内容要旨 | | なぜ個体の間で攻撃性が生じるのかという問いは,動物行動学上の大きな問題の一つとなっている。哺乳類や鳥類の攻撃性は生殖に関連した行動としてよく観察される。一方,魚類においては生殖に無関係な初期発育段階にも攻撃行動や共食いがみられる。攻撃性の本質に迫るには劇的な生理的変化の生じる生殖期よりも,むしろ攻撃性の萌芽期である初期発育過程に注目した方がよい。本研究では,ブリを材料として魚類における攻撃行動の生態的意義と生理的機構を総合的に解明することを目的として,まず攻撃行動の発現・発達の過程を飼育実験を通じて明らかにした。次に稚魚の攻撃性に影響を及ぼす諸要因を明らかにし,本行動の解発メカニズムを推定した。さらに攻撃性の個体変異とその生理的背景について内分泌学的検討を加え,攻撃行動が本種の社会構造の形成に果たす役割を考察した。 1.攻撃行動の個体発生過程 種苗生産を行う90m3の大型飼育水槽と5〜30lの小型実験水槽において,ブリSeriola quinqueradiataの攻撃行動の個体発生過程を観察した。まず攻撃行動の動作学的解析を行い,共食いにまで至る一連の攻撃行動を,"前攻撃姿勢","追尾","つつき","捕食"の4相に分けた。攻撃行動はつつきや捕食の段階まで至らず,途中の追尾で終了してしまうこともあった。そこで,ブリの攻撃行動において必ず出現する追尾行動を以後,攻撃性の指標として用いることにした。成長を追って攻撃性の発現時期を調べたところ,飼育水槽・実験水槽のいずれにおいても仔魚期には攻撃行動は全く観察されなかったが,全長約10mm(日令約20日)で稚魚に変態すると同時に攻撃性が発現し,以後発達することが明らかになった。成長の変異は仔魚期には日令に伴って漸増し,変態期になると急激に増大した。その後稚魚期では急激に減少し,以後一定の値を保つ傾向が見られた。こうした成長変異の推移は攻撃性の発現・発達と深い関わりをもつものと考えられた。すなわち,変態前後の成長変異の増大は攻撃性の発現と発達によって加速された。その結果として生じた大きな体サイズの変異が攻撃行動を共食いにまで導き,これによって成長の遅い小サイズが間引かれて,成長変異は減少したと解釈された。後期仔魚期には尾部を強く折り曲げて静止する特徴的な行動が観察された。"Jの字姿勢"と名付けられたこの行動は,稚魚期に入り攻撃行動が発現してくると全く観察されなくなった。 共食いは単に同種の他個体を餌として認識した摂餌行動の一形態にすぎないという考えもある。しかし,摂餌動因は共食いの発現している稚魚期同様,仔魚期にも存在する。それにも関わらず,この時期にはサイズが大きく違った組み合わせでも攻撃行動が全く観察されなかった。また稚魚期の攻撃行動においては自分より大きなサイズの個体を攻撃する事例もまれではあるが実際に観察された。これらのことから,本種の攻撃行動や共食いは単純に摂餌行動の一形態とは片づけられない。すなわち,ブリの攻撃行動や共食いには摂餌動因以外に心理的動機付けとして攻撃性の動因(攻撃動因)の存在することが強く示唆された。 2.攻撃性に影響する生物要因と環境要因 生物要因として密度,空腹条件,サイズ差をとりあげ,これらがブリの攻撃行動に及ぼす影響について検討した。0.4尾〜8尾/lの範囲では個体密度の上昇に伴い攻撃頻度は増大する傾向があった。しかし,16尾/lの高密度条件下では攻撃行動は全く観察されなくなった。一方,1個体あたりの攻撃頻度を比べると,前述とは逆に個体密度の上昇に伴って減少する傾向が見られた。絶食時間が8時間から12,24時間と長くなるにつれて攻撃頻度は増加した。一つの飼育池の中から平均全長がそれぞれ16.6mm(小群),21.1mm(中群),29.7mm(大群)の3群を選別し,これらについて同一サイズ同士および異なるサイズ間の組み合わせを作って攻撃頻度を比較した。その結果,異サイズ間の組み合わせでは,サイズ差の最も大きい小群対大群の組み合わせで攻撃頻度が最大となった。さらに,同一サイズ群同士の組み合わせでは,大群同士の攻撃頻度が他の組み合わせよりも高い値を示した。 15,20,25,30℃の水温でブリ稚魚を1週間馴致した場合,水温が高い実験区ほど攻撃頻度は高かった。0,103,104luxの3照度区の中では,ブリ稚魚の攻撃頻度は103luxで最大となり,0luxでは全く攻撃行動を示さなかった。 ブリ稚魚の攻撃性を修飾する密度,空腹条件,サイズ差,水温,照度などの諸要因は,すべてある個体群中の攻撃個体に特異的に働き,その攻撃動因のレベルを変化させるものと考えられた。その結果,攻撃行動の閾値が変化し,外部刺激が同一レベルであったとしても,反応として攻撃頻度が変わってくるものと推測された。 3.攻撃性の個体変異 全長の揃った約30mmのブリ稚魚を10個の水槽に10尾ずつ収容した。10分間の観察中に攻撃行動を示した個体(攻撃個体)を取り出したところ,各水槽からそれぞれ1〜3尾が得られ,平均すると1.4尾(14.0±6.6%)の割合で出現した。各水槽から攻撃個体を除いた後,4時間後にはいずれの水槽にも新たに別の攻撃個体が現れた。2回目に出現した攻撃個体は全体の16.0±8.0%にあたり,1回目の攻撃個体の出現率と有意差はなかった。これらを再度取り除いた後は,いずれの水槽にも攻撃個体は出現しなかった。1回目と2回目の観察で得られた攻撃個体計30尾を収容した水槽を観察すると,さらにその中で攻撃個体と非攻撃個体とに分かれた。この時,攻撃個体の出現率は13.3%と前述の実験とほぼ同率となった。対照群5尾,無給餌群5尾,高密度群10尾をそれぞれ3個の5l水槽に入れて1時間攻撃頻度を観察した。画像解析装置を用いて個体識別を行ったところ,いずれの実験区の個体群も攻撃頻度が高い個体(0.5〜1.2回/分;強攻撃個体),攻撃頻度が低い個体(0.5回/分未満;弱攻撃個体),全く攻撃行動の見られない個体(非攻撃個体)の3群に分かれた。この実験から,ブリの群れの中にはほぼ一定割合の強攻撃個体(20%),弱攻撃個体(20%)および非攻撃個体(60%)からなる3つの階層が存在し,順位制に似た社会構造の形成されていることが示唆された。また,強攻撃個体を取り除くと弱攻撃個体が強攻撃個体になることから,これらの階層は群れ構成員相互の力関係によって変化する相対的順位であるものと考えられた。なお,以上の全ての実験において攻撃個体と非攻撃個体の全長に統計的に有意な差は見出せなかった。このことは,ブリの攻撃性がサイズ差のみで生じるものではないことを示唆する。 ある個体の攻撃性がどのくらいの期間持続するかを調べるため,全長の揃ったブリ稚魚(約50mm)を10尾ずつ8個の水槽に収容した。10分間の観察で攻撃頻度の最も高かった個体1尾(最強個体)を各水槽から取り出し,アリザリンコンプレクソンによる耳石標識を施してもとの水槽に戻し,1日(実験1)または1週間(実験2)の飼育を行った。飼育終了後に再び各水槽毎に10分間の観察を行って最強個体を選び出し,それらの耳石標識の有無を調べた。最強個体で耳石に標識がついていたものは実験1では8水槽中6水槽,実験2では8水槽中3水槽で認められた。この出現頻度はいずれも統計的に有意なものであった。これらのことから,ブリ稚魚の強攻撃個体の攻撃性は少なくとも1週間程度の長期間に亘って維持されることが明らかになった。 後期仔魚をJの字姿勢を強く示す個体と示さない個体に分け,前者に耳石標識を施した後,稚魚になるまで19日間両者を一緒に飼育した。その後この個体群を攻撃個体と非攻撃個体にわけて両群に含まれる耳石標識個体の割合を調べ,Jの字姿勢と攻撃行動の関連を検討した。その結果,攻撃個体群の方にJの字姿勢を示していた標識個体が多く含まれる傾向が認められた。これより後期仔魚期にJの字姿勢を強く示す個体は稚魚になって攻撃行動を強く示すようになる可能性が示唆された。後期仔魚期のJの字姿勢は,その消失と攻撃行動の始まりが時期的によく一致することからも,稚魚期の攻撃行動の前駆的行動の可能性があるものと考えられた。 4.攻撃行動の生理的機構 ブリ稚魚におけるストレスの指標として,組織中のコルチゾル濃度を測定した。小型のタモ網で追い回すことにより強いストレスを与えた群のコルチゾル濃度(13.1±2.6ng/g・tissue)はストレスを与えなかった群(4.7±1.4ng/g・tissue)よりも約3倍高い値を示した。一方,10分間の観察によって20尾の群れを攻撃個体(4尾),攻撃を受けていた個体(劣位個体;4尾),およびそれ以外の個体(12尾)の3群に分け,それぞれのコルチゾル濃度を測定した。劣位個体のコルチゾル濃度(8.6±1.6ng/g・tissue)は攻撃個体(0.6±0.3ng/g・tissue)のそれよりも14倍ほど高かった。その他の個体(3.5±1.7ng/g・tissue)は攻撃個体と劣位個体の中間の値を示した。これらのことから,ある個体群中の劣位個体は攻撃を受けることにより強度のストレス状態におかれていることが示された。 以上のことからブリ稚魚の攻撃行動は摂餌動因とは別の攻撃動因に基づいて解発されるものであり,攻撃動因はある程度長期に亘って持続する"個性"ともいえるようなものと考えられた。また強い攻撃動因を有する個体が群中に一定の割合で含まれていることによって群れの中に順位制様の社会構造が形成されると考えられた。一方,こうした攻撃性の延長で生じる共食いは,天然のブリ個体群において群れ構成員の成長変異を抑える機能があり,その結果体サイズのよく揃った群が維持されるものと考えられた。 |