成熟、排卵および性ステロイド投与に伴うGnRHおよびGTHの動態について調べた。最後に、in situハイブリダイゼーション(ISH)法により、sGnRH mRNAの発現について検討した。 1.キンギョにおけるsGnRHおよびcGnRH-II免疫陽性ニューロンの分布 キンギョではサケ型(sGnRH)およびニワトリII型(cGnRH-II)の2種類のGnRHが存在することが知られている。そこで本研究ではこれらのGnRH産生細胞の脳内の局在を明らかにするためにsGnRHおよびcGnRH-II対する特異的な抗体を用いてICC法による観察を行った。その結果、sGnRH免疫陽性細胞(細胞体)は嗅球(終神経)から終脳腹側野、視索前野および視床下部に至る脳腹側部に散在していた。cGnRH-II免疫陽性細胞はsGnRH免疫陽性細胞と同じ部位に検出されたが、その数はsGnRH細胞より少なく、さらにsGnRHの存在しない中脳被蓋にも見られた。両GnRH免疫陽性線維は下垂体だけでなく脳全体に分布していた。この結果より、両GnRHは下垂体でのGTHの分泌だけではなく、脳内において神経修飾物質として機能している可能性も考えられた。 2.嗅索切断の影響 ICC法によりキンギョ脳内のsGnRHおよびcGnRH-II産生細胞とその線維の局在を調べた結果、キンギョの脳では終神経にsGnRHとcGnRH-II産生細胞が多く存在することが明らかとなった。またキンギョでは嗅球と終脳の間の嗅索が伸長していることから、嗅索切断により終神経と脳の他部位との連絡を遮断することができる。そこで、嗅索切断手術(OTX)を行い、終神経由来のGnRHの脳の他部位への移行を遮断してその影響を調べた。 1)嗅索切断による脳内GnRH量の変化 未成熟魚をOTXした後、3日、7日、14日、21日、28日、56日目に脳を採取し各部位のsGnRHおよびcGnRH-II量の経時的な変化をRIA法により調べた。その結果、OTX後7日から14日までに脳全体のsGnRH量が大きく減少し、その後56日まで低値を保った。一方、cGnRH-II量は、OTX後顕著な変化を示さなかった。この結果より、キンギョの脳の大部分のsGnRHは終神経由来であることが示唆された。また、OTXにより脳内の終神経由来のGnRHが除去できるので、OTX魚は終神経由来のGnRHおよび脳の他の部位のGnRHの機能を調べる上で良いモデルとなると考えられた。 2)嗅索切断による脳内GnRH免疫陽性線維の変化 OTXにより脳内の終神経由来のGnRH量が大きく減少することがRIA法により明らかとなった。この減少したGnRHが脳のどの部位のGnRH細胞に由来するのか明確にするために、成熟雌魚をOTXした後、3日、7日、14日、21日、28日に脳内のGnRH線維の局在の変化をICC法により検討した。その結果、OTX後、7日から14日までに終脳、視床下部、視蓋から延髄に至る脳全体においてsGnRH免疫陽性線維はほとんど消失したが、視索前野から視床下部に至る領域の腹側部の細胞体とその周辺の線維および下垂体中の線維には変化が見られなかった。cGnRH-II免疫陽性線維は終脳で殆ど消失した。またOTX後、脳全体でのsGnRH線維の消失にも関わらず、魚の成熟状態も維持された。ICCの結果より、RIA法により減少が見られたsGnRHは終神経由来であり、またOTX後に残ったsGnRHは視索前野から視床下部に至る領域の腹側部の細胞体とその周辺の線維由来のものであると考えられた。またOTX後成熟状態が維持されたことから、終神経GnRHは成熟には必須ではなく他の部位のGnRHが成熟を調節していると示唆された。 3.成熟に伴う脳内GnRH量の変化 これまでの魚類のGnRH研究では脳内のGnRH含量は必ずしも性成熟状態と対応した結果が得られていない。これは第2章の結果のように、成熟に必須ではないと考えられる終神経由来のGnRHが脳内に多量に存在するため、実際に下垂体GTHの放出に関与するGnRHの変化を見落していたものと考えられる。そこで、キンギョの脳内GnRHと性成熟の関係を明らかにするためにOTXにより終神経由来のGnRHを除いた魚を用いて、脳内の各部位のGnRH量の成熟に伴う変化について調べた。7月にOTXをした雌魚を自然環境下で飼育し、8月、10月、1月、5月に脳内GnRH量の変化を調べた。その結果、OTXによるsGnRH量の減少にも関わらず、OTX群では生殖腺の発達、下垂体sGnRH量および血中GTH濃度は偽手術対照群と有意な差はなかった。この結果より、終神経由来のGnRHは生殖線の発達には必須ではないことが明らかになった。しかし、OTX後の残ったGnRH量の生殖腺の発達に伴う変化は検出できなかった。一方、偽手術群の脳全体のsGnRH量が成長とともに増加することから、終神経由来のGnRH産生と成長との関連が示唆された。 4.排卵に及ぼす嗅索切断の影響 終神経GnRHは生殖腺の発達のためのGTH分泌には必須ではないことが明らかとなったが、排卵のためのGTHの大量分泌(GTHサージ)に関与しているかどうかを調べた。成熟魚をOTXした後、水温上昇によりGTHサージを誘発する刺激を与えた。その結果、OTX群においても偽手術群と同様、水温上昇により排卵が起った。この結果より、終神経由来のsGnRHは排卵を誘発するGTH分泌にも関与しないことが示唆された。 5.脳内GnRH量に対するステロイドホルモンの影響 生殖腺で産生されるステロイドホルモンはGTH分泌に対して抑制作用を持つことが知られている。そこで、ステロイドホルモンと脳内GnRH量およびGTH分泌の関係を調べるために、OTX魚をモデルとして、卵巣摘出およびテストステロン投与を行い、脳内GnRH量の変化を調べた。その結果、卵巣摘出後血中GTH濃度が上昇し、ステロイド投与によって血中GTH濃度の低下が見られた。しかし、卵巣摘出およびテストステロン投与による血中GTH量の変化にも関わらず脳全体および下垂体中の両GnRH量の変化は見られなかった。したがって、OTX後脳内に残ったGnRH量をRIA法により測定してもGnRHの産生動態が測定できないと判断された。 6.sGnRH mRNAの発現 ICCおよびRIA法ではGnRHの産生動態が検出できないため、GnRH mRNAの定量によりGnRHの産生を調べるのが適当と考えられた。そこで、その第1段階としてキンギョのsGnRH前駆体に対応するオリゴヌクレオチドプローブを用いISH法を確立した。その結果、sGnRH mRNAの発現している細胞はsGnRH免疫陽性細胞体が分布している部位(嗅球、終脳腹側野、視索前野および視床下部)と一致した。ISH法によるシグナルの強さは脳の各部位におけるGnRHの合成活性を反映していると考えられるが、特に嗅球において強いシグナルが見られた。この結果より、ISH法の活用がGnRH研究に有効であると考えられる。 以上、本研究により、キンギョの脳におけるサケ型およびニワトリII型GnRHの分布が異なること、脳の大部分のsGnRHは終神経由来であること、さらに、終神経GnRHはGTH分泌には必須ではなく、生殖活動は脳の他の部位のGnRHにより調節されていることが明らかとなった。今後は分子レベルでGnRHの動態を明らかにする必要がある。 |